[start John Mung episode] HOME
ジョン万次郎(中浜万次郎)の記事開幕 -May,2025 written-
【ジョン万次郎生誕の地】PART.1
高知県・土佐清水市、中浜。
1827年、ジョン万次郎こと中浜万次郎はこの地で生まれ育った。
2027年は生誕200年を迎える節目となる。
(本記事作成・掲載は2025年5月)
貧しい漁師の家に次男として生まれた万次郎。
姓(名字)は無い。
父は万次郎が9歳の頃に他界。
病弱な兄弟姉妹、家も村も貧しい環境で生まれた万次郎であった。
「万次郎」or「萬次郎」。
名前の表記に関して、現代漢字では「万次郎」でとおっている。
旧漢字では「中濱萬次郎」のようだ。
本記事では「万次郎」「中浜万次郎」と表記している。
本記事の筆者は、2025年5月吉日に生誕の地を訪問。
訪問中、万次郎の歓迎によって、天気はずっとおだやかな快晴だった。
四万十市、中村から自動車で40〜50分。
中浜エリアに入るとそこは「ジョンマンロード」。
さすがの坂本龍馬も遠慮したのだろうか。
この辺りのエリアに近づくと万次郎一色である。
ジョン万次郎資料館の案内看板もチラホラと目立つ。
生誕の地へは中の浜大橋を渡って足摺岬方面へ進む。
中の浜大橋を越えて最初のT字路。
「中浜万次郎生誕地」と「中浜万次郎生家」の看板を右折。
もっとも普及している万次郎の肖像画を使った看板だ。
坂を下り、つきあたりに土佐清水郵便局、そこを右折。
中浜万次郎生誕地MAP
【ジョン万次郎生誕の地】PART.2
すぐに防波堤につきあたる。
防波堤に沿って、色褪せた「ようこそ中浜万次郎生誕地」のパネルが貼ってある。
麦わら帽子の万次郎が、くじらがいたぞと知らせている絵だ。
万次郎が捕鯨船に乗っていたことをアピールしているのだろう。
複数枚並ぶパネルはジョン万次郎の一生を紙芝居のように紹介している。
高知県の各地の古い観光案内はどれも日焼けと老朽化で色褪せたものが多い。
すぐ近くに「中浜万次郎記念碑」の小さな花壇のようなロータリーがある。
そこに花壇に沿って2〜3台縦列駐車のスペースがある。
付近に駐車場はないのでホームページでもここに自動車を停めるように案内している。
詳細案内 https://www.johnmung.info
ロータリーには「ジョン万次郎を大河ドラマにしよう!!」の看板。
親切なことにトイレもある。
ロータリーの正面には中浜区長場」がある。
万次郎の生家へは区長場の右側の小道を進む。
中浜区長場には生誕地の案内看板があるので現地の参考に。
ロータリーの庭に「ジョン万次郎生誕地碑」がある。
「ここがジョン万の生誕地」の看板がひっそりと建っている。
万次郎の写真は極端に少ない。
選択肢はお坊さん風の写真になってしまうのはいた仕方ない。
まったく予備知識の無い人が見たら、どこぞの偉いお坊さんかと思うだろう。
できれば若く絶頂時の万次郎肖像画であればと思うのだが…。
【ジョン万次郎生誕の地】PART.3
駐車した山側には「中浜万次郎記念碑」がある。
記念碑は階段を登った高台にある。
記念碑の裏に公爵「徳川家達」(とくがわいえさと)書、とある。
家達をイエタツって読んでた。
調べたらイエサトだった。
この家達が昭和三年、万次郎に「正五位」(しょうごい)の称号を贈ったことが書かれている。
後から贈られてついた称号は「贈」が頭に付く「贈正五位」というらしい。
Wikipediaで調べると、確かに1928年(昭和3年)に万次郎は正五位となっている。
万次郎生誕101年後、逝去30年後に贈られたわけだ。
中浜万次郎記念碑
もしかして家達も自分と同様、歴史を勉強中、万次郎ファンになったのかもしれない。
自分にできることはせいぜいブログやSNSで少しでも万次郎を知ってもらうことくらいだ。
家達は高い地位の身分のお方だ。
「よっしゃ、ジョン万に正五位贈っちゃおう」ということができたのだ。
徳川の冠を持つ、歴代のつわ者は多い。
家達はジョン万に正五位を贈ったことで、他の徳川勢と差別化を持つことができたのだ。
この称号、どれくらい偉いのかというと、貴族以上がもらえる称号らしい。
中浜万次郎翁生誕地看板はすっかり色褪せてしまっている。
高台で陽当りも良好すぎるのだろう。
外国語翻訳文などは、もはや削れてしまって読めなくなっている。
大河ドラマにでもなれば、告知予算もグゥ〜ンと増えて、こういう看板も新調されるだろう…。
次章ではいよいよジョン万次郎の生家跡地にせまる。



















