【高知県のヒーロー】
万次郎に対して坂本龍馬は、おもいっきり表舞台に出まくった人物だ。
とにかく坂本龍馬は目立つ、目立つ。
高知県でも桂浜ビーチの観光収入はダントツだろう!
学校で一番目立ちたがりや、文化祭や体育祭では一番人気のモテモテくん。
そんなイメージの人物だったのだろうか。
人気者にはつきもので、当然妬むやつも多い。
江戸幕府時代に必死にしがみつく、ねたんでーる古代人。
新時代に野望を持つが自分のことしか考えない、かん違いマン。
400年続いた鎖国で外国に対する免疫がない保守的な、器(うつわ)小さいマン。
また当時は外国から高性能の銃火器も大量に流れてきた時代。
なんとか抜刀流だとか。
だれだれ一刀流だとか。
なんちゃら新陰流だ、などと。
そんなプライド高いマンが、いくらわめこうが、もはやムダムダ…。
指一本ちょっと動かす動作で瞬殺されて勝敗がついてしまう時代だ。
そんな危険ひしめく溶鉱炉の中で、坂本龍馬はひときわ目立ってしまった。
命がいくつあっても足りないくらいだ。
だから龍馬の寿命は短かった。
しかし、そのインパクトは万次郎とは正反対だ。
高知県・桂浜にいかずとも、高知県中、どこでも龍馬に会える。
高知県の表玄関の空港の名前も「高知龍馬空港」ときたもんだ。
同じ高知県出身、坂本龍馬の親戚にあたる「板垣退助」。
「板垣死すとも…」と有名な言葉を残しているが。
坂本龍馬はそんな言葉を残さなくとも、死して大仏様サイズの銅像となったし。
名前、地名、キャラクターグッズ、漫画、アニメ、映画、もちろん大河ドラマにも採用。
あらゆるジャンルに名を残すスーパースターだ。
組んだユニット「海援隊」も大人気だ。
もはや著作権、版権費だけで生きていけるのだが、惜しいかな、はかなくも短命だった。
しかし日本中を魅了させる強烈なインパクトを残したのだ。
対して「万次郎」はどうだろうか?
高知県でも、万次郎に会えるところは限られている…。
【終わりに】
激動どころか、400年続いた徳川江戸幕府が消滅する大きな時代の転換期。
国際経験豊富な万次郎にとって「自分は何をすべきか、何をしてはいけないか、何を一番したいのか」と自分自身を理解していたのだろう。
そんな万次郎でも、命を狙われた暗殺未遂の経験も一度や二度ではない。
しかし生き様を見る限り、決して臆病に、コソコソと生きたようには見えない。
むしろ、自分のしたいことを貫き通し、自分の希望を導くために積極的に行動していた様がうかがえる。
当時、日本で一番の、最高の、だれも真似できない、英語教師であっただろう。
世界の造船技術、航海術、世界一周してその目で見てきた、超グローバルセンス。
琉球の浜辺に凱旋帰国した際には、コーヒーを沸かして余裕でコーヒーブレイクをかましている。
沖縄トロピカルリゾートビーチで初めてカフェブレイクした日本人第一号なのではないだろうか…。
万次郎は鎖国でなにも知らない日本人をぶっちぎりで超越したレベルの国際人になっていたのだ。
しかし…敵を作らず友好的で、差別は絶対にしない、見知った技術を自慢することなく惜しみなく提供する。
それは育ての親でもある、ホイットフィールド船長が良き人格者だったからだろう。
晩年、お店で好物のうなぎを食した後、残したものをテイクアウト用に包んでもらうことが多かったと聞く。
それは帰りの道中、橋の下などの貧しい人たちにお裾分けをしてあげていたそうだ。
江戸幕府にすがりついたプライドの高い古代人などにはできないことだ。
幕府の古代人らは、そういうことを普通にできる万次郎をどう思っただろうか。
あらゆる意味で妬ましい限りだったにちがいない。
古代人などの重鎮たちは、なにかと言い訳をつけては出てきた杭を打ちたかっただろう。
万次郎はそんな器の小さい輩の空気も気配も読み取ることができたのだろう。
卓越した人を見抜く眼力も、7つの世界を股にかけてあらゆる国の人種を観てきたがゆえに得たものであろう。
万次郎はなんども彼らに対して呆れながら苦笑いをしたことだろう。
しかし、それでも日本人を、母国日本をこよなく愛した真の愛国者だったのだ。
鎖国時代の井戸の中しか知らない古代人とは、もはや観ている視点がちがうのだ。
多くの日本人を井戸から外に出してあげた功績は、後の日本の発展に大きく役立ったのだ。
大きく揺れ動く歴史の舞台を、裏から、影から、出すぎた真似はせずに、スーパーサブに徹して国の進歩をささえた万次郎。
サッカーで言えば、優勝がかかった決勝トーナメントで何度も途中出場でゴールに貢献した名アシスト選手。
海外経験選手が少ないチームの中で、唯一海外のプロリーグで大活躍してきた経験豊富な選手。
だけどいつもフル出場はさせてもらえず、控えの選手でベンチを温めている、といった感じであろうか。
万次郎選手を初めて観たファンらは「あの選手誰だよ、あんなすげー選手がなんで無名だったんだよ」と驚くだろう。
自身やチームの立場を守らなければいけない監督としてはフロントからの圧力があり、使いたくてもフル出場はさせられない。
しかし真の実力を知っているコーチ陣らには好かれるタイプだ。
誰が見てもあきらかに勝利に貢献したことがわかっても、MVPには選ばれない…。
SNSがあればそのネタだけで大炎上したかもしれない。
高知県民を土佐っ子とよぶことが多い。
万次郎は土佐っ子であると同時に、きっぷの良い、粋な江戸っ子でもあったように思える。
江戸っ子の服装は地味だけど、生地にこだわり、見えない着物の裏地にデザインを施していたと聞く。
アメリカでは自由な流行りの服装やファッションを楽しんでいた万次郎。
日本に帰国後は日本の環境に合わせて、あまり目立つような格好はしなかったのかもしれない。
その代わりに、江戸っ子のように、普段は見えないところにこだわりを持っていたのだと思う。
自分はそんな万次郎に共感するものが多々ある。
なぜだかわからないが、とても惹かれるのだ。
同時に、なぜか日本人として、とても誇らしい気持ちになるのは自分だけだろうか…。
万次郎は…おそらく、大海原の船上が一番好きな場所だったと思う。
国や政治のしがらみも、やっかいな妬みもない。
進む方向も自由。
途中寄り道するのも自由。
潮風を感じて、潮流を読み、波を眺めて、星座を観て、クジラの潮吹きを聴く。
今も、ジョン万次郎はホイットフィールド船長と一緒に、大海原を自由に進んでいることだろう!
ジョン万次郎をもっと知ってもらいたい。
でも、どこかで今のまま、あまりメジャーになってほしくない…。
でも、これだけは知ってもらいたい!!
そんな想いを込めて、本記事を掲載した。
すべての記事を読破してくれた方に感謝したい。
If you’ve made it all the way here—thank you. History may be long, but so is your patience!
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