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スタジオハーミットサテライトBLOG

The daily news from STUDIO HERMIT.

【ジョン万次郎資料館へ】

 

土佐清水の「足摺港公園」に「ジョン万次郎資料館」がある。

 

ジョン万次郎のすべてがここにある。

 

大人440円(JAF会員証提示で350円)でジョンマンの全てを知ることができる貴重な資料館だ。

 

年中無休・AM8:30〜営業。

 

ようこそ〜のポスターの万次郎少年像は資料館隣の公園にある。

 

入ってすぐに館内のフロアマップがある。

受付も入ってすぐにある。

有料エリアも必ず観よう!

 

有料エリア内ではジョンマンのことを模型、ジオラマ、貴重な資料などで出漁・漂流の少年期からストーリー仕立てで紹介している。

館内は写真撮影が自由。

ファンには大変ありがたい!

ごくごく一部を紹介する。

 

出漁、漂流編

 

恐怖の鳥島編

 

ジョン・ハウランド号

 

アドベンチャラー号

 

後藤象二郎

 

漂巽紀畧など貴重な古書

 

{ココがスゴイ!}

パノラマ撮影した万次郎の世界航海誌。

この航海図には万次郎が経験したイラストも描かれている。

レイロー、つまり蒸気機関車。

捕鯨船でのクジラ漁。

カリフォルニアのゴールドラッシュ。

 

1800年前半に日本人として世界二週、七つの海を渡った冒険はだてじゃあない!

[ジョン万次郎2回の世界航路]

 

タイトル文字の背景にある家紋らしきものが。

調べたら、ジョン万次郎の家紋だった!

 

 

【ジョン万次郎少年像へ】

 

資料館と駐車場を隔てて隣接して「足摺港公園」がある。

 

公園といっても、なにもない。

しかしココには有名な「ジョン万次郎少年像」がある。

 

この像だけのために公園にしているかのようで贅沢このうえない。

 

この少年像はジョン万ファンには有名かつ貴重なオブジェだ。

なにが貴重かというと、万次郎が遭難・漂流したときの仲間が全員勢揃いしているのだ。

 

この像の背景の奇岩は鳥島。

ジョン・ハウランド号に救出されるシーンを描いている。

一番若く元気な万次郎が必死に船に向かって助けを呼びに行くシーンなのだ。

「ウォリャーーー! ここだ、ここだぁー! 助けてくれぇーーー!」

シャツを脱いでSOSの旗代わりに振ろうと、まさに脱ぎかけのポーズだ!

生命力に満ち溢れた、躍動感のある万次郎だ。

出漁時はおそらく坊主頭だった髪型。

143日間の過酷なサバイバルで伸びた髪型として正確に描写されている!

 

対して他の4名は悲惨な状況を物語っている。

「ヒィー、置いてかないでくりぃー、た、助けてくりぃー」

「お、おい、船が気づかずに行っちまうぞ、あわわわ」

「うぉーい、ここにけが人がいるんだぞぉー」

「あ、足が…動かね…もうムリ…」

[ジョン万次郎少年と4人の漂流者]

 

ジョン・マンの生涯紹介

 

ジョン万クイズ検定ではないが、ファンであれば漁に出た漂流した仲間を全員知っているだろう。

漁は万次郎含めて5人。

仲間全員のプロファイルが掲載されている碑も珍しい。

石碑に掘られた文字なので陽焼けしてしまうこともない!

 

ここに記載の万次郎の「万」の字の漢字は「萬」だ。

万次郎は「炊係」。

一番下っ端の、雑用、食事係だ。

しかし漂流となれば、これは重要なポジションなのだ!

その後、万次郎は世界の捕鯨船でスチュワードという、当時の船員としては高い地位に上り詰める。

すでに天から与えられていた運命のためなのかもしれない…。

 

万次郎だけがホイットフィールド船長についアメリカホームステイ&マサチューセッツ留学を果たした。

ということで、他の四名はハワイ・ホノルルにホームステイだ。

楽園ハワイと言っても、帰国ができないホームステイなのだ。

ここで生きるしか無いと覚悟するまでは辛かっただろう。

しかし鳥島サバイバルと比べたら、ここはもう、トロピカルアイランド。

慣れたら、それこそ楽しかったのではないだろうか。

 

万次郎を見込んでアメリカを見せてくれたホイットフィールド船長に感謝だ!

同時に、保護者役の筆之丞が万次郎のアメリカ行きを快諾してくれたことにも感謝だ。

 

「やめとけ、やめとけ、メリケンなんてろくなもんじゃねえ、おめえには無理だよ」

などと反対していたら…。

 

いや、もしかしたらすぐにハワイが気に入って、万次郎の保護者感覚が消えていたのかもしれない。

「ん? いいよ、いいよ、いっといで…わりい、これからポリネシアンショー観るんで、この話は終わりな」

みたいな…。

 

そしてドラえもんみたいな名前の「寅右衛門」はハワイで嫁さんをゲット、そのまま永住したのだ。

毎日早朝サーフィンして、パイナップルやココナツジュースやコナ100%コーヒーを飲んだりして幸せな結婚生活にハマってしまったのだろうか。

寅右衛門は、もしかしたら、ハワイ日系人第一号だったのかもしれない。

「重助」は残念ながら早くにハワイで病死。

鳥島漂着・上陸時に足を骨折、それが後々まで後遺症となったとも言われている。

もっとハワイでエンジョイ生活をしたかっただろうに。

 

5人全員が漂流開始より、過酷な試練の連続だったのだ。

生存自体が奇跡の状況だったのだ。

しかしその試練を乗り越えた先に4人には楽園ハワイが。

万次郎には世界一周、捕鯨ツアーとマサチューセッツ留学という華々しい道が開けたのだ。

万次郎以外の4人のプライバシーに多くは触れないことにしておこうと思う。

 

 

【ジョン万次郎のアメリカ留学】

 

万次郎と一緒に凱旋帰国に成功した2名。

とくに筆之丞改め、伝蔵には、やはり感謝の意を評したい。

しかもこの2名もハワイで10年もの滞在経験がある。

彼らは英語はもちろん、ハワイ語(ポリネシア語など)も話せたのではないだろうか。

だとすると、この2名は日本語含めて3か国語のバイリンガル帰国子女(男だが)だ。

10年も滞在していたなら、おそらく日系人として、サーフィンも楽しんでいただろう。

毎日アロハシャツを着こなしてワイキキビーチ通りを散歩したのだろうか。

元祖サーファーだったかも…。

 

ところで「筆之丞」が「伝蔵」に名前を変えた理由。

「筆之丞」は外国人にが発音しにくかったのが理由だとか。

しかしなぜ「伝蔵」なのか?

 

フデノジョー、デイノジョー、デイジョー、デンジョー、デンゾー、

だったのではないだろうか…。

五右衛門は元々、言いやすい名前だったのだろう。

ゴー、エイモォーン…ゴー、カモォーンみたいで言いやすそうだし。

 

もしも万次郎にジョンが付かなかったら万次郎も、

マンジロー、マンジョー、マンゾー、

「万蔵」になっていたかもしれない。

万蔵はちょっといやかも…。

 

こうして万次郎はホイットフィールド船長に見込まれてハワイを後にしたのだ。

漂流から2年後、万次郎はジョン・ハウランド号で捕鯨をしながらアメリカ東海岸に戻ってきたのだ。

一度、ニューヨークの北にあるボストン着。

その後ボストンより少し南下、ニュー・ベッドフォードに帰港。

 

宇佐の浦を出漁してから2年後。

万次郎は初めてアメリカに立ったのだ。

場所は東海岸、ニューヨークのすぐ近くだ。

ググル先生の世界地図にも掲載されている。

[フェアヘイブン周辺 Google Map]

 

万次郎、満16歳。

現代なら高校一年生だ。

重い病気も重大なケガもせずにアメリカ留学生活をスタート。

観るもの、聴くもの、食べるもの、すべてが未知の体験だっただろう。

四国の田舎の漁師生活をしていた万次郎にとって、別の宇宙人の高度な文明の惑星に連れてこられた状況に等しかっただろう。

当時のアメリカでは、まだ州によっては人種差別がひどく、状況によっては万次郎も奴隷となって売られていた可能性もある。

 

幸運なことに、ホイットフィールド船長の故郷のフェアヘイヴンは率先して人種差別反対をすすめていたエリアだった。

「クジラで世界に灯りを!」をモットーに進歩的で経済的にも潤った街だったのだ。

それに加えて、ホイットフィールド船長の人格がとてもよかったのだ。

これはもう、万次郎にとって最良の縁としかいいようがない。

そんな最高の環境で留学生活を開始させてもらった万次郎だが、単に甘んじていたわけではない。

自ら進んで勉強をした努力の人でもあったのだ。

高校生の頃、常に努力を嫌い、中間試験や期末試験前に、徹夜で暗記してその場をしのいだ自分とはえらいちがいだ。

万次郎は日本語の文字よりも先にアルファベット、そして進んだ英語圏で世界最先端の教育を吸収してしまったのだ。

 

持ち前の好奇心、鳥島で生き延びた不屈の闘志、それらを武器に鎖国時代の日本人を追い越し、高度な国際人に成長していったのだ。

そんな留学生活でホームシックになるどころか、捕鯨船で世界の海でクジラ漁をする興味はつのる一方だ。

ホイットフィールド家から正しい教育を受けながら元気に育った万次郎。

渡米後、ホイットフィールド船長が通う教会に万次郎を連れて行ったときの逸話がある。

 

教会の牧師や通う人たちに、万次郎は白人と同席ではなく、別の人種専用席に離して座らせよ、と差別されたそうだ。

ホイットフィールド船長は、ただちに通う教会を変えてしまった。

そして差別をしない教会を見つけると、自分も万次郎と一緒にその教会に通ったのだ。

自分は白人と同等ではないんだ、平等に生きてはいけないんだ…という卑屈な差別感情。

そんな思いをせずに、正しく深い愛情を注がれて思春期を育った万次郎。

これだけでも「カンヌ映画祭に出品」できそうな映画が作れそうな逸話だ!

 

しかしながら、万次郎の留学時代のエピソードの記録はほとんどない。

小説物語としてはいくつかあるのだが、それらは想像物語だ。

思春期のハイスクールである。

英会話には不自由しない。

 

金色の髪の毛のお嬢さんと恋をしてラブレターを書いた、とか。

ラブレターの返事が来て喜んだが、断られて失恋した、とか。

失恋した日は食欲もなく夕ご飯は食べれず部屋で泣いていた、とか。

そうしたら船長の奥さんがオリジナルクッキーを焼いてくれた、とか。

万次郎のお誕生日パーティに好きな女の子を招待した、とか。

でも、一緒に来た他のクラスメートとカップルになってしまった、とか。

ニュー・ベッドフォードの堤防で釣りをした、とか。

釣った魚をその場で捌いて刺し身にして食べたら、周囲にいた船員たちに褒められた、とか。

その船員たちに誘われてバーに連れて行かれてウィスキーを呑まされて二日酔いになった、とか。

ませた同級生が教会で結婚式を挙げたので参列した、とか。

結婚式に参列するので生まれて初めて蝶ネクタイした、とか。

すべて当時の日本では考えられない、想像できないハイスクールの青春時代があったのではないだろうか…。

 

 

【ジョン万次郎世界一周ツアーPART.2】

 

努力を惜しまず、夜もクジラ油のランタンで勉学に励んだのだろうか。

そういう努力をする人を遠目からじっと見ている人は必ずいる。

その努力の結果が万次郎に大きなチャンスを与えたのだ。

万次郎が再び捕鯨船に乗って世界の大海原へ訪れるチャンスが到来したのだ!

それがフラクリン号での捕鯨航海だ。

事実上「第二回・世界一周ツアー」の開催だ。

その捕鯨船はジョン・ハウランド号に劣らぬ立派な船だ。

 

アフリカ最南端の喜望峰を回ってインド洋に出たときのこと。

海面の大きなウミガメを発見。

船員たちが銛(モリ)を使って捕獲しようとするも、誰も捕獲できない。

そんな中、万次郎はためらわずに海に飛び込んだ。

そして素早くウミガメの背中に乗ると、ダイバーズナイフでウミガメの喉に一太刀。

見事、2メートル級のウミガメを捕獲したのだ。

船員たちは拍手の代わりに万次郎にピューピューと口笛で称えたことだろう。

航海中、このようなエピソードは多数あったにちがいない。

このような万次郎の活躍が、船員たちの注目を集め、大きな信頼を徐々に勝ち取っていったのだ。

アメリカ人は、まず自己アピールをせよと教育される。

万次郎も、控えめな日本人ではなく、アメリカ留学でしっかりと自己アピールすることを身につけたのだろう。

 

実はフランクリン号での航海中。

なんと、万次郎は一度、日本上陸をしている。

正確には琉球エリアの島だ。

本船から上陸用小舟に乗って、万次郎はたしかに日本に上陸したのだ。

そこで島民とも会って会話をした記録が残っているそうだ。

ではなぜ、そのときに正式に日本に帰国しなかったのか。

そこは「マンビコシン」という名の謎めいた島だったのだ。

会って話をした日本人、琉球人と言葉が通じ合わなかったのだ。

万次郎はその島が日本だという確証を得ることができなかったのだ。

ただ、その島の名前がマンビコシンということは把握できた。

結果的に、島民らに体よく追い返されて、やむなく日本帰国とはならなかったのだ。

後にわかったことだが、どうやらそこは沖縄本島のエリアだったそうだ。

「摩文仁(まぶに)」の「小渡濱(おどはま)」という場所だったらしい。

現在の糸満市だそうだ。

琉球の方言、ナマリ、発音で「マブニ」が「マンビコシン」だったのだろうか。

そしてこの一時上陸体験は、本格的な上陸時に役立つ伏線となったのだ。

 

フランクリン号の捕鯨航海でも運命は万次郎に味方をする。

グアム付近を航海中、デービス船長が精神病、つまり「うつ病」になってしまったのだ。

外洋のど真ん中で、船長がブツブツと不気味な独り言を言うようになったらさぞ不安だろう。

うつ病は重症になり、ついには船長は暴れ出すわ、なにをするかわからんわ、船員にとっても危険極まりない。

これでは船長としてまともな判断もできないし、リーダーシップを取ることは不可能だ。

全員一致で、船長を拘束、軟禁したのだ。

しかしそうなると誰が船の舵をとるのか?

そこは民主主義の国、アメリカだ。

 

「新キャプテンは誰に?」

の人気投票ならぬ、新キャプテン選挙が行われたのだ。

 

現在のクルーの中で、船を任せられるキャプテンは誰が適任か?

誰なら安全に船の舵を取って目的地に操船できるのか?

誰が一番リーダーシップに適しているのか?

さあ、全員で投票だ。

[フランクリン号復元・帆船模型]

 

{ココがスゴイ!}

結果、万次郎ともう一人の船員が同票で選ばれたのだ。

惜しくも年齢が年下だったという理由で、万次郎は同票だが次点として副キャプテンとなったのだ。

(スチュワードという役職だが、実際にはキャプテンと二人三脚で、副キャプテンとして活躍したそうだ)

これは、船員誰もが、万次郎を実力、人格ともに認めたという証拠だ。

ウミガメ捕獲エピソードなども選挙のポイント加算の要因になったのだろう。

新キャプテンも万次郎を尊重、ほぼ二人キャプテンとして二人三脚、無事に航海を続行。

しかも捕鯨ノルマも達成。

 

一般船員がいきなりスチュワード昇格するのは異例の大出世だ。

給与も数倍どころか、数十倍に跳ね上がったらしい!

 

船上では人種差別はなく実力主義の世界だったのだろう。

万次郎がアメリカナイズされた世界で堂々と自己アピールをしながらら生きていたという証拠だ。

 

{ココがスゴイ!}

フランクリン号の捕鯨航海から無事にフェアヘイブンに帰国した万次郎。

ときは1849年のアメリカ(カリフォルニア)ゴールドラッシュに突入。

万次郎は金をゲットする目的で単身、西部に向かったのだ。

そしてサクラメントの金山で帰国のための資金を確保したのだ。

(約600ドル、当時換算で250万円くらい)

 

ゴールドゲットのエピソードには、保存食の豚の干し肉を携帯したり、護身用の銃を二丁懐に忍ばせたりしたそうだ。

目的地までの旅路も、安全かつ、コスパのよい交通手段を自分で計画・手配したそうだ。

蒸気船や蒸気機関車に当たり前のように乗った万次郎。

日本ではその当時、まだ殿様が偉そうに人力の籠に乗っていたのだろうか。

当然、蒸気機関の内燃機システムによる移動手段などは夢の時代だ。

いや、長崎あたりではオランダ人から情報として伝わっていたかもしれない。

 

ゴールドラッシュのカリフォルニアには一攫千金を夢見て、野心に燃える様々な人種が集まっていた。

当然、奪い合い、窃盗、殺し合いも横行していたのだ。

護身用の準備はしていたが、特に護身術の訓練をした記録は無い。

運がよいと言われるが、その裏には果てなき挑戦心と不屈の諦めない精神力、そして好奇心が強かったことがある。

計画能力にも長けていたという証拠だ。

これらの経験によって、万次郎はゲットした金を旅行資金として日本帰国の成功を成し遂げたのだろう。

 

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【足摺岬の中浜万次郎像】PART.1

 

足摺岬訪問の滞在ホテルは「足摺国際ホテル」。

 

お部屋は和室でオーシャンビュー、とても快適。

 

海側の部屋からは足摺の海の景色がとてもよい。

 

幼少期の万次郎もこの景色と同じ海を見ていたのかと思うと感慨深い。

宇佐から出漁、嵐にあって遭難したポイントは足摺岬のはるか沖の方らしい。

部屋から観ている海の景色の先で漂流してしまったのだ…。

 

ホテルのフロントの観光パンフレットコーナーにも「ジョン万次郎を大河ドラマにしよう!!」の署名ノートがあった。

もちろん署名した。

 

料理もサービスも部屋も素晴らしい。

一人旅でも快く受け入れてくれるのは大変ありがたい。

 

四国最南端、足摺岬。

ここに足摺岬公園がある。

このあたり一帯は観光遊歩道コースとなっている。

ホテルから足摺岬に行く途中「万次郎足湯」がある。

この先にお遍路時の寺「金剛福寺」があるのでお遍路さんにも重宝している足湯だろう。

万次郎足湯の眼の前に白山洞門(自然に削られた洞門で角度のよってはハート型に見える)へ下る道がある。

白山洞門の案内看板にも万次郎像の案内がある。

 

白山洞門は長年海水などで削られてできた天然のケーブだ。

ケーブは見る角度によってハート型に見えるのでPhotoスポットとして人気だ。

 

 

【足摺岬の中浜万次郎像へ】PART.2

 

白山洞門に降りていく入口に「土佐清水足摺岬小学校」がある。

ジョン万次郎は貧しい環境のため、習い事はもちろん、文字を習うこともかなわなかった。

平日なのに静かな学校だな、と思っていたら2年後には廃校となるそうだ…。

 

四万十川の山あいに「海洋堂ホビー館」がある。

[海洋堂ホビー館]

 

かつて学校だった校舎をリノベしてホビー館、観光地の目玉に仕立てている。

どなたか有志が、この土佐清水足摺小学校もリノベしてくれないだろうか。

「JMミドルビーチパーク」などはどうだろう。

(JM:ジョン・マンの略、ミドルビーチ:中浜のこじつけ英訳)

足摺岬の万次郎像、足摺港公園の万次郎少年像に対抗して、若き絶頂時の万次郎青年像を造って配置する記念公園はいかがだろうか。

若き絶頂時の万次郎のイメージとは。

[1849カリフォルニアゴールドラッシュ・絶頂時の若き日の万次郎イメージ像イラスト]

 

マカロニ・ウェスタン風万次郎の深緑色のブロンズ像。

大きな岩に片足を乗せるポーズ。

万次郎像の先には羅針盤付き地球儀の日時計。

万次郎像の目の先には地球儀があり、太平洋、日本、四国最南端を見つめている。

QRコードで以下の服装カラー、仕様の説明を気軽にデジタルコンテンツで見ることができる。

 

服装の色、仕様、携帯品の詳細。

ウール製のつばが大きい(つばの曲がりがいちばんゆるいタイプ)黒色テンガロンハット、

頭部サイドは鷹の羽の飾りが数本、

赤いコットンネックスカーフ(赤地に白ペイズリー柄)、

赤いチェックコットンシャツ(赤地に黒チェック柄)、

皮のダークブラウンチョッキベスト(裏革仕様、ヒラヒラのフリンジ仕様)、

ブルービンテージジーンズ(やや濃い青)、

拍車付き皮の黒ロングブーツ、

二丁用牛革ガンベルト(色褪せしたキャメルブラウン、ペイズリー柄、抜け落ち防止フック・予備弾ポケット・脚紐付き)、

コルトシングルアクション銃二丁(アーミーキャバレリー、艶ブラック、6発装填、カスタムウッドグリップ)、

肩に持ち上げた片手には小型のツルハシ、

片手に砂金収集ザル、

足元にはシェラフ(携帯用の薄い毛布を円柱状に巻いて畳んである)、

ホーロー湯沸かし器(白で一部のフチが青色)、

ホーローカップ(湯沸かし器と同色)、

ホーロー鍋(豆のスープ、パンを焼くなど万能鍋、湯沸かし器と同色)、

小型のコーヒーミル(豆を手回しで挽くタイプ)、

豚革袋で包んだガラス瓶の水筒、

銀のフォーク、スプーン、

開拓者御用達ブランドのブレードナイフと本革ケース、

着火用マッチ、

干し豚肉の燻製(携帯非常食、火を入れなおすとさらに美味しい)、

小麦粉(簡素なパンケーキを作る)、

クジラ油、

麻の携帯袋にコーヒー豆、

 

などの銅像、どうであろうか???

(知らない人が見たら、足摺岬にカーボーイが来ていたのか? と勘違いされるかも…)

この機会に絶頂時の万次郎青年像を、国際タイアップでぜひ造ってほしいと思う。

せっかく高知県なので、海洋堂コラボとなれば、かなりクオリティのよい像になる。

こうなると、高知県主導の県立プロジェクトがよい。

クラウドファンディングで募れば、けっこう資金調達できると思う。

と思うのは、自分のようなマニアックなファンだけだろうか…。

 

【足摺岬の中浜万次郎像へ】PART.3

 

足摺岬公園の入口手前に無料駐車場がある。

観光バスも停車する。

かの有名な、弘法大師(空海)のお遍路路「第三十八番・金剛福寺」も道を挟んですぐ目の前にある。

そこから公園の入口を入ると、すぐに案内看板とともに「中浜万次郎像」が海の方を向いて立っている。

 

この万次郎像はアメリカ、マサチューセッツ州・ニューベッドフォードにあるフェアヘイブンの方角を見ているそうだ。

 

万次郎像の左手には船乗り愛用のコンパス、三角定規を持っている。

 

ずっと見ていると、なぜかちょっとさみしそうな表情にも見える。

「もっかい、行きてえなあ…アメリカ…」って言いたそうなのは気のせいだろうか。

 

像と一緒に万次郎紹介看板もある。

日陰のせいか、この看板は陽焼けせずに、翻訳英文もよく読める。

 

公園や遊歩道の案内看板もある。

(10番天狗の鼻がオススメスポットだ)

 

この像の前が観光ツアーの説明場所のようだ。

観光ツアーのガイドでは万次郎をどのように紹介しているのか。

間違ったことを伝えていないだろうか。

せっかくなので団体ツアーのガイドさんの女性の話を横で立ち聞きさせてもらった。

わかりやすい万次郎の説明と正しい紹介だ。

当然だろう、心配した自分は何様だ、と反省した。

高知のツアーガイドさん、これからも万次郎の紹介、何卒よろしくお願いします。

 

【足摺岬の中浜万次郎像へ】PART.3

 

足摺岬公園の入口でガイドさんの万次郎紹介を聞いているツアー客。

こちらのツアー客の反応の方が興味深い。

ジョン万次郎をどれだけ知っているのだろうか?

知名度はどうだろうか?

つい心配で写真撮るフリして近くで会話を聞いてみた。

 

「そんなんエラか人やったと?」

「高知はエラか人多かね〜」

「ほうよ、偉人さんが多かぁ」

「漂流した無人島ってどこや? 足摺岬から見えっと?」

「いんや、ハワイらしいよ」

「とおかねえ」

「ジョンていうん? 日系二世?」

「ほうよ、ハワイいっとるしの」

「んだから、あの顔ばハワイのホノルル向いとるんじゃけえ」

「ホイットニーなんとかさんが助けてくれたんじゃ」

「そげな有名なハワイの人、なんか聞いたことあるけえ」

「あのほれ、カメ…えっと」

「カメはさきほど見てきた金剛福寺の像じゃけえ」

「ワハハハ、そりゃあ弘法大師様じゃ、関係ねえけえ」

「手に文房具持っとるとよ」

「偉い学者さんになったと?」

「かんのんまるに乗ったんじゃけえ」

「あ〜、言ってた、言ってた」

「ハワイのアホウドリの説明はゆかいじゃったのお、ワハハハ」

「んじゃけえ、結局なにした人?」

 

 

おしゃべりせんと、ガイドの話、きちんと聞けよ!

ナマリからして、関西系、四国系、広島系なのか、さっぱりわからん。

紹介看板読めよ!

ハワイのことなんて一瞬しか言ってないし!

かんのんまるって、どこの船だよ!

ホイットニーって、誰だよ!

ホイットフィールド船長、ハワイの人になっちゃってるし。

まあ、結局、東大の英語教授にはなりましたけどー。

旅行帰っても「ハワイのアホウドリ」くらいしか憶えてないんだろうなー。

結局伝わってないし。

まあ、少しでも知名度上がったならいいんだけど…。

 

{ココがスゴイ!}

万次郎像が向いている方向はフェアヘイブン。

漂流した万次郎を救助した捕鯨船ジョン・ハウランド号の船長「ウィリアム・H・ホイットフィールド船長」の故郷だ。

フェアヘイブンは万次郎の留学先でもあったのだ。

当時は留学制度なんて感覚は無い。

日本では、学校はまだ寺小屋とか塾のような名称だった時代だ。

しかも鎖国中に留学なんて、当時では国際犯罪に等しいのだ。

鎖国時代は勝手に外国へ出国したら、犯罪者扱いとなり簡単には帰国できないのだ。

でもそんなん関係ねえ!

万次郎はホイットフィールド船長の好意によって、1843年に日本人アメリカ留学生第一号となったのだ!

 

{ココがスゴイ!}

捕鯨船で七つの海を航海。

当時二回も世界一周を成し遂げた日本人はいない。

万次郎は1841年の出漁、遭難、漂流、救助から10年後の1851年に日本に凱旋帰国したのだ。

万次郎はどれほどの能力を身につけて帰国したのか?

 

(1)ネイティブイングリッシュ

(2)航海術

(3)航海測量技術

(4)最先端の捕鯨漁法

(5)造船知識・修繕技術

(6)日本人未踏の地の文化吸収

(7)超国際的マネジメントセンス

(8)ネバーギブアップスピリット

(9)開拓者・冒険者としての心得

(10)世界中で得た友人・ライバルたち

 

思いつくまま綴ってみたら10項目もあるではないか。

 

足摺岬公園で万次郎と一緒にフェアヘイヴンの方向を眺めるなら「天狗の鼻」の展望台がおすすめだ。

 

足摺岬展望台は入口から近いが、5〜6分程度で行けるので天狗の鼻をおすすめする。

万次郎と一緒にフェアヘイヴンの方向を眺めるには絶好の場所だ。

[足摺岬・天狗の鼻から太平洋を一望]

 

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【ジョン万次郎生家跡】PART.1

 

中浜区長場の裏から細い路地に入る。

すぐに「中浜万次郎生家(復元)」の案内看板。

 

古くからありそうな路地だ。

万次郎もこの道を歩いたのだろうか。

その頃はコンクリート舗装はされていなかっただろう。

 

右の塀に「中浜万次郎の母(汐)の出里」看板がある。

笑顔のお母さんイラストが「ようこそ」と言って歓迎しているようだ。

 

その先に「中浜万次郎生家(復元)」がある。

[中浜万次郎生家復元]

 

正確には住居跡地ではないらしい。

近年にこの場所に復元された家屋を建てたそうだ。

 

裏口には記念碑が建っている。

 

復元生家はドアを開けて中を自由に見学(無料)することができる。

入口に「万次郎は足摺岬にフェアヘイブンを見に行っています」のようなことが書いてある。

だから今は留守ですよと言いたいのだろう。

後で足摺岬に行って、一緒にフェアヘイブンを見ないと。

 

中にはちょっとしたグッズも売っている。

ただし無人なので購入代金はセルフで料金箱に支払う。

 

母からの伝言も置いてあった。

「戸締まりしなさい」とあるが、万次郎は戸締まりしないで足摺岬に行ったようだ。

 

記念にコースター(@500円)を色違いで2個買った。

なかなかしゃれたデザインだ。

お坊さん万次郎イラストだったら買ったかどうかわからない…。

[ジョン万オリジナルコースター]

 

「ジョン万次郎を大河ドラマにしよう!!」の署名ノートもある。

訪問されたらぜひ、署名していただきたい。

また、万次郎の観光環境を維持するためのカンパ(募金箱)もある。

金額は内緒だが、できる限りの誠意をこめてカンパした。

(カンパって、もしかして死語かな?)

 

 

【ジョン万次郎生家跡】PART.2

 

復元の家のすぐ先に実際の生家跡地がある。

跡地は、今は別の人が住んでいる。

住人のご厚意なのだろうか、軒先に記念碑を建たせてもらっている。

現在の住居人にも感謝。

 

生家跡地から中浜区長場に戻る途中。

右手の壁に「中浜万次郎が使用した井戸」の看板がある。

 

塀が低いので覗いて井戸を観ることができた。

約200年以上前からあった井戸なのだろうか。

万次郎が使ったかどうかを知る証人はいないが、ここで汲んだ井戸水を飲んだのかと思ってちょっと感動した…。

 

中の浜は素朴な漁師町。

路地などの小道は昔の面影を感じることができる。

万次郎の生家や記念碑が無ければ観光客は来ないだろう。

近所には万次郎の名前を使ったお店もあるようだ。

「万次郎茶屋」は2025年5月現在、売り物件となっていた…。

 

「コーヒーハウスジョン万」は見ていないが、GoogleMapには出ていなかった。

 

自転車旅をしているブログで美味しそうな「ジョン万モーニング」をオーダーしている方がいた。

 

https://ohen555.blog.fc2.com/blog-entry-125.html

 

しかし2015年の記録なので、今はどうだろうか…。

夕刻での観光だったので、お店の確認はできなかった。

最新の情報を知っている方がいれば情報共有していただきたいものだ。

 

中の浜には「大覚寺」という寺がある。

この生誕地のすぐ近所。

そこに母親が作った万次郎のお墓(仮の墓地)がある。

母親は息子、万次郎は遭難して死んでしまったと思ったのだ。

夕刻での観光、お墓ということもあるので今回は見送った。

時間がある方は観てお参りしてみてはどうだろうか。

くれぐれもお墓参りの作法にご無礼なきように。

 

堤防のパネルを一枚紹介。

 

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Respect to John Mung/ジョン万次郎の聖地巡礼[3]に続く

 

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ジョン万次郎(中浜万次郎)の記事開幕 -May,2025 written-

 

【ジョン万次郎生誕の地】PART.1

 

高知県・土佐清水市、中浜。

 

1827年、ジョン万次郎こと中浜万次郎はこの地で生まれ育った。

2027年は生誕200年を迎える節目となる。

(本記事作成・掲載は2025年5月)

 

貧しい漁師の家に次男として生まれた万次郎。

姓(名字)は無い。

父は万次郎が9歳の頃に他界。

病弱な兄弟姉妹、家も村も貧しい環境で生まれた万次郎であった。

 

「万次郎」or「萬次郎」。

名前の表記に関して、現代漢字では「万次郎」でとおっている。

旧漢字では「中濱萬次郎」のようだ。

本記事では「万次郎」「中浜万次郎」と表記している。

 

本記事の筆者は、2025年5月吉日に生誕の地を訪問。

訪問中、万次郎の歓迎によって、天気はずっとおだやかな快晴だった。

四万十市、中村から自動車で40〜50分。

中浜エリアに入るとそこは「ジョンマンロード」。

 

さすがの坂本龍馬も遠慮したのだろうか。

この辺りのエリアに近づくと万次郎一色である。

ジョン万次郎資料館の案内看板もチラホラと目立つ。

生誕の地へは中の浜大橋を渡って足摺岬方面へ進む。

 

中の浜大橋を越えて最初のT字路。

「中浜万次郎生誕地」と「中浜万次郎生家」の看板を右折。

もっとも普及している万次郎の肖像画を使った看板だ。

 

坂を下り、つきあたりに土佐清水郵便局、そこを右折。

中浜万次郎生誕地MAP

 

 

【ジョン万次郎生誕の地】PART.2

 

すぐに防波堤につきあたる。

防波堤に沿って、色褪せた「ようこそ中浜万次郎生誕地」のパネルが貼ってある。

麦わら帽子の万次郎が、くじらがいたぞと知らせている絵だ。

万次郎が捕鯨船に乗っていたことをアピールしているのだろう。

 

複数枚並ぶパネルはジョン万次郎の一生を紙芝居のように紹介している。

高知県の各地の古い観光案内はどれも日焼けと老朽化で色褪せたものが多い。

 

すぐ近くに「中浜万次郎記念碑」の小さな花壇のようなロータリーがある。

そこに花壇に沿って2〜3台縦列駐車のスペースがある。

付近に駐車場はないのでホームページでもここに自動車を停めるように案内している。

詳細案内 https://www.johnmung.info

 

ロータリーには「ジョン万次郎を大河ドラマにしよう!!」の看板。

親切なことにトイレもある。

 

ロータリーの正面には中浜区長場」がある。

万次郎の生家へは区長場の右側の小道を進む。

中浜区長場には生誕地の案内看板があるので現地の参考に。

 

ロータリーの庭に「ジョン万次郎生誕地碑」がある。

「ここがジョン万の生誕地」の看板がひっそりと建っている。

 

 

万次郎の写真は極端に少ない。

選択肢はお坊さん風の写真になってしまうのはいた仕方ない。

まったく予備知識の無い人が見たら、どこぞの偉いお坊さんかと思うだろう。

できれば若く絶頂時の万次郎肖像画であればと思うのだが…。

 

 

【ジョン万次郎生誕の地】PART.3

 

駐車した山側には「中浜万次郎記念碑」がある。

記念碑は階段を登った高台にある。

 

 

記念碑の裏に公爵「徳川家達」(とくがわいえさと)書、とある。

 

家達をイエタツって読んでた。

調べたらイエサトだった。

この家達が昭和三年、万次郎に「正五位」(しょうごい)の称号を贈ったことが書かれている。

 

後から贈られてついた称号は「贈」が頭に付く「贈正五位」というらしい。

Wikipediaで調べると、確かに1928年(昭和3年)に万次郎は正五位となっている。

万次郎生誕101年後、逝去30年後に贈られたわけだ。

中浜万次郎記念碑

 

もしかして家達も自分と同様、歴史を勉強中、万次郎ファンになったのかもしれない。

自分にできることはせいぜいブログやSNSで少しでも万次郎を知ってもらうことくらいだ。

家達は高い地位の身分のお方だ。

「よっしゃ、ジョン万に正五位贈っちゃおう」ということができたのだ。

徳川の冠を持つ、歴代のつわ者は多い。

家達はジョン万に正五位を贈ったことで、他の徳川勢と差別化を持つことができたのだ。

この称号、どれくらい偉いのかというと、貴族以上がもらえる称号らしい。

 

中浜万次郎翁生誕地看板はすっかり色褪せてしまっている。

高台で陽当りも良好すぎるのだろう。

外国語翻訳文などは、もはや削れてしまって読めなくなっている。

大河ドラマにでもなれば、告知予算もグゥ〜ンと増えて、こういう看板も新調されるだろう…。

 

次章ではいよいよジョン万次郎の生家跡地にせまる。

 

Respect to John Mung/ジョン万次郎に遭いに行こう![2]に続く

ジョン万次郎の生誕地、生家跡を紹介。

2025年 謹賀新年

巳年の年賀状は七福神シリーズ第四弾のイラストを描いた。

今回の神様は寿老人(Jyu-Roujin)

 

寿老人の特徴としては「鹿」「桃」「知恵の巻物」「魔法の杖」「白い髭(ひげ)」。

寿老人は延命長寿の神様であるが、そのイメージ像のほとんどは老人。

描きたかったのは、強そうで勢いのある神様。

 

そこで勢いのある青い鹿にまたがる寿老人に仕上げた。

悩みどころは「顔」。

悩んだ末に神秘的に想像させるために白い仮面を装着することにした。

仮面に「寿」の漢字も描いてみた。

 

巳年にちなんで、鱗のアームガード。

魔法の杖は、ヘビの魔力が宿っていそうな杖にしてみた。

 

AIで高度なイラストが作成できる時代に逆らい、

鉛筆下書き、ペン入れ、消しゴム、のアナログ作業。

そこから先はスキャナーでデジタルデータに。

大好きなPhotoshopで汚れゴミ削除、レイヤー毎にカラー化。

この塗り絵作業が最も楽しいときかも。

そしてさらに大好きなIllustratorでレイアウト仕上げ。

ベクターデータは文字部分などがシャープに仕上がるので大好きだ。

いつもの少年キャラクターも手書きデータをベクター化。

巳年のスネークアイコンはイラストレーターでオリジナル作成。

 

ひと味ちがった七福神「寿老人」。

いかがでしょうか?

皆様の健康と長寿をお祈り申し上げます。

 

お絵かきは楽しいっ!

Photoshop & Illustratorは楽しいっ!

 

I’ll be in touch.