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スタジオハーミットサテライトBLOG

The daily news from STUDIO HERMIT.

【ジョン万次郎生家跡】PART.1

 

中浜区長場の裏から細い路地に入る。

すぐに「中浜万次郎生家(復元)」の案内看板。

 

古くからありそうな路地だ。

万次郎もこの道を歩いたのだろうか。

その頃はコンクリート舗装はされていなかっただろう。

 

右の塀に「中浜万次郎の母(汐)の出里」看板がある。

笑顔のお母さんイラストが「ようこそ」と言って歓迎しているようだ。

 

その先に「中浜万次郎生家(復元)」がある。

[中浜万次郎生家復元]

 

正確には住居跡地ではないらしい。

近年にこの場所に復元された家屋を建てたそうだ。

 

裏口には記念碑が建っている。

 

復元生家はドアを開けて中を自由に見学(無料)することができる。

入口に「万次郎は足摺岬にフェアヘイブンを見に行っています」のようなことが書いてある。

だから今は留守ですよと言いたいのだろう。

後で足摺岬に行って、一緒にフェアヘイブンを見ないと。

 

中にはちょっとしたグッズも売っている。

ただし無人なので購入代金はセルフで料金箱に支払う。

 

母からの伝言も置いてあった。

「戸締まりしなさい」とあるが、万次郎は戸締まりしないで足摺岬に行ったようだ。

 

記念にコースター(@500円)を色違いで2個買った。

なかなかしゃれたデザインだ。

お坊さん万次郎イラストだったら買ったかどうかわからない…。

[ジョン万オリジナルコースター]

 

「ジョン万次郎を大河ドラマにしよう!!」の署名ノートもある。

訪問されたらぜひ、署名していただきたい。

また、万次郎の観光環境を維持するためのカンパ(募金箱)もある。

金額は内緒だが、できる限りの誠意をこめてカンパした。

(カンパって、もしかして死語かな?)

 

 

【ジョン万次郎生家跡】PART.2

 

復元の家のすぐ先に実際の生家跡地がある。

跡地は、今は別の人が住んでいる。

住人のご厚意なのだろうか、軒先に記念碑を建たせてもらっている。

現在の住居人にも感謝。

 

生家跡地から中浜区長場に戻る途中。

右手の壁に「中浜万次郎が使用した井戸」の看板がある。

 

塀が低いので覗いて井戸を観ることができた。

約200年以上前からあった井戸なのだろうか。

万次郎が使ったかどうかを知る証人はいないが、ここで汲んだ井戸水を飲んだのかと思ってちょっと感動した…。

 

中の浜は素朴な漁師町。

路地などの小道は昔の面影を感じることができる。

万次郎の生家や記念碑が無ければ観光客は来ないだろう。

近所には万次郎の名前を使ったお店もあるようだ。

「万次郎茶屋」は2025年5月現在、売り物件となっていた…。

 

「コーヒーハウスジョン万」は見ていないが、GoogleMapには出ていなかった。

 

自転車旅をしているブログで美味しそうな「ジョン万モーニング」をオーダーしている方がいた。

 

https://ohen555.blog.fc2.com/blog-entry-125.html

 

しかし2015年の記録なので、今はどうだろうか…。

夕刻での観光だったので、お店の確認はできなかった。

最新の情報を知っている方がいれば情報共有していただきたいものだ。

 

中の浜には「大覚寺」という寺がある。

この生誕地のすぐ近所。

そこに母親が作った万次郎のお墓(仮の墓地)がある。

母親は息子、万次郎は遭難して死んでしまったと思ったのだ。

夕刻での観光、お墓ということもあるので今回は見送った。

時間がある方は観てお参りしてみてはどうだろうか。

くれぐれもお墓参りの作法にご無礼なきように。

 

堤防のパネルを一枚紹介。

 

[go to next John Mung]

Respect to John Mung/ジョン万次郎の聖地巡礼[3]に続く

 

[start John Mung episode]

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ジョン万次郎(中浜万次郎)の記事開幕 -May,2025 written-

 

【ジョン万次郎生誕の地】PART.1

 

高知県・土佐清水市、中浜。

 

1827年、ジョン万次郎こと中浜万次郎はこの地で生まれ育った。

2027年は生誕200年を迎える節目となる。

(本記事作成・掲載は2025年5月)

 

貧しい漁師の家に次男として生まれた万次郎。

姓(名字)は無い。

父は万次郎が9歳の頃に他界。

病弱な兄弟姉妹、家も村も貧しい環境で生まれた万次郎であった。

 

「万次郎」or「萬次郎」。

名前の表記に関して、現代漢字では「万次郎」でとおっている。

旧漢字では「中濱萬次郎」のようだ。

本記事では「万次郎」「中浜万次郎」と表記している。

 

本記事の筆者は、2025年5月吉日に生誕の地を訪問。

訪問中、万次郎の歓迎によって、天気はずっとおだやかな快晴だった。

四万十市、中村から自動車で40〜50分。

中浜エリアに入るとそこは「ジョンマンロード」。

 

さすがの坂本龍馬も遠慮したのだろうか。

この辺りのエリアに近づくと万次郎一色である。

ジョン万次郎資料館の案内看板もチラホラと目立つ。

生誕の地へは中の浜大橋を渡って足摺岬方面へ進む。

 

中の浜大橋を越えて最初のT字路。

「中浜万次郎生誕地」と「中浜万次郎生家」の看板を右折。

もっとも普及している万次郎の肖像画を使った看板だ。

 

坂を下り、つきあたりに土佐清水郵便局、そこを右折。

中浜万次郎生誕地MAP

 

 

【ジョン万次郎生誕の地】PART.2

 

すぐに防波堤につきあたる。

防波堤に沿って、色褪せた「ようこそ中浜万次郎生誕地」のパネルが貼ってある。

麦わら帽子の万次郎が、くじらがいたぞと知らせている絵だ。

万次郎が捕鯨船に乗っていたことをアピールしているのだろう。

 

複数枚並ぶパネルはジョン万次郎の一生を紙芝居のように紹介している。

高知県の各地の古い観光案内はどれも日焼けと老朽化で色褪せたものが多い。

 

すぐ近くに「中浜万次郎記念碑」の小さな花壇のようなロータリーがある。

そこに花壇に沿って2〜3台縦列駐車のスペースがある。

付近に駐車場はないのでホームページでもここに自動車を停めるように案内している。

詳細案内 https://www.johnmung.info

 

ロータリーには「ジョン万次郎を大河ドラマにしよう!!」の看板。

親切なことにトイレもある。

 

ロータリーの正面には中浜区長場」がある。

万次郎の生家へは区長場の右側の小道を進む。

中浜区長場には生誕地の案内看板があるので現地の参考に。

 

ロータリーの庭に「ジョン万次郎生誕地碑」がある。

「ここがジョン万の生誕地」の看板がひっそりと建っている。

 

 

万次郎の写真は極端に少ない。

選択肢はお坊さん風の写真になってしまうのはいた仕方ない。

まったく予備知識の無い人が見たら、どこぞの偉いお坊さんかと思うだろう。

できれば若く絶頂時の万次郎肖像画であればと思うのだが…。

 

 

【ジョン万次郎生誕の地】PART.3

 

駐車した山側には「中浜万次郎記念碑」がある。

記念碑は階段を登った高台にある。

 

 

記念碑の裏に公爵「徳川家達」(とくがわいえさと)書、とある。

 

家達をイエタツって読んでた。

調べたらイエサトだった。

この家達が昭和三年、万次郎に「正五位」(しょうごい)の称号を贈ったことが書かれている。

 

後から贈られてついた称号は「贈」が頭に付く「贈正五位」というらしい。

Wikipediaで調べると、確かに1928年(昭和3年)に万次郎は正五位となっている。

万次郎生誕101年後、逝去30年後に贈られたわけだ。

中浜万次郎記念碑

 

もしかして家達も自分と同様、歴史を勉強中、万次郎ファンになったのかもしれない。

自分にできることはせいぜいブログやSNSで少しでも万次郎を知ってもらうことくらいだ。

家達は高い地位の身分のお方だ。

「よっしゃ、ジョン万に正五位贈っちゃおう」ということができたのだ。

徳川の冠を持つ、歴代のつわ者は多い。

家達はジョン万に正五位を贈ったことで、他の徳川勢と差別化を持つことができたのだ。

この称号、どれくらい偉いのかというと、貴族以上がもらえる称号らしい。

 

中浜万次郎翁生誕地看板はすっかり色褪せてしまっている。

高台で陽当りも良好すぎるのだろう。

外国語翻訳文などは、もはや削れてしまって読めなくなっている。

大河ドラマにでもなれば、告知予算もグゥ〜ンと増えて、こういう看板も新調されるだろう…。

 

次章ではいよいよジョン万次郎の生家跡地にせまる。

 

Respect to John Mung/ジョン万次郎に遭いに行こう![2]に続く

ジョン万次郎の生誕地、生家跡を紹介。

2025年 謹賀新年

巳年の年賀状は七福神シリーズ第四弾のイラストを描いた。

今回の神様は寿老人(Jyu-Roujin)

 

寿老人の特徴としては「鹿」「桃」「知恵の巻物」「魔法の杖」「白い髭(ひげ)」。

寿老人は延命長寿の神様であるが、そのイメージ像のほとんどは老人。

描きたかったのは、強そうで勢いのある神様。

 

そこで勢いのある青い鹿にまたがる寿老人に仕上げた。

悩みどころは「顔」。

悩んだ末に神秘的に想像させるために白い仮面を装着することにした。

仮面に「寿」の漢字も描いてみた。

 

巳年にちなんで、鱗のアームガード。

魔法の杖は、ヘビの魔力が宿っていそうな杖にしてみた。

 

AIで高度なイラストが作成できる時代に逆らい、

鉛筆下書き、ペン入れ、消しゴム、のアナログ作業。

そこから先はスキャナーでデジタルデータに。

大好きなPhotoshopで汚れゴミ削除、レイヤー毎にカラー化。

この塗り絵作業が最も楽しいときかも。

そしてさらに大好きなIllustratorでレイアウト仕上げ。

ベクターデータは文字部分などがシャープに仕上がるので大好きだ。

いつもの少年キャラクターも手書きデータをベクター化。

巳年のスネークアイコンはイラストレーターでオリジナル作成。

 

ひと味ちがった七福神「寿老人」。

いかがでしょうか?

皆様の健康と長寿をお祈り申し上げます。

 

お絵かきは楽しいっ!

Photoshop & Illustratorは楽しいっ!

 

I’ll be in touch.

駿府、どうして家康? 第一部

 

徳川家康公に想いを馳せる日本人は多いだろう。

「日光東照宮」はあまりにも有名だが、意外と「久能山東照宮」を知る人が少ない。

生涯3回も駿府ライフをおくった徳川家康公。

どうしてそんなに駿府に?

静岡駅を起点に「駿府」(すんぷ)と「家康公」を探ってみた。

 

静岡駅の北口。

ここには家康公少年時代の竹千代像がある。

幼少期の家康に英才教育を施した今川義元像も一緒だ。

その先には大人になった徳川家康公の像が堂々と鎮座している。

さらにその先には家康が整備した駿府城下町が続く。

 

札の辻。

江戸時代の掲示板だ。

時代劇などでは、ドラマの始まりで町民がこの掲示板を見るシーンから始まることが多い。

そういう掲示板が設置されている場所が「札の辻」だ。

ここは現在百貨店の伊勢丹がある。

伊勢丹が歴史を重んじて、百貨店の壁沿いに掲示板を再現してくれている。

 

金座町。

銀座という町名は多いが、金座は静岡のここだけらしい。

かつてここには今で言う金融庁、大蔵省、造幣局などがあったらしい。

家康公がここを日本経済の中心町とした名残だ。

金座稲荷はその面影を残してひっそりと建っている。

金運祈願のお賽銭は効果があるだろうか。

 

かつての奉行所の場所は、現在市役所となっている。

外堀があり、その先に内堀がある。

内堀の中に駿府城があったが今は跡地公園となっている。

今でも公園の奥で発掘調査が続けられている。

公園内では静岡名物おでんも気軽にいただける。

市民の憩の場所として開放されている。

 

静岡駅周辺を歩いていて気づくことがある。

それは大通りに横断歩道が無いことだ。

大きな交差点は駅前でさえも横断歩道が無い。

歩道橋も無い。

交差点を渡るための地下道が多くある。

家康公の計画ではないと思うが、渋滞を減らす効果があるかもしれない。

 

駿府城から徒歩圏内に「静岡浅間神社」がある。

家康公が幼少期の頃よりゆかりのある神社である。

時間があれば駿府城公園から足を運んで訪れるべき神社だ。

 

駿府、どうして家康? 第二部

 

静岡駅からバスで40分程度。

日本平ロープウェイに行き、日本平よりロープウェイで久能山へ。

ロープウェイゴンドラも徳川家紋のデザイン。

 

久能山は駿河湾を一望できる小山で、そこに徳川家康公のお墓がある。

久能山東照宮だ。

自身の遺言で1616年に亡くなってすぐにここに埋葬されたというお話。

日光東照宮にいるという話の方が有名だが、実は本人のお墓はここにある。

徳川家紋のお守りストラップを購入した。

 

久能山東照宮から千段の階段を降りると、眼の前は駿河湾。

今では海沿いイチゴのビニールハウス産地となっている。

通りのイチゴ栽培の家の前には美味しそうなイチゴの無人販売も。

 

沿岸を東へ進めば、世界遺産の「三保の松原」。

 

そして重要な商船が行き交った清水港。

流行りの魚市場で極上まぐろ丼と旬の桜海老かき揚げ。

ここの丼は、仕上げにキンメダイの出汁でお茶漬けに!

清水港からJR清水駅はすぐ眼の前。

清水駅は年配の人なら「清水の次郎長」。

最近では「ちびまるこちゃん」で知名度が高まった。

 

駿府、どうして家康? 第三部

 

静岡の駿府城公園のすぐ手前には「静岡市歴史博物館」がある。

徳川家康公に関わる貴重な資料を常設。

今回訪問時(2024年4月)には「偉大な駿河の太守・今川義元」展を同時開催。

貴重かつ興味ある資料を堪能できた。

静岡駅から駿府城公園を散策すると、お茶と抹茶スイーツであふれている。

実は、静岡のお茶、これも徳川家康公が由来だったと博物館で知ることができた。

 

【家康公・駿府ライフ 超簡易年表!】

今川義元が竹千代に駿府で英才教育をした。(駿府生活1)

織田信長が桶狭間で今川義元を奇襲戦法で倒した。

信長が天下を取った。

家康は独立した。

家康は信長と手を結んだ。

明智光秀が奇襲戦法で織田信長を倒した。

豊臣秀吉が明智光秀を倒した。

秀吉が天下を取った。

家康は秀吉を避けて駿府を拠点とした。(駿府生活2)

家康は秀吉の配下となった。

秀吉は家康に遠い江戸の開拓をさせた。

秀吉が寿命で亡くなった。

家康が天下を取った。

家康は駿府に戻った。(駿府生活3)

家康は駿府を日の本経済の中心地にした。

家康は1616年、駿府城で永眠した。

 

なんだかドラクエみたいな年表になってしまったが…。

家康、実に生涯で三回の駿府ライフをおくっている。

NHK大河ドラマが家康の生涯を「どうする、家康」というタイトルにしたのも納得がいく。

家康公に「どうする?」と聞いたら「駿府に行く」と言っただろうか。

どれだけ家康が駿府(静岡駅周辺)にこだわったのかがうかがえる。

 

家康公にとって、駿府は永遠の故郷だったのかもしれない。

静岡県民の自慢でもあり、街に家康愛があふれていて羨ましい限りである。

 

今の日本があるのは家康公のおかげと思う。

ありがとう、家康様。

 

参考資料:

https://hamamatsu-ieyasu.com/person/history/

 

I’ll be in touch.

抹茶アイス好きだ。

ハーゲンダッツの抹茶アイスより美味しい抹茶アイスに出会ったことがない。

ということで、お茶の本場、静岡駅に行ってきた。

町中、抹茶だらけだ!

抹茶好きにはパラダイスタウン!

 

MARUZEN Tea Roastery

選べる抹茶アイス。

抹茶と玉露のダブルをオーダー。

美味しいっ!

正直よくわからないけど、ハーゲンダッツの方が好きかも。

そもそもお茶をよくわかっていないのだと思う…。

 

パルコ静岡

nana's green tea

抹茶生チョコレートパフェをオーダー。

カロリーだなんだは考えないように。

抹茶アイス、抹茶生チョコ3個、抹茶ババロア、抹茶エキス(お茶)、小豆餡、フレーク、クリーム、うんぬん…。

抹茶好きが行き着くところだ。

後半混ぜ合わさるごとに、ますます美味しくな〜る魔法がかかったようだ!

午後三時にいただきましたが、夕食時間になってもお腹が空かないのはヤバイと思う。

 

ななや静岡店

史上最高の濃い抹茶アイス。

1〜7段階の濃さを選べる究極の抹茶アイス処!

1番濃い7番目は外せない。

濃さ2番と7番をダブルにしてオーダー。

1番濃いという7番目。

意外にも、2番の方が美味しいと思えた。

ここのお店では選べる濃さの抹茶チョコレートも販売。

当然、お土産購入!

 

駅で購入した抹茶チョコレート。

これは「丸七製茶」という会社のチョコレートだが、実はこの会社が「ななや」を運営している。

 

駅で購入した抹茶どら焼き。

「日本茶きみくら」のどら焼きだが、予想外に抹茶餡が美味しかった!

 

さて、これだけ本場の抹茶スイーツをいただいても、はたしてハーゲンダッツの抹茶アイスはどうなのか?

 

やっぱり、安定した美味しさ!

というか、日本全国、どこでも買って食べれる美味しい抹茶アイスクリーム。

本場の静岡抹茶アイスと比べてはいけません。

 

さすが抹茶の町、静岡!

なんか体が緑色になった気がする。

 

I’ll be in touch.