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踊る阿呆を撮る阿呆

 都内の老舗阿波踊り大会のひとつ、東京・三鷹の阿波踊り。1967(昭和43)年から開催されている。

 色んな敬意を経て、2年前から我々にとっての「本番」である高円寺の前哨戦として参加することになった。


 さて、今年は8月23日(日)にウチの連が参加。

 私自身は学業(笑)があるので参加出来ない…。
 だが、♪ギリギリまで~頑張って~…午後7時30分頃、既に踊り開始から1時間半経った三鷹に到着。
 たまには後輩たちの成長ぶり(?)を客観的に眺めるのも良いだろう。

 で、せっかくなのでビデオカメラを持参。
 トータルで20分くらい撮ったのだが、何と言っても「ご家庭用カメラ」の「手持ち」で「1カメ」である。
 最近の機種みたいな凄い手ぶれ補正機能も無い。帰宅後、ダラ~っと見てても、見づらいし、飽きる。

 ええい、編集してしまえ!(学業はどうした?!)

 内輪向けの遊び編集になっている(余計なエフェクトかけたりとか…)が、「別の場所で撮った(録った)映像と音」を合わせてみたりしている。単にリズムを合わせるだけではなく、「大太鼓が♪んドーン!と鳴ったところで踊り手は右足を着く」といったお約束があるので、タイミング合わせはけっこう難しい。
 鳴り物は一定のリズムキープをしてはいない。その場のノリで速さが変わる。

 ま、そこは強引に合わせたり誤摩化したりして、お手軽に編集。

 …あくまで「内輪向け」ということをご理解の上、興味があったらご覧ください(約4分)。


 

パースくん2…初めてのアート(笑)〜その8

 今回、自分でもよくわからないことを書くので、おヒマな方だけお読みください。

 京都造形芸術大学。
 通信教育部芸術科情報デザインコースの通学授業である「プロダクトコミュニケーション2ー立体」(東京サテライトキャンパスでの開催)に参加。

 講師は、東京藝術大学の大学院出身の先生。

 作った本人が思いっきり不満な作品が、その先生から大絶賛されてしまった。

 誉められたことは嬉しいが、素直に喜べない…誉められた理由がさっぱりわからないのである。

 で、授業終了後に「講評の意味がわかりません」と先生に食ってかかった。

 「じゃあ、ちょっと喫茶店にでも行きますか」
 おお、個別課外授業。
 それはそれで凄く得した気分。
 先生も「講評に異議を唱える学生」というのも珍しいらしいようで、私に興味を持ってくれたらしい。


 「今回の授業は、言うなれば学生の皆さんを、私の世界…皆さんにとっては恐らく未知の世界の文脈に無理矢理引きずり込んだんです。だから、今は何のことかわからなくて当然でしょう。きっと他の学生さんたちも“謎”をそのまま家に持ち帰ってると思いますよ」

 だが私の好奇心は、“謎”をそのまま放置することを許さない。


ーえ~っと、その、多分誉めていただいたんだと思うんですが、結局何が良かったんでしょう?

 「まず、存在感でしょうね。studio7さんの作品があの部屋に存在したかしないかでは、教室の雰囲気が全く異なっていたはずです。他の学生さんもstudio7さんの作品を凄く意識していたと思いますし、刺激を受けたと思いますよ」

 ーしかし、仕上げもボロボロでしたし…(と、元祖パースくんの写真を見せてホントはこういう仕上げにしたかったんです

「ああ…これは“フィギュア”のフィニッシュですよね。さっきも言ったように、今回はstudio7さんにとっては全く知らない世界だったわけで、フィニッシュの考え方もこれまであなたがいた世界とは違うということです。今回は油土を使いましたが、油土ならではの質感が出たフィニッシュになっています」

 ーん~、私はとにかく“笑えるもの”を作りたかっただけで…

 「いや、芸術にユーモアというのは必要な要素です。特に現代アートは顕著ですね。非常にシニカルな笑いであったり、皮肉であったりしますが。シュルレアリスムなんかは特に…(以下、よくわかんなかった)」

ーでも、完成作品としては不本意なんですが…本来ならもっときちんと作りたかったんです

「それでも、あれは間違いなくstudio7さんの中にあったものが表れているんですよ。そうでなければ絶対に作れない形です」

ーそうすると…私は格闘しているうちに自然に芸術的なものを作っちゃったことになるんですか?
 
 「いえ、芸術ではありません。私はこれまでstudio7さんだけでなく、学生の優れた作品は沢山見ています。が、学生の課題作品はどんなに優れていても“芸術”にはなり得ないと考えています。作っている本人が“芸術”を理解した芸術家であり、自らが“芸術作品を作っている”という意識が無いと“芸術作品”とは言えません」


 …じゃあ、私が作ったモノはいったい何だったのか…?


 相変わらず(別世界のハナシだし…)理解できない…または納得出来なもんで、ちょいと反論してみた。

 ー芸術という概念が生まれたのは19世紀に入ってからのことで、それ以前は音楽で言えば教会音楽であり晩餐会の単なるBGMであり、美術だと商売としての肖像画であったり宮廷や教会の装飾として作られたわけですよね? 作っている本人も芸術という意識は無かったのではないですか?

 「確かに、当時は創作の目的はどちらかというと人々の娯楽のためだったと思いますし、対外的にもわかる形で“芸術作品”が作られるようになったのは印象派からのことだったでしょう。だからと言って、例えばモーツァルトが単に娯楽目的だけであんな曲が作れるはずはありません。概念として定義はされていなかったとしても、芸術そのものは存在したんです」

 実は、ここからの芸術談義は非常に面白かった。
 話題は浮世絵や原始美術、ダダイズムやポップアートなど多岐に及んだのだが、省略。…面白かっただけで、理解は出来なかったからである。

 

「どうですか? 納得できましたか?」と先生。
「…スミマセン、わかりませんでした」と私。

 先生は苦笑しながら「それじゃあ、“とにかく、誉められた”ということだけ忘れないでください。そういうものをstudio7さんが持っているということなんですから」と。



結論その1
 …芸術・アートはわからん。

結論その2
 …結局、今も何が誉められる原因だったのかわからん。

結論その3
 …これで単位が取れれば、まあいいや。

 ただ、ある意味先生の狙いどおり、「全く未知の価値観を体験した」ことは間違い無いし、大きな刺激にもなった。

 相変わらず自作はサイテーだと思っているが、先生の言葉に従い“誉められた”ということだけ自慢しておくことにする。…いや、先生は「自慢しろ」とまでおっしゃってなかったが。

パースくん2…初めてのアート(笑)〜その7

 で、いよいよ「パースくん2」が先生からの講評を受ける時が来た。

 この先生は東京藝術大学卒で大学院まで進んでいるが、油画科だった。
 が、何故か今は布と樹脂を使った立体作品を作っている。

 ついでに、前に受けた「Flashを使ったWEBデザイン」の先生は武蔵美の彫刻出身なのだが、デジタルや立体を使ったファインアートをやっているらしい。
 ついでのついでに、我々通信教育部の情報デザインコースの「担任の先生」とも言うべき先生はパフォーマンス系の活動をしているが、もともとは建築の人だった。

 どうも美術界はよくわからない。どっちにしても、現代アートな講師陣ではある。
 

 今回の先生は、基本的に良いところを見つけて評価する…誉めるタイプの人である。
 作った本人が気づかないポイントまで「発見」して誉めてくれる。
 だが、私のグチャグチャ作品をどう誉めるのか?…開き直ってお手並み拝見。


 …いい加減に観念して完成作品の写真をアップしないとネタが進められないよなあ。
 現在もまだ人様にお見せしたくないのだが、やむを得ない。


studio7の映像実験室-パースくん2
「パースくん2」(2009 油土)


…何も言うな!


で、先生からの講評。

 「まず、これが“ここにある”という、絶対的な存在感がありますね」
 そりゃ“ここにある”のは当たり前ですがな。でも、初めて私の作品に対してアートっぽい言葉による評価が与えられたぞ(笑)
  だが、それくらいしか誉めようがあるまい。

 「そして、何者かの力によって歪められた空間が迫ってきます」
 その力って、単に“重力”です。

 「油土という素材を活かした質感」
 表面を均したりとか仕上げが出来ませんでしたからね~。
 ホントにモノは言いようだ。無理矢理誉め殺しにしようと言うのか?

 「後からこの“つっかえ棒”部分を加えたわけですが、これは正解でしたね。全体の形として非常に良くなっています」

 「それからここ! 見て下さい、この水の部分に開けられた穴です。作っている最中に、“穴を開けたら?”って言おうと思ったんですが、気づいたら穴が開いてて…凄ェ~なァと思いました」

studio7の映像実験室-つっかえ棒と「水の穴」
↑つっかえ棒と「水の穴」

 「スケッチでエスカレーターと下駄という組み合わせを見て、こりゃあ来るなあと思っていたら、やっぱり来ましたね。面白い作品です」

 「下駄という要素から、鼻緒というアイコンを選択したことが成功しています。鼻緒の独特の形状がエスカレーターに着くことで、強烈な違和感を生み出しています」

 「それに、この水の質感、よく作りましたね、見事です」

studio7の映像実験室-水?
↑水の表現…???

 「中に秘められていた物が、一気に湧き出たような力強さと勢いがありますよね。これがブロンズ作品としてここにあったらもっと凄いですよ」

 ?????????

待て…。



本気で誉めてる?



しかも、(マジで客観的に判断して)他の作品への講評と比べると大絶賛である。
他の学生さんは「自分の作品の方が明らかに優れているのに、この誉めようは何だ?」と思っていたに違いない。


通常、私は誉められると調子に乗るし、自慢もする。
今回の記事も、もちろん自慢記事ではある。

なのだが、今ひとつ自慢し切れないのだ。
普通ならその日のうちにこのブログで大自慢大会をやっていたハズ。

 だが、これまでに書いてきたように、私自身からするとサイテーの作品なのだ。
 それを誉められても納得がいかない。

 わけがわからんので、作品を壊す時には妙に力が入った。

 しかしそれだけでは収まらず、授業終了後に先生に言った。
 「先生、すみません…。さきほど頂いた講評の意味が理解できないんですが…」
 私は、講評に対する異議申し立てをするという、ちょっと自分でもびっくりな行為に出たのだ。

(つづく)

パースくん2…初めてのアート(笑)〜その6

 今回は、短編です。

  私は自作に「パースくん2」というタイトルを付けた。
 それは、三日間の授業の二日目が終わって帰宅したときに決めた。

 まあ、その時点で自分としては不本意な仕上がりになることは予感していた。
 だが同時に「エスカレーター&下駄」というアホな組み合わせ以外にも、何か自分らしさを感じた。


studio7の映像実験室-頼りない芯 studio7の映像実験室-逆パースくん

 左は、粘土を盛る前の芯材。左は元祖「パースくん」を逆さに置いた状態。

 …構造というか構成が、ほとんど同じ!
 飾るときの状態が不安定という共通の特徴もある。

 そうだったのか。
 逆向きの強制遠近法などを含めて「この形」は私の中に既にあったものだったのだ。

 それに気づいた瞬間、今回の粘土細工(しかも授業が終わったら直ちに「粘土」と「燃えないゴミ(芯材)」に分解される運命)に、私なりに最高の愛情を込めて「パースくん2」と名付けることにしたのである。

(つづく)

パースくん2…初めてのアート(笑)〜その5

 学校でやった油土による立体物製作は、ホントにハプニング…敢えて先生から入ったサジェスチョンなども“ハプニング”に加える…の連続であった。ホントにスラップスティックな造型作業だったのだ。

 既に最終スケッチの段階で、「単なるネタ」としてシンプルに考えていたものが「エグい」と評される状態になるという思わぬ展開になっている。

 さらに「明日は芯材に巻く麻ヒモを持って来てください。百均で入手できますよ」と言われた麻ヒモが手に入らなかったりとか。

 妙な形にしちゃったもんで、途中でバランスが崩れて「つっかえ棒」を付け加えた形状にせざるを得なかったりとか。

 配られた粘土(3kg)では足りなくなって1kgオマケしてもらったりとか(って、ご近所の商店街かよっ?)

 最終日の朝、芯材への食いつきが悪くて粘土がゴッソリ落っこちてたりとか。

 形を作っているというよりは、重力と格闘しているようなノリだった。

studio7の映像実験室-ペットボトルで支える

 ↑こうやってペットボトルで支えながら作業をしないと、上の部分が落っこちてくる状態…。


 他の学生たちが表面の仕上げなどの最終段階に入っているのを脇目に見ながら、私ゃまだ粘土を盛っていた。

 「先生…このままだと仕上げまで出来そうもありませんっ」と泣きを入れる。
 「いやいや、コブシが効いた演歌みたいな作品にしてくださいよ」
 応援してくれてるんだかおちょくられてるんだか意味がよくわかんないこと言われるし~。
 先生は私の作っているものに対して「アートな言葉」による指導・助言はしてくれない。
 演歌ですよ、演歌。
 カラオケで演歌とか歌わないし~(そういう問題では無い)。

 
 とにかく、格闘を続ける。
 

 

 …。



 タイムアウト。

 机の上を「作品だけ」の状態に片付けて、先生から講評を受ける準備をしなければならない。

 周囲を見ると、「ちょっと家に置いておきたいオブジェ」みたいな作品や「美術館などにホントに有りそうな雰囲気」の作品が並んでいる。
 組み合わせも面白い。

 自分の作品を見ると…。

 まず、汚い。
 奇麗な平面・直線・曲線で作られるはずだったエスカレーターや下駄は、ボコボコと粘土を重ねて盛った跡があるばかりか、油土の重さに芯材が耐えられなくなって大きく波打っている。
 水の部分も、ただ凸凹してるだけで資料として撮って来た水面の写真とはほど遠い。

 そして、カッコ悪い。
 上記のように周りには家に飾りたくなるような作品もあるというのに(後からつっかえ棒を付けざるを得なかったこともあって)、不細工極まりない。絶対に家には置きたくない。

 さらに、何か、ダサい。
 ま、それはスケッチの段階から読めてはいたが、少なくとも美的では無いし、「洗練」という言葉の対極にある感じ。
 
 ついでに、幼い。
 作品の前に「2ねん1くみ すたじお せぶん」とかいう札を付けても良いくらい…ってか、小学生だってもっとマトモな造型力を持っているのではないか?

 何よりも…。
 全体がそんなグチャグチャ状態になっちゃったもんで、唯一のキモであるエスカレーターと下駄という「おバカなネタ」が目立たない。


 敢えてハプニングや時間のせいにするまでもない。
 思いっきり不本意だし悔しいが、これが私の限界なのであろう。


 講評の前に、まず自分から作品のプレゼンテーションをやらねばならない。

 「え~…。その…。組み合わせのバカバカしさだけで、とにかく笑っていただけるものを目指したんですが…。こんなふうになっちゃいました…」

 それ以上のことは言えなかった。

 続いて1作品について3人の学生が感想を述べることになっている。
 私の作品の順番に当たった人は気の毒である。

 「意外な組み合わせがムニャムニャ…」
 「水の質感がムニャムニャ…」
 「エスカレーターと下駄が不思議とマッチしていてムニャムニャ…」

 目の前にあるグチャグチャな油土の塊に、表現すべき言葉が見つからない様子が伝わってきた。

 
 では次回、いよいよ「先生からの講評!」
 …ではなくて、改めて「パースくん2」という作品名(?)について…。

(つづく)