パースくん2…初めてのアート(笑)〜その8
今回、自分でもよくわからないことを書くので、おヒマな方だけお読みください。
京都造形芸術大学。
通信教育部芸術科情報デザインコースの通学授業である「プロダクトコミュニケーション2ー立体」(東京サテライトキャンパスでの開催)に参加。
講師は、東京藝術大学の大学院出身の先生。
作った本人が思いっきり不満な作品が、その先生から大絶賛されてしまった。
誉められたことは嬉しいが、素直に喜べない…誉められた理由がさっぱりわからないのである。
で、授業終了後に「講評の意味がわかりません」と先生に食ってかかった。
「じゃあ、ちょっと喫茶店にでも行きますか」
おお、個別課外授業。
それはそれで凄く得した気分。
先生も「講評に異議を唱える学生」というのも珍しいらしいようで、私に興味を持ってくれたらしい。
「今回の授業は、言うなれば学生の皆さんを、私の世界…皆さんにとっては恐らく未知の世界の文脈に無理矢理引きずり込んだんです。だから、今は何のことかわからなくて当然でしょう。きっと他の学生さんたちも“謎”をそのまま家に持ち帰ってると思いますよ」
だが私の好奇心は、“謎”をそのまま放置することを許さない。
ーえ~っと、その、多分誉めていただいたんだと思うんですが、結局何が良かったんでしょう?
「まず、存在感でしょうね。studio7さんの作品があの部屋に存在したかしないかでは、教室の雰囲気が全く異なっていたはずです。他の学生さんもstudio7さんの作品を凄く意識していたと思いますし、刺激を受けたと思いますよ」
ーしかし、仕上げもボロボロでしたし…(と、元祖パースくんの写真を見せて)ホントはこういう仕上げにしたかったんです
「ああ…これは“フィギュア”のフィニッシュですよね。さっきも言ったように、今回はstudio7さんにとっては全く知らない世界だったわけで、フィニッシュの考え方もこれまであなたがいた世界とは違うということです。今回は油土を使いましたが、油土ならではの質感が出たフィニッシュになっています」
ーん~、私はとにかく“笑えるもの”を作りたかっただけで…
「いや、芸術にユーモアというのは必要な要素です。特に現代アートは顕著ですね。非常にシニカルな笑いであったり、皮肉であったりしますが。シュルレアリスムなんかは特に…(以下、よくわかんなかった)」
ーでも、完成作品としては不本意なんですが…本来ならもっときちんと作りたかったんです
「それでも、あれは間違いなくstudio7さんの中にあったものが表れているんですよ。そうでなければ絶対に作れない形です」
ーそうすると…私は格闘しているうちに自然に芸術的なものを作っちゃったことになるんですか?
「いえ、芸術ではありません。私はこれまでstudio7さんだけでなく、学生の優れた作品は沢山見ています。が、学生の課題作品はどんなに優れていても“芸術”にはなり得ないと考えています。作っている本人が“芸術”を理解した芸術家であり、自らが“芸術作品を作っている”という意識が無いと“芸術作品”とは言えません」
…じゃあ、私が作ったモノはいったい何だったのか…?
相変わらず(別世界のハナシだし…)理解できない…または納得出来なもんで、ちょいと反論してみた。
ー芸術という概念が生まれたのは19世紀に入ってからのことで、それ以前は音楽で言えば教会音楽であり晩餐会の単なるBGMであり、美術だと商売としての肖像画であったり宮廷や教会の装飾として作られたわけですよね? 作っている本人も芸術という意識は無かったのではないですか?
「確かに、当時は創作の目的はどちらかというと人々の娯楽のためだったと思いますし、対外的にもわかる形で“芸術作品”が作られるようになったのは印象派からのことだったでしょう。だからと言って、例えばモーツァルトが単に娯楽目的だけであんな曲が作れるはずはありません。概念として定義はされていなかったとしても、芸術そのものは存在したんです」
実は、ここからの芸術談義は非常に面白かった。
話題は浮世絵や原始美術、ダダイズムやポップアートなど多岐に及んだのだが、省略。…面白かっただけで、理解は出来なかったからである。
「どうですか? 納得できましたか?」と先生。
「…スミマセン、わかりませんでした」と私。
先生は苦笑しながら「それじゃあ、“とにかく、誉められた”ということだけ忘れないでください。そういうものをstudio7さんが持っているということなんですから」と。
結論その1
…芸術・アートはわからん。
結論その2
…結局、今も何が誉められる原因だったのかわからん。
結論その3
…これで単位が取れれば、まあいいや。
ただ、ある意味先生の狙いどおり、「全く未知の価値観を体験した」ことは間違い無いし、大きな刺激にもなった。
相変わらず自作はサイテーだと思っているが、先生の言葉に従い“誉められた”ということだけ自慢しておくことにする。…いや、先生は「自慢しろ」とまでおっしゃってなかったが。
京都造形芸術大学。
通信教育部芸術科情報デザインコースの通学授業である「プロダクトコミュニケーション2ー立体」(東京サテライトキャンパスでの開催)に参加。
講師は、東京藝術大学の大学院出身の先生。
作った本人が思いっきり不満な作品が、その先生から大絶賛されてしまった。
誉められたことは嬉しいが、素直に喜べない…誉められた理由がさっぱりわからないのである。
で、授業終了後に「講評の意味がわかりません」と先生に食ってかかった。
「じゃあ、ちょっと喫茶店にでも行きますか」
おお、個別課外授業。
それはそれで凄く得した気分。
先生も「講評に異議を唱える学生」というのも珍しいらしいようで、私に興味を持ってくれたらしい。
「今回の授業は、言うなれば学生の皆さんを、私の世界…皆さんにとっては恐らく未知の世界の文脈に無理矢理引きずり込んだんです。だから、今は何のことかわからなくて当然でしょう。きっと他の学生さんたちも“謎”をそのまま家に持ち帰ってると思いますよ」
だが私の好奇心は、“謎”をそのまま放置することを許さない。
ーえ~っと、その、多分誉めていただいたんだと思うんですが、結局何が良かったんでしょう?
「まず、存在感でしょうね。studio7さんの作品があの部屋に存在したかしないかでは、教室の雰囲気が全く異なっていたはずです。他の学生さんもstudio7さんの作品を凄く意識していたと思いますし、刺激を受けたと思いますよ」
ーしかし、仕上げもボロボロでしたし…(と、元祖パースくんの写真を見せて)ホントはこういう仕上げにしたかったんです
「ああ…これは“フィギュア”のフィニッシュですよね。さっきも言ったように、今回はstudio7さんにとっては全く知らない世界だったわけで、フィニッシュの考え方もこれまであなたがいた世界とは違うということです。今回は油土を使いましたが、油土ならではの質感が出たフィニッシュになっています」
ーん~、私はとにかく“笑えるもの”を作りたかっただけで…
「いや、芸術にユーモアというのは必要な要素です。特に現代アートは顕著ですね。非常にシニカルな笑いであったり、皮肉であったりしますが。シュルレアリスムなんかは特に…(以下、よくわかんなかった)」
ーでも、完成作品としては不本意なんですが…本来ならもっときちんと作りたかったんです
「それでも、あれは間違いなくstudio7さんの中にあったものが表れているんですよ。そうでなければ絶対に作れない形です」
ーそうすると…私は格闘しているうちに自然に芸術的なものを作っちゃったことになるんですか?
「いえ、芸術ではありません。私はこれまでstudio7さんだけでなく、学生の優れた作品は沢山見ています。が、学生の課題作品はどんなに優れていても“芸術”にはなり得ないと考えています。作っている本人が“芸術”を理解した芸術家であり、自らが“芸術作品を作っている”という意識が無いと“芸術作品”とは言えません」
…じゃあ、私が作ったモノはいったい何だったのか…?
相変わらず(別世界のハナシだし…)理解できない…または納得出来なもんで、ちょいと反論してみた。
ー芸術という概念が生まれたのは19世紀に入ってからのことで、それ以前は音楽で言えば教会音楽であり晩餐会の単なるBGMであり、美術だと商売としての肖像画であったり宮廷や教会の装飾として作られたわけですよね? 作っている本人も芸術という意識は無かったのではないですか?
「確かに、当時は創作の目的はどちらかというと人々の娯楽のためだったと思いますし、対外的にもわかる形で“芸術作品”が作られるようになったのは印象派からのことだったでしょう。だからと言って、例えばモーツァルトが単に娯楽目的だけであんな曲が作れるはずはありません。概念として定義はされていなかったとしても、芸術そのものは存在したんです」
実は、ここからの芸術談義は非常に面白かった。
話題は浮世絵や原始美術、ダダイズムやポップアートなど多岐に及んだのだが、省略。…面白かっただけで、理解は出来なかったからである。
「どうですか? 納得できましたか?」と先生。
「…スミマセン、わかりませんでした」と私。
先生は苦笑しながら「それじゃあ、“とにかく、誉められた”ということだけ忘れないでください。そういうものをstudio7さんが持っているということなんですから」と。
結論その1
…芸術・アートはわからん。
結論その2
…結局、今も何が誉められる原因だったのかわからん。
結論その3
…これで単位が取れれば、まあいいや。
ただ、ある意味先生の狙いどおり、「全く未知の価値観を体験した」ことは間違い無いし、大きな刺激にもなった。
相変わらず自作はサイテーだと思っているが、先生の言葉に従い“誉められた”ということだけ自慢しておくことにする。…いや、先生は「自慢しろ」とまでおっしゃってなかったが。