今回は、ロックの踊り子、西園寺瞳さんについて、H30年3月結のライブシアター栗橋公演の模様を、演目「楓」を題材に、「ストリップにおけるメルヘンと恋愛と金権主義」について語ります。
H30年3月26日(月)、ライブシアター栗橋に顔を出す。
今週の香盤は次の通り。①秋元みり(蕨ミニ)、②西園寺瞳(ロック)、③鶴見つばさ(ロック)、④JUN(西川口)、⑤せいの彩葉(ロック)〔敬称略〕。今週はJUNさんの四周年週。
西園寺瞳さんは三個出し。演目「楓」と、長谷川凜さんから譲り受けた大きな雪だるまの演目「SMF (Snow Magic Fantasy)」、そして花と蝶々の演目「蝶々結び」。
どの演目も、瞳さんらしいメルヘンチックな作品である。というか、西園寺瞳さんはデビューから一貫して瞳たんワールドという独自のメルヘンの世界を構築している。
自作自演している踊り子は皆、自分の中にひとりの女の子のメルヘンの世界があって、それを少しずつ切り取りながら作品を作っており、その集合体はやはり、ひとりの女の子の、ひとつの大きなメルヘンの世界を形作っている。
我々ストリップ・ファンは、彼女が演ずる作品を通して、その女の子のメルヘン・ワールドに憧れ、そして彼女のことを好きになっていく。私は以前から「ストリップは踊り子に恋する場である」と言っているが、そのくらいの気持ちがないとストリップの本当の楽しさが分からないということでもあり、ストリップファンとして彼女の演じるステージを味わえないのだと感じている。
ただ、ストリップの恋愛は一般の恋愛と違い、恋人になって結婚するとかの次元にはなりえず、あくまで踊り子とファンとして一緒にストリップを楽しむことにある。だから、一生懸命に応援しているからと言って恋愛関係に発展して結婚に至るとは鼻から考えていない。踊り子の場合はたくさんのファンに囲まれるため、通常の男女のように一対一になりえないのだ。その線を逸脱すると、お互いに踊り子とファンとの関係がうまく継続しえなくなる。だから、踊り子とファンとの距離感は大切であり、その範囲内でお互いストリップを楽しむのである。
個人的に好きになり過ぎると、大概、踊り子とファンとの関係は長続きしない。距離感を保った信頼関係がないと、ストリップの付き合いは続かないのである。
おっと、話が脱線してしまった。
瞳さんのメルヘンの世界に戻そう。今回は、三つの作品の中で演目「楓」について話す。
まずは、作品紹介を始める。
明治大正時代の学生の恋愛話。
黒い大きな学生コートを着た男性が、紅葉している楓の木の下で書物を読んでいる。黒い学生帽をかぶり、黒縁眼鏡をしている。
ちなみに、楓と言ったが、実際の木はクヌギの木の模型。楓の木がなかったらしい。(笑)
読んでいる本のタイトルは何か、気になるが分からない。
音楽はスピッツの曲「空も飛べるはず」。本作品はほとんどスピッツの曲を揃えている。スピッツには青春の甘辛さがよく出ている。この曲に合わせて踊る。
次に、Raphaelが歌う「秋風の狂詩曲」に変わる。作曲作曲:華月。Raphael(ラファエル)は、日本のヴィジュアル系バンド。1997年に結成され、1999年にメジャーデビュー。ギター兼コンセプトリーダーであった華月が2000年10月31日に19歳で急逝したことで2001年活動休止。なぜ、瞳さんがスピッツ以外のこの曲を使用したか真意は分からないが、この曲を聴くと、天才である華月のあまりにも早い死が青春の物悲しさを掻き立てる。
今度は、女学生が登場。花柄のかわいらしい着物の上に、海老茶色の袴を履くという明治大正時代のコーディネート。黒いブーツを履いて踊る。
きっと、男子生徒は勉学に、女子生徒は(「恋せよ乙女」ではないが)恋愛に、その青春を謳歌しているのかな。あるいは、二人の恋愛はうまくいかず悲恋になったのか。
一旦、暗転して、三曲目がスピッツの曲「夢じゃない」に変わる。この曲の歌詞「夢じゃない 独りじゃない 君がそばにいる限り」は、曲の旋律から見てハッピーな感じではなく、実際には君がそばに居ないのではないか。
瞳さんが灰色っぽい襦袢姿で現れる。襟元は青く、着物には桜の花柄、ピンクの帯をする。
そのまま、裸足でベッドショーへ。
近くでアクセサリーを見る。紐状の純金のピアス、純金のネックレス、両手の人差し指と小指に純金のリング。純金の輝きが瞳さんの白い肌にとても映えている。
ベッドの音楽がスピッツの「楓」に変わる。スピッツ(草野正宗)の歌詞は難しい。サビが♪「さよなら 君の声を 抱いて歩いて行く」とあるから、これも悲恋の歌である。
ふと、瞳さんが最初に男子学生がもっていた書物をベッドに持参していることに気付く。本の中から栞になっている楓の紅葉を取り出す場面がある。そのときに、本のタイトルが見えた。『戦国時代の大誤解』とある。さすが、各地の城址巡りをしている瞳さんの歴女ぶりが垣間見えて、おもわずニヤリとしてしまう。
さて、私が今回のメルヘン三部作の中から何故に演目「楓」を選んだかを話したい。
実は、この作品を初めて拝見したのは、昨年の11月、ここ栗橋だった。その時にも、瞳さんに「この作品、気に入ったからレポートするね」と約束していた。瞳さんは忘れているかもしれないが・・。
私は、この時に小説「金色夜叉」を読んでいた。たまたまネットで現代語訳にされて配信されているのを見つけて、かなり長いが読んでいた。金色夜叉(こんじきやしゃ)は、明治を代表する作家・尾崎紅葉のあまりにも有名な小説です。読売新聞に1897年(明治30年)1月1日 - 1902年(明治35年)5月11日まで連載された。前編、中編、後編、続金色夜叉、続続金色夜叉、新続金色夜叉の6編からなっている。執筆中に作者が死亡したため未完成である。
あらすじは次の通り。
若年のころ親を亡くした間貫一は、自分を引き取ってくれた鴫沢家の娘・お宮と将来を誓うが、二人の前に現れた富豪・富山がお宮を見初めたことから貫一とお宮の運命が狂いだす。
自分が金満家であることを見せつける富山に目がくらみ、富山と結婚する約束までしてしまうお宮を貫一は必死に引き留めるが、お宮の決意が固いことに絶望し、お宮の元を去る。
激怒した貫一がお宮を蹴り飛ばす、熱海での場面(前編 第8章)は有名である。貫一のセリフとして「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」が広く知られている。
純朴だった少女が、男の裕福さに目がくらみ身を売るような結婚をする・・・普遍的なテーマかもしれませんが、この金色夜叉では、裏切られた男の恨みの深さ、裏切ってしまった女の身を切るような後悔が余すところなく描かれていて、軽率な行為の代償とはかくも大きいものかと思わせてくれる。
お宮は軽率で単純な女性かもしれませんが、決して悪女ではありません。ただ自分の行為の結果を深く考えることができないがために簡単に人を裏切り、結果一生苦しむことになります。
富豪の富山と結婚した後、お金に困らない生活を手に入れられはしたものの、夫に顧みられず、せっかく生んだ我が子には死に別れ、絶望的な生活を送りながらお宮は「自分の生活は富裕だが、自分ひとりでこういう生活をしたいのではなかった。自分は貫一とともにこういうことがしたいのだった」という自分の気持ちに気づき、身もだえるような後悔に苛まれます。
一方の貫一は、己の全てを捧げた女性にあっさり裏切られ、自分の人生にも、女性というものにも絶望しながら高利貸しの手先となって生活していますが、その生きざまはあまりに刹那的で、全ての幸福を拒んでいるような感じすらします。
知り合った女性に好意を寄せられても、またその故に独立を援助するからと言われても、頑なに拒み続ける貫一はどこか大事なところが壊れてしまったかのようで、痛々しい。
この「金色夜叉」には続編があり、その続編の中でお宮は自分を責めるあまり衰弱し、死にかけるほどにまで追い詰められてしまうのですが、お宮の様子を見た貫一が苦しみ悶えながらも「・・・許した」とやっと絞り出すようにつぶやく場面があります。
そこに至るまでの長い歳月、そのあまりに長い、苦しみに塗り込められたような二人の歳月を振り返ると、「あのとき富山がお宮の前に現れなかったら、誰の運命も狂うことはなかったのに」と思わざるを得ません。
この小説の主題は「金権主義と恋愛の関係について」であるが・・・。
精神的な満足というものは、お金や物で手に入れられるものではない・・・今も良く繰り返されるこのメッセージを、男女の情念を交えて見事なまでに表現した素晴らしい作品だと思います。
私は、この作品を自分のストリップ体験と重ねながら読んでいました。
三年ほど前、私は一人の踊り子Sさんと出会った。「16年間の私のストリップ人生は、この娘に会うためのものだった!」と思わしめるほどの衝撃的な出会いだった。私は彼女にのめり込む。私は自分の中に「彼女との出会いは運命だ」そして「この愛を彼女が引退するまで貫く」との信念のもと、私は最終的に家族も仕事も捨ててしまった。後悔はなかった。ところが、仕事を失った私に対して、彼女は手のひらを反すように冷たくなった。結局、お金の切れ目が縁の切れ目となってしまったのである。
私は決して彼女を自分のものにしようなどとは微塵も考えていなかった。引退が早いと聞いて、少しでも彼女の側に居て応援したかっただけであった。それすらも許してくれなかった。彼女はお金のために踊り子になったこともあり、お金のある人に走っていった。これまで応援してくれたファンには恩義も何も感じない子に豹変した。私は茫然とするしかなかった。
お金とは恐ろしいものである。目的がお金であれば、これだけ人は変われるものなのか。人の恩義を裏切り、それで得たお金で人は幸せになれるのだろうか。ストリップにおける恋愛とはこれほどに空なるものなのか。それまで彼女の作り上げてきたメルヘンの世界は素晴らしいものであると信じて疑わなかったが、金権主義の前にメルヘンも恋愛も脆くも崩れ去っていく。
ふと、瞳さんが持っていた本のタイトルが『ストリップの大誤解』と見えてきた。
平成30年3月 ライブシアター栗橋にて
【西園寺瞳さんからのお返事】
「楓」のレポートありがとう。前に栗橋で書くわって言ってくれてたもんね。
金色夜叉という作品と重ねて観てくれてたのね。
レポート書いてくれてありがとう。「楓」はお気に入りの演目なんだ。男の子は実は楓(じゃなくてくぬぎ)の木だったんだ。人の姿で女の子の前に現れて、女の子はくぬぎに恋をして、でもくぬぎはもう人の姿になれなくて。木の姿のまま見守ってくれている。そんな感じでステージしてるよ。
スピッツの曲がちょうどこの演目に会うんだ~
戦国時代の大誤算、気付かれてしまったかぁ。