阝(こざとへん)と阝(おおざと)について | ボラとも先生のブログ

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このブログは日本語ボランティアを始めた人、やっている人が疑問に感じたこと(特に文法など)について説明するために作りました。

ボラQ184:「病院」の「院」と「便局」の「郵」について質問されました。なぜ「院」は「完」の左側に阝を書き、「郵」は「垂」の右側に阝を書くのかという質問です。遠い昔のことなのですっかり忘れていました。辞書で調べてみたら、左側の阝は「こざとへん」側の阝は「おおざと」ということはわかりましたが、なぜ位置が違うのかはわかりませんでした。教えていただけると助かります。

 

ボラとも先生A184:まず、こざとへん」と「おおざと」という名前ですが、共通している「ざと」は「里」(さと)が連濁したもので、「故郷」や「村」という意味です。

 

こざとへん」と「おおざと」を漢字で書くと小里偏」、「大里」となりますが、「小里偏」には「偏」が付くのに対して、「大里」には「偏」は付きません。これは阝の位置が違うからです。どちらも部首としての名称ですが、字形としては同一であり、違いはありません。

 

多くの漢字は複数の構成要素からできているのが普通ですが、その中でも2つの要素からできている漢字が大多数を占めています。

 

いちばん多い組み合わせが「左側」+「側」で、次が「上部」+「下部」という構成になっています。にある要素を「偏」(へん)、右側は「」(つくり)、上は「」(かんむり)、下部は「(あし)と呼びますが、まとめて「偏旁(へんぼう)または「偏旁冠脚」(へんぼうかんきゃく)といいます。

 

右側にあるの場合は「おおざと」と呼ばれていますが、それは「邑」(ゆう)という字が簡略化されたもので、「里」や「村」という意味だからです。「おお」(大)は左側の阝(こざと)と区別するために付けられたものです。

 

「邑」の上部の「口」は「国」の周囲の「囗」と同じで集落を囲む境界や塁壁を表し、下部の「巴」は人(卩)の脚の部分(ㄱ)が曲がっている形で、座っている人を表しています。つまり、「邑」全体で塁壁の中に人が住んでいる「里」や「村」の集落という意味になります。ちなみに模様を表す巴(ともえ)は渦の形を表したものなので違う字です。

 

つまり、「邑」は人が住んでいる集落を表し、村や里という意味になるのですが、漢字の要素としては右側に書かれるため偏(へん)ではなく、旁(つくり)になります。間違って「大里偏」(おおざとへん)と言う人がいますが、この場合は「へん」「つくり」も付けずに単に「大里」(おおざと)と言います。

 

部首となる要素の位置が違う場合はそれを正確に表現するために、こうした偏旁の名称を付け加えて区別することから始まったのだろうと考えられます。

 

たとえば、「愛」の「心」はこうした偏旁で表すことができないので、単に「こころ」と呼びますし、物の「果」、「誓い」の「誓」、完の「璧」などの部首は脚(あし)の位置にありますが、特に「あし」を付けて呼ぶことはありません。

 

「つくり」だけでなく、「へん」の場合も「冫」(にすい)や「氵」(さんずい)や「月」(にくづき)のように「へん」が付かない部首名もあり、結局は一つひとつ覚える必要がありますが、こうした名前は通称であり、正式の名前ではありません。

 

ここで日本漢字能力検定協会に苦言を一言。

 

協会は当然こうしたことを知っているはずですが、出題内容2級以下のレベルで「部首を識別し、漢字の構成と意味を理解している。」として、部首の名前や所属漢字に関する問題が出題されています。

 

部首の名前や所属漢字そのものが漢字辞書によって違うのにもかかわらず、そうした問題を協会が出版した書籍の内容に準拠したものだけを正解とし、それ以外のものを不正解とする、こうした活動を有料で行っている協会は公益財団法人としていかがなものでしょうか。

 

さて、右側にある阝が「おおざと」と呼ばれているのに対して、左側にある阝が「こざと」なのは、この」(フ)という文字が簡略化されたものであり、「阜」が「はしご」の形を表したり、「山」を横にした字形がもとになっていて、あまり「里」とは関係がなく、意味がはっきりしている同形の(邑)に関連づけられたものだからだろうと考えられます。

 

この「阜」という字は岐阜県の「」ですが、2010年に新たに常用漢字に追加されたもので、「おか」(丘、岡)という意味です。

 

『常用字解 第二版』(白川静、平凡社、2003)では、山や丘を垂直の形にかくことはないから、そういう意味はなく、神のはしごの形だという説明がありますが、『甲骨文字小字典』(落合淳思、筑摩選書、2011)では、「はしご」の象形と「おか」(山)を縦向きにした形の二つの系統があって、後代には両者が混同したが、甲骨文字では使い分けられていた、という説明があります。

 

確かに、以前の記事(No.89:漢字の「目」はなぜ縦長なのか)でも書きましたが、人間の目は横長なのに漢字では書きやすく読みやすい縦長の「目」になっていますから、「山」を垂直の形に書くことは十分にあり得ることだと思います。

 

そう考えれば、「院」の阝は「はしご」と考えるよりも「丘」と考えて、丘の上にある完全・完璧な大きな建物と考えたほうがわかりやすいし覚えやすいと思います。

 

それに対して、便局の「郵」「垂」と阝(邑)からできています。

 

「垂」は中華料理の「華」の下部と同じである「乑」(スイ:葉や花が垂れ下がった形)と「土」からできていて、垂れ下がるという意味ですから「垂直」などに使われますが、「郵」では辺境や国境などの国のはずれに置かれた伝令のための役所を意味していたことから、郵便局という意味になったそうです。「目」(=まぶた)が垂れ下がる睡眠の「睡」といっしょに覚えるとわかりやすいかもしれません。

 

また、おもしろいことに、「陽」や「都」の古い字形(甲骨文字や金文)を『常用字解 第二版』で調べてみると、左側にあるべき阝(阜)が右側に書かれたり、側にあるべき阝(邑)が側に書かれたりしている字形が見られますから、昔は字形の自由度がかなり高かったことが窺えます。

 

阝(こざとへん)と(おおざと)の漢字を調べてみると、2010年改定の常用漢字では全2136字のうち、次のように①阝(こざとへん)が31字、②阝(おおざと)が12字含まれていました。意外に阝(こざとへん)の漢字が多いことに驚きましたが、これも阝(こざとへん)には「はしご」と「おか」の二つの系統があったということが間接的な理由になっているのかもしれません。

 

院階陽隊陸険限際防降除障陛陰隠隔陥隅陣随阻陳陶陪附隆陵隣隙阪阜

都部郷郵郭郊邪邸邦郎

オレンジ色は小学3年で学習する漢字、草色は小学4年、緑色は小学5年、水色は小学6年、紺色は中学、紫色は2010年に追加された漢字です。)

 

①の階段の「階」や下降の「降」は「はしご」で、②の都市の「都」や大の「阪」は「おか」、という説明はなんとなく正しいような気がします。ただし、ここで書いてきた内容も以前の記事(No.181:「衤」(ころもへん)と「礻」(しめすへん)について)で書いたように、「不毛な知識」かもしれませんので、そのつもりでお読みください。

 

ちなみに、「村」の古い字体または異体字に「邨」という漢字がありますが、これは集まるという意味の「屯」(トン)と阝(おおざと)から作られた会意文字です。「邨」は人が集まる「むら」という意味を強調した文字であり、「村」(ソン)はこの字の音読み「邨」(ソン)から作られた形声文字です。