ボラQ213:「ぜんぜん」という言葉は、「ぜんぜん美味しくない」のように否定形で使うはずなのに、最近「ぜんぜん美味しいです」というように肯定で使われています。「ナウい」のように一過性の現象なのでしょうか、それともこのまま定着するのでしょうか?
そのなかで、ボラQ213 さんの“「ぜんぜん」という言葉は…否定形で使うはず”という指摘そのものがそもそも本当に正しいのかどうかを疑っているものがあります。まずはそうした論文をまとめた記事を紹介します。
■日経電子版ライフコラム・ことばオンライン:なぜ広まった?「『全然いい』は誤用」という迷信
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO37057770W1A201C1000000/
この記事は、2011年に開催された日本語学会で国立国語研究所の研究班が行った発表報告「言語の規範意識と使用実態―副詞“全然”の『迷信』をめぐって」をまとめたもので、歴史的な変遷も示されていて簡潔にまとめられているので、それを以下に箇条書きにして紹介します。
①研究者の間では“「全然」は否定を伴う”という言語意識は“迷信”であることは広く知られている。
②明治から第二次世界大戦後にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきた。
③国語辞典などの「後に打ち消しや否定的表現を伴う」という説明によるイメージの影響か。
④こうした迷信が広まったのは昭和20年代後半(1953~54年)と考えられる。
⑤昭和10年代(1935~44年)の資料で「全然」の使用例を調べると、6割が肯定表現を伴っている。
⑥この迷信が戦後のいつ、どのように発生し、浸透していったのかを解明するのが今後の課題。
⑦新聞やテレビにはこの迷信がまだ根強く残っているが、正しい情報を載せる辞書も出てきた。
同じ著者がこの半年後(2011/12/13)に続編を書いていますので、それも紹介しておきます。
◆日経電子版ライフコラム・ことばオンライン:「『全然いい』は誤用」という迷信 辞書が広めた?
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO42854280R20C12A6000000
①「全然は否定を伴うべき」という言語意識は戦前にはなく、昭和20年代後半に急速に広まった。
②現在の多くの国語辞典は、「全然」は否定を伴う副詞で、否定を伴わないものは「俗用」としている。
③こうした考え方は広く一般に浸透し、「全然いい」のような言い方に抵抗のある人は多い。
④辞書の記述を調べてみると歴史はかなり新しく、肯定での用法は“俗(用)”とする辞書が多い。
⑤昭和10年代までの辞書には打ち消しとの呼応について触れているものはない。
⑥1952年(昭和27年)刊行の「辞海」(三省堂)がはじめて「下に必ず打消を伴なう」と記載した。
⑦その直前に出版された「ローマ字で引く国語新辞典」で英語の(not)at all とwhollyに合わせて「全然」の意味を2つに分けて説明。
⑧1952年は「全然」は否定を伴うという意識が急速に広まったとされる昭和20年代後半にちょうど合う。
⑨中国語の『全然』も否定と共起しなくてはならないという“迷信”が一部にあるらしい。
⑩日本近代語研究会会長の飛田良文氏は⑦の辞典が問題だとして、明治以降の主な国語辞書の「全然」の意味の説明を調査し、その結果を表にしている。
おそらく、「全然」が否定を伴うという点に関しては上記の■や◆の指摘のように“迷信”説が正しいと思われますが、日本語教育ではこういう場合にどのように対応すべきかという問題があります。
以前の記事No.165(「全然」「とても」「たくさん」「よく」の意味用法について)では、「全然」という表現は肯定文でも使えるけれど、使える条件は限られたものなので、初級レベルでは否定文にしか使えないとしても問題ない、と書きました。
しかし、Wikipediaの見出し語「全然」を見ると、日本語教育だけではなく、全国的な国語教育から社会生活全体にわたって(中学高校受験や採用試験、各種検定、資格試験、レポート、論文など)、肯定表現で用いることは避けるべきだという記述があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E7%84%B6
さらに、留学生対象の「日本語検定 公式○×速解問題集(日本語検定委員会 著)」では全然の用法についての語彙問題で『「全然おいしい」「全然平気だ」などの言い方も耳にしますが、これらは広く認められた言い方とは言えません』との解説があり、不適切な使い方とみなされ、×が正解、という記述もありました。
つまり、現実の生活では、「全然」は否定でも肯定でも普通に使われているのに、“迷信”に押し付けられた“建前”が日本全国で大手を振ってまかり通っているのです。
たとえば、ネットでダウンロードできる次の論文「否定的文脈と否定極性項目に関する一考察—“not at all”vs.「全然」を中心に—」(有光奈美、『言語科学論集8』p.63-80、京都大学、2002)の中にテレビ番組の「徹子の部屋」(1999.4.21)に出演したもとタカラジェンヌの真矢みきと黒柳徹子の間で交わされた次のような会話が紹介されています(p.64)。
https://core.ac.uk/reader/39200204
(12)(身長の話をしていて)
黒柳徹子 「166で宝塚では小さいの?」
真矢みき 「いや、もう、かなり、全然小さいですね」(1999.4.21「徹子の部屋」)
この場合の「全然小さい」は「とても小さい」というような意味で使われていますが、黒柳徹子の質問は「166cmならふつうは小さくないけど、宝塚では本当に小さいの?」のように、「166cmは小さくない」という否定的な考えが前提になっています。その否定的な相手の思い込み(前提)を否定しているのが「全然」なのです。つまり、「全然(そうじゃなくて)小さいですね」ということになります。
つまり、「全然」は「全然そうじゃなくて」の後半が省略されたものだとも考えられるわけですが、こうした「全然」の用法については教える必要はありませんが、日本語学習者は日常生活で出会う場面があるはずですから、聞かれたときに答えられるように、知っておく必要があるのではないでしょうか。
ちなみに、現在は程度を強調する働きが典型的な用法になっている副詞「とても」が「全然」と似たような変化を経てきていますので、『小学館日本語新辞典』(松井栄一、2005)の見出し語「とても」のコラムの解説(p.1223)を最後に紹介しておきます。
●『小学館日本語新辞典』(p.1223)
①芥川龍之介が随筆でこの語をとり上げ、東京で「とても寒い」のように程度を強調する使い方が出てきたのは大正の中ごろで、それまでは必ず否定表現を伴っていたと言っている。
②もともと「とても」は「とてもかくても」(ああしてもこうしてもの意)の省略からできた語なので否定にも肯定にも使っていたが、明治以後は否定を伴うことが多くなる。
③程度の強調(非常にの意)は、まだ不自然と感じられていた大正期には例が少ないが、昭和期になると、盛んに使われるようになる。
④国定読本では60回使われているが、第一期(明37より)から第五期(昭16より)まではすべて否定を伴う例。程度強調は戦後の第六期(昭22より)19例中の9例だけで、第四期(昭8より)13例、第五期(昭16より)10例に全く例がないのは、やや俗な感じがあって取り入れにくかったためか。
最後に、「ナウい」についてはWikipediaの「若者言葉」の項目に「コーホート語(同世代語)」として取り上げられていますし、「ナウい」の項目に「昔の流行語として認識されている」という記述を読んでボラQ213 さんの質問の中に引用されていることに納得がいきました。