少しは痛いだろうと想像していたけれど、櫻井さんがひとつひとつ説明してくれている声を聴いていたら、痛みなんてどこか遠くの出来事のようだった。
それに、ツボを押されるとき以外はどちらにしても痛みはない。
いい香りのオイルを都度手に取って塗ってくれるのも、温かな手の平が心地よかった。
もちろん、好きな人の手の平が自分の肌に触れるのは内心穏やかではない。
いつものようにタオルが間にあるわけではないというのが、唯一緊張した理由だった。
言わなかったけれど。
途中何度も、目に入る床にそっと置かれたような小さな埃を数えるように意識をそらした。
マッサージをしている相手に変な気分になられるほど嫌なこともないだろう。
そうしながら、施術が進んでリラックスしてくると、いつの間にか気にならなくなっていた。
体中のツボや血管の話をしてくれる櫻井さんの声が嬉しそうなのが幸せだった。
「大野さん、ちょっと感覚に集中してもらっていいですか?これからもう一個のカッサに替えてみるので、どっちの感触が好きか教えてほしいんです。」
首に手を軽く添えながら櫻井さんが言う。
「了解です。」
「あ、ちょっとあっためるので待ってください?」
「ふふ。」
「天然石ってけっこう冷たくなるから。」
「はい。」
手の平で温めたのだろうか、「じゃあいきますね」と言って首を優しく擦る。
オイルのせいでそれほどの違いを感じない。
でも、さっきまでのものより肌に密着する感じがあった。
「これまで使っていたのは木製のものなんですが、今のは天然のローズクォーツです。どっちが好きとかありました?」
「木製の方がさらさらした感じがしてました。石の方は密着する感じ。どっちも俺は好きです。」
「へえ・・・。」
櫻井さんがしばらく黙り込む。
その間にも首を擦る手は止まらない。
「あ、ごめんなさい。実は俺には違いがほとんど分からなくて。大野さんやっぱり五感が優れてるのかな。」
「五感ですか?」
「はい。踊るのって耳とか目とかしっかり使えないとだし、これは触感だし、あとは・・・。」
「別にそんな自覚はないですけど。」
「はは。そうですか。でもそうだと思うなぁ。」
うつ伏せ状態で首を全体的に終わると、櫻井さんが手を止める。
「大野さん、顔やるのってどう思います?カッサはきれいなものに替えるんですけど、触られるの嫌だとかあります?」
「ないです。」
本当は、肩より上はちょっと苦手だった。
だけど、今のところ大丈夫だったからそう返事をした。
目を閉じるのだし、なにも問題はないと思う。
いつもより櫻井さんが近いことは少し緊張するけれど。
いつもの首周辺のリンパマッサージと、それほどの違いはないはずだと思った。
「じゃ、仰向けになってもらって。今度のオイルはスクワランオイルにほんのちょっとだけラベンダーの精油を入れたものになります。眠くなったら寝ちゃってくださいね。」
「あい。」
仰向けになって目を閉じ、いつものように体のポジションを決めると、額と頬に相変わらずの優しさでオイルを塗られる。
そこから全体に軽くのばすようにしてから、額をカッサが滑る。
櫻井さんの息遣いが近い。
いつも後ろを歩くときにふわりと感じる櫻井さんの香りが、オイルに混ざったラベンダーをかき分けて鼻をくすぐってくる。
確かに、嗅覚も敏感なのかもしれない。
こんなに櫻井さんを近くに感じるのは初めてだった。
「大野さん・・・。」
「ん。」
櫻井さんがささやくような声を出す。
口を動かせない気がして、喉だけで返事をする。
胸の高鳴りが響いていませんように。
首筋の血管から脈の速さがバレてしまいませんように。
そんなことを咄嗟に思う。
「まつげが・・・あ、いや。はは。なんでもないです。」
なんだろう。
気になるけれど、今声を出したら、口から心臓が飛び出してしまうかもしれない。
耳が熱い。
赤くなっているかもしれない。
「すでに血行が良くなってきてますね。マッサージしててもいつも思うけど、大野さんて感度が抜群なんですよ。」
ドキドキし続けているからだろうか、櫻井さんの言葉を変に受け取ってしまう。
ふと、数か月前に別れたセフレの声が頭の中を響き渡る。
『智、感度いい。もっと声聴かせて。』
下半身に血が集まるのを感じて、目を開ける。
櫻井さんが目に入る。
穏やかな表情が驚きの色に変わる。
「ご、ごめんなさいっ。ちょ、トイレ!」
「は、はい!どうぞ!」
飛び起きてトイレに向かう。
背後で固まっているだろう櫻井さんの動きは聞こえてこない。
やってしまった。
気づかれただろうか。
(つづく)