「今日50m測った。」
あれは小学校最後の年。
「あ、俺も水曜日だ。」
「俺、間違って本気で走っちゃったんだよね。」
「どういうこと?」
「リレーの選手にされるかも。」
「ふはは。いいじゃん。」
「やだよ。めんどくさい。」
目立つのは嫌いだ。
それに、運動会に向けてバトンを渡す練習とか、そういうのを放課後しなくちゃいけなくなるのも嫌だった。
だって、潤と遊ぶ時間が減ってしまうから。
「俺智が走ったら敵でも応援するけど?」
「ああ?いいんだよ、そんなの。」
僕は心底うんざりしながら母親が出してくれたサキイカを皿から取る。
「うおっ、これ太っ。見て、潤。」
「すげー。え、半分ちょうだい?」
「なんでよ、自分の取んな。」
「やだ、それがいい。」
潤が手を伸ばす。
その手を前に、僕は断ることができずに、半分に裂いて食べた残りを手渡す。
「サンキュー。」
嬉しそうに、もうそんなに太くなくなったサキイカを手にする潤が可愛い。
かじりながら目を伏せると、まつげがバサバサ音を立てそうに動く。
「なんなんだよ。」
僕は小さく文句を言う。
「なに?」
「なんでもねー。」
「ふはは。てか、智〜、確か明日雨って母ちゃんが言ってたから、今日は2周くらいしない?」
「明日雨なの?」
「母ちゃんが言うにはね?」
「くそお。雨かー。」
雨がこんなに嫌いになったのも、潤と二人乗りをするようになってからだ。
自転車を二人乗りしている時が、どんな時よりも潤を身近に感じる。
物理的な距離だけじゃない。
心と心がちゃんと触れ合っている感覚。
それがなんとも楽しかったし、嬉しかった。
「今日生田にさ、後ろに乗るの怖くね?って聞かれて。」
川沿いの道をゆっくりと足を慣らしている時に潤が後ろで言う。
スピードが出ていない時は少しふらつきやすいから、潤の掴まる手は僕の腰に触れていることが多い。
くすぐったい時もあるけど、何も言わずに我慢する。
本当はしっかりと腕を回してくれればもっと安定するのだけど、それもなんだか照れくさい。
潤はなにを思っていつもシャツを掴んでいるのだろう。
「ってか、智の後ろで怖いとかありえねえし。」
「ふふふ。ホントかよ。」
「ホントだよ!俺の人生で一番信じてんもん。」
「そう?」
「そうだよ!母ちゃんより父ちゃんより智だかんね?まじ、そんなん当たり前じゃん。」
「ふふふ。怒んなよ。」
「ふはは。怒ってないけど。なんかムキになっちった。」
「ふふふ。」
たかだか10年ちょっと生きてきただけの、まだ顔だって丸い僕らがそんなことを言ったって、いつか笑い話になるだけだ。
今なら分かる。
だけど、あのときの僕らは、そんな気持ちが一生続くと信じて疑いもしなかった。
自転車の後ろで僕に命を預ける潤を、一生そばで大切にしようと、本気で思っていた。
(つづく)