通勤に乗る自転車は、入社してしばらくして買ったロードバイクだ。

荷物をウォータープルーフのバックパックにつめて背負って、ヘルメットを被る。

幸い会社はスーツを着なくていいし、必要な時にはロッカーにネクタイも含め常備してある。

 

梅雨の時期以外は月のほとんどを自転車で通勤できる。

都心に入るまでの、季節を感じながら飛ばす道のりは本当に気持ちいい。

 

 

「智、ヘルメットヘア・・・。今日はいつもよりオラついてる。」

 

翔が「くくく」と笑いながら僕の襟足を撫でていく。

 

 

「オラついてるってどういう意味?」

 

「なんてんだろ、なんかヤンキー感が。ははは。少し伸びてきたんじゃない?」

 

「どこ?」

 

「いいよ、いいよ。どうせ昼前には自然と直っちゃうよ。もう少し楽しませて。」

 

「・・・勝手にしてよ。」

 

 

僕は軽く髪に手を当てるけど、すぐにどうでも良くなって仕事に戻る。

さっき部長から返ってきた企画書をまたすぐに持っていかなくてはいけないのだ。

 

 

確かにそろそろ散髪のタイミングだ。

昼休みにでもいつもの床屋を予約しよう。

 

 

「よし。完璧。」

 

 

僕は数箇所の直しを済ませると、原本を部の数人にメールで送信して、プリンターにも送る。

プリントした一部は部長用。

部長は紙が好きなのだ。

 

 

「大野、今夜空いてるか?」

 

企画書にOKを出して、部長が言う。

 

 

「まあ。」

 

「この企画、採用になりそうだから前祝いどうだ?」

 

「部長の奢りすか?」

 

「もちろんだ。」

 

「じゃあ。あ、チャリ家に置いてからになるんで19時くらいがいいす。」

 

「いいよ。俺も夕方社長に呼ばれてるから。」

 

 

「・・・それ、完全にホニャララ解消のためじゃないすか。お祝いじゃなくて。」

 

「ははは、バレたか。まあ付き合え。」

 

「いいすけどね。あ、今回は櫻井くん誘います?」

 

「暇なら連れてこいよ。」

 

「あい。じゃ、失礼します。」

 

「ああ。後でメールする。これご苦労様。」

 

 

部長とはよく飲みに行く。

といっても月一か多くても二くらいで、部長のストレス解消が目的だ。

「大野のマイナスイオンを浴びるときが来た」とか言って、本当に浴びるのはお酒だったりする。

僕はただ一緒に飲んでいるだけで、部長の話もそんなに聞いていない。

でも、また誘われるから、部長も別にそれでいいのだろう。

 

 

「翔、今夜空いてる?」

 

「ちょいまち、今これ・・・。」

 

翔はラップトップから目を上げずに応える。

僕はデスクの上の直しの入った企画書を取ると、リサイクルの箱に入れに向かう。

ついでにコーヒーメーカーのそばにいつもあるお菓子のカゴから小さな2枚入りのクッキーを持ってデスクに戻る。

 

戻り際見えた翔のラップトップはメールの画面で、多分取引先の質問か何かに答えているのだろう。

きれいな箇条書きが見えた。

 

 

「細かい。細かいのよ。でも、そこがやりやすいの、A社さんは。」

 

大きな独り言を、あるいは僕に聞かせるために翔が口にする。

 

 

「そうなんだ。」

 

僕も、別に翔が聞いていなくてもいいと思いながらそれに反応する。

 

 

「けど、時間はかかるの。すんごい。俺の時間の3割はA社とのプロジェクトに注がれている。6社もあるのによ?」

 

「6社も担当してんの?」

 

「そこだよね、そこ驚くとこだよね。ちょっと部長に言ってやって欲しいのよ、智から。だって6社全部プロジェクトサイズは同じなの。」

 

「わあ・・・。俺つくづく翔みたいにできる男じゃなくて良かったわ。」

 

 

「おいー。」

 

そこでようやく翔が顔を上げる。

そして、目が合うと破顔して言う。

 

 

「完了。」

 

「ふふふ。」

 

「ははは。あー、ありがたい。」

 

「仕事があってこそだもんね。」

 

 

「はは。それもだけど、違う。」

 

「ん?」

 

 

「智がそこにいることが、ありがたい。それ1枚ちょうだい?」

 

 

翔が手を出して言うのを、僕はなにがなんだか分からずに、キョロキョロする。

 

 

「クッキー。美味そう。」

 

「あー、これ、あっちにあるよ?」

 

「それがいいの。」

 

「・・・わけわかんない。はいよ。」

 

 

僕は少し腰を浮かせて、斜め前の翔に1枚残ったクッキーの小袋を渡す。

 

 

「サンキュー。」

 

 

嬉しそうに目尻にシワを寄せる翔が可愛く思える。

 

 

そして、ふとまた潤を思い出す。

 

 

潤もこんな風に僕が食べているものを欲しがることがあった。

けっこう頻繁に。

 

 

 

 

(つづく)