「で、さっきなんだって?」
「ん?あれ、なんだっけ。」
「ははは。じゃ、ちょっとおトイレ行ってくるから、思い出しといて。」
そう言って翔は席を立つ。
「あ、思い出した、今夜空いてる?」
僕は歩く翔の背中に言う。
翔は振り向いて、少し考えるようにして答える。
「空いてるー、とー、思う。ちょっと待ってて、漏れるから。はは。」
翔はそれだけ言うと、急いで行ってしまう。
翔が行ってしまってから、僕の正面に座る後輩が僕を見ているのに気づいて、目線を合わせる。
「どした?」
「あ、いや。仲いいなーと思って。翔さん、智さんと話すときちょっとふざけるじゃないですか。おどけるっていうか。」
「んー?」
「ずっと思ってたけど、俺、他の人とあんな風に喋る翔さん見たことないです。」
「へえ。」
「ちょっと可愛くなるの、いい関係だなって。」
「ふふ。そうか?まあ同期だからね。」
「二人が喋ってるとなんかホッとします。」
そうか。
普段、翔はちょっと気取っているからな。
でも確かに、部長も進んで翔を飲みに誘おうとしない。
翔の楽しさを知らなくて、ただの優秀な部下だと思っているのかもしれない。
他の社員もどちらかと言うと翔は尊敬の対象で、僕に対するときとは少し違っているのかもしれない。
「ただいま。」
「翔、休憩入れる?」
「ん?ああ、いいよ?ラウンジでも行く?」
「5分くらいだけど。」
「ああ、俺もそのくらいで戻らなくちゃだし。」
僕らは揃ってラウンジへ向かう。
コーヒーメーカーには朝誰かが作っておいてくれたコーヒーがまだ残っている。
それとも、もう何回目かを他の誰かが淹れてくれているのだろうか。
翔が先にカップを2つ手に取って、さっさとコーヒーを注いでくれる。
「あー、俺マグカップ持ってこようと思ってんのにずっと忘れてるー。はいよ。」
「ありがと。はいよ。」
僕は誰かが置いたお土産の缶から鳩サブレを翔に手渡す。
「鳩サブレのお土産とかセンスいい。」
「ふふ、ホント。これ大好き。」
「ラッキー。」
僕らは丸テーブルの12時と15時の位置に座って袋を開ける。
「今夜がなんだって?」
「ああ、そうだ。部長のストレス解消、誘われてて。奢りだっていうから翔もどうかなって。」
「ああ、部長か。」
「うん。19時以降にしてって言ったからそのくらい。」
「俺はてっきり智と飯でも行けるのかと思ったよ。」
「え?」
翔はニコニコしながら鳩サブレを大きくひとかじりする。
そしてそのまま頬を膨らませてモグモグしていて、何も言うつもりはないらしい。
「そういや、さっき永瀬が翔のこと可愛いって言ってたよ。」
「は?なんで?」
「漏れるとか言うからでしょ。ふふ。」
「ははは。周りにみんないるの忘れてた。」
「ふふふ。なにそれ。」
翔は残りのけっこうな大きさの欠片を口に入れると、また何も言わずにニコニコしている。
確かに可愛い。
こういうふざけたところを見ると、完璧なだけじゃない魅力を感じるのはなにも永瀬だけじゃないだろう。
潤も、そういうところがあったな。
あのクッキリとした尖った目を、ちょっと怖がっている同級生も少なからずいたのを知っている。
逆に、あの白い歯を思い切り見せた大きな笑顔を見たことがある人が、どのくらいいたのだろう。
ああ、あの笑顔をなぜ今の僕は見ることができずにいるんだろう。
最近の僕は潤のことばかり考えている。
(つづく)