中学1年の春。

入学して何週間も経たない頃。

 

着慣れない制服から開放された僕らは、すぐに着替えて家の外で落ち合った。

 

 

「あー、疲れた。なんか心が疲れた。」

 

「ふふ。うちでゴロゴロする?」

 

「やだ。チャリ飛ばしてスッキリしたい。智疲れてる?」

 

「俺は平気だよ。」

 

「さっきも言ったけど、俺は今でも智とクラスが違うことに納得いってない。」

 

「ふふふ。そんなこと言ってるから疲れるんだよ。切り替えな。毎日会えんだからさ。」

 

 

事実、登下校はもちろん、休み時間も大半は一緒にいる。

放課後だって、今のところ毎日。

 

 

「そういうことじゃないんだよなー。」

 

「ふふ。どういうことよ?」

 

「まあいいよ。」

 

諦めたような声を出したけど、横顔の潤は別に機嫌が悪そうでもなくて。

むしろなんだか嬉しそうな顔をしているように見える。

 

 

「部活、入んなくて良かったの?バドミントン、誘われたんでしょ?」

 

「斗真から聞いたの?いや、部活とか疲れるだけじゃん。・・・潤は?」

 

「俺ははなから入るつもりなんてないよ。智と遊べなくなっちゃうじゃん。」

 

そう言った潤は僕に白い歯を大きく見せた笑顔を向ける。

 

 

「はっ、ずりぃなー。そんなら俺だっておんなじだよ。先に言いやがって。」

 

「先も後もないよ。サンキュー、智。」

 

「ふふ。」

 

 

潤はこの上なく素直で、中学生にもなって僕が一番だと声高に言うことができて。

でも、僕はなかなか上手くできなかった。

こうしてたまに潤に便乗するくらい。

 

 

でも、お互いに言葉を幾つ重ねたって、僕らはずっと幼なじみで親友で。

僕の望む関係とは永遠に少し違う。

 

 

 

「もう葉っぱだらけだね。」

 

川沿いの桜を指して潤が言う。

入学式の頃もう散り始めていた桜は、暖かな陽気にどんどん緑を増している。

視界の色が変わっていくことも季節の移ろいを感じさせたけど、もうひとつ季節を感じる理由があった。

 

 

虫だ。

 

暖かくなると川沿いにはいわゆる「蚊柱」があちこちに立ち始める。

ゆっくり走れば避けることもできたけど、スピードを出しているとそうもいかない。

 

全開のおでこにたまに当たる虫が嫌だったけど、前を見ようと顔を突き出した潤の口に入った時がなにより嫌だった。

あの時はもう、潤を見る度に僕の気持ちは高まるばかりで。

潤の形のいい唇に虫が先に触れることになろうとは。

 

 

「ふざけんな虫!」

 

「あー、キモ!」

 

自転車を止めて、脇の草場に虫を吐く潤を後ろから見ていた。

 

「くそお・・・」

 

「・・・いや、なんで智の方が怒ってんの?てか、ハンカチない?」

 

「ねえよ、そんなもん!」

 

「いやいや。」

 

「あ、ごめん。てか、俺がハンカチ?」

 

「ふはは。」

 

持っていれば良かったと本気で思った。

 

 

その日の夜、僕は母親にハンカチを買ってきておいてくれと頼んだ。

 

 

「え?あんたがハンカチ?ああ、でもまあそうよね。制服で拭くわけにはいかないしね。分かったよ。」

 

 

母は次の日、仕事帰りにハンカチを数枚買ってくると、夜のうちに他の細々したものと一緒に洗濯を済ませてくれた。

 

 

「智、明日ハンカチ持っていけるからね。」

 

「ありがと。」

 

「他にも必要なものあったら早めに言いな?あー、潤のも買ってくれば良かったね。半分あげようか?」

 

「あ?いや、それはいいよ。あいつはあいつで。」

 

「そ?潤だって必要でしょ?もう持ってる?」

 

 

「持ってる持ってる。大丈夫。」

 

 

多分、持ってないけど。

小学校のときも持っていたのを見たことがないし。

でも、潤が必要なときに僕が貸すのが目的なんだから。

 

母はそれ以上なにも言わなかった。

 

 

そして僕は翌日からいつでもハンカチをポケットに入れているようになった。

 

 

 

 

(つづく)