日本では体育の日で連休、こちらはコロンバスの日で連休といっても、学校はあるし、州政府も、司法関係以外は仕事である。 連邦政府関係はしっかり休むので、郵便の配達はなし、銀行も休み。 私は気楽に一人の休日。 朝はリュウザエモンを送っておいて、またベッドへ、至福のひと時思いっきりうとうとして、10時におきる。 まず、紅茶を一杯。お昼は何にしようか。 コリアンのレストランで、ランチ定食というのがよさそう。 その後は、レンタルで ”English Patient”を借りてきて、午後ゆっくり見よう。 思いっきり泣いても、誰もいないと平気。 その前に、チキンの胸肉を4枚下ごしらえ、ツレアイの晩御飯の準備をしておく。 


家事は土曜日曜に済ませてあるので、うちのなかも一通り片付いている。 着られなくなった私の古い服を大きな紙袋に2つ、救世軍の店にドロップオフしたら、そのあとちょっと買い物をしてもいいか、秋のもののウインドウショッピング。 楽しみ。 

今テレビドラマの”てるてるあした”を見ている。 結構面白いけど、気になることが2-3ある。 まず、左利きの女の子をしかって右手でご飯を食べさせようとするところ。 前時代的ではないか、戦前ではあるまいに、今でも日本では左利きはこんな風に迫害されているの? 2番目、死期が近づいたおばあさんが言う、この建物も土地も私が死ねば、息子のものになる、息子は銀行家だし、下宿屋を続けることはないだろう、たぶん売り払ってしまうだろうと。 それで、下宿屋の人がその家を買い取るために奔走。 これって、おかしくない? そのおばあさん、弁護士を呼んで、遺言状を作ったりしているのに。 どうしてちゃんと 家は下宿屋として残す、息子にはやらない、と言い残さないのか。 そのための遺言状でしょう。 子供に残すなら、そんなものわざわざ書くことない。 


こちらアメリカでは子供たちにではなく、自分の母校や、お気に入りの福祉施設などにお金を残す人は多い。後で、子供たちに、異議を申し立てられないように、ちゃんとそれぞれの名前を書き、申し訳程度のものを残しておく、たとえば10ドル、決してもうろくして、子供の存在を忘れたわけではありませんよというわけだ。


出演している人たちがみんな、”雨と夢のあとで”と“白夜行”で見たおなじみの人たちばかり、これって同じテレビ局だから、それとも、ほかに俳優さんいないのか。 不思議である。

土曜の昼下がり、リュウザエモンの友達が来て、ビデオゲームをして遊んでいる。 高校生にもなってよくやるよ。 お昼ご飯にラーメンでもというとそれよりサンドイッチのほうがいいらしい。 チップスと一緒に食べて、またゲームへ。 宿題はないのか。 皿洗いもすんでない。 ま、友達が帰るまで催促せずに待ってやるか、こっちがしてやろうとは思わない。ちゃんと料理は私、皿洗いはあの子と決まっているんだから。 


夜は夜で、ローカルのバンドが野外コンサートをするとかで、行くという。 6時から始まるけど、最初はひどいバンドばかりだから、7時過ぎに行くといいだろうなどと話していると、友達が言うことには、去年のこのコンサート、自分とサイノスケとが一番のバンドだったと。 う、失礼。 門限は11時。 


今夜も老夫婦2人きり、ツレアイはスミに話しかけている。

今日は仲秋の名月というわけで、鮮やかな満月が見えた。 お団子を作ってすすきを飾ってとリュウザエモンに説明する。 こんな夜はウサギが餅つきをしているのが見えそうというと、はあ、という顔。 こちらでは月はチーズでできているというけど、それだけ、それ以上の説明はない。 穴の開いたスイスチーズなのか、白いモッツァレラ、それとも黄色いチェダー?


おもむろにリュウザエモンがおもちを食べたくなったという。 だからって、すぐに作れるわけでも買いにいけるわけでもない。 私は大福もち以外にお餅はもう10年以上食べてない。 お雑煮もしたことがないし。 今度買い物に行くときに、冷凍のを買ってみようか。 それまでにリュウザエモンはお餅のことなんか忘れてるだろう。


子供のころ、なかにチーズをはさんで、まわりにお醤油を塗り、こおばしく焼けたら、海苔でつつんでおやつにした。 何で焼いていたんだろう、七輪か、うちはガスではなく、電気のレンジなので、こういうものを作るにはまったく不便。 トースターオーブンしかないな。 ともうその気になっている。

また妹のブログからネタを借りる(盗むというよりましか)。 日本人はみんな歳を聞きたがるという話。確かにどんな新聞記事でも名前の後にカッコの歳が書いてある。 ないと気がすまないようである。 そして、その後気になるのは、結婚しているかどうか、それから、子供がいるかどうか、だそうだ。  こちらでも歳は興味の対象になる。 既婚、未婚、離婚などもそう、でもそういうことはたとえば仕事の面接などで訊くことは法律違反だし、子供のあるなしも同様。 みんなMs.で済ましてしまうから、ダレが結婚しているかなんて、わからない。 一緒に暮らしている人がいても、結婚しているとは限らないし、女同士、男同士という選択もあるわけで、一概には言えない。 


子供がいたって、普段は離れて暮らしていて、夏休みに会うだけという血のつながった子供もいれば、普段一緒にいるのは奥さんの連れ子、といった具合で、ややこしいったらない。 その上、養子も頻繁にあるので、顔の似たもの同士というのも通用しない。 私の友達で、家族3人とも姓が違う人がいる。 子供は前の夫の名前、自分は親の名前のまま、今の亭主はその名前、というわけ。 まあ、こういうのが許されるというのも、風通しが良くていい。


というわけで、新しい出会いを探している人は左手の薬指に目が行くのである。

ツレアイが又、皮膚がん予備軍の可能性ありのほくろみたいたものをとった。 今回は腕。 前は背中、肩、顔など。 20分ほどでお医者さんのオフィスでできるので、簡単である。 ツレアイの父親は頭に毛がない〔20代のときから〕ので、頭のてっぺんにできたのを次々ともう3つ4つとったようだ。 早期発見で直るから皮膚がんはあんまり怖くはない。


ツレアイの家族はインドとメキシコで暮らした年月、日焼け止めどころか、焼けた肌が誇りだった昔のつけが今来ている。 とはいっても今でも、町では人工の日焼けサロンが大流行だ。 懲りないというか、小麦色の肌がステータスシンボルであり、美的価値のあるものという感覚はちょっとやそっとでは変わらないのだろう。 うちでは子供たちにはいつもつけるようにうるさく言う。 特にサイノスケはまっちろけなので、焼けるとひどいことになる。塗り残したところが筋になって赤くなったり、水ぶくれ寸前までになったこともある。 リュウザエモンとクマゴローは結構いい色に焼けるようだ。 でも我が家では、”賢い日焼けなど、ない” というのを格言にしている。 


私は夏休みの臨海学校の後、ひりひりするせなかでお風呂にはいるのがつらかった、浜辺で飲んだ飴湯、潮の匂いなどとセットになって思い出す古き日本の夏。 

リュウザエモンと映画を見た。“Jet Li’s Fearless" 日本ではまだ公開されてないようだが、こちらでは3位で公開を果たし結構人気がある。 字幕が出るのはアメリカではかなり不利なのだ。 日曜のお昼(安いので 8ドルが6ドルになる)の映画館はがらがらである。 10人ほどいるだけのうち女の人は私だけ。 1910年代の上海。中国の国粋主義はともかくとして、ジェットリーの拳法はさすが本物。 ファイトシーンでも、つぼを撃ったり蹴ったりすると、当然起こる結果をちゃんと見せるのがえらい、とは空手黒オビのリュウザエモンの言。 アクションのスピードが速すぎて、カメラをスローモーションにしなくては見えないというのもすごい。 この人、演技も顔もあんまりぱっとしないけど、体の動きだけは魅力あります。 もう40過ぎているのにね。


日本人のファイター役の中村獅堂という人初めて出てきたときは中国語がうまくて、日本人とは思わなかった。 かっこいい得な役をもらったね。 後で調べてみると、ピンポンという映画にドラゴンという役で出ていた人らしくそういえば、と思い出した。

 

帰りにはハーゲンダッツのアイスクリームを買って帰り、2人で食べました。

何を思ったか、サイノスケが大学の社交ダンスのサークルに入ったという。 一学期で50ドル自分で払ったから、そのぶん埋め合わせにくれという。 週に2回いろいろ習っているらしく、昨日はスウィングをした、明日は初めてタンゴをやる、と報告が来る。 ダンス用の靴どころか、スニーカーしかないだろうに、どうやっているのかと訊くと、靴は脱いでソックスで練習しているんだって。 なんとミジメな。


クマゴローは猫背で姿勢が悪いので、社交ダンスをしてみたら、というのだがまったく興味なし。 この夏友達の結婚式の花婿付きそい(4人のうちの1人)になった。大きなカトリックの式らしかったので、絶対ダンスはあるから少し習ったらといっても、 いいのいいの左右に体を揺らしていればいいの、だって。 なんとミジメな。 


私は今でもあきらめきれないのだが、何しろ嫌がるツレアイを引きずり出すのに疲れた。 ツレアイはステップにとらわれなくても、自由に踊ればいいんだという主義である。 私はちゃんとステップどおりにしたいというより、そうでないと動けない。 リュウザエモンは一人で踊るほうがいいという。 ヒップホップとかそういうものらしい。 みんなそれぞれ。 

間違って覚えている歌詞がたくさんあることに最近気づく。 エイトマンもそうだったし、 わがアイドルのスティングの曲もかなり思い違いをしている。 field of barley (麦畑)のことを field of bodies 〔死体がごろごろしている畑のイメージ?)に聞こえたり、 over the seas of silence 〔沈黙の海を超えて)というのが、何度聴いててみても over Caesar salad 〔シーザーサラダを超えて)と言っているようにきこえるのだ。 ソンドララーケと言うノルウェーのシンガーの一曲、 sweet Anita (いとしのアニタ)を sleep on needles (はりの上に寝ていて)と聴いていたり。 こうなるとちょっと心理学診断の材料に使えそうじゃないですか。


向田邦子のエッセイに、荒城の月の歌詞の、”めぐるさかずき”が”眠るさかずき”だと思っていたと言うのがあった。 巨人の星のテーマソングの、重いコンダラ(校庭をならす機械?)と言う例もあることだし、間違いのほうが想像力に富んでいて、楽しいではないか。 と開き直ってみる。

先日九九のできない高校生のことを言ったが、時計の読めない子もいる。 クマゴローが高校のとき、スペイン語の授業で、時間の読み方を習っていた。 その時、明らかになったことはクラスの3分の1が、英語でも時計が読めないということ。 スペイン語どころの騒ぎではない。 たとえば、3時とか、3時半はわかっても、3時10分前はわからない。 2じ15分もだめ、 要するに、数字の間が5分づつで、それを掛け算にすれば何分かはわかるという理解がないのだ。 何もかも、デジタルだから、日常生活に不自由はないというわけ。


クマゴローは時計を読むのに、ずいぶん時間がかかったように覚えている。小学校の3年か4年か。 でも結局はできるようになって、(英語でも、スペイン語でも)めでたしめでたし。 そういえば、あの子はオムツが取れるのも遅かった。 小学校へ行くまでには取れるんでしょうね、とあきらめて思っていた。 今はオムツなしの医学生、バンザイ。 トイレのトレーニングに頭を悩ましているお母さんたち、大丈夫ですよ。いつかは取れますから気長にゆくのがコツ。 あせってもいいことない。


トレーニングパンツをはいている時、ウンチをカーテンの陰にかくれてやっていたクマゴロー。 あれからもう20年たってしまった。 こんなことをブログに書いているのを、知られなくてラッキー。