別れの言葉は「大好きだよ、ありがとうね」
16年と3カ月前、亡き妻が、当時住んでいた荻窪の近く、善福寺川公園で、保護した小学生から託されたのがアリスだ。このブログのペンネームのアリスパパは、もちろん、そのアリスから取ったものだ。初めて見たアリスは、まだへその緒が付いたままの生まれたての子猫だった。最初はそれが猫とはわからず、ネズミかと勘違いしそうなほど小さかった。体重は80gもなかったと思う。慌てて、猫用のミルクやそれをやるスポイトを買って面倒を見ることになった。昼夜問わず、3時間ごとにミルクをやり、ゲップをさせ、排せつを促すための刺激をした。アリスは、他の猫がやるような踏み踏み動作をやらない。母猫のおっぱいを飲んだことがないからだろう。周りの人は「こんなの育つわけない」と言ったが、アリスは生き延びることができた。母乳からもらう免疫もなかったが、病気もせずにすくすくと育った。歩けるくらいになると、アリスが黒猫で、洋猫の血が混じった長毛種であることが分かった。半年後には、他の日本猫たちより一回り大きな美猫になった。「高級そうな猫ね」と皆は、ペットショップで買ったものと勘違いした。私は、喘息もちのアレルギー体質だ。2度ほど喘息の発作で死にかけたことがある。入院した際にアレルゲン検査をしたら、なんと唯一強度の猫アレルギーだった。猫と暮らすのはまさに命がけで、発作止めの薬が欠かせなくなった。だからと言って手放すことなど出来ない、人様が口にする愛にはクールなのだが、アリスへのそれは、『かけ値なしの純粋な愛』だと言い切れる。猫は、ただただ、正直に生きている。人間より好きなのはそういう生き物だから。アリスは、1歳になる前に、今度は育ての母親を失った。私の人生を180度変えた出来事。苦難の時代が始まった。そして、私のもとには、2匹のチワワとアリスが残された。毎日の散歩が必要で留守番の苦手なワンちゃんの世話など出来ないから、一匹は実家に貰ってもらい、一匹は里子に出した。アリスは里子に出した子を自分の子のように世話していて、里子に出したときは鳴きながら家じゅう探し回っていた。独り身となった私は、留守番の出来る猫のアリスだけを連れて引っ越すことにした。それから、出張するとき以外は、16年間ずっと同じ部屋で暮らし、同じベッドで寝た。2度の結婚を経験した私だが、他の誰よりも一緒に長く暮らしたのは猫のアリスとなった。私のこの苦難続きの時代にずっと傍に居た。時には涙をぺろぺろと舐めてくれたこともある。ある時は子供となり、ある時は恋人代わりにもなった。(ブログのトップ画像にしているこの写真は、出張で家を空けて帰ってきたとき、抗議中)9月末に、アリスは食欲がなくなり、水しか飲まなくなった。動物病院に連れて行くと、腎臓がすでに末期だと。治療は可能かと聞くと、点滴で稀に少し回復する子がいるが年齢を考えるとまず無理だという。点滴で少しは楽になるというので、点滴をお願いした。するとその夜ほんの少しだけご飯を食べた。3日後、もう一度点滴をしたが、その時はもうご飯を食べなかった。点滴をするのをやめた。今日で、かれこれ3週間、何も食べていない。筋肉が落ち、殆んど歩けなくなった。もう死んでしまうことを覚悟した。この記事を書きだしたのは、もう亡くなると覚悟したから。もう虫の息のアリスの横で、様子を伺いながらこの記事を書いていた。今日一日中、何度も心臓が動いているか、確認し、もう寝がえりも打てないアリスの体の向きを何度も変えた。午前2時頃、アリスに目をやると急に心臓が強く打ち出した。いつものように、胡坐をかいて、アリスを抱きかかえた。クウと何度か声を出して、動かなくなっていた足が少し伸びて、心臓が止まった。目から光が無くなったのが分かった。5分もかからなかったと思う。最後にかけた言葉は、「大好きだよ」と「ありがとうね」だった。無理やり延命しない方が、楽に死ねると聞いていたが、その通りだった。それほど取り乱してはいない。あまりにさよならの言えない沢山の突然死を経験してきたからか。アリスが、ゆっくりとお別れするための時間をくれたからだろう。、亡き妻からアリスを引き継いで16年。私はアリスの天命を全うさせることは出来ただろうか?と妻の位牌に目をやる。墓守の仕事をまた一つこなした。アリスが居なくなったから、アリスパパも終わり。もう、このブログも更新しないと思う。資料として残しておくけど。妻の死から取り組み始めた精神医療やそれを取り巻く社会との闘い。被害活動から一応の卒業をして、これからは皆と楽しく生きていくための活動(オルタナティブ)に集中しようと思う。アリスが居てくれたから、あの過酷な時間を心を病むことなく過ごすことが出来た。どんな酷い状態でも、一匹の猫の存在が慰めとなることを身をもって知った。もう自分がそういう存在になることは出来ないと思うが、そうした場を用意することならまだ出来るかもしれない。ブログ読者の皆様、さよなら、ありがとうございました。