42歳の誕生日に向けて
カウントダウンが進む中
初めて「自分史」なるものを書いています。
その1 幼少期アメリカ編
その2 帰国、受験、不登校編
その3 シドニー高校留学編
その4 大学編
その5 就職編
その6 大学院編
その7の① 政経塾編
まで書くことができました。
7の②は一通り書き終わってから
改めて書きたいと思います。
非公開の予定だし。
とにかく40年+α分の
人生を見直したい、、、
というわけで
猛烈に働いていた20代後半に
ついて書きたいと思います。
特に決まった就職先もないまま
政経塾を卒業したのですが
一応あてはありました。
政経塾在塾中から
六本木ヒルズアカデミーで
開催されていた
LOHASアカデミーというところで
講師・ナビゲーターを勤めていたので
しばらくはLOHASで仕事を
探してみることにしました。
LOHASとは
Lifestyles of Health and Sustainability の
頭文字をとった略語で、
健康と環境、持続可能な社会生活を心がける
生活スタイルのことを指します。
1990年代後半のアメリカで生まれた
考え方ですが
日本には2004年頃登場し
ソトコトやMY LOHASという
メディアが積極的に広めたこともあり
2005年〜2008年頃
注目を集めていました。
私が2005年の4月、
アメリカで参加したのも
LOHASをテーマとした会議。
民間企業、大学、霞ヶ関、シンクタンク
と渡り歩き
どうやったらエコな考え方を
もっと社会に広めることができるのか
と迷っていた時に出会ったキーワードを
もう少し追求してみたいと思い
そこからLOHAS活動を始めます。
LOHASアカデミーに講師として参加し
6回の連続講座用テキストを
作ったり、
講座をDVDにして録画する
経験を積ませてもらいました。
今思い返してみると
20代で鍛えてもらったなぁと
ありがたい限り、、、
このアカデミーから
LOHASに関するビジネス本を
共著で出版した縁があって、
一緒にアカデミーをしていた
Fさんから
仕事が決まってなら、
うちをちょっと手伝わない?
と誘っていただきました。
Fさんの事務所は
普通の勤務先とは全く違っていて
まずオフィスの中心がキッチンです(笑)
乃木坂にあるビンテージマンションの一室
で一番広い場所が
キッチン=打ち合わせスペース。
そこに何故か超大手広告代理店や
誰でも知ってるような百貨店
不動産会社、旅行代理店の方がいらしては
企画の相談をしていくという
不思議な会社でした。
Fさん自身、
万博のプロデュース経験があったり、
博物館の展示ディレクションをされたり
銀座のレストランのプロデュースをしたり
とにかくセンスがある人で
私が事務所に入ることが決まった時
お祝いをしてくださった社長さんが
この事務所でたくさん学ぶといいよ
と太鼓判を押してくださいました。
という訳で、20代後半は
LOHASを一つの柱として
執筆、調査、商品作り、企画展示の
仕事を朝から晩までしていました。
打ち合わせ=事務所のキッチンで
夕飯を食べながら、飲みながら
行われることが多く
(ワインセラーがあるような事務所です🤣)
せっかく政経塾で朝型にした生活が
またまた夜型に、、、
通勤時間を最短にするため
事務所から歩いて5分
六本木ミッドタウンの後ろにある
小さなワンルームに引っ越したのは
働き始めて数ヶ月めのこと。
ここで、
朝起きて
青山墓地の周りを走る
シャワーを浴びて出社
事務所でブランチ
仕事、仕事、仕事
夜は打ち合わせと称した食事会
仕事、仕事、仕事
帰宅して寝る
という健康なんだか不健康なんだか
わからない不思議な生活パターンが
生まれました(笑)
小さな事務所なので
経理と事務以外、なんでも
体験させてもらいました。
広告代理店のコンペのための
資料を作ったり
食材にこだわったお弁当屋さんで
調理スタッフになったり
大手不動産会社の都市開発のための
お仕事を手伝ったり。
同時並行でLOHASに関する
取材と執筆もしていたので
芸術家から社長さんから研究者の方まで
たくさんインビューもさせていただき
そこからお仕事をいただいて
講演、執筆、社員教育にも
携わらせていただきました。
かおるさんって何でそんなに
色んなこと経験してるんですか?
と聞かれることがあるんですけど
1箇所に限定されない働き方を
しているので、
会っている人、関わっている現場が
めちゃくちゃ多いんです。
ただし、これは私の欠点でも
あるのですが
最初から最後まで
一貫して全部をしたことがないので
あくまでも薄く、広くでしか
ないんです。
だから、仕事で出会ってきた
漆職人の方とか
生まれた時から跡取りして育てられた
お家元の方から伺うお話には
背筋にピンと喝を入れてもらえて
とっても幸せでした。
その後、LOHASがあまりに
流行りすぎて
商標登録問題などが出てくるにつれて
商業化されすぎた感を抱くようになり
私自身はLOHASよりも
持続可能な社会、サステナビリティへと
自分の活動と仕事を
移していきます。
Fさんの事務所に所属する一方で
自分の興味のあることを調べて
文章を書くということも
継続的に続けていました。
大学院時代に研究していた
排出量取引の制度設計
という考え方は、まだまだ企業にとって
興味・関心のあるテーマだったらしく
カーボンオフセット、
カーボンフットプリントという
自分の出したCO2(二酸化炭素)に
責任を持つ暮らし
という考え方を
わかりやすく説明することができると
評価をいただいて
自治体、青年会議所、ライオンズクラブ、大学に
招かれて、講演、執筆することが
度々ありました。
この頃、Carbon to Forestという
任意団体を動かしながら
自分の出してCO2を計算して
植林でオフセット(相殺)する
ということを提案。
新聞に記事を書いたり
ラジオで話したり
(六本木ヒルズにあるJ-Waveさん、お世話になりました!)
テレビに出していただきました。
昼間のF事務所の仕事の合間に
霞ヶ関に行って環境系の委員会に
参加し、資料を読み込んで
わかりやすい言葉に書き直す。
元々英語を日本語に翻訳することに
慣れていたので、
難しい言葉や表現を
わかりやすい言葉にして説明し直す
のはお家芸。
環境問題について
小中学生に話す環境教育の機会も
いただき、
出張授業にも行きました。
私がここまでエコ活動に
力を入れることができたのは
地球温暖化について子ども達に
話していた時、
一人の小学生の子がくれた
感想文が原点になっています。
そこにはこんなことが
書かれていました。
僕は、地球温暖化で北極の氷が溶けて
北極クマが死にかけていると聞いてから
笑わないようにしています。
何故なら、人間が笑った時に出る
空気の中には二酸化炭素が含まれていて
それが地球温暖化を進めるからです。
でも、今日かおるさんのお話を聞いて
オフセットという方法があることを
初めて知りました。
これからは、たくさん笑いながら
木を植えたり、省エネしたり
車に乗る代わりに歩いたりして
毎日楽しく暮らせると知って
安心しました。
ありがとうございます。
この手紙を先生からいただいた時
涙が出ました。
地球温暖化は過去の社会がした
負の遺産です。
現在進行形なので、
私たちが今の生活を改めることも
大切ですが
子ども達にマイナスの影響を与えて
不安にさせていることに猛反省。
自分としてできることはなんだろう
とますます考えさせられました。
オフセットに関する活動は
最終的には
Carbon Off Passportという
小さな小冊子と
カーボンオフセット
という本を執筆することで
一区切りつけることができたと思います。
今は自分から
積極的に温暖化防止に
関する発信はしていませんが
自分自身の暮らしを少しでも
サスティナブルにすること。
そして嬉しいことに
長女がサステナビリティに関心を持って
くれて、引き継いでくれそうなのが
とっても心強いです。
初めて就職した時も
会社員を辞めて大学院生になった時も
政経塾に入塾してからも
朝から晩まで
働き続けるのが当たり前に
なっていました。
だから、フリーランスとして
働き始めた時も
24時間働くのは当たり前、
という感覚でいました。
安定した仕事というよりも
ありがたいことに
ご紹介いただいたお仕事を
一つずつ丁寧に重ねていく。
紹介してくださった方の
信頼を裏切らないように
締め切りを調整しながら
質を落とさないように
できる最善のことをする。
スケジュールは大抵
3ヶ月先まで詰まっていて
それが安心の元。
やることがないと
逆に不安になる😅
真っ白なスケジュールとか
自分で調整できない予定に
慣れることができないのは
あの頃の名残りでしょうか。
通勤時間を短くするために
乃木坂に住んで
都内の移動は電動折り畳み自転車。
日帰り出張も、
出張先から出張に行くのも
全然苦痛ではなく
仕事があってありがたいとしか
思っていませんでした。
この2年間の間にも
北海道から九州まで
アメリカ、中国、ヨーロッパと
たくさん出張し
自他ともに認める仕事中毒。
それを全てピタッと辞めて
全く別の人生を歩み出すことに
なりました。
仕事と生涯共にすると
決意したはずの私が
結婚することにしたんです(笑)
次は
交際0日結婚から家庭内別居へ〜子育て編①〜
です。
かなりの黒歴史。
これもアメンバー限定になるのか!?