🔷 シドニーで3人子育て中の現役ママ 🔷
40歳からの人生に迷いを無くす
最幸人生戦略カタリスト・ミエルカパートナー

田草川かおるです
(プロフィールはこちら

子育てに特化した情報はこちらのブログから



42歳の誕生日に向けて
カウントダウンが進む中
初めて「自分史」なるものを書いています。

その1 幼少期アメリカ編

その2 帰国、受験、不登校編
その3 シドニー高校留学編
まで書くことができました。

毎回長いっ😅

読む人いるのかな?

と思いながら、

自分が経験したことを振り返りたくて

時系列に起きたことを

つらつら書き進めます。

 

いずれ最幸人生戦略の

カテゴリーに関連したことを

追記で書き足したいなぁ、、


 

女子高生はダメですか?


1997年4月、長すぎる春休みを経て
やっと大学に
通い始めることができました。

前の年の9月に合格が決まり
10月には高校卒業試験も終わり
5ヶ月間、ほぼすることが無かったので
アルバイトをしていました。

普通の高校卒業生は大学が始まる前に

運転免許を取ったりするんでしょうか?

7月生まれの私は試験場に通うことも
できず、母親の知り合いに頼まれて

英語の家庭教師をしたり

近所のパン屋さんでバイト

始めました。


今でもリトルマーメイドのパンは
名前と価格(1996年時の!)を
覚えています🤣
 

今回、進学先に慶應を選んだ理由は

17歳でも通えるという点もありましたが

家から近い!

ということが結構大事。

 

日吉時代の2年間は

結構歩いたり、
自転車で通っていました。

 

またまた誰も知り合いがいない中

語学によって分けられたクラスに行くと


クラス内では

内部生同士のグループ

予備校や塾で知り合っている子達が

固まっていました。

 

さてと、
どうやって知り合いになるかな。

 

周りの人を観察しても
誰が一年生かわからない

 

履修科目が決まるまでは

みんなぞろぞろ大教室を移動して

なかなか固定して会う人がいない

 

人見知りする方では無いので
隣に座った子に声をかけ

本人の名前とカバンを一致さ

次また会ったら積極的に声をかける。

 

そう、人の洋服と髪型は

毎日変わるけど

カバンを変えている子は少なかったので

覚えやすかったんです🤣

 

徐々に友達ができていき

履修科目も決まり

みんなの話題はサークルをどうするか。

 

入学最初の1週間は

新入生の勧誘、いわゆる新歓で

どこに行っても声をかけられ

休み時間はケーキをご馳走になり

夜は飲み会に誘われる。

 

実は私、この時点で家以外の場所では

ほとんどお酒を飲んでいませんでした。

(お酒は20歳から!シドニーは18歳から)

留学していて、親の目もないところに

住んでいたので

好きなだけお酒も飲めるし、遊び歩ける

暮らしはしていましたが、、、

 

法を犯して強制送還されるリスクを

取るのが怖くて、

シドニーではパーティに誘われても

口にするのは最初の一口くらいで
(それさえも法律違反、、、)

あとはソフトドリンクばかり。

 

新歓でもお酒を勧めれても

断っていると理由を聞かれ、、、

それで渋々

18歳になったら飲み始めます
(まだ早いからっ!)

と答えると、相手の表情が???

えっ、女子高生が何してんの
とお決まりのパターン。

 

 

慶應はニューヨークに高等部があるので

多分私みたいに17歳の子もいない訳では

なかったと思うのですが

どこに行っても珍しがられて

やっぱり年齢のことを言われるのか

と諦めることに。

 

正直、自分が最年少であることに

嫌な気はしたことがなく
(みんなとお酒を楽しめないこと以外は)
むしろそれがネタでもあったのですが

大学はいろんな人がいます。
 

同じ一年生でも浪人生や留年生の人もいて

お前はいいよなぁ

かおるは若くていいよねぇ

と言われてしまうと、

返す言葉がなくなって

少しモヤモヤが残りました。


そんな状態ではありましたが
最終的には競技ダンスのサークルに入り

授業も一通り決まり

いよいよ大学生活スタートです。
 

サークル退部!さて何しよう


待ちに待った授業が始まって1ヶ月。

実は大学生活に幻滅しかけました。

 

今まで私はずっと少人数クラスでしか

授業を受けたことがなく

初めての階段教室、100人規模の授業

真面目に聞く人とそうでない人のギャップに

ついていけませんでした。

 

先生の前に陣取る司法試験組の子ほど
ガリガリ勉強するつもりもなく

だからと言って寝たり、漫画を読んだり

おしゃべりしている後ろの席に座るのも

落ち着かない。

先生は教科書を読んで黒板に書くだけで
しかも漢字が読み解けない。

 

極め付けに「試験対策」という
過去問と過去ノートが回ってきた時

先生が毎年同じ授業をしていると気づいたら

なんだか授業に出るのがバカバカしく

なってしまったんです。

 

思い返してみたら、

毎年同じ授業をするのは

当たり前のことだし
少人数の気分を味わいたかったら

前列に座れば良かったのに
授業に魅力を感じられなかった分
サークルの練習活動

のめり込みました。


競技ダンスは映画

「Shall We Dance」を
思い出してもらえたら

わかると思うのですが
 

簡単にいうと、

なが〜いドレスを着て踊る

モダンダンスと

露出高めの(笑)ドレスを着て踊る

ラテンダンスがあって
男女ペアになって踊ります。

踊りに応じて点数がつけられて

優劣を決めていくもので

六大学戦や関東大会、全国大会と

結構試合がたくさんありました。

もちろん早慶戦も。

 

新歓で見た、先輩の踊る姿が
本当に美しく、
スタイルが良くて、

綺麗な先輩に惹かれて

なんとなく部室に顔を出すうちに

名前を覚えられ、一年生の友達もでき

結局そのまま残ることに。

 

新歓モードが終わり、

いざ練習が始まると

サークルとはいえ体育会系に近い

厳しさだということに驚きました。

 

試合にはスーツで参加。

一年生は誰よりも早く到着し、

先輩から言われたことには

はいか、YESか、喜んで

で返事をするのがお約束😅

練習は朝も昼も放課後もあり

試合に出始めると週末も!
ダンスの練習場があるということを

初めて知りました、、、

 

多分あの頃、

人生で一番運動していたと

思います。

 

生まれた頃から運動が苦手で

マラソン大会は
見学して過ごしていた私が
朝の8時から夜の18時まで

7cmのヒールを履いて

1日中踊り続ける。

 

替えのTシャツが何枚あっても

汗が止まらないほど動くので

実は当時、

今よりも体重が10kgも

少なかったんです。

 

部活後にケーキバイキングに行って

お皿いっぱい食べても太らない(笑)
 

食べたら動く!

動いたら食べる!
そんな毎日でした。
 

 

 

社交ダンスは、

男性よりも女性の方が

競技人口が多いと言われていますが

 

大学の競技ダンスの場合

練習量が多いのと厳しいので

女子は結構やめてしまうみたいです。

 

ご多分に漏れず、慶應のサークルも
同じ運命で

2年生は男子が余っている状態。

競技ダンスはペアで踊るので

女子がいないと先輩達は
試合に出られません。

そこで何故か私は

下級生パートナーに選ばれて

一年生の秋から試合に出ることに。

 

練習はどんどん忙しく

厳しくなるものの、
自分の技術力はそこまで成長しない

 

期待に応えられず、
試合に負ける度に辛くて
もっと練習を!
と励んでいたら、、、

 

身体を壊してしまいました。

 

2年生の夏合宿で

股関節に痛みが出て

踊れなくなってしまったんです。

 

すぐ先に試合があるのは

決まっている。

でも脚が痛くて踊れない。

 

試合に出なくてもいい

とリーダーの先輩に言われても

3年生で試合に出られないことが

どれだけ本人にとって辛いかを

考えると、私からは
完治を待っててください
といえず、パートナーを辞退して

他の人に譲るという選択肢しか

無いように思えました。

一年半、大学生活といえば

ほぼサークル中心。

友達も、休みの日の過ごし方も

ぜーんぶ競技ダンス優先だったので

突然の退部によって

心と頭にぽっかり穴が

空いたみたいでした。

 

その時私の居場所を作ってくれたのが

クラブ活動棟の運営委員会。

サークルの中から何名かが選ばれて

練習室の使用時間を割り振ったり

鍵を貸し出す作業をする委員会があり

私はそこの委員長をしていました。

 

大学は高校と違い、ロッカーがありません。

普段は部室に荷物を置いて

授業に出ていたのが

気軽に行ける部室がなくなった時

押し寄せてくる寂しさを

運営委員会が救ってくれました。

 

進んで朝一の鍵の貸し出し担当を

引き受けたり

休み時間も入り浸っているうちに

他のサークルに入っている友達と

顔を合わせるようになり

新しい友達ができたのも

気持ちの切り替えに役立ちました。

 

踊らなくてもサークルに残るという

選択肢もあったかもしれませんが

それを自分に許せなかった私は

新しい「場」、新しい「仲間」を求めて

バイトを始めます。

 

それが国際電話のオペレータ

 

 

今と違って、海外から電話をかけるには

🔷 直通電話

🔷 国際電話用のテレホンカード
🔷 クレジットカード利用
🔷 コレクトコール
という方法だったんです。

どれも決して安くはない、、、

そのクレジットカードと

コレクトコールを引き受ける

コールセンターでアルバイトを始めました。

 

このバイトは24時間、年中無休。

忙しさを求めていた私にピッタリ。

 

学校が終わってからの夜シフトは

タクシーで送ってもらえるし

夜勤のバイトは時給が上がる!

パン屋さんのバイトよりも

効率よく稼げるだけあって

職場には学生以外にも

フリーターの人がたくさんいました。

 

当たり前ですよね、

バイトとはいえ月20万くらい

稼ぐのもたやすかったです。

 

そしてみんな、お金を貯めては

海外旅行へ。

 

東南アジア、

ヨーロッパ、

北米、南米、アフリカ。

 

バイトに入ってくる子も

英語が話せる帰国子女や

外国語大の子が多く

海外旅行の話で大盛り上がり。

 

ここからバイトと海外旅行という

大学生らしい新しい楽しみが

始まりました。

 

 

勉強が楽しくってたまらない!

 

バイト先は横浜だったので

日吉からは電車で一本。

 

ところが3年生になると

キャンパスは三田に。

 

バイトに行けないこともないけれど

移動時間が長くなり

バイトのシフトは
夜間が増えていきました。

 

泊まりのバイト

22時から朝7時まで。

間に3時間の仮眠が入ります。

 

仮眠時間の人気は3時から6時まで

寝るタイミング。

 

起きたら直ぐに仕事が終わり

そのままモーニングを食べて

学校へ。

 

移動時間の電車で寝て

授業に出る。

 

決して健全とはいえない生活ですが

忙しかったので

サークルをやめた寂しさを

感じる暇も無かったし

今までもらったこともないバイト代を

もらって、旅行の計画を立てる

楽しみができました。

 

その延長で、3年生になって

三田キャンパスに通うように

なったこともあり

慶應義塾大学外国語教育センター

に通うようになりました。

 

大学の単位とは
全く関係ないのですが

希望する語学を平日夜間

週に2回、19時から21時半

習うというもの。

 

ここで迷わずフランス語を選び

日中は授業
夜間は語学学校かアルバイト

という生活を始めて

2年間続けました。

 

語学学校には社会人の人も

たくさん通っていて

またまた世界が広がりました。

 

白金台にお住まいのマダムKの

おうちでクリスマスパーティに

呼ばれて

生牡蠣とモエシャンドン

そしてモンドールという

スプーンですくうほど

とろとろのチーズに出会ったり

 

アラサーでジャガーに乗り

ジルサンダーのスーツが

お似合いの不動産会社経営の

お姉さんとフランス語を使いに

カフェ巡りをしたり

 

大学生にはちょっと背伸びした

世界をたくさん見せて

もらいました。


 

念願の海外旅行は

大学3年生の時にヨーロッパの

バックパッカー旅行
きっかけに


タイ

韓国(3回行きました)

ベトナム

モルジブ
ハワイ

台湾

オーストラリア

そして卒業旅行にもう一度ヨーロッパ

と長期休暇の度にどこかへ

出かけていきました。


 

大抵一人かバイト先の友達と一緒に

出かけて

1週間から長いと1ヶ月くらい滞在

していました。

水上コテージに泊まることもあったし

ユースホステルに泊まることも。


旅行先を調べて

格安航空券を調べて

やりたいことのリストを作り

滞在期間中は思いっきり楽しむ。

 

買い物やマッサージもするし

地元のボランティアにも参加。

 

ツアーで行くことはなく

全部自分で考える

オリジナル旅行です。



 

絶賛氷河期の中、就職活動


大学では3年生の頃から
ゼミ活動が始まります。

法学部といえば刑法や国際法の

ゼミが人気ですが

私は新設された
環境法というゼミに

入りました。

 

担当してくださる先生も

大学にはまだ新しく

不法投棄で問題となった豊島事件

裁判官を務めていた方で
事件当時の話を生々しく話して

くださいました。


 

ゼミではゼミナール委員を担当し

委員会では財務担当。

 

どこに行っても
つい役職を引き受けて、

仕切るのが好きなのは

この頃から変わりません😅

 

実は大学受験の時に

ポートフォリオを作ったみたいに

大学生の時も

就職活動という最難関に向けて

またもやポートフォリオ作りを

無意識に始めていました。

 

兄の就職活動を見て

エントリーシートに書くことがない!
面接で話題が無い!

という苦労をしたく無い


との思いから

できることを増やし、

ネタには欠かない大学生活にしました。


 

司法試験は受けなかったものの

大学在学中に

✅ 英検1級取得

✅ 国連英検A級取得
✅ TOEIC953点

✅ ドイツでの植林ボランティア

✅ 街中の清掃ボランティア


そしてゼミの活動と
旅行先で見聞きしたことを

丁寧に書き、
面接では
企業と関連するエピソードにまとめ

就職活動を進めていきました。

 


今まで経験してきたことと異なり

就職活動は受けている学生が色々いて

不合格もたくさん経験しました。

ダメ元で受けたマスコミ系は全滅(笑)
航空系、鉄道系も2
次面接、3次面接まで進んでも

なかなか合格をもらえませんでした。

最初に内定を頂けたのは食品会社。
銀座に本社のあるY社です。
続いてM社、K社といただき

不動産会社からもいくつか内定を

いただきました。

 

でも私の本命は
エネルギー会社だったんです。
大学一年生の時から

お付き合いしていた人が

電力会社で働いていて

できれば同じ会社に

と夢見ていましたが、、、

 

敢えなく玉砕。

 

その後、ガス会社に内定が決まり

そこで就職活動を

終了することにしました。

 

就職活動中に知り合った子と

一緒に旅行に行ったり

他大学に遊びに行ったり

大変なこともあったけど

いろんな企業の内部を見ることができ

有意義な半年間でした。

次は
女子は役に立たんと室長に言われた〜就職編〜
を書きます。

毎回呆れるほどの長文に
最後までお付き合いくださり
ありがとうございます!
 

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【プロフィール】

田草川(たくさがわ)かおる

田草川かおる たくさがわ
 

6歳から11歳まで、アメリカのNYで育つ。
15歳から17歳までシドニーに留学し、
飛び級して高校を卒業。
慶應義塾大学法学部、
社会人経験を経て京都大学大学院へ。

結婚前は
「持続可能な社会・ライフスタイル」
のデザインをテーマに
翻訳・通訳、執筆、講演などに従事。

2011年よりオーストラリア、シドニー在住。
10歳、5歳、3歳の子どもたちを
モンテッソーリで子育て中。

長女が2歳の時モンテッソーリに出会う。
その後、オーストラリアで唯一
大学卒業の資格が取得できる
モンテッソーリグラデュエイトディプロマを取得。

シドニーにある
モンテッソーリ幼稚園で親子教室を担当。
第二子出産以降は
プライベートレッスンを中心に
モンテッソーリの普及に務める。

2019年より、
自宅で学べる「おうちでモンテッソーリ」主宰。
日本、シドニー、アメリカ、
ヨーロッパ、アジア、南米のママを対象に、
家庭内で実践できる
モンテッソーリ子育て法を伝えている。

2020年、ミエルカパートナー第一号に認定。
2ヶ月で100人にミニセッションを
提供した後に、
現在世界各地のクライアント様に
単発、継続のセッションを提供中。