42歳の誕生日に向けて
カウントダウンが進む中
初めて「自分史」なるものを書いています。
その1 幼少期アメリカ編
その2 帰国、受験、不登校編
その3 シドニー高校留学編
その4 大学編
まで書くことができました。
やまだともこさんのLIVEグループで
紹介していただいたおかげで
一気にアクセス数がアップして
嬉しいやら、恥ずかしやら。
毎週日曜21時、有料級のお話しが
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大学4年生の
ゴールデンウィークが明ける頃
本命のエネルギー会社から
内定をいただき
あとは卒論、バイト、旅行だ!と
大喜びをしている間に
あっという間に10月1日の内定式が
やってきました。
エネルギー会社へは規模も大きく
たくさん新入社員を採用する
イメージがありますよね。
事実、100人以上採用していた年も
あったみたいですが、
私が入社した年は
大卒・院卒・高専卒が
合わせて32人。
うち、女性は8人でした。
新入社員研修では
いろんな忘れ難い経験を
させてもらって、
今でも思い出します。
作業服を着て検針業務に同行して
利用代金を回収できない時
どう対応するか、
などの話をリアルに聞いたり、、、
(なるべく止めない配慮をしてます)
当時建設中だった六本木ヒルズの
建設現場の見学に行ったり
ライフラインが壊れた時に
対応するための消火活動をしたり
毎週課題図書を出されて
レポートを書いたりしました。
どこに配属されるか分からないので
工場から営業所から
設計チームから本社まで
全部回っていきます。
同期の中に
慶應出身のS君という子がいて
俺は社長になる
と言っているのに驚いて
そんな先のことまで考えて
就職したんだ
と不思議に感じてしまいました。
まさか自分が一年後に辞めることを
予測していたわけではないのですが
一つの場所に4年(大学)以上
所属したことがなく、
その中でもキャンパスを変えたり
所属する団体を変えてきた私にとって
一組織にずっといるというのは
全く未知の世界でした。
エネルギー会社の社内組織を
説明するとややこしいのですが、
新入社員が配属される
可能性がある部門は
予め決まっていて
リビングと呼ばれる個人宅相手の部門
都市エネと呼ばれる企業や産業相手の部門
エネルギーを生産する工場やパイプラインの部門
そして本社があります。
(実際はもっと細かいです)
新入社員の憧れる部署は
二つあって、
本社にある総合企画部
もしくはヒルズの開発など
大規模案件を扱う
都市エネと呼ばれる部署でした。
出世意欲のある同期の多くが
新宿都市エネに入りたい
と願う中、
花形部署はいきなり新入社員を
取ることはなく、
次の人気部署は
新宿に「引っ張って」もらいやすい
西部事業所の都市エネ。
S君は自分が西部の都市エネに
なると思っていた、、、
かもしれませんが、
蓋を開けてみたら
北部のリビング。
そして新入社員の中から
西部の都市エネに送られたのは
一番興味のなかった、、、、私💦
北部の事業所だったら
乗り換え一回
通勤時間は40分くらい。
でも西武の事業所に通うためには
渋谷と新宿で2回乗り換えて
1時間くらいかかります。
なので、辞令をいただいた時
申し訳ないことに
遠いなぁ、、、
と思ってしまいました。
配属されて挨拶に行った初日
室長のSさんに言われたのが
なんだっ、今年は女か。
お前役に立つのか?
確かに、営業範囲が広くて
車移動が前提の部署に
ペーパードライバーの若い女の子が
やってきたら、
室長も不安になりますよね。
今振り返れば、
最初の一撃の理由が
理解できるのですが
当時は歓迎されてない
と落ち込んでしまい
これから大丈夫なの???
不安な気持ちがいっぱいで
都市エネでの仕事がスタートしました。
新入社員がすることといったら
電話を取ったり、
先輩の営業に同行したり
資料を作ったり、、、
色々あると思いますが
私が配属になった時
事務所にあった
過去のお客様データを
電子化する作業が
進められていました。
結果的に何も分からない私が
するのが、、、
データ入力
新人さん?若いねぇ。
パソコン得意でしょ?
これ、よろしく。
と目の前に
どんどん積み上げられている
書類の山。
営業の古株さん達は
私の机に自分の担当資料を置くと
○○、現場から直帰
とホワイトボードに書いて
朝から出かけてしまいます。
入力している内容が
合っているのか、
分からない時はどうすればいいのか
分からないまま
ひたすら作業を続け
教育係になってくれたO先輩が
出かける時は
一緒に営業先に行く。
戻ってくると、
片付けた書類よりも
大きな山が机の前にできている。
締め切りがいつか分からず
いつ帰っていいのかも分からず
とにかくO先輩、課長のHさんが
帰るまでは作業をしようと
残業する毎日。
実はこのH課長、
チームの中で唯一独身で
残業王
だったんです。
直帰することはほとんどなく
いつも事務作業をしていて
私も黙々作業をしていると
そこに室長のSさんが戻ってくる。
そして、
お前らまだ残ってるのか?
ちょっと飲みに来い
となぜか夜の営業に引き摺り出され
断りどころが分からないから
ついていくと
終電まで飲まされるという
謎の社会人生活が始まりました。
その頃には、
お酒もそこそこ飲めるように
なっていましたが
お姉さんがお酒を作ってくれる場や
ボックスではない、
お客さん全員の前で歌うカラオケは
初体験でした。
同期の話を聞くと
定時に上がって
ご飯を食べに行ってる子達もいる中
私が事業所に配属されてから
平日自宅で食事をした回数は
数えるくらいだったと思います。
お昼休みも
食堂に行く時間が惜しくて
しかも
いつ営業に出るか分からないから
お弁当を作っても
無駄になることが多く
結局夜も
何かを食べないといけないので
一番下の引き出しには
ウィダーインゼリーとカロリーメイトが
箱で入っていました、、、
少し慣れてくると
事業所の周りに
美味しい食べ物屋さんが
あることを知り
先輩と食べに行くことも合ったし
ひとり立ち食い蕎麦も
ひとり立ち食い寿司も
ひとり焼き鳥も
何でもできるようになっていました(笑)
入力作業と並行して
O先輩について営業に同行します。
私のいたチームは
学校や公立の病院を担当していたので
幼稚園、小学校、中学校、高校、擁護学校
給食センター、図書館、病院
となんでも回りました。
仕事の流れは予め決まっていて、
4月に決まった予算を
3月までに執行できるように
現調(現場調査)して
図面を書いて
見積もりを作って
ご承諾いただく。
ライバル会社がいるわけでもなく
前年度先輩が獲得してくださった
お客様のために
なるべくスムーズに業務を進めることが
求められました。
まだまだ提案書なども
作るほど知識も経験もないので
とにかく数をこなそうと
出来る限り現調に付き合わせて
もらっていたある日。
ばったり倒れたんです
小学校の校庭で(汗)
図面を起こすために現調しようと
機器を設置する屋上に上がったり、
パイプラインをどこに通せばいいか
学校内を歩いたりしていたら
炎天下のスーツ
帽子なし
ヒール靴
5階までの登り下り
色々重なり、
貧血で倒れました(汗)
その日はとりあえず病院に行け
と返されて、
実家の近くにあるかかりつけの病院に
行ったら
極度の貧血と、
まさかの栄養失調。
点滴をしてもらい
なんとか回復したものの
お医者さんに質問されて
最近ほとんど
ゼリーか立ち食い蕎麦かビールです
って答えたら
若いからって過信しちゃダメ
そんな生活してたら寿命が縮むよ
と怒られました💦
このタイミングで
父からの介入が入ります。
働くようになってから
母よりも父と話をするようになり
週末はペーパードライバーを
克服するために
レンタカーで家から会社までの
往復に付き合ってもらっていました。
私の運転があまりにも下手すぎて
途中でもう運転できない!
と泣きながら車を乗り捨てて
電車で帰っても
レンタカーの返却をしてくれる
頼りになる父です。
その父から
かおる、そこまでして働かなくてもいいよ
もう十分頑張ってるの、父さん見てるから
と言われた時
あぁ、また期待に応えられなかった
と自分にダメ出しせずに
いられませんでした。
色々迷いながらも
ゼリー食を止め
立ち食い蕎麦には
ちくわの天ぷらを付けたり
営業から帰って事務作業を
する前に
焼き鳥屋さんでご飯を食べてから
仕事をするようにしていたら
体調も少し回復し
これでまた働けるぞ
っと思っていた年度末。
人事に呼ばれました。
あなた、残業時間多すぎ。
チーン。
月間につけられる残業時間が
何となく決められていて
Hさんの許可が出ないと申請できないから
実質労働時間の半分も
記録していなかったはずなのに
有給をほとんど使わず、
代休も取らずにいた結果
働きすぎと言われてしまいました💦
慌てて3月の連休に
もう1日休みを追加して
そうだ、京都に行こう
とアテもなく京都へ。
日本の学校に通ったことのない私は
修学旅行に行ったことがなく
京都は初めてでした。
清水寺
金閣寺
哲学の道
三十三間堂
竜安寺
錦市場で豆腐ドーナッツを食べて
辻利のパフェを食べて
進々堂のパンを食べる。
とにかく、観て、食べて、歩く
そればっかりしていた3日間。
4日目の最終日に、
京都大学の中にふらりと迷い込みます。
まだ学生として通用するかな(笑)
なんて話しながら、歩いていると
教務課に。
そこで一つのパンフレットと
目が合います。
大学院大学新設 生徒募集
パンフレットを手にすると
なんと新しい大学院ができるとのこと。
地球環境について
文系理系に切り分けず
プロジェクトベースで研究を進める。
なにそれ!?面白そう!
しかも、社会人特別選抜枠がある!
英語の試験と小論文、面接で
何とかなるかもしれない!
その場ですぐ、慶
應大学に電話をして
成績表の発行をしてもらえるか
いつもらえるのか
代理人でも取りに行けるのかを確認し
父に電話。
浜松町から三田まで
勤務時間内に行けないか
懇願して、成績表をとってきてもらう
約束をして
そこから卒論を引っ張り出し
提出用の論文にまとめ直す作業を
始めました。
受かるかどうか全く分からないけど
受けなかったら後悔する
全部の書類を超特急で用意して
新宿で24時間開いている郵便局から
速達で郵送し
祈るように待っていたら
書類審査合格
この時点で、会社に黙っているのは
よくないなぁと
直属の上司ではない
Y先輩に相談しました。
というのも、社会人特別枠の
入学条件が「会社に所属している」
ということ。
果たして、会社から
休職許可ないし
通学許可を
どうやって得ればいいのか
悩んで、打ち明けてみたところ、、、
まずは受かってから考えろ。
受かったら辞めれば?
とあっさり言われてしまいました。
ですよね、、、
というわけで、私としては珍しく
もう一度有給をとって
一泊二日で試験を受けに
行きました。
筆記試験と面接。
記念受験だから
と夜は京都を一人彷徨い
三条京阪あたりのバーで
飲んでたのは内緒です(笑)
全てが終わって、
晴れやかな気持ちで東京に戻ったら
まさかの合格通知が、、、
慌ててY先輩のところに行って
受かりました!
と報告すると
ちょっと待ってろ。
と言われ、あとは先輩に
お任せしているうちに
気づいたら、円満退社。
大学側も、入学した後数ヶ月会社に
「在籍」していたことを認めてくれて
遠方につき通学が難しいため
退職後も学生としては残っていいと
言ってもらえたのは
1期生の特典だったのかもしれません。
何はともあれ、
入学を決意してから1ヶ月半
ゴールデンウィークが明ける頃
まさかの学生として京都での暮らしを
始めることになりました。
次は
価値観がひっくり返った〜大学院編〜
を書きます。
毎回呆れるほどの長文に
最後までお付き合いくださり
ありがとうございます!