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ステップあやですニコニコ 

少し更新の時間があきました。

 

 

15日のLA時間の夜に

オンライン講演会が終わり、さて一息・・・

と思っていたら。

 

 

翌日訪ねてきた姪っ子が、突然友達と日本に行くことにしたから10日間の旅行プランたてるのと、 ホテルのブッキング手伝って~と。

 

旅行の下調べとプラン立てるのが大好きなので全くかまわないんだけど、祝日をはさむ近い日にちにもう飛行機とっちゃった!とかいってるので、ここ数日は彼女の旅行のプランたてるのと宿の検索と手配に奔走しておりました。

 
 
 
 

ちょっとこの旅行のやり取りをめぐって、私の中で大きな存在だった母への思いを思い起こす出来事があって、今こうしてブログを書いていてもちょびっと涙が出てきます。

 

 

 

姪っ子、これの第四章にちょこっと書いた当時子供だった彼女です。
 
 
 
 
この当時子どもだったけど、彼女もう、22歳になったの。
 
 
 
私の中では22歳になったので

もう旅行は彼女が好きなところに自由にいく
周りはソレをサポートするだけ。
 
って当たり前に思って
彼女と話しながら彼女自身が
自分の好きなところで予定をたてていたのですが
 
 
近くにいた義理の姉(姪っ子のお母さん)がやってきて、
 

どこに行って何をするの?

どんなところに泊まるの?
私にスケジュール教えて!

という意味のことを(英語なのでニュアンスは違いますが)を言ってきて
 
私、すごく、、
 
びっくりしてしまった。
 
というか、
 
思い出し怖いお化け👻
 
の心の癖が出来たんだと思う。
 
 

こわかった😭

 
 
 
何を思い出してるのかなあと
冷静になって自分にきいてみたら
 
 

たぶん私、

 

子供のころに、母に常に

監視されて

評価を下される

…気がして居場所がなかったことを思い出していた。

 

 

そういう自分と姪っ子を重ねて、
姪っ子が当時の私みたいに

 

「お母さんは私が思い通りの良い子でいるか監視している」

「私は自分の思い通りに生きていたら認められない人間なんだ」

 

と思い込んでしまうのではないかと、ハラハラしてしまったんだと思う。

 

 
 
勝手に自分の体験と思い出して
勝手に姪っ子をかわいそう、って決めつける
 
 
妖怪かわいそう

の心の癖も出てきていたと思う。

 

 

自分の思い出し怖い
 ↓

 姪っ子が、かわいそう。

 

って決めつけて、ハラハラ。

 

 

 

けど、周りを見渡してみると、私以外は、姪っ子自身もふくめてみんなヘラヘラ笑ってた。
 
姪っ子の妹のほうも、
うちの旦那(←かなりの自由人)も、
義理の姉の旦那さんも
 
親だしそんなもんでしょーって感じで気にもとめてないみたいで、。
 
 
 
そこでちょっと、あれ?って思った。
 
 
「知りたがりの親」がいても、私みたいに「それは監視だ」と捉える人にとってはそういう親に見えるけど、そうでない人にとっては、そうはみえない。
 
 
 
私がこう感じるのは
私がそういう考えを持っているんだな、
と気づくいいきっかけになった。
 
 
 
そして、もう一つきづいたのは
 
姪っ子はそこまでは口出されるの嫌と思ったらちゃんと言ってた。
 
 
お母さん 旅行するの私だよー、
ここはお母さんは黙ってて 笑
安全な宿に止まるしなんかあったら連絡とれるようにしていくから安心して笑
 
って、笑いながら本人が本人に言えていて、これまたびっくり。
 
 
 
私は、そういうとき
お母さんは私を監視してる、管理してる、コントロールしてるって感じていたけど、言葉に出来なかったというか、その気持ちを親に伝えようっていう頭がなかった。
 
 
監視されてる気がしてツライと感じながら耐えてるか
 
監視されないようコソコソ隠れて何かやりだすか、
 
コソコソしてたことが見つかって怒られたら、うるさいんだよってキレるか。、、
 
 
ちっとも母に

気持ちを言葉で伝えること

してこなかったな、
 
 
 
だから、
 
別に思いどおりのお前じゃないとダメと思ってて見張ってるわけじゃなくて
 
ただ何かあったらと心配だから
注意を払ってみてくれていたことまで
 
 
私を監視してる
 
親の思う理想の行動してないと
私は認めてもらえない
 
私が私にしたいように生きてちゃダメになると思ってるから私を監視してるんだ
 
 
 
と思っていた
「私の考え」が正しいはずだ、と
 
一人でその考えを握りしめたまま、

大人になってしまったんだろあうなあ、

 

って思った。

 

 

(当時はそういう言葉にはなってなかったけど、ぼんやり思っていたことを言葉にするとそうなる)
 
 
 
 
 
それと、私、なぜか長い間、
母には見張られて
怒られていたことばかり思い出していたけど、
 
そうじゃ無いことも沢山あったなって、

だんだん思い出してきていて、

今回のめいっ子のこの件でもいくつか思い出した。

 
 
 
 
私、初めて友達と大人の付き添いがない旅行にいったのは17歳(高校卒業直後)だった。
 
初めての海外旅行は18か19のときだった。
 
心配性の母だったから
心配だったと思うけど
 

特に何もいわず(何かあった時の連絡先だけは聞かれたけど)友達と私が勝手に行きたいところに行くのを見守ってくれた。

 
 
 
それから10年後、
私が社会人になってから、
会社からロサンゼルスに研修生で行くと決まった時も、
 
母はおめでとうって喜んでくれて
それ以外、何も言わなかった。
 
 
 
あとから聞いたことだけど、
私がロサンゼルス行きが決まったころ、
母は、手術して成功したはずの癌が転移して再発してたそう。
 
 
自分があと何年も生きられないと知っていたようだけど、ロサンゼルスに行くことが決まった私に心配かけまいと、余命のことも再発のことも言わないでほしい、と父にいっていたんだと後から聞いた。
 
 
 
自分の病気のことで、
あやちゃんが自分のやりたいことをやるチャンス潰したくない。
あやちゃんには自分の人生に集中してほしい。
 
っていうことだったらしい。
 
 
私はやりたいことやってたかというと、
人にどう見られるかのために
やりたいかどうかも分からないこと
【自分の評価につながることならダイエットでも仕事でもなんでも)

やらなければ、、と突っ走って
心身ともに、ぶっ壊れていたけど

 

母は、私が好きで楽しくて頑張っているのだと思ったようで(私が自分でそういっていたから)

 

純粋に、応援しようとしてくれていた
 
ということが母が亡くなった後に周りの話を聞いてたらわかってきた。
 
 
 

 
それなのに。
 
 

当時の私は、どうせお母さんは、私がロサンゼルスに会社からだれること鼻が高いとかなんとか、世間体しか考えていないんだなって、当時はうけとっていた。

 
 
 
親の愛。
 
私は凄く凄く飢えていたと思う。
 
 
 
 
だけど愛がなかったわけじゃなかった。
 
 
 
自分が思い描く
”愛のカタチ””ほしい形”でないと
 
こんなの、愛じゃない
って決めつけて、突っぱねて
受け取り拒否してたのは私だったんだと思う。
 
 
 
こう突っぱねるのは、私自身が酷く傷ついた母の私への態度と全く同じだ。
 

沢山の思いを込めて母の名前が刻んであるお箸を買ったけど、床に投げつけられた時と同じことを私自身もしていたことに当時は気づかなかった。


お箸事件の詳細はこちら
 
 
 
 
私は自分のことを、よくこう思っていた。
 
 
プレゼントの包装用紙で飾って見た目整えることばかり考えていて、本当は中身がない
 
って。
 
中身がないと思うほど、バレないように無理な笑顔や無理なダイエットで作る無理な体型で取り繕ってないといけない気がして、

無理なダイエットや仕事の努力も
人の機嫌をうかがってばかりの人付き合いの努力も、やめられなくて。
 
 
 
 
それと同じように人の気持ちも、上辺の『形』だけしかみていなくて、
 

こんなのは愛じゃないって突っぱねていたことも事実だと今はおもう。

 

気づいても欲しい形に変えてくれるまで受け取らないぞと意固地になっていた部分もある

(それでいいならいいけど、だいぶ寂しかった)。

 
 
 
 
姪っ子とお母さんのやりとりの様子をみていて、私が初めてアメリカに来たときに母からもらったこの手紙のことも思い出した。

↓↓

 

 

出てきた亡き母の手紙 ー 親の愛ってあるorない 、なの?

 

 

 

母はこの手紙を書いた1年後に亡くなった。

 

 

 

私はこの手紙をもらったときは、

摂食障害も鬱も真っ只中で

 

こんな欠陥品の私、

死んだって誰も困らないし悲しまない。

 

親だってその時ちょっと泣くくらいで、すぐ忘れるに決まってる。

 

自分を大切にするって何?

キモ。

早く死にたい。

 

とか思って生きてるのがあたりまえで

世の中それがフツーでしょ

 

って思うほどヤバイ精神状態だったのに、
別にストレスはありません

(ていうかストレス位、みんなあるっしょ

 

って思っていたころでした。

 

>19年前の母からの手紙が出てきた

 

 

 

何度読んでも、泣いてしまう。

 

 

 

親のことも、

ひとりの不完全で当たりまえの人間として考えられるようになった今は

 

お母さんのたっぷりの愛に、
気づいてあげられなくてごめんね。

 

お母さんも苦しかったことに

気付いてあげれなくてごめんね。

 

 

まだ生きていたら仲良くなったかはわからないけど、そう声をかけたいと思ってる自分の気持ちに気付いて泣きそうになる。

 

後悔はたくさんあるけど

これは、愛で一杯の後悔の涙だ。
 

 

 

私、今年、母が亡くなった時の年齢になるよ。
 
全く大人じゃないよ。
 
 
あの時、母になんでこうしてくれないの、こうしてほしいと期待していたこと、できるかと言ったら、自信ない。
 
 
本当にやめてほしい、
と思っていたお母さんとそっくりだよ。

 

 

 
涙腺が緩くて、すぐ泣いてしまうし、
 
マルチタスクが苦手で忙しくなると自分にイライラしてしまうし。
 
 
 
でも今、私は、
こんな私のことが嫌いじゃない。
 

私は私に生まれて良かったよ。

 
 
これもいまは、当たり前に思っているけど、改めて言葉にすると涙が出そうになるのはなんでだろう。
 
 
 
 
1月15日の会で、お母さんの立場の方も参加してくださって、感じたことがあるので後でまたブログかきますね。
 
 
 
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