昨日一昨日みたいな栄養関連の記事のほうが人気あるみたいだけど、今日はココロのお話です。


私には2人の姪っ子がいます。
遊びにいくたび、私自身の心の古傷がずきずきします。

姪っ子の姉妹2人、遊んでいてると、まだ言葉の話せない下の子が泣きだすでしょ。わあ~って。

 

するとね、お父さんもお母さんも、"What did you do to her!!?" (彼女にアナタ、何したの!!?)って、何があったかも聞かずに怒鳴りつけるの。上の子は何もしてないよって言っても「妹が泣いてるじゃない」って、いつも決め付けて怒るの。。  

 

上の子が目に一杯涙ためて自分の部屋に走っていく。

 

でも、したの子がワアワア泣いてるから、皆したの子ばかりに注意むけて、走り去った上の子のことはほうってるの。 

 

 

気になって部屋にいってみると、ベッドの上で一人涙一杯にためてた。

 

何があったのか話してみて、って言ったら、「走り回ってたら妹が転んで泣き出したのに」って。

 

私も長女だったからわかるよって、ギュッって抱きしめてあげたんだ。

そしたら、彼女、噴出すようにぼろぼろぼろぼろ、泣き出した。。

 

 

こんなことがもう2度3度・・・
私がいないときは一人で泣いているのかなって思ったらとても切なくなる。

 

義姉にも主人から言ってるんだけど、余裕なくてそうなっちゃうみたい。

こういう場合、昔はお婆ちゃんやお爺ちゃんがちゃんと見ていてあげたりしたのだけど、いまは核家族化や近所づきあいがなくなってる事でさらに誰もフォローしてあげる人がいなくなっている事、小さな事が後々まで傷になってしまう原因なんだって聞いた事がある。

 

子育てのあわただしさで、そういうことが時々おこってしまうのは人間だから仕方ない。でも、もっとお話を聞いてほしいのですよね。その後で、怒られるのなら違うから。

鈍感な子供ならいいんです。


でも、心が繊細な子供にとっては、そんな小さな事も一生引きずるような傷になってしまうかもしれない。

こういう事が続いていくと、自分が●●したいって気持ちなんて感じる事もできなくなる。

 

人の顔色伺いながら生きてくようになっちゃうんだと思う。 

 

そこで偶然、ダイエットでやせたら簡単に人の注意ひけるってわかってハマっちゃったのが摂食障害の引き金。。という人凄く多い。

私が今でも思い出すたび涙が出ることも、そんな小さなこと。

 

私がお皿でも何でも落として壊した時、母はいつも、私に怪我がなかったかと心配するよりも、壊れたものに対して大きな声で怒ってたこと。。 

 

どこにでもあることなんだろうけど、そんなことの積み重ねで、ああ私は愛されていないんだな、って思うようになった。 

 

いつもやんちゃだった下の兄弟のことで親もいっぱいいっぱいだったのかもしれない。

 

 

 


父の事とか、母のこととか、色んな事が我が家庭にはあったのだけど、私が今でも思い出すたび泣けてくることは大きな事ばかりじゃない。

 

むしろ一般的に見たら小さな事のほうが多い。
 

 

 

母とは摂食障害をめぐって色々あったけど、私はいつも大好きで、愛されたかったのだと思います。

小さいころから、いつも褒めてもらいたくて、こっちに注意を向けてもらうために、行動してることが多かった。自分がしたいことより、どうしたら褒められるかってことばかり考えながら育ってきて、自分が何をしたいのか、なんて分からなくなってしまった。

 

 

 

部活だって、母がこれがいーんじゃない?って言ったとこに入ったな・・。

そんなんだから「人にどういわれようと私はこう」っていえる軸が育たなくて、人にどう思われるかばかり考えていたのだと思う。

 

 

 


それもダイエットで見た目を変えて人の注意を引くことに依存してしまった理由の一つだったとおもいます

でも、体型なんかで人の気ひいても、気分いいのはそのときだけ。

 

得ることができたのは、必死に維持してる体型を失ったらもう愛されないんじゃないか。。。

 

・・・なんて心配がいつも付きまとう、薄っぺらい、たよりない愛情だった。いくつあっても満たされないの。
 

 

母は、摂食障害の私を受け入れてはくれなかった。

私は過食に火がついて身勝手な行動をしてしまうから。

凄くすまない気持ちになって、旅行先でごめんなさいの印に母の名前を刻んだお箸を買って帰って、ごめんねって渡したら、こんなものじゃだまされない!って、母は床に投げつけた・・。

 

涙が止まらなかった。

 

私が悪いのだから、って思って何も言い返せなかった。

今でも、床に落ちたそのお箸と母の光景を昨日のことのように思い出せるし、もう何十年も前のことなのに、今だって涙が出てくる。

 

 

 

 


もう自分の力じゃ立ち直れない、って思った時、摂食障害の本を買って手紙を添えて渡しましたが

 

「こんなの読んでるから病気になるんだ」

「甘えだ、意志が弱いんだ」

 

って私を突き放しました。

渡した本はごみ箱に捨てられました。

 

 

 

 

そしてせっかくバランス考えて作ってくれた料理も吐いちゃうから「もう、あんたににはついていけない」って。

 

私の目、見てくれなかった。

 


そのとき

ああ、私は見放されたって思ったの。
 

 

今思えば、私の母が冷たかったわけじゃなくて、
母は病気について理解がなかったのだと分かる。

 

 

きっと、本当に理解できなかっただけだって。


大学生の頃、母のかわいがっていた犬が、近所で変死したのは、もしかしたら私の過食のせいかもしれないって、あれから何年も自分せめて苦しかった事は、最 後までいえなかった。

 

私が嘔吐したものを外にこっそり捨てにいったときに門を閉め忘れてしまって、たまたま犬のリードの紐が切れて、門から外にでてしまったんだ。

 

そして、翌日死体で みつかった。

 

私のせいだ。私がこんな病気だからだ。って自分せめて、何年も何年も一人苦しかったことも、本当はきいてほしかったし、お母さんごめんなさいって謝りたかったんだけど、これは言えなかった。。

 

 


もうこの世にいない人だから、考えても考えてもどうにもならない。

 

だけど(だから?)今でもまだ、傷のままなのだと思う。

 

この傷についてはずっとどうしていいのか悩んだけれど、癒えることはもうないと思う。

一生胸に抱えて生きていく覚悟をしました。

 

思い出すたび泣く。

それでしかたないやって。
上手に共存していければ、いいのだと思うから。

 

人間、誰にでもダークな部分はあっても普通だもんね。
 

 

 


今思えば、厳しく叱るのも、母の価値観をいつも私に押し付けていたのも母なりの愛情だったのだと思う。

でも、子供だった私にはわからなかった。

 

 

私は心を閉ざしてしまいました。

 

分かってくれない母に、私のほうも沢山沢山、心無い言葉を沢山投げつけ人として、本当に最低なこと、母に言ったし、やったきた。

私自身自分のことで精一杯で、数々の暴言を謝れなかった事が、今でも思出だすたび泣けてくる。もうあやまる事も喧嘩もできないことが、悲しい。



私の摂食障害十数年目で、母が末期の癌でもう死ぬってときになってもう一度思いを打ち明けてみたのだけど

 

いつも、私をしかる時は”人にどう思われると思ってるの?”って言われてたこと、私より人のほうが大事なの?って悲しかったことをつたえました骸骨みたいにやせた母が泣きながら、一度だけ力なく抱きしめてくれた、と思ったのはつかのま、その後も、止まらなかった過食について告白すると、泣きながら力なく私をたたきました。

 

 

親が死ぬときまで痩せたいと考えているのか、こんな時もまえ過食嘔吐などバカなことやっているのか、、

 

って、前にいわれたことがあるけどそのときもそのように、自分でどうにもならない症状を「意志の弱さだ」「親がこんな時までやるなんて頭がオカシイ」って責められてる気がして、、母に受け入れて貰えない自分が他人に受け入れられるはずなどないと確信してしまったと思う。

 

 

 

その後母は亡くなり、なぜそんな風にたたいたのかも理解してくれたのか、そうでなかったのかもわからないけど

今は

 

母なりの愛情があって、
その方法がたまたま、

私がもって生まれた性格や感じ方と、一致しなかっただけだったのかなって気づくときがきました。
 

 

 

もっともっと、正面からぶつかればこんな気持ちは残らなかったのかなと思うよ。

 

 

父とはその後、どんなに喧嘩になってもどんなにわかってもらえなくても、正面からぶつかることで「病気を分かってもらえなくても愛されている実感、受け入れられている実感」を感じるようになったから。

 

 

 

母とも思い切りぶつかっていたら

 

分かってもらえなければ

この人は私とは違うひとだって

諦めもついたかもしれないし、


あるいは仲直りできて

お互いにごめんねっていえてたかもしれない。

よくいう「家庭環境」って、

特に重大なことばかりが
傷ではないと思うよってことが言いたかったの。

よくある親子喧嘩の風景でも、感じ方はそれぞれです。

 

同じ兄弟でも、一人にとっては”小さなこと”でも本人にとっては大きなストレスということはちっともおかしなことではないのです。

小さな事で傷つく自分がオカシイのかなって思ってたけど、そうじゃないってことは後からわかったよ。

水島先生の本にも、「遺伝子で決まった性格」と家族のこととか、書いていあったよね。 
家庭のことで悩んでいる方は読んでみるといいよ。
**こちら紹介しています。

 


私、最初に拒否された時、そうじゃないよって、何がどう苦しいかって、もっと言葉で伝えれば分かってくれたのかなあと思ったりする。 何度か突き放されてショックで自分で会話中断しちゃってた。。

 

もう吐いてない、とか嘘ついたりしてたもん。。分かってもらえないのも仕方なかったのかも。

だからね、みんなには家族と向き合うのはとても辛いけど、できればとことん向き合って、その結果あーこの人は違う人間だって心に諦めつけるなり、うまくいけば和解するって、、って結論出してほしいなあと思うんだ。 

その後、父とはとことんぶつかり合ったの。結局、わかってくれたよーな分かってないような、だったけど。

 

結局全部分かってもらうのは無理だなって思ったけど、お互い諦めつくとこはつけて、分かるとこはわかってもらって、本当に心乱すようなことだけはしないでもらった。

 

(大声でどなるとか、過食はそっとしておいて欲しいっていったり) 怒鳴り返されたりしたけど、前より関係がよくなったよ。

 

父の事は前から大好きだけど、今はもっと、好きになれた。変な人だけど、好き。

この前、実家に残してきた摂食障害の本こっちに送ってって頼んだら、「バッカヤロウ!!!!まーだそんなことやってんのかぃ~!!?」って超~でかい声で怒鳴られた(笑)

 

 違う、最後まで聞いてよ。。。。って必死でなだめなきゃいけなかったけど。 もう今は、あーいうのが彼の心配の仕方だとわかってるので笑えますけどね。

 

しかも、12月に頼んだのにまだ送ってくれないんですけど(汗) 

 

これももう、父はあーいう人だと

諦めはいってるので腹も立ちません。

そんなのも父の愛嬌だなと思えます。

色々かいたけど、

家族が嫌い!ってなるのは、

ほんとは愛されたい、

愛されたいは愛してる

私の場合はそんな裏返しでした。


さらに

人に愛されたいは

「自分に愛されたい」のことともありました^^
 

ポチっとな一日一回、皆さんのバナー応援クリックが励みです

 

ステップあやの著書及びその他お勧め本
【摂食障害、ダイエット依存からの回復】

 

 

*このブログはリンクフリー(無許可でリンクをはってもOK)です