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▼本文の前に-------------

 
 
こんばんは、ステップあやです。
 
このブログを長く読んでいる人は、なんとなくわかっていると思いますが、私が無意識のうちにかなり、生き辛い思考(当たり前、思い込み)の仕入れ元になっていたのは母でした。
 
 
 
母から貰った思考が全てじゃないけど、
生き辛さに直結した思考の大部分は
母からもらったものだったの。
 
だから母も当然そのつらい考え方で生きていて。
 
だけど母は、それが考え方の問題だと気づかなくて、
 
自分の苦しい考えが絶対的な真実と信じたままなくなったから、最後まで苦しかったんじゃないかと思う。
 

 

 

私はその生き辛さからうつ病や摂食障害になり、その病気をきっかけに、自分と向き合い楽に生きられるようになったけど、母はつらい苦しいって生きて、そのまま、死んじゃったんだんだとおもう。。、

 

 
 
 
っていうのはあちこちに書いてきた私の推測だったのだけれども、
 
そんな母からの手紙が、ついこの前出てきました。
 
 
 
18年前になくなっているので、それより1年前かそこらに書いたものだとすると、19年も前のものがいま出てきたことになります。
 
 
 

 

昨日の記事にも母親父親問題の私のケースについて書いた記事ザーッと一覧を載せたけど、主に次の二つの記事に書いた母の人柄が、もろ、表れている手紙のような気がしました。

 

 
 
 
手紙といっても小さなメモに書きなぐりなので読みづらいけど、、
 
 
 

 
 

母からの、ああしなさい、こうしなさい、何であなたはそうなの?何でできないの?の連続に傷ついて、

 

 

私の気持ちも私の体調も

微塵も気にかけてもらえないことが

あのときの私はとても悲しくて、

 

 

お母さんは昔からそうだ!

私の気持ちなんてどうでもいいんだ!!

 

って泣いて病室を飛び出した直後に書かれたものだと思います。

 

 

 

 わかってほしいのてす

 

思うように動くことができないからこそのいらだちなのです

 

 

わかる。

 

 

私も当時、摂食障害の過食嘔吐と運動強迫の症状に振り回されて、頭も回らず、からだも常に倦怠感がひどくて、思うように動けないことに苛立っていたから、。

 

 

母もおなじだったんだ。

 

 

やらなくてはいけないことが山ほどあるのに

 

 

ここはほんとに母らしい。

 

たいていのことは、どうにかなるし、

ならなくてもならないなりに

どうにかなるものなのに、

 

どうにかしないと大変なことになる、

気がする。

 

 

 

 

 

読みにくいですがこんなことが書いてあります

 

 

 

お金のこと、(父の会社の)事務のこと全部一人でやってきたから、お母さんが居なくなったらこの家はどうなるのか。考えると後が困らないようにしっかりと引継ぎをして安心していきたいんです。

 

 

みんなむなしく思えてきます。

何のために頑張って生きてきたのか、

何のために家を守ってきたのか。

 

 

悲しかったこと、苦しかったことばかりが思い出されて、楽しかったことが思い出せないのです。

 

 

 

でも頑張ってきたよ。この子たちをしっかり育てなければ、幸せにしなければ、ということしか頭になかった。どんな親でも子供だけは・・・という思いで生きているのです。

 

 

 

 

 

もう本当に母らしい。

 

ちゃんとしなきゃ、

ちゃんとやらなきゃ。

 

 

 
 
そんな母を一人の女性として考えられるようになった今は
 
 
つらかったね
もう大丈夫だよ
ここまで一人で抱えてよく頑張った
もういいよ、頑張らなくていいよ。
 
ってよしよしして、
 
たとえ余命残り少ないとしたって、
”らくな考え方”で物事を捉えたときに、
どんなに平和で安心に溢れた現実に見えるのか、、
 
少しイメージできるくらいでいいから、
見せてあげたかったな。
 
一緒にかんがえよう!
どうにかなるから!
 
っていってあげたかったな。
 
 
って思う。
 
 
 
 
 
なんだ、
 
苦しいこと、つらいこと、出来るだけやらないでどう生きていこうかと考えても、駄目なひとになどならないし、むしろ、そのほうが人生うまくいくもんなんだ。

 

なんだ、やりたくないことやらないで大丈夫なのか。
 
 
 
なんだ、
しんどいことは投げ出しても大丈夫なのか。

 

 

 

なんだ、○○になっちゃったらどうしよう、できなかったらどうしようって思ってたけど、不安が的中してもどうにかなるんだ。
 
何なら不安が的中したことがきっかけに、
もっと幸せになれることもあるんだ。
 
 
 
なんだ、人生って、
わざわざ苦しいこと選んで頑張ってなくても、こんなに大丈夫なんだ
 
 
なんだ、理想どおりいかなくても、
だからであえる次の幸せもあるのか、
 
 

 

なんだなんだ
 
幸せも安心も、思ってたより
そこらじゅうにいっぱいあるんだ
 
 
 
って安心して生きられる生き方、少しでも体験させてあげたかったな。
 

 

 
けど、あのころはまだまだ、
 
自分が自分を愛せなかったからか、
 
かわりに
他人に埋めてもらいたくて
他人に愛されたくて認められたくて
 
 
 
、、ていつもなってしまってて、私の方もお母さんに寄り添ってあげられなくてごめんね。
 
 
 
 

 

て思ったりもして。
 
 
 
同時に、母のあの生き方で、
 
 
つらいことしか思い出せない
楽しいことが思い出せない
 
 
ほんとにこうだったのなら、
私は、お母さんに教えられた
 
ちゃんと
頑張る
生き方や、
 
 
大変なことにならないようにって
今を大変にし続ける生き方は
 
やめてよかったんだと改めて思った。
 
 
 
 
わたしは、頑張らないだめなやつでもいいから、楽しかったな、いい人生だったなって思えるような生き方にしたいから。
 
 
それを母は生涯かけて教えてくれたのかな。
 
 
わたし、がんばらないでいいんだよと言われただけでは納得しない頑固な性格だったから。
 
 
そんなこと思ってたら
父への手紙も出てきて
これまた、だいぶびっくりした。
 
 
 
 

昔から父が怒鳴って、

母がぐちゃぐちゃに泣いて、、、

 

っていうのが小さい頃から大人になってもあって、

 

 

 

母はきっと

 

子供がいるからとか

離婚すると世間体がとか

別れたらお金の面で生きてけないと思い込んでるからとかで

嫌々ながら仕方なく父といたのだろう

 

 

って思ってたのだけど

 

実際、ちがったのかも?

 
 

 

 

苦しくつらい一年でした。今迄何とか希望をもってこられたのはあなたの温かい理解と励ましのおかげです。

 

 

 

 

 えー!!

 

 

 

 

「子供たちがいるからお父さんと別れなかった」

 

と言ってるの聞いたことあるし。

 

 

 

 

 

だけどちがったんだ。

 

 

 

激しく喧嘩してても

心の中では前からこうだったのか、

 

 

夫婦の歴史の中で

かわってきたことなのか、

 

その真相は死んだ母に聞いてみないとわからないけど

 

 

私たち子どものために、

離婚したいのに我慢していたわけじゃなかったんだ、。。

 

 

 

病気真っ只中だった私が母の心によりそうことができなかったので、父が最後は仕事やすんで母の介護を献身的にしてた。

 

 

 

私はまったく寄り添ってあげられなかった

から、最後は父の存在が心の支えになっていたのなら、ほんとによかった。

 

 

 

ほんとうに、私が長年の、

 

あの人はきっとこう思ってるに違いない

 

って当時ずーっと当たり前に思い込んできた親の気持ち、私が作った架空のストーリーだった、、

 

 

なんてことは他にもありそうだな、、

 

 

と思いを巡らすきっかけになりました。

 

 

 

なんか個人的な話つづいててごめんね。

 

けど、このブログを読んでいる一人でも二人でも何かを感じてもらえたらいいなっておもいました。

 

 

 

 

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