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ステップあやです。
 
 
引き続きこの記事でご紹介した方のように、仕事や人と一緒のときは「普通に食事を楽しめるようになった」けれども、自分の時間ができるとすぐ過食に走るというお悩みについて。
 
 
一つ前の記事ではよくあるケースとして、
 
「体の過食ver.が回復途中の場合」を紹介しましたが、
 
今回は
「心の過食ver.が回復途中の場合」をお届けします。
 
 
 
心の過食っていうのは、”心のストレス”が引き金となっておこる過食です。
 
というと、
 
「ストレスで過食なんて言い訳だ。もっと大変なストレスがあっても、摂食障害にならない人の方が多いじゃないか」
 
といってスルーしたくなる気持ちも分かります。
 
 
私もはじめの十年はそのように考えて、ストレス論はガン無視してきたからね。
 
 
けれど、そういう考え方の方がちょっと偏った考え方でした。
 
体の仕組みや脳の仕組みを、全くわかっていなかったのです。
 
※仕組みはこのページにかけないので本読んでね。
 
 
 
そんな理屈ぬきにしても、
人は皆同じではないのです。
 
 
同じストレスを前にしても、どれだけのストレスを感じるかは人それぞれ違います。
 
かなりのストレスを感じながらも病気にはならずそのまま生きてそのまま一生を終える人もいれば、
 
感じているストレスが肌疾患に出る人、喘息に出る人、
その他の体の病気の症状に出る人も
拒食や過食の症状に出る人もいるのです。
 
なのに、
 
「あの人は病気にならないから、ストレスは言い訳だ」なんて思っていたころの私の考え方は、
 
よくよく考えればその理屈の方が筋が通っていませんでした。
 
 
”なぜストレスが”痩せなきゃダメ、太るのが怖い”心の症状に出るのか。なぜストレスが”過食症状”として出るのか
 
ーそこのカラクリは、長くなるのでこの記事では割愛しますが、気になる方は過去の記事を参考にしてください。
 
≫2019年1/4~1/28にかけて全国6か所で開催する美人塾でもこの話題はざっと説明します(テーマ違いで二日ある会場はテーマをご確認下さい)。
 
 
 
さてこここからが、
心の過食バージョンの話です。
 
 
もう
 
”体の過食”も治ってきたし
”心の過食”もよくなったのに
 
あとは暇な時間にだけおこる
 
”暇つぶし過食””が
癖になっててどうしてもやめられない、、
って言ってる人とお話してみると
 
 
あれ?それは
 
典型的な”心の過食”やってるわね😣
 
ってときが、よくあるの。
 
本人は、ストレスが当たり前になりすぎて、ストレスないとかいってるんだけど。
 
 
たとえば、ここまでは、
 
自分の考え方や生き方と向き合ってきて、仕事や学業についての考え方や、体重や体型についての考え方は緩くなってきた
 
という進歩があるひと。
 
 
それは本当で、それも嘘じゃないんだけど、
 
摂食障害につながるそもそものストレス=生きづらさの王道たるものは、まだそのまま残っていたりする。
 
 
たとえば、
 
○そもそも、ありのままの自分が嫌い。
 
○過食する自分は気持ち悪いとか低レベルだ、皆実態を知ったらこんな自分見下すに決まっている
 
○誰かにあることで怒られた=嫌われた=自分が愛されない存在だからだ
 
…とか。
 
 
 
そんな考え癖が、もう昔からだから当たり前になっちゃってて、ストレスともかんじなくなってるだけだったりするの。
 
でも、摂食障害の本質って、今までも一杯記事書いてきたようにそこが本質だよ。
 
 
ありのままの自分はダメだ、
っていう”当たり前”があるから
 
 
人に嫌われないために」「オカシイ、ダサいと思われないために」「正しい、かっこいいと思われるために」ありのままの自分を否定して、苦しんででも自分を変えたり、変えられないところは演じたり隠したりしてきた。
 
 
 
ありのままの自分を認められないから、そんな自分が感じている快・不快の感覚を信じて、
 
人にどう思われようと、自分の感覚でしたいことをして、したくないことはしないで、自分で自分を満たしていくことができなくなっちゃった。
 
 
 
自分で自分の感覚を満たせないから
体重の数字や人の評価(どう思われるか)で自分を満たそうとしてたんだけど
 
数字や体型への依存(摂食障害の症状)がよくなってきても
 
治ったというより依存対象がほかのこと、ものとすり替わったので
 
摂食障害は表面上おとなしくなってるだけだったり、、。
 
 
けど、その場合も、そもそも依存の根っこの【自分が嫌い
(特定のこうあるべきという理想の自分になった時以外はダメ】
は一緒。
 
 
 
 
私の場合も結局は、
 
自分が嫌いで
自分の感じることを認めて
自分で自分を満たせない分
他人に依存して、
 
他人の言葉や言動で
心がぐ~らぐら、
大きくゆさぶれるようになった。
 
 
他人に頼ることは必要だけど、
肝心の”頼る”ことはしないで、
"依存"して
他人に心の平和をふりまわされてるか、、
 
それがいやだから
一人でやりまーすって勝手に
孤独になっていたりしてた。
 

 

”摂食障害”がなおっても

 

心の生き辛さ作る考え方が
当たり前”になってしまってるとね、
 
ツライとかのストレスに鈍感になる、
同時に楽しさや喜びにも鈍感になる、
という脳の防衛反応が働くようになっちゃうんだよ。
 
 
つまり、心の退屈。
 
 
その心の退屈を埋めるかのように、摂食障害になって覚えた”過食の刺激”を求める。

 

過食で本当に心の退屈が埋まるなら、別にいい。
 
 
 
けど、
残念だけど
 

時間の暇をなくしても
”心の退屈”はなくならないし

時間の隙間を埋めても
心の隙間は埋まらない。
 
 
だからこれを
一生やって行くのかと思うと
憂鬱になるんだよね…。
 
早く人生終わらんかなあってなる。
 
 
 
だから、しばらくは過食に頼りながらも、過食に頼らないで自分の心のバランス取れるように自分の心のクセ、考え方生き方を変えていく。
 
 
それは、これまでやってきたかもしれないけどこれからも必要なんだ。
 
 
 
なのでね、やっぱり、前と比べて過食衝動や痩せなきゃだめとか太るのが怖い心の症状がよくなったひとも、
 
 
初心に戻って
 
○生き辛さを作っている
自分自身の心の癖(考え方の癖)、
コミュニケーションの癖ともう一度、向き合ってみる。
 
ここは、必要と思うよ。
 
 
その詳細はここでは長くなるので書けないけど、今まで一杯”コミュニケーション”と”生き辛さ”のカテゴリーで記事を書いてるので、自分の心の点検の意味で使ってみてください。
 
 
ただね、
摂食障害真っ只中の人に向けた記事だと
 
○もともとの生き辛さを作る考え方が
 
 
↓↓
 
痩せたい食べたい症状に結びつくパターンや、
の記事が多いので、
 
 
「私はその考え方はないし、もう心の声とか生き辛さとか、私はないはずだ」
 
と思うひとは思うんだと思う。
 
 
で、生き辛さもないのに症状やってる自分は病気じゃくてただの甘えだろ!l気持ち悪い!とか自分に毒を吐くようになると、ストレスは慢性化。
 
そこにあるのが当たり前すぎて、ストレスと自覚される前に、”一瞬の過食の刺激”で曖昧にして一日を終えるしかなくなっちゃうの。
 
 
 
摂食の治療を一生懸命してきて
食や体型についての~ねば、べき思考はよくなっていても
 
まだ食べ方や体型以外のところで
今まで必死にしがみついてきたこと
(仕事だったり成績だったり)では
まだ、同じことやってたり
 
生き辛さが摂食に出るのではなくて
他の依存の方に出ていたりするのなら
 
これから、そこも楽に治っていける部分なんだよ。
 
 
 
伸びしろはまだまだあるってことだよ。
 
 
もちろん、今までやってきて、食症状がゆるくなったり、体型や体重のとらわれが楽になったり、良くなった変化もあるのだから、前進してきたのも事実だよ。
 
 
そこを自分でちゃんと認めてあげることもだいじ。
 
 
だけど、そこからも
まだまだよくなっていけるということ。
 
 
治ったのに辛い結果じゃなくて
治ってきてるしこれからも治ってきてる途中。
 
 
ここまでよくなったんだから、
これからだって良くなるのも当たり前。
 
 
 
 
なぜか、
 
もうこんなに治ってきたのに、まだ過食してる自分は、もう救いようないし治りようもないってことだよね
 
とかって謎の結論をだして絶望的になってる人がいます。
 
私もやってました😅
 
 
 
まずはその、謎の思い込みに気づこうね!
それ違うから!
思い込みだから!
 
これからも、これまでよくなってきたように、よくなっていけるから!
 
 
 
心の退屈についての関連記事のせときます。

 

 
 
 
 
 
次の記事は、
 
摂食障害の症状真っ只中の「食べた食べない」「痩せた太った」でビクビクする摂食障害真っ只中の症状さえも”何も感じなくなってる例を書いたけど、根本は同じなのでよかったら
↓↓
 
 
私の過食嘔吐真っ只中の”心の退屈”
↓↓
 
 
あと、この記事前半に、摂食障害の症状の根底にも、それが比較的よくなってからの生き辛さの根底にも、
 
ありのままの自分が嫌い”=自己肯定感の希薄さが根っこにあるんだよ
 
って書いたけど、
 
 
容姿や成績、人気、会話に
自信があるからって
自己肯定感が高いとは限りません。

 

 

 

 

 
 
これも、誤解があるところで、
 
○○が人よりできるから、
痩せたら、など”条件付きの自信”
を身に着けたら、
 
「もう自己肯定感も高くなったし心の問題は解決してるのに症状がとまらない」
 
って勘違いして、勝手に自分の意志の弱さを責めてる人も多いと思う。
 
 
 
ちゃうねんよ~。
 
症状は、症状。
 
”意志でやめる”必要もないわけじゃないけど、それができないなときって、その準備がまだ整ってないだけと思う。
 
 
だって本当に意志が弱いだけだったら、あんなメンドクサくさい過食も拒食も、逆にできないよね。
 
得るものが少ないわりに、失うもの、ことの方が多いし、疲れるし、体もしんどいし、時間もしんどいし…
 
 
 
それなのにやめられないのは、やっぱり病気の症状だから。
 
 
だからって治すために努力しなくても治るってもんじゃないので、治す努力はできることからやってく必要はあります。
 
 
○食べることで体を満たすこと

○それができるように、食べる=太る、ダメなこと、というイメージを変えること
 
○食べることが怖い、太ることが怖い心を作る”本当の生き辛さ”を楽にすること
 
○最終的には、依存行為をしても楽に感じる行為(過食を吐いたり、絶食したりでチャラにする行為)を先にやめること
 
などなどです。
 
 
最後の項目は、えっ!って思った人いるかもしれないけど。
 
 
心の問題がよくなっても、”脳の依存状態”が抜けきるまでは結構、やりたくなっちゃう衝動を我慢するわけなのでその意味ではシンドイです。
 
でも、できることしてたら、できるときはくる。
 
 
 
思い切ってそこをやってしまうほうが、痩せる太るが気になる病気の心はつらいけど、同時にあるはずの健康な心のほうは、いろんなことにきづけるようになりますし、食欲の変化も分かりやすくなる、というのも本当だと思います。
 
 
 
今度の記事はそこを、かくね。
 
 今日の記事はここでおわりです。
最後まで読んでくれてありがとう✨
 

 

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