※2018年7月28日の記事のリブログです。

 

 

 

ステップあやです。前の記事から続きます。

 

まだその1を読んでいない方は、①食や体重と関係ない”摂食障害”の心-対人関係を読んでから戻って来て下さいネ。

 

 

 

その1を簡単にいうと

 

摂食障害の人に多いのはコミュニケーション下手(↑様々な形がある)によって沢山の生き辛さ/耐えがたいストレスを抱えていて、だから苦しいけれども症状がないとバランス取れない心になってるんだよー

 

 

そして、そのコミュニケーションの癖に自分で気づけないで

 

 ↓

 

一人でストレスを抱え込んでいたり

 

自分は大切にされない存在だ、と自己肯定感を下げてゆき
 
その自信のなさをまた、痩せる一時の達成感や過食で曖昧にすることで消そうとする、
 
 
ツライけれども問題は解決しないから人間関係のツライ気持ちは繰り返されて症状がまた必要になる・・
 
 
いうことになってんの。
 
 
 

”必要になっている”といわれると、こんなの必要じゃないよ💦

 

て悲しく思う人のキモチも私自身そうだったからとてもよく分かるんだけど、でも、病気の症状って何でも必要だから出てるんだよ。。

 

 

インフルエンザの高熱も体温を上げてウイルスと闘うためだし、風邪ひいて鼻水が出るのも悪いものを体の外に出すという必要性があるから出るわけで。

 

そしてその症状を意志の力で止めようとしてもできないのが当たり前で根性のなさと意志の弱さとは無関係だというのも、摂食障害も同じです。

 
 
 
けれども”コミュニケーション問題”って私も自分でなかなか気づけなかったのですが人の例を見て気づくことあると思うのでコメントで頂いた声で多分本人これコミュニケーションの問題って気づいてないだろうんなあ・・と気づいたものをあげていきます。
 
 

 

プリンはどう考えたって健康食
についたコメント

 

プリンを食べた後の出来事

byノノ
07月21日 08:55

あやさん、こんにちは。私も久しぶりにプリンを食べました。

 

ですが、母の言葉が引っかかって、食べた後の満足感が薄れてしまったのです。

 

「プリン食べたの、久しぶりだね」

 

この言葉が、私には、「食べられるようになったね」「治ってきたね」って意味に聞こえたんです。

 

本当は食べるのが怖かったのに。

 

私の中では、まだ甘いものに対する恐怖があったのに。

他の人から「食べられるようになったね」って言われると、
気持ちがもやもやするんです。

 

どうしてもやもやするのか、自分でもよく分からないんです。

評価されたみたいで、むかつくからかな…。

本当は、食べられるようになりたい。

 

でも、相手の一言で、この気持ちがしぼんでしまうんです。

 
 
 
************
 
 
 

に頂いたコメント

無題
byアイス
07月18日 20:57

 

水着も着たくないし、海やプールも出来れば行きたくないんです

けれど、子どもや旦那家族でお出かけするってなると夏場はプールや海で遊ぶ事が多くて。。

 

せっかくの楽しい家族の時間、周りの細い子見ては何でこんなデブなんだとかツラい思いするのが嫌で、

 

だからちょっとでも吐いてでも痩せなきゃになってしまってます。

 

 

 

----------
 
どうでしょう。

これは
食の問題ではなくて
対人関係における
コミュニケーションの問題。
 
二人とも対人関係のストレスが
〇吐いてでも痩せなきゃ
〇食べないぞ
…て症状に向かってるのわかるかな。
 
コミュニケーション下手な人なんかいくらでもいるし、それでも特に問題ないひと/ときは問題ないから、特にそれがうまくないからって人より劣ってるとかじゃないので、そこで自分ダメだーとかって否定しないでいいからね💦
 
 
 
 
でも、いまの自分にとってはソレが生き辛さにつながりその生き辛さが症状に出るほどストレスになってたんだなーって気づいたら、、
 
そして、痩せるとか食べる食べないとかの症状でごまかしてるだけではツライなって気づいたら。。
 
 
 
 
そしたらこれから
 
今までやってこなかった”コミュニケーション”を通じて心のモヤモヤを楽にしたり問題解決につなげていくスキルを身に着けていけたらいいよね、
 
ってそんな感じです。
 
 
たとえば、上の、最初のコメントのノノさんでいえば、、
 
そのように言われると、お母さんがそう言ってないのはわかるのにまだ食べるの怖い気持ちと闘って頑張ってるの分かってもらえない気がして寂しくなっちゃうんだ。食べたくないって思っちゃうんだ。
 
なぜだかは、自分でも分からないんだけど…ごめんね。
 
って、お母さんにそのまま伝えていいことだと思うんだよね。
 
 
 
そしたら、何を食べたとか食べないとかは触れずにいればいい?どうしてほしい?って、お母さんも一緒に考えてくれるかもしれないし
 
言われて初めてあなたの気持ちに気づいて、そーなんだ、って知ってじゃあ言わないでおこうかなって気遣ってもらえるかもしれないし。
 
 
 
そうじゃなくても
 
お母さんはあなたが思うように、全然平気で食べてると思ってるわけではなくて、あなたがツライ気持ちと闘いながら頑張ってるの知ってるよ、って言葉が返ってきてほっとすることもあるかもしれないし
 
 
中には、自分の気持ちが受け取って貰えなかった!!って怒る相手もいるかもしれないけど、
 
そういう人も、
それをきっかけに
”そー感じてたんだ”って知って、
 
そのあと、ちゃんと考えを巡らせて思いやってくれる人の温かい気持ちに気づけることもあり、
 
 
※こともある、であって百パーでないのは当たり前。
 
 
コミュニケーションを続けて(※)いれば、色んな可能性がが開けてくる。
 
 
※コミュニケーションは何度かやって終わりじゃなくて、相手が分かろうがわかるまいが関係なく、続けるものです
 
また、コミュニケーション=伝えてわかってもらう、ではなくて、相手の話を自分がきく、相手の言葉に対する自分の捉え方のほうを見直してみる、などもコミュニケーションのうち。
 
 
 
 
 
2番目のアイスさんも、コメント欄ですでに少しやり取りしたけれど、
 
ビーチに行くことがそこまでツライならその気持ち、一人で抱えずに旦那さんに本気でツライこと、本気で打ち明けて相談していいことだよ。
 
 
 
体の線を露出することや人を見ることがつらくて症状に引っ張られるのも”病気”の症状なわけだから単なる”わがまま”ではないから。
 
 
 
 
彼ができることは彼にしてもらえばいいしビーチのほかにも山とか森とか楽しめるところはいっぱいあるし、あなたも家族も楽しめること一緒に考えてもらおうよ。
 
 
それができる相手じゃないときもあるけど、そうであってもそれは相手の問題。あなたがいつも合わせてなきゃいけない理由はないから。
 
 
 
 
そうやって一人で抱え込んで 吐いてでも痩せなきゃって思ってしまうのも、私も摂食障害のときはそうしていたのでわかる気がしますけれども
 
吐いてたとえ一時的に痩せて一時的にほっとしたとしても、その安堵は一時だけなのはもうわかっていて、その先に明るい未来はないっていうことも、もうさんざん今までやってきてわかってるのではないかな。
 
 
 
ってことをコメント返信でささっとかいたのですが本当にそう思う。
 
 
 
 
中には海に行かないってだけで「子供がかわいそう」とか余計なお世話なこと言う人いるけど
 
 
 
ママが一人で病気抱えてガマンして
ママがひとりだけ一人で不機嫌、不健康になってたら、その方が、自分にとっても周りにとっても、みんなにとってかわいそうなことだと私は思う。
 
 
 
 
 
 
ひとって基本、自分が苦しい状態で他人に優しい気もちになるってできないようになっています。
 
 
 
よく、自分に厳しく他人に優しくっていうけど、実際のところ人間て自分に優しくしないで他人に優しくって、できないものだと思う。
 
 
 
※私の母も「人を頼らず」「頑張るお母さん」だったけど、だからこそいつもイライラしていて、だからこそ私の弱さも「甘え」「わがまま」という言葉しかかけられなかったのだと思っていて、その母の姿は当時の私とそっくりだったと思っています。
 
 
 
 
そう考えると
 
一人で抱えて一人でみんなに合わせて一人でがんばっていても
 
ママ本人にとってだけじゃなく
旦那さんにとっても
子供たちにとっても、
誰にもいいことないと思うんだ。
 
 
なので、
 
子供がかわいそうだのああすべき、べきでないとかほんとに余計なお世話な口出ししてくる人はどこにでもいるけど、
 
その人達が自分たちの人生生きてるわけじゃないから、全くそれは自分ガマンしてなきゃいけない理由ではないからね。
 
 
 
 
 
そのあと、やっぱりアイスさんはこういう返信くださった。
 
 
 
 
 
 
byアイス
07月18日 21:53

精神科に通ってる事は知ってるんですが何の病気か知らなくて、
 
 
あたしが病気の説明しようとしても曖昧にされてゆっくり治していけばいいよとしか言ってもらえなくて、
 
あまり病気の事聞きたくないような感じで。
 
 
 
「吐いて痩せてもその先に明るい未来はない」という言葉、凄く身にしみました
 
 
 
自分がワガママと思ってました。
 
 
 
その時の状況、その時の自分の気持ちにもっと素直になって、自分がツラく泣きたくなるならそれは逃げてもいいんですよね
 
 
 
家族のためだからって我慢しなくてもいいんですよね
 
ありがとうございます
 

 

 

 

よかった!

 

 

でもここでも私、一つこれから改善していけるコミュニケーションパターンで気づいたことがありました。

 

 

 


>精神科に通ってる事は知ってるんですが何の病気か知らなくて、あたしが病気の説明しようとしても曖昧にされてゆっくり治していけばいいよとしか言ってもらえなくてあまり病気の事聞きたくないような感じです

 

 


ここは、文章の感じからすると、それはアイスさんの想像であって彼が本当にそう思ってると言葉で聞いたわけじゃないのだよね?


 

 

 

病気のことはさ、言ってなければ相手もどうしてほしいのか、どう声をかけたらいいのか分からないのは当たり前だと思うのね。

 

病名は言いたくないんじゃないかと気遣って深く聞かないひとっていうのもいっぱいいるからさ。

 

 

もし、あの病気かな?って気づいていても、あなた摂食障害でしょ、って言っていいのかも悩むと思うしさ、、。

 

 

 

 

そうでなくても、彼は摂食障害になったことはないから

 
ただ海に行く、というそれだけで、あなたが書いてくださったように苦しい気持ちになったり、
 
吐いてまで痩せなきゃ…と思う強迫的な気持ちに(症状)に向かってしまうことまで想像が及ばない
 
…という意味で「分からない」のも、また自然なことだと思うの。
 
 
 
 
あなたのことがどうでもいいからじゃなく、ただ、本当に純粋に「分からない」の。
 

 

病気のことはわからないから、分かったふりして傷つけるようなことを言わないようにしてるかもしれないし

 

 

病名きいたところで、どう接してあげるのが貴方を傷つけないですむのか本当にわからないのかもしれない。

 

 

それは彼にしか分からないことだけど、だからこそ、コミュニケーションの練習が必要なんだ。

 

 

自分が自分の気持ちを、言葉にして伝える、それに対する相手の気もちを言葉で聞く。

 

自分の伝え方、相手の言葉の捉え方、偏ってなかったかな?っていう点検をしながれ練習してくの。

 

 

 

 

いつもそばにいて自分の心身に影響与える人物とは、コミュニケーションをきちんとしていくことも、治すためにすべきことのひとつだよ~。

どうしていいか体験したことない人には、先回りして分かってあげるって不可能だよ。

 

 

いや、体験者であっても、皆違うし同じ人でもその時々で気持ちは変わるから、それを察知して分かってあげるという方が不可能です。

 

 

 

 

どうしてほしいか、

してほしくないか、

 

そこは自分が教えてあげればいいし

どうしてほしいか分からなければ相手が分かるはずないので、一緒に考えてもらうのもいい。

 

 

 

けど、いくらことばで伝えることをがんばったって

してほしいことはなんでも100%してもらえるわけでないのも当たりまえ。

 

 

相手にも、その人にできること、できないことがあるからです。

 

 

 

 

 

だから、

 

何処までなら何ならできるのか、

 

そこは相手を観察しながらここ迄ならお願い出来る、っていうとこ自分が見極め、あとは他の方法考えるか諦めるのも大切です。

 

 

 

伝えても全部わかってもらえないなら言っても無駄‥

 

って思うかな💦

 

 

 

 

私もそう思っていたけれどそれはちがって、

 

何も言わないでひとりで抱えて、自分だけ我慢して相手に合わせてるよりも、ずっと人とのつながり、感じられるようになるのですよ。

 

 

 


そういうコミュニケーションで一人でストレス抱えてしまうのも、摂食障害( どんな犠牲払っても痩せてチョットうらやましがられる小さな快感や数字を下げる達成感が人生の重大事になってしまう心)のエネルギーになってることが多いから。。

 

 

 

避けていた「コミュニケーション」。

 

してるつもりで、分かってほしい察してほしいに偏っていたコミュニケーション。

 

 

 

それを、ちゃんと練習していくと、

 

 

摂食障害の症状の食べる恐怖太る恐怖が「なくなり」はしないけど、

 

自分で自分のために行動(生き方、食べ方)を変えていく際の大きな支えになりますし、

 

自分が自分に必要な人、場所、やり方、環境、全てを自分のために取捨選択できるようになっていきます。

 

 

その結果として、「病気が治る」につながるのです。

 

 

 

って書いたらまたこういう風に返信が。

 

 


コメント
無題

byアイス
削除
07月19日 13:17

あやさんの言う通りです。

 

大事なコミュニケーションを曖昧にしてアピールで気付いてよ!

 

ってなってしまってました。

 

 

 

具体的にこの時はこうしてほしいこうしてくれたら助かる、ってまったく伝えてなかったです。

 

 

 

 

精神科に通ってるんだからって

どこかで1人で治そうとしていて

寂しい思いも伝えきれてなかったですす。

 

 

 

私、もっと素直になって甘えて旦那に頼っていきます。

 

 

 

この病気の特徴でもあると思いますが、私も1人で抱え込んでは負のループに陥ってしまうパターンにはまってました。

 

 

 

気付かせてもらえてほんとありがとうございます!!

 

 

 

 

 

 

気づけてよかったえーんラブラブ

 

 

コミュニケーション、慣れてないときは逆にストレスになったりするけど、それも練習あるのみ。
 
 
続けていくことで対人関係の中で安心感や温かさを受け取ったり相手の気持ちも逆にわかって良い意味の諦め、
 
受け入れをして前に進んでいくことができるようになったりします。
 
 
 
 
そーいうのも、めぐりめぐって拒食や過食(嘔吐)の苦しいやり方でストレス紛らわしながら生きることから楽になる‥という結果につなったりするよ。
 
もちろん 自分の気持ち伝えたら自分が思い描く反応がかえってくることばかりじゃない。
 
 
けど、何も言わないでいたら相手もエスパーじゃないのでこっちが思ってることは、ハッキリ言葉で伝えないと分からないのよ。
 
 
 
日本のひとは
 
いちいち言葉でいわなくても空気読んで相手の気もちに気づくべきみたいな風潮があるけど、
 
それだと、たまたま顔色読んでもらえた時以外は嫌な感じになること多いと思うよ。
 
 
「伝えてない気持ちは分からないくて当たり前」と思っていたらそんな気持ちにならないのに。
 
 
 
なので、
 
 
基本的には、自分の気持ちは伝える。そして、相手の気もちも言葉で聞く。その繰り返しがコミュニケーションです。
 
 
ただ、伝えるというのは、文句言うとか相手を責めるということじゃないよ。
 
困っていることは困っていると伝えて相談する
 
してほしいことやしてほしくないことは文句じゃなくてお願いする
 
のです。
 
 
 
 
何も言わないでいることで何もお互いの思いが分からなければ
 
コミュニケーションで解決していけるはずのストレスもそのまま繰り返されることになってしまうこと沢山あります。
 
傷つくって言わないからわからなくて会うたび言われて会うたび傷つくもそうだし。
 
 
※パスタは食べるのに抵抗あるいHとがだまってて相手にあわせてばかりいても「人付き合い」に助けられるどころか疲れるものにしかならないです。
 
 
また、伝えてない気持ちはつたわらなくて当然。私病気なんだよねーって軽く伝えら軽く伝わるのは当たり前だし、モノにあたったり暴言吐いて泣きさけんでも、拒食や過食嘔吐で訴えても大切な「気持ち」は全く伝わりません。
 
 
 
※この前書いたけど拒食や過食嘔吐したときは心配される=伝わってる、じゃないよ💦
 
 
 
 
 
 
 
 
ここまで、どれも当時の私だけどダウン
 
 
相手の気持ちも
相手の事情も
 
コミュニケーションとらずに勝手にネガティブなストーリーを想像しては、どんどん自分を孤独に追いやったり、相手のことも嫌いになって結局孤独になる、
 
なんてことも
 
本当に私自身が繰り返していたことですが皆さんからもよく聞きます💦
 
 
 
 
 
 
そういうコミュニケーションパターンが癖になっていると、日々生活してるだけで結構なストレスが蓄積します。
 
 
 
 
私自身、それで、対人関係=疲れるとしか思えなくなり
 
人間関係なんてイラナイって思って本当に人間関係ゼロにしてしまった時期も長かったけど
 
一人の方がラクといいながら
心はいつも、孤独でした。
 
 
 
 
 
ダイエット食と運動と体重と自由に向き合う自由はラクだったけど。
 
誰とも心でつながれない。
 
誰の思い出の中にも私はいない。
 
 
 
そんな感じが本当に孤独でそれをまた摂食障害で紛らわして…の繰り返しでした。。
 
 
 
 
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