【今回の記事】

【記事の概要】
   
一昔前は良くない子育ての代名詞のように言われていた「過保護」。しかし、最近それよりも要注意だと言われるのが親の「過干渉」です。TVドラマで「過保護のカホコ」というタイトルがありましたが、黒木瞳さん演じる母親が娘の生活すべてに口を出す行動についても、SNSで「あれは過保護ではなく過干渉」という指摘も見られました。過干渉な親に育てられた子どもは、「自分で考えて物事に対応できない」「自分の意見を言えずコミュニケーションがうまく取れない」などの問題を抱えがちだと言われます。しかし、小さい子に「これはこうしようね」「○○をしてはいけないよ」と教えるのは必要なことでもあります。しつけと過干渉の境目はどこにあるのでしょうか?この記事では、年代別に「これは過干渉の危険ゾーン!」というべき行動をチェックしていきます。あなたは当てはまっていませんか?


そもそも、「過干渉」ってどういう状態?
  過干渉は、一言でいうと「親の価値観の押し付け」です。高校生や大学生になってくると、「門限が厳しく、帰りが遅いと電話やLINEが来る」「彼氏や友達がどんな人か親が気にする」そして「うちの親は過干渉!」という不満をよく耳にします。これを読んでおられるママ自身にも、若い頃、そんな経験があるのではないでしょうか?しかし、子どもが「自分はこうしたい」という希望に対し、その家のルールで許してもらえずガマンする…というのは過干渉ではありません。本来子どもが決めるべきことを親が決めてしまうのが過干渉で、門限には間に合っているのに何時に帰るか指定されたり、法に触れるようなことでもないのに付き合う相手や行き先を制限されたりするのがこれに当てはまります。子どもが決めるべきことまで口を出す理由として、「心配だから」とよく言われますが、子ども自身の安全を心配しているというよりも、子どもが親の理想から外れた行動をするのが心配なだけ…ということが多いと考えられています。また、過干渉の特徴として、親子ともそれに気付いていないことも挙げられます。過干渉のレベルがひどすぎて子どもが「うちの親はおかしい!」と悲鳴を上げる場合もありますが、小さい頃から当然のように何でも親が決定していると、いつの間にか、「お母さんならこう言うだろう」「こっちを選ぶだろう」という推測が子ども自身の考えのようになってしまい、区別がつかないこともあります。

ちなみに、「過保護」と「過干渉」の違いって?
「過保護」と「過干渉」。どちらも、親が必要以上に子どもに関わるイメージがありますが、実は次のような違いがあります。
過保護>「子どもの望むことをやってあげる」のが過保護です。可愛さ余ってもう必要がないのにやり続けてしまったり、失敗させたくないあまり先回りして親が原因を取り除いてしまったりすると、子どもの心身の自立を妨げると言われてきました。しかし最近では、過保護については一概に悪いとばかりは言えないとされています。子ども側からの「だっこして」「着替えさせて」などの甘えは、いくつになっても快く受け入れてあげてOKといわれており、その方が子どもは心が満たされ、自分から自立できるという考え方が主流となっているようです。
過干渉>子どもの望む望まないにかかわらず、「親が望むことを子どもにやらせる(または禁じる)」のが過干渉です。過保護とは異なり、子どもが「それイヤだ」と言っても聞き入れないのが過干渉な親の特徴です。

これをやったら赤信号!「過干渉親」チェックリスト
  では、年代別に、こういうことをすると「過干渉」の危険ゾーンに入っている!という親の行動をみていきましょう。
幼児期
・「○○しないと嫌いになる、捨てちゃう」などと脅して子どもをコントロールしようとする
・反対に、親の思い通りになった時だけほめたり物を与えたりする
・子どもがいったん選んだもの(服の組み合わせ、プレゼントなど)を親の意見で変更する
・子どもが何か失敗すると、つい「だからママが○○って言ったのに」「今度からママの言うこと聞くのよ」等と口にしてしまう
小学生
・夏休みの宿題(工作、自由研究など)に手を出してしまう
・子どもの話を最後まで聞かないで「それはね…」と親の意見を話し始める
・ケンカやトラブルがあった時、事実関係を確認せず学校や相手に苦情を言う
・子どもの友達を親が選び「〇ちゃんと遊んじゃダメ」等と言う
中学生・高校生
・子どもの手紙・日記、LINE、メールなどを勝手に見る
・親が気に入らない友達や彼氏・彼女との付き合いを禁止する
・携帯のGPSなどで子どもの居場所を常に確認し、子どもがオフにすることは許さない
・「うちの子は反抗期がなくてうれしい」と思っている
  
中には、こういった過干渉が成人まで続き、アルバイト先はもちろん、就職先や結婚まで親の認めた相手先でないと許さないというケースもあります。

小さいうちに気をつけること
  幼児期には、危ないことや社会のルールに反することはきちんと叱ってやめるように言ったり、正しいやり方を教えたりする必要があります。それがいつしか過干渉になってしまわないよう、子どもが小さいうちに気をつけておくと良いのは、次のようなこと。
必ず守るべきルールと、人それぞれで良いことを区別する
「道路にいきなり飛び出さない」「おもちゃを貸してほしい時は奪い取るのではなく、まず頼んでみる」など、誰もが守るべきルールがあります。反対に、「児童館に着いたらどのおもちゃで遊ぶか」「服のコーディネート」などは、子どもなりに考えた結果であれば、基本的に自由なはず。これらを混同した結果、「ほら、今誰も使ってないんだからこのおもちゃで遊びなさい!人が増えてきたらなかなか回ってこないんだから今のうち!」と強制してしまう…といった過干渉につながってしまうのですね。
人目を気にしすぎない
  自分自身が過干渉な親に育てられた人や、義理の両親と同居している人に時々見られるのが、子どもの気持ちではなく周囲の人の目・評価を気にしすぎてしまうこと。子どもが離乳食を食べ残す、おむつが取れるのが(義母などから見て)遅い…などについて注意されると非常に気になってしまい、(義母から注意を受けないように)逐一子どもの行動に手を出したり、ダメ出ししてしまったりするケースもあります。なかなか難しいことですが、子どもの評価=自分(母親)の評価ではないことを繰り返し思い出して、できるだけその子の成長ぺースを守ってあげたいですね。
将来を想像してみる
  子どもにあれこれと口を出してしまう背景には、目先すぐにこうなってほしい・こうしてほしいという親自身の期待や願望があります。これってしつけ?過干渉?と迷った時は、「将来、自分(親)の目の届かない場所で同じ状況になった時や、離れて暮らすことになった時に、この子には必要な力が身に付いているか」と考えてみると、口を出すべきか、ぐっとこらえて見守るべきか、見分けがつくかもしれません。
自分の子ども時代と重ねない
  自分の幼少期やこれまでの人生で辛い記憶や不満などが強烈にある場合、子どもには同じ経験をしてほしくないという思いから、ついあれこれと手出し・口出ししてしまう可能性があります。もし、子ども時代の経験が影響していることのでは?と気付いたら、そのことをつねに自覚しておくだけでも、子どもへの接し方は大きく改善されるでしょう。

【感想】
「子どもの望むことをやってあげる」のが過保護、子どもの望む望まないにかかわらず、「親が望むことを子どもにやらせる(または禁じる)」のが過干渉という指摘、全く同感です。
 
   しかし、一つ気になる記述がありました。それは以下の一文です。
「しかし最近では、過保護については一概に悪いとばかりは言えないとされています。子ども側からの『だっこして』『着替えさせて』などの甘えは、いくつになっても快く受け入れてあげてOKといわれており、その方が子どもは心が満たされ、自分から自立できるという考え方が主流となっているようです。」
   過保護とは「子どもの望むことをやってあげる」行為とされており、ここで言う「子どもの望むこと」とは、本来子ども自身が一人でやるべきことを代わりに親がやってやる行為のことを指しています。上記の例として挙げられている、子どもが愛情を求め母親に“抱っこ”を求める行為は、子ども自身がやるべき行為ではありませんし、子どもが自分から求めてくるのは愛情が不足している証拠ですから、その求めに応じて愛情を補ってやることはもちろん構いません。また、本ブログで推奨している、親の過干渉を防ぎ子どもの自立性を育むための支援「見守り4支援(①任せて、②見守り、③諭して、④褒める)」で、実際の活動は子どもに任せて見守っていても、子どもの方からSOSを求めてきた時には快く諭して教えるのも同じです。
   しかし、記事では、「着替えさせて」という要求にも応えてあげることもOKとしています。この場合、まだ子どもができない行為であれば、手助けしてやるのは当然のことですし、できる場合でも、たまたまその時の子どもの精神状態が不安定になっている時に親による愛情行為として行うのは構わないと思います。しかし、そうではなく、子どもが自分自身でできる場合に親が代わりにやってあげるのは、私は「過保護」に当たるのではないかと思います。
 
 また、「過干渉」当たる行為として親が気をつけなければならないのは、記事中にもある「門限には間に合っているのに何時に帰るか指定されたり、法に触れるようなことでもないのに付き合う相手や行き先を制限されたりする」ことです。親はとかく、「……であるべき」という“こだわり”を持ちがちです。そのため、子どもとルールさえ決めていないのに、「女の子なんだから、こんな時間まで外出するのは良くない」等と言ってしまいがちです。つまり、子どもの行動がルールや約束事の範囲であるにも関わらず、親の価値観の押しつけによって制限をかけてしまうのです。子どもに注意する前に、「この子のしたことは、ルールや約束事の範囲内の個人の好みか?、範囲外の人にの迷惑になることか?」「自分の注意は親のこだわりなのか?」ということを考えることが必要です。本当にそう思うのならば、子どもときちんと交渉して、人に迷惑をかけない新しいルールを決めればいいと思います。
 
 さて、記事中には、「親が『しつけ』か『過干渉』かを迷った時は、将来、自分(親)の目の届かない場所で同じ状況になった時や、離れて暮らすことになった時に、この子に必要な力が身に付いているかを考えてみることが大切」との旨が述べられています。しかし、この場合の「必要な力」とはどんな力のことを言うのでしょうか。
私は以前からこのブログ中で、子どもを自立した社会人に育てるための「キャリア教育」の中で、子どもに身に付けさせるべき“4つの力”を紹介しています(「子どもの人格形成を一生にわたって支える『キャリア教育』」参照)。それは、以下の4つです。
人間関係形成能力
(他者の個性を尊重し、自己の個性を発揮しながら、様々な人々とコミュニケーションを図り、協力・共同してものごとに取り組む力)
情報活用能力
(学ぶこと・働くことの意義や役割及びその多様性を理解し、幅広く情報を活用して、自己の進路や行き方の選択に生かす力)
将来設計能力
(夢や希望を持って将来の生き方や生活を考え、社会の現実を踏まえながら、前向きに自己の将来を設計する力)
意思決定能力
(自らの意思と責任で、よりよい選択・決定を行うとともに、その過程での課題や葛藤に積極的に取り組み克服する力)
 
   例えば、子どもがどんな友達や彼氏・彼女と付き合うかを親が制限することは、子どもの「人間関係形成能力」や「意思決定能力」の育成を妨げることになります。また、子どもが何か失敗した時に「だからママが○○って言ったのに」「今度からママの言うこと聞くのよ」等と口にしてしまうことは、子どもに「自分で考えずママの言うとおりにしよう」という意識を持たせることになり、「情報活用能力」の育成を妨げることになります。更に、子どもの話を最後まで聞かないで「それはね…」と親の意見を話し始めることは、子どもなりの目標や夢を否定することになり、結果的に「将来設計能力」の育成を妨げます。
 このように、今自分が口を出すことで、子どもの将来に必要なこれらの力を身につける妨げにならないかを考えることが大切です。
 
   また、過干渉にならないために必要な事として、「自分の子ども時代と重ねない」ということが挙げられています。親御さんの中には「子どもには自分と同じ経験をしてほしくない」という思いをお持ちの方が少なくなくいるように思います。確かに、金・物欲(「楽・贅沢をさせたい」)、名誉欲(「○○大学(○○高校)に入りなさい」)、興味・関心欲(「自分ができなかったから」「自分と同じように」)などを押し付けるのは望ましくないと思います。
   しかし、親が「自分と同じ経験をしてほしくない」と思うことが全て悪だということにはならないと思います。それは親が子ども時代に、アメリカの心理学者であるA.マズローが唱えるある5種類の心理的欲求が満たされないで育った場合です。マズローによれば、人間には生きていくために満たされなければならない五つの欲求がある(「五段階欲求説」)とされています。それは、以下の5つです。
①生理的な欲求(寝たい、食べたい、排泄したい等)
②安全性の欲求(戦争、虐待、いじめ等が無い安全な環境の中で生活したい)
③所属・愛情の欲求(誰かと“愛の絆”で繋がっていたい)
④承認・尊重の欲求(他者から認められたい、他者から大切に思われたい)
⑤自己実現の欲求(自分らしく生きたい)

   子どもが何らかの問題行動を示した場合、それは、これらの欲求のどれかが満たされないでいる証拠です。いわゆる“欲求不満”によるストレス状態なのです。親がこれら5種類の心理的欲求が満たされないで育った場合は、子どもに同じ経験をさせてはいけません。
   なお、これらの欲求の満たし方については、本ブログ記事中の
をご参照ください。