前回からの続き)
   少し話は変わりますが、神奈川県田奈高等学校という高校があります。当初は、県下でもかなり荒れていた学校として有名だったそうで、平成十七年度には一学年の退学者は三十五名(学年全体の14.5%) にも及んだそうです。学校生活に嫌気がさして自分の「居場所」を見つけることができなかったのかもしれません。ところが、平成二十一年度には、やはり一学年での退学者はわずか二名(同0.8%) に減ったそうです。
   わずかこの4年間に学校はどんな指導転換を図ったのでしょう。それは、「廊下での対話」という方法だそうです。荒れていた当時、生徒たちは教室にも入らずに廊下でたむろしていたそうです。以前は、そういう生徒達を先生方が注意する毎日だったそうですが、ある時から、その廊下でたむろしている生徒に教師から積極的に話しかけるようにしたのだそうです。そうして、生徒の愚痴悩みを真剣に聞くようにしたそうです。つまり、以前は、教師は、たむろしている生徒を「問題のある悪い生徒」として見ていたのが、ある時から、「一人の大切な生徒」として接するように変わったというわけです。見かけで判断せず、大切な生徒として「尊重」するようになったのです。すると生徒は、それまでは自分達のことを否定的な目で見ていた先生達が、自分達の気持ちを聞いてくれたり悩みの相談に乗ってくれたりしたおかげで、先生方に対して心を開くようになりました。つまり、上位欲求である「尊重の欲求」が充足されたことによって、下位欲求である「愛と所属の欲求」も自動的に充足され(1段階高い上位欲求が満たされることによって、1段階低次の欲求も自動的に満たされる性質による)、学校での“先生”という自分の「居場所」を見つけたのだと思います。つまり、言動が荒れていた生徒達の要因愛と所属の欲求」が満たされていなかったことだったと言えるでしょう。子供達を尊重しよう」とする教師達の意識が功を奏した実例です。
   また、以前「ユマニチュード」という「まるで魔法」と称された認知症ケアの方法を紹介しました。認知症の方は症状が悪化すると、介護者の言うことをきかなかったり暴言を吐いたりします。そうすると、どうしても介護をする人の中には「困った人だ」という気持ちが生まれ、表情介護の仕方にもその気持ちが現れてしまいます。場合によっては、暴れる患者をベッドに縛り付けるケースもあるようです。しかし、認知症の方は、その気持ちを感じ取り、自分が大切に扱われていないことに対して怒りを覚えるのではないでしょうか。そもそも、先の「ユマニチュード」とは、「人として接する」という意味だそうです。一人の人間として大切に接する”というこの行為こそ、人を「尊重」するという態度に他なりません
患者の視界に入るようにして見る
②優しく、ケアの実況をするように話す
優しく触れる
これら「ユマニチュード」のケアを受ける患者さんは、「この人は自分のことを一人の人間として大切に考えてくれている」と感じ、ケアをしてくれる人の言うことをきくのではないかと思います。
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   ところで、本稿で何度も紹介している「子どもの心のコーチング」の著者の菅原裕子さんは、「本来子どもの行動の動機づけとなるものは『人の役に立つ喜び』である」と述べています。(菅原2007)この「人の役に立つ喜び」こそが承認の欲求であり、この欲求を満たすことこそが、他者と共同する社会生活で生きていくうえで絶対に必要になるのです。
   しかし、「自分の欲求を満たして欲しいから『ありがとう』『ごめんなさい』を言ってもらいたい」、「手伝ってあげたのにお礼も言わないなんて!」と願う子供は自己愛(自分ファースト)の強い人間です。その一方で、自分から誰かに「ありがとう」「ごめんなさい」を言う事で、言われた相手の人は欲求が充足され満たされた気持ちになるものですから、それでも“相手の人の役に立った”と十分言えるのではないでしょうか?
   進んで人の役になる行いをするように子供に指導することはもちろんのことですが、相手が満たされた気持ちになれるよう、相手に積極的に「ありがとう」「ごめんなさい」が言えるように、言えた時に褒めながら子供達を導きたいものです。