櫛目文土器は日本がルーツ~最新先史学と契丹古伝 | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



櫛目文土器は環日本海地域を発祥とする、

特に遼河、沿海州、アムールといった日本海西岸の土器を象徴する土器紋様の様式ですが、

新潟県阿賀町
小瀬ヶ沢洞窟遺跡では

縄文時代草創期(15000~11700BP)の
櫛目文土器片が出土しています。



櫛目文がハッキリ刻まれているのがわかります。



遼河地域が原郷とされているウラル系民族(ハプロY-N1)が櫛目文土器文化の担い手と想定され、

バイカル湖、モンゴル高原からユーラシアステップを経て、

遠くバルト海、フィンランドにまで櫛目文土器文化は拡がりを見せています。

Y-N1の祖形は遼河地域に多いのですが、

日本の青森県でも祖形のY-N1が7.7%の高頻度で発見されています。

いわゆる裏日本(日本海東岸)のズーズー弁はウラル系民族の基礎言語と関連しているという説もあります。


15000年を遡る後期旧石器時代の土器は日本の古本州島に集中しており、

アムール地域のオシポフカ文化(15000~11700BP)の土器、石器は

本州の縄文文化との関連性の強さが指摘されています。

オシポフカ文化を縄文文化圏に含めて考える必要があるかもしれません。

遼河文明の櫛目文土器は8200年前から普及しましたが、

北東アジア櫛目文土器文化圏に見られる尖底や円筒型の土器様式は日本の縄文時代草創期(15000~11700BP)、早期(11700~7300BP)を象徴する器形でもあり、

狩猟採集交易ネットワーク文化である東夷社会という環日本海地域に共通する文化圏全体を「縄文文化圏」として考察していく必要もあるでしょう。

(˶˙º̬˙˶)*॰

東夷社会で話されていた

ウラル・アルタイ祖語と、

本州縄文人の言語との関係も、

もはや一方的な大陸からの影響と考えるわけにはいかないでしょう。

ハプロY-N1や、

或いは
ハプロY-O2

更にはその共通祖先であるハプロY-NOの原郷を日本列島と見る必要性も生じていると思います。

( ・ิϖ・ิ)っ



縄文時代前期の青森県・三内丸山遺跡が

遼河文明圏と交流していた事実は明らかになっています。

(´-ω-`)

永らく荒唐無稽な偽書とされてきた『契丹古伝』も、

最新の考古学的観点から読み直せば、

同書が真書か偽書かにかかわらず、

全く荒唐無稽な内容ではなく、

むしろ契丹古伝が出版された1926年には知られていなかった

近年の考古学的成果と整合する部分が非常に多い事がわかるのです。

(´-ω-`)

契丹古伝で

東族とされる殷はアルタイ語族であった可能性が高く、東夷族である、というのが中国研究者共通の見解となってきました。

また、契丹古伝が西族とする周の王族のハプロがY-Qであるところから、
言語学的にも
ケット語(ケット人の93.7%がQ系統)とシナ語が同系統であるとする説の裏付けとなってきました。

(´-ω-`)

周が西から来たからアーリア人とする説は、むしろ現代では荒唐無稽で、

アーリア人(印欧語族Y-R)はトゥーラーン(東夷族)を出自とする(印欧語はウラル・アルタイ語族に近い)説が現実味を帯びています。



そして、そもそも日本列島を中心とする荒屋型彫刻刀石器の分布域(東夷社会)に隣接するようにY-RとY-Qの原郷に想定される地域があるのです。

また、匈奴はテュルク系であるとされてきましたが、より日本列島に近い沿海地域に分布するツングース系の言語を使用していた可能性が指摘されています。

契丹古伝には匈奴が東族であると記されています。

ヨーロッパ王家の大祖先であるアッティラのルーツが環日本海地域である可能性も出ているわけです。

(´-ω-`)

世界の王家が皆、縄文の末裔というのも、あながち荒唐無稽な話では無くなってきたわけです。

フリーメイソンは縄文の石工。

ハザール王家(突厥阿史那氏)は縄文の末裔。

ヴェネチアの黒い貴族も縄文の末裔(シュメル→フェニキア→カルタゴ経由)。

中国の歴代皇帝の本宗家が日本の天皇家。

世界を牛耳る嬴姓李家は縄文の末裔(これは鉄板ですが)‼

全て出鱈目とは言えないところまで考古学は歴史の闇に迫っているのです。

(´-ω-`)

こうした視点であらためて稀代の歴史書『契丹古伝』を検証していきたいと思います。

(つづく)

( ・ิϖ・ิ)っ

曰若稽諸。
傳有之曰。
神者耀體。
無以能名焉。
維鑑能象。
故稱鑑曰日神體。
讀如戞珂旻。

曰若【ここ】に諸【これ】を稽【かんが】ふるに。
伝にこれ有りて曰く。
神なる者の体は耀【かかや】き。
以て能【よ】く名づくる無し。
維【これ】鑑能く象【かたど】る。
故に鑑を称して日神体と曰ふ。
読んで戞珂旻【かかみ】の如し。

恭惟。
日祖名阿乃沄翅報云戞靈明。
澡乎辰云珥素佐煩奈。
淸悠氣所凝。
日孫内生。

恭【うやうや】しく惟【おもん】みるに。
日祖、名は阿乃沄翅報云戞霊明【あのうしふうかるめ】。
清悠の気の凝【こご】る所、辰云珥素佐煩奈【しうにすさほな】に澡【きよ】す。
日孫、内に生る。

日孫名阿珉美辰沄繾翅報順瑳檀彌固。
日祖乳之。
命高天使鷄。
載而降臻。
是爲神祖。
蓋日孫讀如戞勃。
高天使鷄讀如胡馬可兮。
辰沄繾翅報。
其義猶言東大國皇也。

日孫の名は
阿珉美【あめみ】
辰沄繾翅報【しうくしふ】
順瑳檀彌固【すさなみこ】。
日祖、之に乳し。
高天使鶏に命じ、
載せて而して降り臻【いた】らしむ。
是を神祖と為す。

蓋【けだ】し日孫読んで戞勃【かも】の如く。
高天使鶏読んで胡馬可兮【こまかけ】の如し。
辰沄繾翅報は其の義、猶【なお】東大国皇と言ふがごとき也。

族延萬方。
廟曰弗莬毘。
廷曰蓋瑪耶。
國曰辰沄繾。
稱族竝爲辰沄固朗。
稱民爲韃珂洛。尊皇亦謂辰沄繾翅報。
神子神孫國于四方者。
初咸因之。

族萬方に延【はびこ】る。

廟を弗菟毘【ふとひ】と曰いひ。
廷を蓋瑪耶【こまや】と曰ひ。
国を辰沄繾【しうく】と曰ひ。
族を称して並びに辰沄固朗【しうから】らと為し。
民を称して韃珂洛【たから】と為す。
皇を尊んで亦辰沄繾翅報【しうくしふ】と謂ふ。

神子神孫四方に国する者。
初め咸【みな】之に因れり。

或云。
神祖名圖己曳乃訶斗。
號辰沄須瑳珂。
初降毉父之陰。
聿肇有辰沄氏。
居於鞅綏之陽。
載還有辰沄氏。
是爲二宗。
別嗣神統顯于東冥者爲阿辰沄須氏。
其後寧羲氏著名五原諸族之間。

或は云ふ。
神祖、名は図己曳乃訶斗【とこよみかと】。
号は辰沄須瑳珂【しうすさか】。

初め毉父の陰に降り。
聿【ここ】に肇めて辰沄氏有り。

鞅綏【あし】の陽に居り。
載【すなわち】還【また】辰沄氏有り。
是を二宗と為す。

別に神統を嗣いで東冥に顕はるる者を。
阿辰沄須【あしむす】氏と為す。
其の後寧羲氏、名を五原諸族の間に著はす。

因亦念之。
雖世降族斁。
瓜瓞猶可繹綿緒而格其原壤。
例如瑪玕靺鞨渤海同聲相承。
珠申粛愼朱眞同音相襲。
傳統自明也矣。
乃爰討探舊史作次第如左。

因って亦之を念う。
世降り、
族斁【やぶ】ると雖【いへど】も、
瓜【くゎ】瓞【てつ】猶【なほ】綿【めん】緒【ちょ】を繹【たづ】ねて其の原壌に格【いたる】べし。

例へば
瑪玕【マガン】・
靺鞨【まっかつ】・
渤海【ぼっかい】、
同声相承【あいう】け。

珠申【チュシン】・
粛慎【しゅくしん】・
朱眞【しゅしん】、
同音相襲【つ】げるが如し。
伝統自【おのづ】から明らかなり。

乃爰【ここ】に旧史を討探し、次第をなすこと左の如し。