Mr.Gの気まぐれ投資コラム

Mr.Gの気まぐれ投資コラム

50代グダグダちょい悪おやじMr.Gの趣味と海外投資に関するコラムです。
香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

 

すこし、わかりにくいかもしれないが、生命保険で保険証券の名義人(=契約者=支払者)と被保険者が異なる場合の契約において、被保険者より先に契約者が死んでしまうと面倒になるというお話をしたい。

 

通常は、生命保険の場合、名義人=契約者と被保険者は同一で有り、名義人=被保険者が死んだ場合には、指定された受取人に保険金が支払われるわけだが、名義人と被保険者が異なっていて名義人が死んでしまった場合には保険金は下りようがない。

 

たとえば、名義人が親で被保険者が子供になっているいわゆる「子供保険」がわかりやすいかもしれない。

 

Sun Life Hong Kong(サンライフ香港)のLife Brilliance(ライフブリリアンス)は貯蓄型の生命保険なので、小さな子供を被保険者にして親が名義人(=死亡時受取人)で契約し、子供が18歳以上になった後に契約者名義を親から子供に変更することが可能になるのだが、案外子供が18歳以上になっても名義はそのままにしている親が多い。

 

忘れているとか面倒くさいからというのもあるのだろうが、あまり早くに子供の名義にしてしまう、つまり払い込み済みの解約返戻金のある生命保険の権利を渡してしまうと、子供が目先のカネほしさにせっかく親が買ってくれていたお宝保険を解約してしまうおそれもある。

 

ライフブリリアンスのような運用性のある貯蓄型の生命保険は、日本国内では提供不可能な米ドル建の運用性を持っており、長く保有すればするほど死亡保障額も解約返戻額も増えていくので、子供は名義を引き継いでもずっと持ち続けるべきだし、親としては、そもそも自分が支払ったものなので、なるべく長く自分を契約者のままにしておいて契約の権利を保持したいと考えるの当然だが、名義人である親が被保険者である子供に名義変更する前に死んでしまうと、とても面倒なことになる。

 

契約者であるが被保険者ではない親が名義変更前に死亡した場合には、もはや被保険者である子供にも、法定相続人である妻や夫にも簡単には名義変更ができない。

 

その証券そのものが、相続財産という扱いになり、おそらく日本でも遺産分割協議書や法定遺言書のような法的に効力のある書類が必要になるだろうが、香港の保険の場合も、名義人が死亡した場合に名義変更するためには新しい名義人が正当なその証券の権利相続人であることを香港の相続法に基づいて証明し、香港の裁判所の検認をうける必要がある。

 

それらの手続きを香港側で行うためには現地の弁護士を雇わなければならず、弁護士費用だけも最低200万円くらいはかかるらしい。

証券価値が2,000万円くらいあれば200万でも払う価値はあるかもしれないが、200万円くらいしかないのに200万円かけて名義変更するひとは居ないだろう。

 

サンライフ香港の商品でいえば、Life Brilliance(ライフブリリアンス)の子供保険で契約者と被保険者が異なるケースが最も多いと思われるが、SunJoy(サンジョイ)やRoyal Fortune(ロイヤルフォーチュン)のような運用商品においてもあり得なくはない。

 

香港籍のHeng An Standard Life(旧スタンダードライフ)や香港バージョンのFPI(フレンズプロビデント)などが提供していた積立ファンド商品においても、受益者が指定されて居らずに契約者が死亡した場合には同様の手続きが必要になる。

 

これを、回避する方法は2つしかない。

 

1)名義人が死ぬ前に名義変更する

 

2)名義人が死ぬ前にサイン済みの名義変更の書類を作成してIFAに預けておく

 

※ 2)に関しては、自分がいつ死ぬか分からない場合には有効だが、実際には死んだことが確認できてから名義変更の書類を提出することになるので法的には問題がある。

海外の銀行に残された預金を、死んだ被相続人のパスワードやATMカードで勝手に動かしてしまうのと同様だ。

 

サンライフ香港のライフブリリアンスのような、被保険者設定のある海外の生命保険や運用商品で、名義人と被保険者が異なる証券をお持ちの方は、早めに名義変更をしておいた方が良いだろう。

 

いずれにしても、心配なひとはあらかじめIFAに相談しておくことをお勧めする。

 

相談できるIFAが居ない孤児契約者のひとは以下のサポート会社にでも相談して下さい。

 

 

 

2025年4月12日、広島県府中町にある「水分峡(みくまりきょう)森林公園」で、東京・練馬区に住む会社員・里見誠さん(52)が頭などを殴られ殺害された事件。

 

1ヶ月以上経った今も、犯人は捕まっていない。

そして、捜査状況に関しても何の報道もされない。

おそらく、容疑者はもう見つかっているが逮捕状が出せるほどの根拠がないからか?

 

そして、なぜ里見氏がそのような目に遭ったのか?誰がそんなことをしたのか?東京から新幹線に乗って一人で広島の水分峡(水分峡)森林公園などというへんぴなところに人気のない夜の10時頃に行って誰かと会っていたというのも不自然というか謎だらけで気持ち悪い。

 

 若い男女のグループが犯行に関与したとみられていて、捜査関係者によると、グループの一部と里見氏は、事件前からSNSでやりとりを重ねていた可能性があるとのこと。

 

このことから、一種の美人局事件かオヤジ狩りかという憶測も巷ではあるようだが、そんな単純な話しではないような気がする。

 

おそらく、事件前に会っていて、一緒に公園に行ったと思われる若い男女のグループの面子というのは既に割れているに違いないが、殺人に関与した決定的な証拠が欠如しているためか、単に見つけられないのか、容疑者が未成年の為に慎重になっているのか、メディアの報道が途絶えて久しい。

 

警察からの捜査進捗情報が何らかの理由で公開されなければ、どんな凶悪で深刻な事件もメディアは報道することはできない。

 

中国籍の男が小学生をひき逃げした事件の報道密度を考えると、殺人事件なのに考えられないくらい報道がない。

 

地元の新聞社だけあって、数あるメディアの中で唯一中國新聞の記者だけはその成り行きを追っているようだが、それも途絶えて久しい。

 

殺されたのが、全く知らない人間だったならば、もうそろそろ忘れてしまうような扱いだ。

 

いずれ忘れた頃に、さらっと犯人が逮捕されたりするのかもしれないが、もし未解決のまま闇に葬られるとしても、私はこの事件を忘れないだろう。

 

里見氏に何があったのかは今の時点では全く分からないが、1つだけ私に分かっていることは、彼があのような形で死ぬべき人間ではなかったということだ。

 

 

 

最近ITA(インベスターズトラスト)の積立契約を毎月クレジットカード払いしている方々で、今まで落ちていたのにカード会社のセキュリティー上の理由で突如落ちなくなり、ITAのシステムからカード削除という連絡を来るというケースが多発しているようだ。

https://g-confidence.com/2025/03/06/itacljsnndknskbngsdgabnkns/

 

ITAでは、何らかの理由で毎月の積立金の支払いがカードから落ちない場合、顧客と紹介者のアカウントにメールで連絡が来るが、何回か同じカードで引き落としをチャレンジしてダメだった場合、そのカードが登録から自動削除される。

 

通常、カードが落ちない場合というのは、カードの枠がオーバーしていたり、有効期限が切れていたりする時に発生するが、最近の傾向では海外からの引き落としに関してセキュリティーが働いて支払いが行われないというケースがITAでは多くなっているようだ。

 

その中でも、楽天カードのエラー率が高いらしい。

ITAに関しては、顧客が楽天カードに連絡してセキュリティーロックを解除してもらってもまたすぐに落ちなくなる場合が多いようだ。

以前にも指摘したが、楽天カードによる海外投資の支払いは微妙だ。

世の中には、楽天ポイントの奴隷化されているひとが多いように思うが、ITAやRL360、SunLifeなどの支払いで楽天カードの使用はお勧めできない。

 

今のところ、RL360では楽天カードの問題は特に発生していないようだが、以前の記事で指摘したような問題を考えると避けた方がよさそうだ。

 

AIによると、楽天カードは日本国内で最も発行枚数が多いクレジットカードで、2024年12月末時点の発行枚数は3,184万枚を超え、ショッピング取扱高シェアでは24.3%を誇るそうだ。

いわゆるポイ活的にはもっともポイントの還元率がよいということで利用者が多いのだろうが、こういった罠に引っかかってしまうのは金融サバイバル的にはNGだろう。

 

特に最近ITAの契約を勧めるひとも、契約するひともポイ活に敏感な若い世代が多いようなので、注意して欲しい。

 

 

 

政府による備蓄米(びちくまい)が放出されてもコメの値段はなかなか下がらない。

まるで、赤字国債の発行と日銀の買い受けによって市場に大量に放出され続けた日本円という通貨が安くなるどころか、むしろ円高だった為替のような話しだ。

 

「このままコメの値段が下がらないのではないか?」と不安になった国民が政府に対して更なる対策を求めて騒いでおり、「令和の米騒動」などと言われている。

 

調べてみると、1993年(平成5年)にも「平成の米騒動」という戦後最大の大凶作による深刻な米不足があり、その時には政府備蓄米というものがなかった為、アメリカ、オーストラリア、タイ、中国などから259万トンものコメを緊急輸入して凌いだらしい。

 

それを受けて、政府は需要と価格を安定させるための新たなシステムを構築するための議論を行い、1995年(平成7年)に食糧管理法を廃止し「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」が施行され、米の備蓄制度が発足した。

 

その後、政府備蓄米は多いときには200万トンもあったようだが、財政削減により現在は100万トン程度が適正値となっているらしい。

それ以外にも、JAや卸売業者が保有する民間在庫は2020年3月の発表では280万トンあったようだ。

 

政府備蓄米はJAなどの政府寄託倉庫にて低温保管され、大凶作や不作の連続などによりコメの民間在庫が著しく低下するなどのコメ不足が発生した際に放出される。食料・農業・農村政策審議会食糧部会において作柄、在庫量、市場の状況、消費動向、価格及び物価動向等について放出の必要性についての議論を行いこの結果を踏まえて、農林水産大臣が備蓄米の放出等を決定する。

 

「コメは買ったことがない」と発言して炎上してしまった江藤拓氏が今の農林水産大臣だ。

 

 

日本人にとって主食であるコメの価格が倍になってしまうというのは、局所的だがインフレには違いなく、少なくともコメを買うときの日本円の価値はいきなり半分になってしまったということだ。

 

今まで価格統制が見事に行われていたコメの価格の急激な高騰は、ある種の大事件であることは間違いない。

 

農産省が「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」に基づいて政府備蓄米を活用してコメの価格を安定させる政策は、日銀による通貨の流通量管理による物価の安定政策と似ているが、そのいずれもが今の経済状況下では上手く機能しているとは言いがたい。

 

備蓄米を放出しても価格が下がらないのは、流通上に目詰まりする問題があるに違いないが、その悪者が農産省なのかJAなのかその先の転売利益を目論む問屋なのか、全員なのかはわかりにくい。

 

もし本当にコメの価格を下げたいのであれば、そのびーちく米とやらをもっと放出してジャブジャブにすれば良い。

しかし、そんなことをすれば今の高騰した値段でも儲からんと言っているコメ農家がコメを生産する気を失って廃業するかもしれない。

 

農産省とJAは数年前からコメの価格の引き上げを狙って減反政策を行ってきたところに、昨年の意図せぬ不作による予期せぬ米不足が発生し、コメの価格が高騰したとのことだが、倍の値段にいきなりするつもりはなかったにせよ、農産省やJAはコメの値段を上げたかった訳だから、国民がどれだけ騒ごうともこれ以上びーちく米の放出をしてコメの価格が以前より下がってしまうようなことは避けたいのが本音だろう。

 

コメ農家の未来や、日本のコメ文化、コメを中心とする食料自給率といった国の将来を無視して、目の前のコメの価格を安くしたいのであれば、国民がコメの不買運動をすれば良いだけだ。

 

農家のビジネスは破壊されるだろうが、政府は通貨とと違って現物のコメを備蓄して持っている訳だから、それを放出してコメの流通在庫を増やし、それでも売れなければ価格は下がらざるを得ない。

 

価格が下がらないのは、高くても買う奴がいるからだ。

政府もびーちく米名目で余ったコメは買ってくれる。

たぶん、日本製の高品質ブランド米が6,000円だろうが1万円だろう、買う奴は買う。

インバウンド客などは特にそうだろう。

 

そして、トランプ関税の影響で、なし崩し的にカリフォルニア米とかタイ米とか中国米がいずれは安く入ってくるだろう。

 

コメも、ブランド米は高騰し、非ブランド米は安くなって、ブランドと品質にこだわらなければ価格はこなれてくるに違いない。

 

 

備蓄米の話しはこれくらいにして、本題の乳首米(ちくび米)の話しをしたい。

 

備蓄米、びちく米、びーちく米、ちくび米という謎の脳内言語変換で、ちくび米ってあるのかな?と思っただけなのだが、「ちくび米」はなくても、「コメちくび」はあるかもしれない。

 

繰り返し報道される備蓄米の話を聞いていて、乳首米(ちくび米)を想像してしまう私は、おっぱい研究家なので仕方ないのだろうか?

 

アナウンサーも、言い間違ったりしないか不安なのではないか?と心配になる。

 

乳首米(ちくび米)なるものそもそも存在するのだろうか?

 

AI先生によると、ちくび米というものは存在しないようだ。

***

「ちくび米」という言葉は、おそらく「乳首」と「米」を組み合わせたもので、お米の白い部分をそのような言葉で表現しているのかもしれません。しかし、これは正式な言葉ではなく、一般的に使われる言葉ではないため、お米の白い部分について説明する際には、「粉状質粒」や「乳白粒」などの専門的な言葉を使うのが適切です。

お米の白い部分について心配な場合は、農林水産省の相談窓口や、専門家にお問い合わせいただくことをお勧めします。

***

 

もしあったら、政府びーちくちくび米という特殊な備蓄米もあったかもしれない。

 

米乳首(コメチクビ/米ちくび)という言葉もAI先生的にはどうも存在しないようだ。

 

***

「米ちくび」という言葉は、正確には存在しない言葉です。一般的に、お米の白い部分を指す言葉は「粉状質粒」や「乳白粒」などと呼ばれます。これらの粒は、お米の生育中に天候などの影響で発生することがあります。

***

 

現在のAI先生は、ちくび米と米ちくびの違いもあまり理解できないようだ。

いずれも、お米の乳白粒という白い部分の間違った表現ではないか?とのご指摘だが。

 

「ちくび米」はあったとしたら、乳首のような形をしたお米。

「米ちくび」は、普通に考えれば米のような小さな乳首のことを指すような気はするが?

 

男性の乳首は研究対象ではないが、男性の乳首でお米のような形の細長い乳首があっても不思議ではない。

 

 

昨年の三菱UFJ銀行での貸金庫からの行員による数十億円もの金品窃盗事件発覚を受けて、みずほ銀行でも6年前の2019年に同じく行員による現金横領事件でその行員を懲戒解雇していたという事実を今年になって後出し公表した。

 

このような異例の銀行の信用問題に関わる行員による貸金庫窃盗事件を受けて、各銀行は以下のような貸金庫サービスの見直しを検討しているとのことだ。

 

北國銀行:

2028年3月末をめどに、貸金庫のサービスを廃止する方針を決定。

 

みずほ銀行:

全国で新規受付を停止。既存の利用者にはサービスを継続。

新店舗の開設においても、原則として貸金庫は設置しない方針。

みずほ銀行は、秋田支店(秋田市)での貸金庫サービスを近く廃止すると公表(5月14日)。

設備の維持コストがかさむ一方、需要が減って採算が取れなくなったという。三菱UFJ銀行で昨年11月、元行員が顧客の現金などを盗んだ事件が発覚して以降、メガバンクで貸金庫の取り扱いをやめるのは初となる。

 

その他:

みずほ銀行だけでなく、多くの銀行で貸金庫の見直しが進み、新規受付停止の動きが出ている。

地域金融機関では、北国銀行以外でも、金沢信用金庫、四国労働金庫、西京銀行が、貸金庫サービスを廃止する方針を発表している。

 

 

今回の事件の問題は、このことが銀行の信用問題に致命的に関わることであり、それ故みずほ銀行の事件は5年間も公表されず隠蔽されていたという点かもしれない。

 

三菱UFJ銀行の事件も、可能なら隠蔽したかったに違いないが、あまりにも金額が大きすぎて事件を公表せざるを得なかったのだろう。

 

コンプラ的にみれば、中居クン問題でフジテレビが受けているダメージを考えると、このひとつの事件だけで三菱UFJ銀行というメガバンクが傾きかけないレベルの事件というか、行員によるテロ行為とも言える。

 

ただ、金融庁は、これを機に貸金庫サービスという脱税やマネーロンダリングのために現金を多くの人がそこに保管しているという事実にフォーカスし、貸金庫サービスと現金の保管について制限を設けようとしている。

 

転んでもただでは起きないというか、「起ったものはしょうがない。悪いのは銀行ではなくて、貸金庫に資産を隠している奴らだ」といった理論のすり替えが素晴らしい。

 

銀行が管理する貸金庫のセキュリティーは、国際的には絶対的なものでなくてはならないが、保管される中身については特に保証が有るわけではない。

 

金庫の中に何が入っているかを銀行は原則としいて把握していない。

それ故、絶対のセキュリティーが要求される。

 

特に、誰もが貸金庫を利用しているわけではなく、銀行にとって優良な富裕層顧客の囲い込みのためのサービスとしてそのサービスが提供されていた背景を考えると、殆どが金融庁や税務当局に筒抜けの銀行サービスにおいて、唯一「何が入っているか分からない」機密性の高い箱だったのが貸金庫サービスだったのだろう。

 

もし、金融庁がその暗部を暴きたいと考えていたのなら、今回の事件は好都合だったと言える。

 

***

金融庁が3月27日、貸金庫業務の適正化を目的とする監督指針の改正案を公表した。現金などマネーロンダリングの観点でリスクが高い物品が約款などで格納可能物から適切に除外されているか、顧客が貸金庫を利用する際に行職員の立ち合いや、カメラによる撮影で不正な利用を防止できる体制ができているかなどをみていく考えだ。

***

 

実は、貸金庫は富裕層が現金を多く保管しており、いまだに100兆円近くあるとされるタンス預金の一部として数十兆円の旧札現金が貸金庫には眠っていると考えられる。

 

そして、その現金はほぼ全て旧札なので、いずれはあぶり出される運命だと理解した方がいい。

もともと貸金庫の中に現金を保管する行為は別に禁止されていた訳でもなさそうだが、おそらく今後は、現金の保管を原則禁止するか、もしくは保管物の内訳に関して銀行に届け出をしなければなくなると思われる。

 

私なら、貸金庫の現金は今のうちに引き出して、香港に持っていってHSBCに入金する。

CRSの情報交換があるので隠せるわけではないが、安全性は遙かに高い。

 

そもそも腐っていく日本円の現金を、しかも旧札のまま、信用のおけない日本の銀行の貸金庫に入れておくメリットは思いつかない。

 

私は日本の銀行で貸金庫を契約したことはないが、3メガバンクだけでも合計40万件、地銀や信用金庫などを併せると100万件以上の貸金庫契約があるとされる。

 

仮に、100万個の貸金庫に平均100万円の現金が入っていたとして10兆円なので、貸金庫に眠る現金はおおよそ数十兆円といったところだろう。

「九龍ジェネリックロマンス」というかつて香港に存在した九龍城砦を舞台にしたSFラブロマンスサスペンス作品?

 

「九龍」=「Kowloon」という香港の地名が使われていることに惹かれてアニメ版を見始めた。

 

原作漫画は、ヤンジャン(週間ヤングジャンプ)に2019年から連載されている眉月じゅんの作品。

 

どこかで見たような絵だとおもっていたら、女子高生とオッサンのガチ恋愛を描いた「恋は雨上がりのように」と同じ作者だった。

 

知らんかったが、今年8月には吉岡里帆(鯨井令子/鯨井B)と水上恒司(工藤発)主演の実写版映画が公開されるようだ。

 

アニメ版と実写劇場版の並行公開というWメディア戦略とやららしいが、いつものように実写版にはあまり期待していない。

 

敢えて言うなら、キャスティングはともかく実写版でどこまで今は無き九龍城砦の雰囲気をリアルに再現できているのか?が興味深い。

 

かつて存在した、何でもアリの違法建築物「九龍城砦」の在りし日の姿は今は映像でしか観ることができない。

 

アニメ版ではなんとなく香港の雑然として懐かしい感じがうまく表現されている。

 

今のところ、内容的には微妙というか面白いのかどうかよくわからない。

鯨井令の見た目が綾波レイと被って見える感じからしてもジェネリック(クローン人間)であろうことは分かってきたが、その背景はまだ謎のままであり、さりげない日常の中に潜む舞台の世界の謎に惹かれる部分はある。

 

設定は謎ばかりだが、基本ストーリーは過去の記憶のないクローン人間であろう鯨井令とそのオリジナルが婚約者だった工藤発との恋愛ラブロマンスとして進行する。

 

自分が何ものか分からない記憶のない鯨井令は、おそらく自分のオリジナルで今は死んでいる鯨井Bの過去に触れて困惑しながらも自分自身のアイデンティティーを見い出して、今の工藤を好きな自分を受け入れようと苦悩するが、ストーリーの重苦しさに対して登場人物がポップというか、やたらポジティブで明るいギャップが観ているものを心理を混乱させる。

 

今は失われつつある香港の雑然として、怪しげで、どこか懐かしい感じのする風景や雰囲気に憧れて香港を訪れる日本人が増えて欲しいものだと思いながら観ている。

 

 

 

 

 

世の中で「なんでもないこと」で本当になんでもない事はないし、「どうでもいいこと」でどうでもいい事もない。

 

好きな人に言いたかったこと言いかけて、「あーそんなんじゃなくて、えーっとなんでもないよ」って愛している気持ちが言葉で表現できないもどかしい感じを表現したマカロニえんぴつの「なんでもないよ」は、愛してるという言葉の中身を表現できなくて「なんでもないよ」になってしまう現象をちょっとコミカルにそしてウェットに表現した心温まるラブソングだ。

 

世の中には、大切な事、しかも最も大切なことを言葉で伝えられなくて、その結果どうすることもできなくで、「どうでもいいよ」で終わってしまう事も多い。

 

どうでもいいことほどどうでもよくないものだ。

 

同様に、なんでもないことはなんでもなくはない。

 

言いたかったこと、でも言葉にできなかったこと、どうしても言葉にできなかった感情。

 

恋愛で気持ちを伝えるのに「なんでもないよ」は、ある意味最上の愛情表現なのかもしれない。

 

からだは関係ないほどの心の関係

言葉が邪魔になるほどの心の関係

 

会いたいとかねそばにいたいとかね守りたいとか

そんなんじゃなくてただ僕より先に死なないで欲しい

 

思い返せば、こんな私でも過去に好きな人に「俺より先に死なないでほしい」というたったひとつのお願いをしたことがある。

 

この先生きていて想像しうる最もつらいことは、「彼女がいない世界にたったひとり残されること」だった。

 

案外、恋愛というのはそういうものなのかもしれない。

 

結局、何が言いたかったって?

 

いや、なんでもないです。

 

RL360やITAといった会社が提供するオフショアの積立商品を契約するなら、海外のIFAに直接コンタクトして自分から買いに行くべきだという論旨は耳にタコができるほど申し上げているが、いまだに分からん人が多いようだ。

 

よく、「どこのIFAがお勧めですか?」という質問をうけることが多いが、どこのIFAが絶対に良いという決定的な要素はなないので、ご自身で連絡をして判断してみて欲しいとしか言えない。

 

敢えて言うなら私が20年以上も使っているIFAは日本にもサポートセンター(非公開)があるし、少なくとも20年間はそのサービスを継続できているので悪くはないと思うが、そこも将来どうなるかはわからないし、他のサイトでは悪口も書かれている。

 

ただ、お勧めしないIFAの基準というのはお話しできる。

 

まず、日本人のサポートスタッフが居る居ないとか、運用がどうこうという以前に、違法な勧誘行為を紹介者に強要したり、MLM的な組織を容認しているようなIFAは論外だ。

 

特に、RL360に関しては、現存している紹介ルートの殆どが特定のIFA下でMLM化しており、実名は挙げないがアドなんとかハリなんとかが主流だろう。

 

あるアドなんとかを勧めるサイトでは、ハリなんとかとグラなんとかがMLMだと言っているが、グラなんとかはMLMとは関係ない。

 

かつては、アテなんとかというMetis Globalを勧めていた香港IFAや、シンガポールのアミなんとかもRL360の扱いがあったが、最近は聞かなくなった。

 

香港系のIFAであれば、直接連絡してみて、IAかSFCのライセンスを持ったアドバイザーが直接対応してくれるところは問題ないが、ライセンスのない紹介者や日本の偽IFAを紹介されるIFAとは関わらない方がよいだろう。

 

今もっとも(IFA側で)問題になっているのは、IFAがIFAとしてやるべき仕事をちゃんとやっているのかどうか?という点であり、特に香港のIA(保険監管局)は香港のIFAが香港外の顧客に対して仲介を行う際に、現地国において違法性のある営業行為や、本来IAのライセンス下でライセンスを持ったIFAに所属するライセンスを持った社員が行わなければならない仕事をちゃんとやっているのかどうかというところを厳しく当局が監査し始めている。

 

その監査で引っかかると、金融ライセンスの停止や剥奪、罰金や、担当者の逮捕もあり得るので、香港のIFAは慎重にならざるを得ない。

 

これは、香港の場合、香港で認可されている金融商品や保険商品が、ライセンスを持ったIFA経由で(香港ではない)海外に住む外国人に販売されるケース(クロスボーター取引)が対象であり、RL360(マン島)やITA(ケイマン諸島)のような香港で認可されていない会社の商品が非香港法人経由で香港以外に居住する日本人に販売されるケース(オフショア・クロスボーダー取引)に関しては、実は香港の金融当局の関与するところではない。

 

その結果、RL360やITAのようなオフショア商品は、世界中でライセンスを持たない業者による闇流通やMLM化が横行しているといってもよいかもしれない。

 

ただ、そのような場合でも、コンタクトすべきIFAはどこかの国でライセンスを持ったIFAであり、IFAとは言えない業者に頼るべきではない。

 

RL360やITAもバカではないので、基本的にMLM化は禁止しているし、特にITAはここ10年くらいかけて正規ではない闇紹介者やルートの撲滅をしてきた結果、紹介料目当ての露骨な違法販売は減ったように思う。

 

日本でITAをガシガシ勧める人が居るとすれば、主に国内で保険を売っているFPが多いだろうが、それも営業行為だと見做されれば金商法に触れることとなる。

 

RL360に関しては、もともと日本市場に関して取引のある親IFAの数が限られている為、そのIFA下でMLMや違法販売が発生していても親IFAとの取引を止めたり制限するような強制的な管理を行っていなかった為、結果として営業力のあるMLM的なルートだけが生き残った感じがする。

 

いずれにせよ、IFAに直接連絡をとってみればそのIFAのスタンスはおおよそ理解できるだろう。

 

これから契約をされる方へ、Good Luck!

 

 

 

 

 

 

「こだわり」というのは奥が深い。

 

世の中には、こだわりのある人とこだわりのない人が存在するが、良くも悪くも「こだわりのない」ひとが特に若い世代には圧倒的に多くなっているように感じられる。

 

「拘る(こだわる)」とは、なにかに強く執着することであり、そのこだわりは時としてひとを頑なにし、人間関係を阻害する。

 

精神的なこだわりはネガティブな側面が強いが、物に対するこだわりは特に男にとってはダンディズムの基本という側面が強く、物にこだわらないハードボイルドなどあり得ない。

 

今の若い世代にとっては、「こだわりのある生き方」より「こだわりのない生き方」のほうが柔軟でスマートな生き方に見えるのかもしれないし、こだわりのない男のほうが今はきっとモテるのだろうが、いったいいつからこだわりは過去のものになってしまったのだろうか?

 

昭和やバブル期では男のダンディズム=カッコよさは「こだわり」から生まれるという信仰があったような気がする。

 

こういう本も出ているが、精神論的なところが強すぎて今風ではない気がする。

 

モーニングに連載されていた漫画で、『その「おこだわり」俺にもくれよ!!』という日常生活のなかで特にこだわる必要がないものや事柄に関してこだわりを持った変人にスポットを当て、その異常とも言える「おこだわり」ぶりをギャグ的にレポートした作品もある。

作中で紹介される「こだわりびと」というのは本来こだわる必要のない、普通の人はどうでも良いとスルーしてしまいそうな些細なもの、例えばツナ缶、ポテサラ、白湯、さけるチーズ、など貧乏人の異常とも言えるこだわりをギャグ化していてそれはそれで面白い。

 

 

どうでもいいものに対する異常なこだわりは、それがどうでもよいと思えるひとからすると滑稽だ。

 

なんでもかんでもこだわってばかりいると、人生はしんどいものになってしまうが、あまりなんにもこだわらないモブ化してしまうのもどうかと思う。

 

「もの」に対するこだわりは、もう少し復活してもいいのではないか?とは思うが、精神的にはこだわりのない自由で柔軟な思考の持ち主が、ものにだけこだわるというのもなかなか難しいのかもしれない。

 

そもそも物に対する思い入れやこだわりは、精神的なこだわりや信念からきていることが多いからだ。

 

昔はよく読んだものだが・・・monoマガジン。まだ続いているのに驚かされる。

 

そもそも、こだわりのないに人間が物を作るから、こだわりのないものが出来上がり、こだわりのない消費者に受け入れられて商売が成り立っているとすれば、物にこだわりのある人向けの商品というのはどんどんなくなってしまう。

 

価値に関する考察のなかで、物質的な価値にこだわるかこだわらないかの差はその人の人生に大きな違いをもたらすだろうと思う。

 

「もの」=「モノ」=「物」にごだわるとはどういうことか?

 

AI先生によれば、「物にこだわる人」に関して以下のような分析がなされている。

 

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「物にこだわる人」とは、モノに深く愛情や関心を持ち、それらにこだわる人のことです。

ただの所有物ではなく、それらに込められた意味や物語、世界観を大切にする生き方をする人とも言えます。

 

「物にこだわる人」は、所有価値と使用価値のどちらに重きを置くかで、行動が異なる場合があります。

しかし、いずれにしても、モノに対する愛情や関心は、人生を豊かにする大切な要素と言えるでしょう。

 

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物質に感情移入することなどあり得ないAIですら、人間だけが持つ「こだわり」が、人生を豊かにする大切な要素だといっているのが実に興味深い。

 

今の若い世代や子供達にとって、ものにこだわるという感覚は、我々昭和世代の持つ感覚とは根本的に異なる気がする。

 

若い人たちは、そもそも生まれたときから世界はものに溢れていて、そのなかで自分の意思による、ものの選択基準はは合理的な価値の判断や、ネットの口コミ評価などに第三者の意見によって左右されている場合が多い。

 

我々昭和世代であっても、当時の広告やそれに扇動されたブームに多大な影響を受け、憧れの有名人が使っているものやテレビや映画に出てくるものたちに憧れてみんなが欲しがる物を欲しがっていたという点ではあまり変わらない。

 

ただ、インターネットのない昔は、物や商品に関する情報が限られており、流行に流されて買ったものの、実際に手にしてがっかりするものが意外と多かったというのはある。

 

自分が子供の頃に憧れていて欲しかったが、高くて手には入らなかったものも沢山有り、それが「いつかは手にいれていやる」的な怨念として積み重なった結果、ものに対する病的な執着を持っている場合があるのが昭和世代のこだわりの特徴かもしれない。

 

わたしの場合は、クルマ(空冷ポルシェ911)やバイク(カタナやニンジャ)といった80年代に自分が20代の時に乗れなかった乗り物に対するこだわりは確かに半端ない。

 

そういう、怨念に近い執着はさておき、日常で自分が使うモノに対するこだわりは、人によって様々であり、こだわりのあるものないもの、こだわりの度合いなど、相当な個人差があるとは思う。

 

また、女性の方が一般的に男性に比べてハードウェアに対するこだわりは少ない気がするものの、靴や鞄や服、アクセサリーといった身につけるものに対するこだわりは、男性の理解を遙かに超える。

 

また、美容やコスメという、モノというか美に関するサービスに対するこだわりも半端ない。

 

以前に分析した、古代ギリシャから続く「価値」の概念の中心が「美」と「よいもの」であったことを考えると多少納得いく。

 

「美」に関しては、若い女性も、若くない女性も変わらず一般的にまあまあ強いこだわりがあるのは事実だろう。

 

女性特有のこだわりには、「美」が中心にあり、自分がより良く見えるものに対するこだわりは怨念に近いものがある。

 

一方、男性のこだわりは、美より機能、もしくは機能に裏付けされた美に集約される気がする。

 

例えば、毎日使う道具のようなものや、装備として身につけるものは、それによって生み出される結果に影響する。

 

ゴルフクラブのようなスポーツの装備が良い例かもしれない。

 

道具にこだわるひとが必ず上手いというわけではないが、上手い人で道具に全くこだわらない人は居ないかもしれない。

 

スキーやスケートならブーツの重要さを知っているひとは多いだろう。

自分の足に合ったブーツがなければ、いくらオリンピック選手であってもまともにジャンプは飛べない。

 

乗馬であれば、目的に合ったいい鞍をもっていなければ馬術は始まらない。

 

プロと呼ばれるひとは道具にもそれなりにこだわるものだ。

 

漫画の話しだが、敬愛するデューク東郷氏(ゴルゴ13)も仕事で使用する道具(銃器)には半端ないこだわりがあり、それを長年に渡って支え続けてきた銃器職人デイブを主人公としたスピンオフ作品もあるくらいだ。

 

「死に神の鎌を研ぐ男」・・・銃器職人・デイブ!!
”職人には、決して譲れないものが、ある”

 

 

 

今の若い世代も、スポーツに関してはある程度道具に対するこだわりはあるように思うが、それも性能のそこそこ良い道具が製造技術の進歩によって量産されて安価に手に入るものが多くなったので、スポーツ道具の選択もネット上の評価に誘導されがちではある。

 

ゴルフというスポーツは、長年に渡る正しい練習(修行)と経験を必要とする難しいスポーツではあるが、道具がなければプレーすることはできない、しかも14本ものクラブを駆使して戦う、圧倒的な道具依存型競技であり、如何にその時の自分に合った道具を選択し、それを使いこなすかで結果は相当変わってくるため、プロでなくとも道具に対するこだわりの強いスポーツのひとつだと言える。

 

それでも、スポーツを楽しむ大半のひとたちにとって、道具に割ける時間と金は限られており、「別に競技を目指しているわけでもプロでもないのに、そんなに道具にこだわらなくてもいいか。」という気持ちにはなりやすい。

 

そこそこの道具で、そこそこ上手ければいいし、そのほうがカッコイイと思えてしまう。

 

日本のことわざで「弘法筆を選ばず」というのがあるが、上手い人は道具を選ばないという意味ではなく、達人は道具の善し悪しに関わらずそれなりに使いこなし結果を出すという、上手くいかないことを道具のせいにするひとを戒める意味であり、また実際には道具にこだわって選んでいてもそれを自慢しない名人や達人を褒め称える意味であるとされる。

 

名刀を持つ武士が、むっちゃ弱かったらカッコ悪いと感じるのと同じで、道具にこだわらないのは、上手くいかなかった時に道具のせいにできるという部分や、身分不相応な道具を使いこなせなくて恥ずかしい思いをしなくて済むという精神的防御の側面は否めない。

 

投資商品という物ではない「商品」も、投資という行動における道具のひとつであると私は考えているが、これもこだわる人とこだわらない人の差は歴然としている。

 

少なくとも、1%のひとしか生き残れない投資というバトルだとすれば、99%の人が使っている道具と同じ物で生き残る為には相当な腕前が必要とされる。

 

投資は、チート行為の容認されたゲームのような側面もあるので、チート行為の可能な道具が手に入るのであればそれを使わない手はないだろう。

 

つみたてNISAとかiDeCo、ウェルスナビのような汎用性の高い道具をみんなが使ってみんなが勝てるゲームでないことは確かだろう。

 

投資はそういう殆どのひとが生き残れない(死んじゃう)過酷な戦場であるにも関わらず、しかも投資商品という本来自分に合った勝てる可能性の高い武器を選べるにも関わらず、テレビで宣伝されている吊しの汎用武器を持たされてその戦場に赴くのはまるで死ににいくようなものだ。

 

どんなにこだわりのないひとでも、戦場に赴くときに武器にこだわらなければ確実に死にます。

 

 

HSBC(香港上海銀行)という銀行をそもそも知らないという日本人はきっとまだ沢山居るに違いないが、HSBCは世界最大級の銀行のひとつであり、英国領香港に1865に設立されてからちょうど今年で160年になる。

2020年の香港国家安全維持法によって既に中国に政治的に支配され、(1997年の返還から50年後の2047年には中国に完全返還される)中国化が進んでいる香港が拠点とは言え、その国際的信頼性は疑う余地もない。

 

日本においても、HSBCの歴史は外資系銀行では最も古く、薩長連合の盟約が成立し、寺田屋騒動で坂本龍馬が襲撃され、年末には徳川慶喜が15代将軍となった1866年(慶応2年)に香港上海銀行(日本支店)が開設されている。

現在においては、法人部門だけが東京と大阪に残っており、残念ながら個人向け部門(HSBCプレミア)からは2012年2月に撤退している。

 

HSBCプレミアという個人富裕層向け部門は2008年に鳴り物入りで日本に上陸したものの、期待されていたほどの商売にならなかったようで僅か4年での撤退という見切りの早さだったが、日本の金融市場のガラパゴス的閉鎖性を露骨に表わしており、HSBCとしては「こんな国の金融リテラシーの低い顧客を相手にしていても商売にならない」という判断だったのだろう。

 

奇しくも同年(2012年)、マン島フレンズプロビデント・インターナショナル(FPI)が日本居住者からの契約受付を終了しているが、これも日本の閉鎖的な金融業法に起因する日本人市場のクオリティーの低さが原因だったと言える。

 

米大手銀行のシティバンク(citi bank)も2014年に日本からの撤退を決定し、2015年11月1日にはリテール事業がSMBC信託銀行に売却され、新ブランド「PRESTIA(プレスティア)」として引き継がれた。

かつては日本のシティバンクにも口座を持っていたが、この時に不要と思い解約した。

 

HSBCの支店は日本からは撤退したものの今でもオフショア地域のみならず世界中の主要国に存在し、私個人的には香港、中国、シンガポール、ベトナム、マン島の5口座を保有しているが、その中でも香港のHSBCがインターネットバンキングやスマホアプリによるモバイルバンキングの使いやすさとセキュリティーの高さからいちばん使い勝手がよい。

 

同じHSBCであっても国ごとにネットバンキングのシステムは異なっており、常に最新のものは香港のHSBCである。

 

ドバイとタイにも持っていたが、タイは日本と同じような理由で撤退してローカルに売却され、ドバイは非居住者の口座維持が難しくなったのでいずれも口座は閉鎖した。

 

ベトナムのHSBCは、非居住者がベトナムドン建ての定期預金もできなくなり、ATMカードすら発行されなくなった為、もう必要はないのだが、解約しても口座のベトナムドンを持ち帰ることができずに温存している。

 

海外口座マニアの私は、HSBC以外にも、citi、Hang Seng、ICBC、Wells Fargo、Lloids TSBなどの銀行口座を保有しているが、他行と比較しても世界のHSBCグループの中においても、やはりHSBC香港が最も便利で使いやすい。

 

HSBC香港の銀行口座を開設するには、香港への渡航も必須だし、今や英語がペラペラに話せる人が窓口で直接交渉しても事前の予約無しでは開設が難しいので、なにがしかの手数料を業者に支払って開設サポートを受けるのが無難だろう。

 

 

まあ、口座開設の難易度でいえば、10年前と今では比較にならないほど難しくはなっているが、それでもまだ日本居住者が口座を開設可能な状況というのは奇跡的にありがたい。

 

現実には、そこまでして海外の銀行口座を持つ意味などわからんという人が大半だろうが、たとえ今は海外移転するほどのお金が無くとも、海外の銀行口座、特に物理的にも日本から近く便利な香港のHSBCで口座を持っておいて損はない。

 

巷では、もう開設はほぼ不可能だとか、そんなものは不要だとか、少なくとも積極的に勧める人が減っているのは確かだが、それは単に勧めるメリットがその人(勧める側)に無いからに過ぎない。

 

投資商品や保険商品と同様に、海外の銀行口座など他人に勧められて開設するようなものではない。

 

自分自身が本能的に、また論理的にその必要性を理解して開設に挑みべきものだろう。

 

また、そこそこ成功者と思われるビジネスマンが、海外の銀行口座のひとつも持っていないというのは恥ずかしい気もする。

 

日本に住み、日本で働き、日本円で収入を得て、日本で税金や社会保険料を支払って、主に日本で日本円しか使わない日本人が、海外に銀行口座を開設して外貨で資産を分散しておくべきだと気付くには色々と無理があるのかもしれない。

 

確かに、分散するほどの資産や預金や、収入がない人たちが、そんなことを考える余裕もないことはよく分かる。

 

ましてやこれからまだインフレが進むと思われる今の世の中で、日本であっても貯蓄自体が進むとは考えにくい。

 

なので、政府としてはつみたてNISAのような預金が無くても収入から毎月少しずつでも手軽に積立が可能な商品を若い世代に普及しているのだろう。

 

いまや、65歳以上の高齢者や未成年からもあさましくNISAで銀行に眠るカネを吸い上げようとしている。

 

もともと、タックスヘイブン(オフショア)の銀行に口座を持ちたい人というのは、資産を隠して税金を払いたくない人や、海外で投資をしていて、その受け口として便宜上口座が必要だったというひとが大半だったように思う。

 

しかし、日本居住者が、税金のかからないタックスヘイブン(オフショア)に銀行口座を開設する意味は、CRS(Common Reporting Standard)という徴税のために多国間情報共有システムにタックスヘイブンが組み込まれた今となっては薄れてしまった感が大きい。

 

少なくとも、商業的にHSBC香港の口座開設を勧める業者目線では、セールスポイントは薄れてしまったのだろう。

 

それでは、海外に銀行口座を持つ意味はもうないのかと言えばそうでもない。

CRSの情報共有システムによって、日本居住者の場合、世界中の銀行口座の年末残高が日本の税務当局に把握されているが、それはデータとして把握されているというだけであって、即犯罪とか脱税というわけではない。

 

そこで発生する金利など確定利益については日本で税務申告の対象となるが、1,000万円くらいの預金があったとしてもそこで発生する金利は1%だとして10万円にしかならないので20万円を超えなければ確定申告は不要だ。

 

おそらく、殆どのひとが海外の銀行で得られる金利は申告不要だろう。

※但し、為替が考えられないほど大きく(円安に)変動した場合には、為替差益が発生する可能性はある。

 

もし、もっと大きな額を海外で運用したいのであれば、オフショアファンドや海外の生命保険会社が提供するドル建ての運用商品などで運用していれば、利益が確定するまでは日本での課税は発生しない。

 

また、国外財産調書の提出が必要になる5,000万円を超える資産を海外に移転したいと考えるのであれば、その一部は、6年間ほど資産圧縮が可能なサンライフ香港(Sun Life Hong Kong)のサンジョイ(SunJoy)やサンギフト(SunGift)のような運用商品を利用した方が国外財産調書の提出義務も回避できるので良いだろう。

 

海外の銀行口座を開設するのがブームだった15年くらい前までは、まだCRSもなくマイナンバーも存在せず、海外の銀行に手持ちで運んだ現金を入れておけば日本側では分からないと思っていたというのはあるかもしれないが、当時でも口座を開設して何千万円とか累計で何億円とかのお金を海外に運んで入れた人はそれほど多くはない気がする。

 

思い返してみれば、日本人は今も昔も、海外に銀行口座があったとしても結局は日本に大半の資産を置いたままにして腐らせている。

 

たとえ、それが課税されるものであったとしても、あるいは資産を隠したいとは思っておらず将来納税する意思があったとしても、海外の銀行口座(その中でもHSBC香港の口座)をなるべく多くの日本居住者が保有しておいた方が良い理由は、究極的にはいつかくるであろう突発的なハイパーインフレ(経済破綻)やそのトリガーとなりうる大地震や有事に備えた資金の移民先がなければ生き残ることすら難しいということだ。

 

1)緊急時のサバイバル的観点

日本という国が将来どのような経済的な危機に陥るかはわからないので、資金の緊急疎開先として海外の銀行口座はあった方がよい。

 

物理的に海外の金融機関にあるお金は、その国の金融体制に依存しており、日本があるとき突然預金封鎖のようなことを行っても、他国にある資産は影響を受けない。

 

日本の金融機関を世界と比較して信頼しすぎるのは個人にとっては危険である。

 

2)資金の流動性と、税の強制力からの避難目的

 

海外でビジネスをしている、もしくは海外に既に投資をしているひとは、将来それを現金化して将来使ったり、別のものに再投資をするためのストップオーバー拠点として、流動性の高い海外の銀行口座を保有しておくべきだろう。

 

海外で得られた収益や利益を、日本国内に直接戻せば即課税は逃れられない。

海外の銀行口座で受け取っても、日本居住者である限りは課税義務がなくなるわけではないが、強制的に徴収されることからは逃れられる可能性がある。

また、オンラインバンキングで簡単に世界中の別の金融商品に資金を移転することも可能。

日本で使用する際にも、銀聯やMaster Debit Cardなどを使って何の不自由も無い。

まだ、上記のWorld Debit Master Card(マスターデビットカード)を申請していない人は現地に赴く必要はあるが申請しておいたほうが良いだろう。 

これから口座開設するひとはその時に申請することをお勧めする。

 

 

3)銀行口座のデジタル化やAIの導入といった最新の海外プラットフォームに順応する必要性

 

香港HSBCの最新オンラインバンキングに慣れ親しむことによる英語や金融リテラシーの向上。

 

海外の銀行が提供しているオンラインバンキングのプラットフォームのほうが日本の銀行システムよりも遙かに進んでいる場合が多く、インターネットバンキングやモバイルバンキングなど、海外(たとえば香港HSBC)のスタンダードに慣れておくことは有益であると考えられる。

 

特に、スマホのアプリを使ったHSBCモバイルバンキングは、セキュリティー上の理由などからオンラインバンキングのカギとなっており、それが使えないと何もできないが、それが使えれば殆どのことができてしまうような状況になりつつある。

 

最近日本の証券会社の口座がハッキングされて、かってに株の売り買いがされたというニュースが出ているが、スマホの顔認証によるログインやアプリに直接送られてくるプッシュ通信による個人認証が行われていればあのようなハッキング事故は起らない。

 

以上の3点は、いずれも多くの人が甘く見ていて想定していないが、将来起こりうる危機や不自由さに対処して生き延びていく為の海外銀行口座の必要性が集約したものだが、もちろん開設してもそれを使いこなさなければなんの意味もない。

 

既にHSBC香港など海外の銀行口座を持っている人の中でも、ちゃんとスマホにアプリをインストールして使えている人は全体の20%くらいしか居ない気がする。

 

日本人というのは、銀行を金庫代わりとしか思っていない人が多いのか、銀行口座にお金を入れたまま放置しがちだが、HSBC香港は2年間口座の動きがないと休眠になりお金が動かせなくなる。

 

HSBCに代表されるオフショアの銀行口座は、もともとはスイスのプライベートバンクと同様に、富裕層やGAFAのような国際企業が合法的に節税を試みたり、時に違法に資金を洗浄する(マネーロンダリング)の温床となったりしていたが、CRSの世界的な普及や米国のFATCAというマネーロンダリングを取り締まる組織の活動によって、課税的観点においてもマネーロンダリングという犯罪防止の観点においても規制は遙かに厳しくなっている。

 

そんな巨額な資金洗浄や脱税とは全く縁のない「ゴミ投資家」にとっては、メディアに取り上げられるタックスヘイブンの闇は気にするようなことでもない。

 

そして使い方次第だが、今でもいざというときに金融的に生き残る為に有益なサバイバルツールだということを知っておくべきだろう。