大正15(1926)年に出版された「契丹古伝」
著者の浜名寛祐氏が日露戦争中に満州で入手した古文書を元に北東アジアに展開した民族(東夷族)について検証していった書籍で、一般的には偽書とされてきたものです。
(˶˙º̬˙˶)*॰
然し、当時は存在すら知られていなかった遼河文明について次第に明らかになり、
遼河文明とアルタイ語族の関係、
東日本の縄文人と遼河文明圏の交流、
など、
環日本海地域に黄河文明に先行し、強い影響を与えていた「東夷社会」に関心が高まってきました。
( ・ิϖ・ิ)っ
「中華文明は東夷族が作った」
「漢字を最初に使った殷は東夷族の国家である」
中国の研究者で、そうした見解を本気で疑う人は最早いないでしょう。
(´-ω-`)
日本列島から大陸へ進出した縄文人が中華文明を築いたのです。
( ・ิϖ・ิ)っ
この事実が最早否定出来ないと悟った中国研究者は、
縄文時代草創期の土器に先行する22000年前の土器を喧伝し、
Y-O1b2が16500年前に長江琉球から日本列島に渡って縄文人になった‼
という中国人が縄文人の祖先‼説を持ち出してきました(笑)(≧▽≦)
( ・ิϖ・ิ)っ
本州には38000年前から現世人類が住んでいて、
長江流域は25000年前から‼
当時の海岸線を見れば本州から東シナ平原、長江流域へと渡って行くのは造作もないこと。
( ・ิϖ・ิ)っ
さて、どっちが先でしょう❓
(˶˙º̬˙˶)*॰
42000年前の田園洞人に遡れば北京が先とも言えますが…
(´-ω-`)
縄文人が海洋交易民であり、しばしば中国大陸へ出掛けていたという最新の考古学的知見に基づいて
契丹古伝を読むと、
これは到底、100年前の考古学的知見で捏造出来るシロモノではないことが明らかです。
(˶˙º̬˙˶)*॰
とりあえず触りの部分…
曰若稽諸。
傳有之曰。
神者耀體。
無以能名焉。
維鑑能象。
故稱鑑曰日神體。
讀如戞珂旻。
曰若【ここ】に諸【これ】を稽【かんが】ふるに。
伝にこれ有りて曰く。
神なる者の体は耀【かかや】き。
以て能【よ】く名づくる無し。
維【これ】鑑能く象【かたど】る。
故に鑑を称して日神体と曰ふ。
読んで戞珂旻【かかみ】の如し。
恭惟。
日祖名阿乃沄翅報云戞靈明。
澡乎辰云珥素佐煩奈。
淸悠氣所凝。
日孫内生。
恭【うやうや】しく惟【おもん】みるに。
日祖、名は阿乃沄翅報云戞霊明【あのうしふうかるめ】。
清悠の気の凝【こご】る所、辰云珥素佐煩奈【しうにすさほな】に澡【きよ】す。
日孫、内に生る。
日孫名阿珉美辰沄繾翅報順瑳檀彌固。
日祖乳之。
命高天使鷄。
載而降臻。
是爲神祖。
蓋日孫讀如戞勃。
高天使鷄讀如胡馬可兮。
辰沄繾翅報。
其義猶言東大國皇也。
日孫の名は
阿珉美【あめみ】
辰沄繾翅報【しうくしふ】
順瑳檀彌固【すさなみこ】。
日祖、之に乳し。
高天使鶏に命じ、
載せて而して降り臻【いた】らしむ。
是を神祖と為す。
蓋【けだ】し日孫読んで戞勃【かも】の如く。
高天使鶏読んで胡馬可兮【こまかけ】の如し。
辰沄繾翅報は其の義、猶【なお】東大国皇と言ふがごとき也。
( ・ิϖ・ิ)っ
日祖
アノウシフウカルメが、
清らかな場所で禊をして、
三人の日孫が生まれます。
そのうちの一人がスサナミコ
スサノオと解釈するのが一般的で、
ここから契丹王家の祖先(神祖)に繋がっていくと書かれ、
神祖の子(神子)が炎帝と記しています。
(´-ω-`)
スサの王=スサノオ=牛頭天王=炎帝神農氏
その他、よくよく読んでいくと、非常に興味深いことが書かれています。
渤海、契丹…東夷族
そこに日本神話の謎を解く鍵があるのは間違いありません。