乃木さん通り/山口県下関市長府中之町 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

4月29日散策/乃木さん通り


楽しみにしていたGW
オッパが突然、

「今度の休みは下関へ1泊しよう(*'∀`*)vおんぷ」って、ホテルも手配済みでね
わぁいハートおんぷわぁいハートおんぷ

超早起きして、始発の列車で行ってきたよ
下関へは何回か行ってるけど、結婚してからは初めてだねぇ

フグ食べたねほのぼの
はい!からっと横丁で観覧車乗ったねにこっ
フェリーに乗って北九州の門司港へも行ったねラブ



わたしはまだ山口県の土地勘が無くて汗
下関市の長府駅に着いたんだけど、わたしはずっと「下関市」「長府市」だと思ってたよ~汗

「長門市」の隣が「長府市」だと思ってたの
「長府市」じゃなくて「下関市の長府地区」なのね

どおりで(なんで日本海側にある長府市のマンホ-ルが下関市と同じイラストなんだろう)とかさブッ
(山陰線なはずなのに、なんで山陽線に乗るんだろう)とかさがびょーん

1日中、謎だったんだよね汗汗汗(マジか・・・・・!!!!!!!!!!



長府は、遡れば古事記や日本書紀にも記された1800 年の歴史をもつ町なんですって

日本書紀によると、大化の改新の後、長門国の国府が置かれたことから「長府」って呼ばれるようになったんだとか

あらびっくり長門府中ってこと?
わぉ、なるほどなるほど
わたしの住む山口市の隣には防府市があるけれど、防府市も国府が置かれていて「周防府中」

あっなるほど

今でこそ長府は下関市の一部だけど、むかしは下関とは別の都市だったのね


え~っと…長府の町の地図がわかんないんだけど汗長府駅から壇具川の方へどんどん歩いて行くと、法円寺という真言宗のお寺があって…

少し先の水子地蔵と無縁地蔵が祀られている地蔵堂、隣にはおっきな不動明王があったりしてがびょーんちょっとビビりながら歩いていって…

もう、疲れた~顔に縦線え?

長府運動場があって、あら、御旅所
三ノ宮の跡地で忌宮神社の御旅所「八幡御旅所」があったよ

あ、突然現れた田上菊舎旧宅跡
田上菊舎?誰だろうね
江戸期の代表的な女流俳人で、松尾芭蕉の奥の細道を逆コースで巡った女性だって

へぇ(・∀・)



ここは藩政時代に萩の毛利本家の分家を藩主とする長府毛利藩が置かれていた町
幕末には維新回天の舞台にもなっているよね!

長府藩は5万石くらい?
武家屋敷の土塀や門などが独特の雰囲気を醸し出した歴史的な町並み

長府のメインストリートかな
よく整備されてる

なんだ、ここはΣ(・ω・ノ)ノ
お寺ばかりがあちこちにあるよ
しかも、みな、デカいし綺麗

これは徳応寺?ちょっとお寺の名前がわかんないなぁ

朝早過ぎて、境内入れないじゃんか´艸`汗



あ、「女流俳人一字庵菊舎の墓と句碑」だって
さっきの旧宅跡の人だよね

菊舎って女流俳人をわたしは知らないけど、説明板には

文政九年(一八二六)八月、印内の自宅でその恵まれた生涯を閉じました
享年七四
菊舎の実家の菩提寺は中之町の本覚寺(浄土宗)でしたが、自身は真宗に帰依していたため、真宗徳応寺に遺骨、本覚寺に遺髪と分け埋葬されました

って、あったよ
なるほど、ここには遺骨が埋葬されてるんだね

ここのお寺、結構な歴史を持っているらしく、織田信長の家臣内藤正吉が出家し、毛利氏に従い元亀2年(1571)この地にお寺を再建したらしいわ

山号は称名山



このお寺さんは幼稚園と併設されているのかな?

お花が綺麗花
黒い大きな蝶々も悠々と舞っていたよ



えっΣ(・ω・ノ)ノなにこれ
「乃木さん通り」だって(*'∀`*)vハート

乃木さん=言わずもがな明治の軍人・ 乃木希典さんですね
もう説明は要らないよねほのぼの

評価は厳しく二手にわかれると思うけど、わたしは好きですよ乃木さん



おっ(・∀・)またお寺さん

浄土真宗本願寺派 鼓石山正円寺
正円寺は、もともとはここから北方1kmの山中にあったものを昭和3年(1766)に建立されたんだそうよ
その山の地名が「鼓石」と呼ばれていて、移転の際に地名を残す意味で今の山号を付けられたとか

それまでは「月光山」だったんですって



通り過ぎようとしたらね、オッパが「大きな銀杏樹があるよ」って、教えてくれたの

うわぁ~~~デカッびっくり

ここの境内、そんなに広くないのよ
正直狭いのに、本堂の前には銀杏の巨木があって、写真も撮れんわ汗

樹齢は1000年だそうだ
県指定の天然記念物なんだって



なんじゃコレはΣ(・ω・ノ)ノ
垂れてる…なんか気持ち悪いよぉ~

これね「気根」といって根っこなんですって

通称「乳」ちちブッブッブッ



思わず、なでなで…

気根を割って煎じて飲めばお乳の出が良くなると云われていて、赤ちゃんを育てるお母さんに人気なんだとか

がびょーんどうしよう
赤ちゃん居ないのに…なでなでしちゃったやんか
どうしよう、母乳出ちゃったらは?


正円寺には長府藩の洋式砲術家だった河崎董の墓所があるんだって

江戸藩邸詰となった頃、ペリー来航に際して長府藩が武蔵国大森の守備を命ぜられるんだけど、そこで長州藩の来原良蔵と知り合い、洋式兵術などを教えられたのね!

来原良蔵さんって、来嶋又兵衛さんらと忠義会を結成した人だよね(*'∀`*)v

幕臣下曾根金四郎などに蘭式砲術を学び、
幕府講武場にも入所して西洋流銃陣を習得したり、江戸藩邸で洋式大砲を鋳造することになった時に、一切を取り仕切ったのは河崎さんなのよ

その時の大砲がのちに宝器になったくらい

以後、長府藩の西洋流砲術指南役として、
長府藩の兵制改革、銃・砲術師範、諸砲台の建造など、長府藩の軍政改革のすべてに関与されてるわ

大村益次郎とも海防を論じたりしてね

明治に入ると体調を崩しちゃったらしく、新政府に出仕することなく亡くなってしまったみたい



あはは´艸`なにこれ、レトロな看板
この商店街、昭和のノスタルジックな雰囲気がたっぷり

近くて遠い時代に戻ったかのよう



開店の時間になれば、シャッターも開けられて賑やかになるんだろうけど、

それにしても、この町も至る所にお花のプランターが置いてあって、心が和むね



大銀杏がある正円寺を過ぎると、直ぐ浄土宗法性山本覚寺

え~っと…ここは寺町ですかジブリ 千と千尋 かおなしジブリ 千と千尋 かおなしジブリ 千と千尋 かおなし
早朝の商店街、お店はまだシャッター閉めたままだし、見るとこお寺しかないんですけど

この本覚寺の山門が面白い
天馬門という柱には馬の彫り物が飾られているの

え~´艸`こんなの見たことがないよ~
あ、「天馬」だから、ペ…ペガサスかがびょーん



屋根の瓦も面白いのよ

もともとは称念寺と号して土肥山ってとこのふもとにあったんだそうよ

文亀元年に教蓮社円誉琳琢上人が現在地に移して再興
明暦3年に「本覚寺」と改称したみたい

あ、そうだ
田上菊舎の遺髪墓があるんだっけね
でね、隣には鏡山お初のお墓があるそうよ

鏡山お初?誰やねん…もっと勉強しましょう、だね汗



でね、ここでもぉ~休憩したい
どこかに喫茶店とかないの~?スタバとかさ~ドト-ルとかさ~マックでもいいよ

って、あるわけないんだけどね汗
ちょっと商店街から中道に入って、ここはどこだ?南之町?

そしたらね、キラキラ三吉慎蔵邸宅跡キラキラ
長府に行ったら、三吉さんに関する史跡が見たいなって思ってたんだラブ

そこにある説明板
ん?なんか、とっても違和感

「龍馬と下関」になってるがびょーん

ああ、この説明板
坂本龍馬とゆかりある場所に設置されてるのか

なるほど…
集客大変なんだよね、観光地って汗

まぁ、三吉さんは寺田屋事件で坂本龍馬を助けてたりするしね
でも~~~坂本龍馬は………他藩やんか………
龍馬伝、終わってるしさブッブッブッ


ぺこぺこり


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