Fire Spiral Gypsy ACHICO

Fire Spiral Gypsy ACHICO

火と舞う、自然と寄り添い暮らす、ACHICOの物語


テーマ:

『どうしてまたタネを蒔くのか。』

 

 

去年の8月に卵巣嚢腫の手術を受けた。

自然な暮らし、自然なお手当にこだわってきた私が、

悩みに悩んで、どん底を這い回りながら下した飛躍の決断。

 

今まで自分の美学としてきたライフスタイルには

知らない間にたくさんの「こだわり」が出来上がっていて

それに反することは受け付けないほど自分を凝り固めてしまっていた。

 

添加物いっぱいの食べ物は選ばないし、

花粉症の薬を飲むのなんてとんでもないし、

熱が出たくらいでは病院行かずにお手当で治せる。

 

だから大きく膨らんだ私の卵巣さんも

自然なお手当で絶対治すんだ!と、こだわった。

たくさん勉強して、新しい自然療法も試してみた。

でも、自分ができる限りのことをしても治らなかった。

 

今まで距離をおいてきた西洋医学を取り入れることへの

ココロの抵抗が、とっても苦しくて、本当に辛かった。

 

そんな具合に、

暮らしの中に、生き方の中にできた

自分なりの美学=こだわりは、

時に自分を苦しめることに気がついた。

それは自由ではないからだ。

 

 

 

昔はジャンクな食生活だった私は

一人めを妊娠してからガラッと生活の趣向が変わり、

必ず原材料をチェックして安全なものを買うようになったし、

無農薬有機農家さんから野菜や米を取り寄せるようになった。

お産も、着るものも、シャンプーや洗剤も、

体と自然に優しいものを選ぶようになった。

 

 

そんな時に、

「近頃の子供はスーパーにパック詰めしてあるような

切り身になった魚が海に泳いでいると思っている。

食べるお肉がどの動物から命をいただいているのか知らない。」

というような話を聞いて、とても危機感を感じた。

 

 

自分がイノチをつなぐ役目として親となるからには、

私たちがこうして生かされているのも繋がっている沢山のイノチのおかげなのだ。

ということを、

自分の子供にしっかりと伝えて行くことが大事だと思った。

 

だから、土を触って、タネを蒔いて、育てたイノチが

食卓にやってきて自分の体を作っている、という一連の巡りを

子供と一緒に体験して学んでいくこと。

それがやりたくて岐阜の山奥の里山に暮らし始めたんだ。

 

 

 

今まで、お米作りもタネ蒔きからやって

田植えも稲刈りも全部手作業でやることにこだわってきた。

 

 

なぜなら、昔の人たちがどれだけ苦労して、工夫して、

手作業でお米を作ってきたかを体験するために。

 

 

頑張って仕事するその背中を子供に見せること、

また一緒に食べ物を作ることを体験して欲しいから。

 

 

そして、ラクをせず、イノチまるごとのエネルギーを思いっきり出すことで、

最高に美味しいお米として自分たちに巡り返ってくることを知っていたから。

 

 

 

事実、果てしなき田植えと稲刈りの作業は

まさに瞑想であり、曇りなきひたすらな祈りであり、

大自然ととけあい一体化する気持ちよさと達成感が半端ないのだ。

 

 

 

だけどね、だけどね、

すっごく大変な作業でもあるんです。

時間も手間も体力もすごくかかるし、腰も手足も痛いし、

せっかく苦労して田植えしても翌日イノシシに荒らされて植えなおし、とか

せっかく苦労してはさがけしても台風が来て倒されて全部掛け直し、とか

泣きたくなるような時もいっぱいあるんですよ。

 

 

去年は収穫直前に毎夜イノシシに荒らされて、

無残にも全滅・・・

あれだけ頑張って費やした時間も流した汗も、水の泡・・・

 

本当にガッカリして、

来年からは田んぼは辞めようかと本気で思いました。

 

 

 

 

卵巣嚢腫の手術の後、

子供が生まれてから11年ぶりにもらった夏休みのように

1週間ただ横になって休むことができた。

 

ご飯作らなくていい、掃除も洗濯もしなくていい、畑に出なくていい、田んぼの草取りしなくていい、

仕事もしなくていい、子供をお風呂に入れたり歯磨きしなくていい・・・

 

自分だけの、自分のための時間。

 

ああ〜こんなにゆっくりするの久しぶりだなぁと嬉しかったけど、

今までどれだけ自分が忙しく動きすぎていたのかがよぉ〜くわかった。

 

 

 

なんだか、わざわざ大変なことを選んでやってたなぁ・・・って。

 

 

 

こだわりってなんなんだろ。

 

つまり、こだわりは「束縛」だったんだ。

 

わざわざ、自分を「不自由」にさせてる。

 

 

でも、どれだけ意義のあることをしてたって、

それがしんどくなったらやる意味ないよね。

眉間にシワよせてやっても何かいいことあるのかな。

 

 

楽しくなくっちゃ、だよね!!

 

 

 

よし、決めた! こだわり、もういらない!!

 

「どっちでもいい」の世界に行こう!!

 

 

添加物入ってても美味しく食べればいいじゃん!

花粉症辛かったら薬飲んだ方が快適じゃん!

原因がわからなかったらお医者さんに相談したっていいじゃん!

 

それでも大丈夫なたくましい体とココロ作りをしておけば、いいのだ!!

 

ついでに、田んぼも機械化、万歳!!!w

 

 

ラクしていいじゃん、無理しなくていいじゃん。

 

こだわって無理して体壊して病気になるより、ずっといい。

 

どっちでもアリで、

どっちも認められて、

どっちも楽しめる、

 

もっと「自由」な自分になろう♪

 

 

 

病院のベットの上で

久しぶりにじっくりと自分の生き方を見直して

大事な気づきをもらった。

 

それもこれも、卵巣嚢腫さんのおかげ。

感謝と愛いっぱいにヒカリの世界へ見送りました。

 

 

 

〜と、まあ・・・

 

これは昨日、果てしなき稲のタネ蒔きの作業の時の回想です。

 

こんなことを思ったのに、

 

またやってるな、私。w

 

稲苗もさ、近所の農家さんから買えばいいんですよ、

わざわざ自分で苦労してタネ蒔きしなくったって。

 

 

だけど、どうしてまたタネを蒔くのか。

 

 

そこをじっくりと考えてたんですけどね、

「なんでかな〜? ラクしていいんだけどな〜やっぱりクセかな〜?」って。

 

 

ふと、顔を上げて

裏山の満開の梅の花と、森から聞こえる小鳥の歌声と、

春の柔らかい草花の匂いをふくんだ風と青空を感じてたら、

 

 

答えがね、出たんですよ。

 

 

 

それは、「春がやって来たから」。

 

 

毎年、キビシイ冬を乗り越えて、

春の息吹を全身で感じられる陽気になってくると、

 

ウズウズするんですよ。

 

そろそろタネ蒔きの季節だなぁ、

野草もつみたいなぁ、

畑も起こしたいなぁ、

お花見もしたいなぁ、って。

 

 

それは暮らしの中の営みだから。

 

巡る一年のサイクルの中で、その時期がくれば

 

やっぱり、やりたくなっちゃうんですよ。

 

 

そういうもんなんだなぁ。

 

と、なんだか腑に落ちたのでした。

 

 

 

頑張ってタネ蒔きした稲の赤ちゃん、

 

どうか元気に大きく育ってね。

 

 

 

長文、読んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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週3回くらい働かせてもらってる町内の道の駅にあるお店。

 

地元の食材を使って、旬なものをふんだんに取り入れて、

 

郷土料理からお惣菜、お弁当、スウィーツまで、

 

なんでも手間暇かけて手作りしている素敵なお店。

 

町内のマダム達の知恵と愛情たっぷりのご飯はどれもとっても美味しい♪

 

もともとお味噌や梅干し、発酵料理、和食、を手間暇かけて手作りするのは大好きな私は、

 

厨房で働かせてもらいながら、勉強になることばっかりです!

 

 

 

先日のバレンタインディに、

 

日頃の感謝を込めてお客様に配る、ちょっとしたプレゼントのラベルを描かせてもらいました。

シンプルに、クセなく、でも温かい気持ちになるように、

 

を心がけて描きました。

 

手描きならではの、温もり感って想いが伝わりますよね♪

 

 

お店のマダム達も、お客様も、

 

喜んでいただけて嬉しかったです♪

 

手にとってくれた人たちから、

 

お世話になった人へのお礼のプレゼントに絵を描き添えてほしい、という

 

ありがたいお話もいくつか頂きました。

 

ありがとうございます❤️

 

 

◎心を込めて描かせて頂きます◎

 

プレゼント、似顔絵、ラベル、挿絵、フライヤー、デザインなど

 

御用命はぜひお気軽にご相談ください。

 

spiralgypsycafe★yahoo.co.jp

 

(★を@に変えて送信してくださいね)

 

 

 

 


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目の前に面白くないことが起こったり、理不尽な気持ちを味わったり、

自分の置かれてる境遇が意に沿わないものだったとき、

それは誰かのせいにするより、

こんなことが起こるのも何かを学ぶチャンスなんだと捉えれば、

 

自分の本当の気持ちややりたいことに気がつけたり、

相手の立場や気持ちに思いを馳せれたり、

今ここからできることは何だろうと考えることができる。

 

視点を変える、ということを覚えておけば

自分に軸を置いて、

どんなときもどんなこともプラスな経験値になって行く。

 

 

それは今の私にも必要な視点だなぁと話しながら気がついた。

 

 

半年以上前になるけど、家のすぐ近くの狭い道で、

車同士のすれ違いで接触する事故を経験した。

私は停車して道を譲ったけど、相手が無理やり前進したので

お互いの車に大きな傷がついた。

相手の運転手さんはすぐに降りてきて「すいませんっ!」と非を認めたのに、

警察の事故証明の時には言い分が変わって

「お互いが動いていたので自己責任は5分5分だ」と言い出した。

 

私の車についた大きな凹みのサイズや高さを執拗に測り、

「本当に今回でできた傷なのか」といいかがりもつけられた。

 

その後、保険屋同士の交渉でも相手は強気で反省の色もなく、

こちらもそれでは納得がいかないので弁護士を頼んで交渉を続けてきたが、

 

半年が過ぎても全く進展がなく、またドライブレコーダーや目撃者などの

決定的な証拠がなかったので難航した。

 

相手は送迎車だったので

車で出かけるとしょっちゅうすれ違うので、

その度にムカムカ気分が悪かった。

 

相手の不誠実な対応、理不尽な言いがかり、譲歩しない傲慢さ、に憤りを感じた。

 

そしてその度にいつもホ・オポノポノのクリーニングの言葉を繰り返し唱えて整えていた。

 

相手も頑固として譲らないし、こうなったら起訴するか、こちらが折れるか、

選択は二つしかなかった。

 

 

 

私は何か手立てはないかと色々調べてみたけれど、

事故の時はこう対処すれば示談交渉で損をしない、という

押さえるポイントがたくさんあることを知り、

初めての事故だったので自分の知識と対応のツメの甘さを痛感した。

 

 

事故責任割合は100歩譲ったとしても、やはり誠実な謝罪が欲しい。

それがあれば、気持ちの落とし所もあるというもの。

 

それも伝えたが、拒否された。

 

なんだかなぁ。。。

今までの私のつながりの中では、そんな人に出会ったことがなかったから、

世の中にはこんな人もいるんだなぁと呆れた。

相手に直接手紙や電話でこの悔しい気持ちを伝えてやろうかとさえ思ったけど、

 

 

「ん?待てよ?」

 

別の視点からのヒラメキはある時とつぜん降ってきた。

 

 

「今回の事故のおかげでいろんなこと勉強になったよね」

 

「もし次があったら、もっと冷静に確実に対応できるスキルが身についたよね」

 

「相手も職場に迷惑かけれないから自己防衛せざるを得ない立場なんだよね」

 

「そもそも、体は無事だったんだからラッキーだったんだよね」

 

「これからはもっと慎重に運転を心がけることができるね」

 

 

そっか、そうだよね、そう考えよう。

朝イチバンの太陽のヒカリを浴びてたら、

気持ちがストン!と落ち着いて、

 

半年以上もモヤモヤしてたものが晴れた。

 

ああ〜やっと終わった!楽になった!! 

 

 

 

 

相手の言葉や態度に不満があっても、

 

相手にこうして欲しい、変わって欲しいと求めるよりも、

 

視点を変えて、

 

これは今の私にどんな学びを与えてくれているんだろう?

 

と捉えてみる。

 

 

諦めとか妥協ではなく、

 

もっと賢く経験値がアップする考え方をしてみる。

 

 

囚われたり執着するのではなく、

 

気持ちの持ちようでもっと軽やかに楽チンになれる。

 

 

 

 

そんな風に思えたら、

 

憎っくき相手のことも、

 

「私の人生ドラマに登場してくれたひとりの先生」になる。

 

 

どっちを選ぶかは、ぜんぶ自分次第だね。

 

子供達がきっかけをくれて、

 

すべてを丸ごと受け入れて、許すことができて、

 

晴れて心の決着がつきました。

 

ありがたい、ありがたい。

 

 

 

いつも長文読んでくれてありがとう。

 

 

 


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  あらら、、、、、

 昨日、書いていた文を読み返して、一体何を伝えたかったんだ私はと考えてしまいました。頭の中が、ぐしゃぐしゃできちんと整理されていなかったんですね。昨日読んでくれた皆さん、ありがとう。そして、申し訳なかったです。ごめんなさい。

 今日のテーマは、、、大きく羽ばたけです。これは、私の2分の1成人式のスローガンでした。大きく成長したい、大きな夢を持てるオトナになりたい、大きな考えを持つ、など大きくという想いを元に考えました。

 大きいってとてもいい言葉だと思います。体も心も考え方も、1秒から変わり成長していきます。私の人生は、私のもの。人の意見は、自分が左右されるためにあるのではなく、自分の考えにほんの少し付け加えたり、自分の成長の糧にするものなんですね。自分の人生。私として生きられるのは、今回限り、悔いのない一生を過ごしたいです。今日は、ここまで。なぜなら、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 眠いから。。。です。おやすみなさい。


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  皆さん、7年振りにしょうちゃんのお部屋が帰ってきます。今日から私自身が考えて感じたことを、自分の口から伝えたいと思います。まず、この7年という空白の時間に、私は、周りに流されつつも、自分の考え方を追求しています。今、私がブログに、自分のことを乗せるということに、少なからずも、不安を覚えますが、私の成長を感じてもらえたらと、思っています。こうして、画面に向かい、文章を綴るということができるようになったのも、1つも成長ではないでしょうか。

  私がブログを再開したのは、私のコメントを見て、少しでも希望を感じてもらえたらと思ったからなんです。もちろん私は、作家などではないので、素晴らしい特技があるわけでも、アイドルのように、皆さんの前に立ち、キャーキャー言われたいわけでもないんです。私は、k-popに力をもらっています。なぜなら、遠い海の向こうから、日本にいる何万といるファンのために会いに来てくれているんです。そして、日本語という、彼らにとっては外国語を話そうと努力してくれています。アンチにも負けないで、スッと立っているのを見ると、かっこいいなあと思います。

  見習うべき姿ではありますが、所詮私は、一般人であり、社会的地位もない、ただの小学生です。しかし、有名人だって、生まれた時は普通の人です。そこからどう変わるのかは自分次第なんです。

  人に、自分の考え方に口を挟まれない、胸を張って生きられる世の中になっていってほしいと心から思います。だから今日のニュースでやっていた、タキシードドレスこいうものは、お手本でもありますね。

  それでは、、、また今度ゆっくり、、、


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この頃、すごく身近に強く感じることがある。

 

それは「いかに野生動物と共生するか」ということ。

 

今年の我が家の田んぼは散々だった。

 

稲穂がつき始めて間も無くした頃から

毎夜毎夜、イノシシに田んぼを荒らされてしまった。

家のすぐ下にある田んぼを歩く獣の気配に夜中目が醒めることも

一度や二度ではなかった。

 

夕方仕事から帰った旦那様がシャワーを浴びようとお風呂の窓を開けると

田んぼを挟んだ向こう正面にいた「おことぬし級」のイノシシとご対面したこともあった。

 

 

当然田んぼは柵で囲って守ろうとしたけれど、

毎晩のごとく柵を倒されたり、網の下を掘って侵入され、

何度も修復した努力も無駄に終わった。

 

一度味を占めると繰り返しヤツは来る。

そう聞いてはいたが、田んぼをやり始めて数年間でこんなに

ひどい被害にあったのは初めてのことで、

毎朝どんどん倒され無残に踏み潰された愛しの我が稲穂たちを

見てはただ呆然とするだけだった。

 

どれだけ苦労して種をまき、苗を育て、手植えしたことか。

その間も、種もみを野ネズミに食べられないようにしたり、

芽の出始め時には野鳥に狙われないようにしたり、

新芽をカモシカに食べられないようにしたり、

すぐ隣で共存している野生動物たちの気配をかいくぐりながら

何とか対策をして死守していたのに。

 

昨日全ての稲刈りを終えた。

と言っても何とか食べられなかった稲たちは全体の5分の1程度。

例年の収穫に比べればほんの一握りのお米しか収穫できなかった。

 

 

無残に踏み潰された泥だらけの稲穂たち。

それでもかろうじて生き延びたイノシシの食べ残しを

1本でも多く救出するため、選別しながら刈って行く。

 

これは何とも虚しく切ない作業だった。

 

本来なら稲刈りは収穫の喜びに溢れる心豊かな時間なのに。

ほんの少しの、けなげに耐えしのいだ稲穂たちを

諦めきれずに刈っていると、

 

はじめ私の心を占領していたのは、

大きな落胆と、ヤツへの憎しみだった。

さぞかし美味しい無農薬米をたらふく食べて満足したことだろう。

 

踏み荒らされた田んぼ、掘り返された畔を見るたび、

また来年も田んぼをやる気が失せて行く想いだった。

 

でもだんだんと稲刈りを一人黙々とやっていると

瞑想状態になり、心の模様も変わってきた。

 

 

かつて、動物と人間は調和的に共生していた時があったのではないだろうか。

きっとその当時は、動物は森で、人間は里山で、きちんと住み分けされていて、

お互いの領域を荒らすことなく「聖域」が守られていたのではないか。

 

人間も動物を必要以上に獲ることはしない。

イノチをいただき、自分たちを生かしてくれる動物たちに感謝し、神様や精霊として

奉り、大切にしてきたに違いない。

獅子神様を奉りあげる獅子舞やその他の荒ぶる神々のご神事なども、

大自然への畏敬の念と感謝が深く深く込められている。

人間は決しておごることなく、謙虚に自然の一部として生きていただろう。

 

 

 

現代では田畑を荒らす「害獣」として落ちぶれた扱いさえされている動物たち、

何故ゆえにそんな姿になってしまったのだろうか。

きっと、互いに尊重しあい、守られてきた「聖域」を踏み越え、

食べるだけではなく、お金のために動物たちを乱獲し、

自然界に共生する暗黙の掟を、人間が破ってしまったからではないだろうか。

 

お金のために木を皆伐し、杉檜を植林し、動物たちの食べる実のなる森を奪い、

お腹を空かせた動物たちがやもなく里山に降りて来るのを「害獣」扱いしてしまっているからではないだろうか。

 

 

私も、せっかくの苦労が無駄になり、こみ上げる怒りの中で

憎っくきヤツを仕留めて食べてやりたい!という気持ちにすらなった。

 

ただ、そんな目先だけの話ではないのかもしれない。

 

 

「聖域」を侵され怒りや屈辱を感じるのは、

決して人間だけではないはずだ。

 

奪い合い、見下し合い、殺し合うのはもうやめたい。

 

 

 

数年前に富士山の麓で皮むき間伐「きらめ樹」を通して森の現状を学んだ。

(女性子供でも森に関われる、誰でも間伐できる、素晴らしい手法です。興味ある方はぜひ調べて見てね♪)

 

 

 

先人たちが一生懸命植えた杉檜は、安い輸入材に押されて需要がなくなってしまい

手入れすらされることのないまま放置されている森がこの日本にどれほどあるのかを知って驚いた。

 

 

 

 

光の入らない森には単一の植生しか育たず、動物たちの餌になるような実をつける木が全くないため、

お腹をすかせた動物たちは仕方なく里山へ降りるしかないのだ。捕まって殺されるかもしれないから命がけだ。

 

落葉のない森の土はどんどん痩せて、治水力がなくなり、大雨に耐えられず崩れ出す。

間伐されない密集した木々はモヤシのように細長く、強風に耐えられず倒れる。

 

日本各地で起きている災害の多くは

ものすごい降雨量に許容を超えた山が崩れ、土砂が流れ出す。

治水力のない山の山肌を一気に流れ下る水が川を氾濫させる。

たくさんの民家や人々が巻き込まれ、復旧にも多大な時間と労力が必要とされる。

別々の問題のように見えるが、

辿っていけば実は全部、「森」が問題なのだ。

 

崩れたところをコンクリートで貼り付けたって、

決壊した堤防をまたさらに高く積み上げたって、

動物たちに侵入されないように集落全体を檻のように柵で囲ったって、

 

結局は同じことが起こるかもしれない。

だって、根本的な原因は解決されないままだから。

 

 

森を蘇らせなければならない。

もっと間伐しなければ。

実のなる木、落葉樹を増やさなければ。

水脈、気脈を整えて守らなければ。

本来の多様な植生の共生する、豊かな森に戻さなければ。

 

 

一人一人が、もっと森について考えることができたらいいな。

都会に暮らす人も、海に暮らす人も、平野に暮らす人も、みんなで。

 

 

これからの動物たちとの共生について、

どうしたら与え合い、支え合い、尊重し合い、お互いさまに助け合い、調和していけるのか。

これ以上の災害が起こらないように、どうしたら自然を蘇らせ守っていけるのか。

私たちは、暮らしの在り方、意識の持ち方、未来を見据えた目線を持って考えなければいけないのではないか、そう思った。

自然の一部として、この地球で生きて行くためにも。

自分や家族だけでなく7世代先の子供達のためにも。

 

 

稲刈りの終わりを注げるように太陽が西の山に沈んだ頃には、

私の中にあった怒りや落胆は嘘のように消え去り、

壮大な時空間の物語を旅しながら、

私たちの世代で成すべき使命をあらためて再認識して

なんだか清々しい気持ちになって空を仰いだ。

 

私たちがどう動くかで、未来は変わっていくのだから。

 


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阿蘇から戻って来ました。

ゆっくりと暮らしに着地して来ました。

 

1年前にこのプロジェクトの話を聞いた時、どうしようもなくワクワクと内側が疼いてくるのを感じて、この場に立ち会いたい!と強く直感しました。

阿蘇の火の神様にカヒコを奉納する。

ハワイのキラウエア火山の火の女神ペレと繋がる。

世界中の火脈が活性化している今、

地球の子宮と直結する火山に祈りを捧げることは

特に大事なことだと思った。

わたしはこの場に行かなければならない。そんな気がしました。

 

岐阜の山から、ハワイのクムから阿蘇山に贈られた曲を伝えていただけるレッスンを受けるには片道3時間の大阪へ2回、片道17時間の宮崎の合宿へ1回、子供3人を連れてはるばる山越え海越えて通った。レッスンの間、子供達を見ていてくれたゆっこちゃん、日野ファミリー、母、ありがとう。

 

そしてこの1年は、自分の内側と真正面から向き合う時間だった。わたしの卵巣はみるみると大きく膨れて、見て見ないふりできなくなり、自分の内側に何をこんなに溜め込んでしまっているのかを掘り下げなくてはいけなかった。

 

それは今まで自分が良しとしていたこと、

例えば自然な暮らし、自然な食べ物、自然な子育てへのこだわり。お金がなくても心豊かな暮らしのライフスタイル。

女性として、母として、「こうしなければいけない」

「こうあるべきだ」という思い込み、こだわり。

お互い認め合い、支え合い、好きなことを応援しあえる仲良し夫婦の理想のかたち。

 

それらのこだわりが逆に自分を不自由にさせていたこと、

現実とのギャップに苦しむこともたくさんあることに気がついた。

 

自分と深く向き合う時間は本当に本当に辛かった。

それはまるで産みの苦しみ。

まさにわたしは「新しいわたし」を産もうとしているのだな、とわかった。

 

 

もう限界がきている、このままではいけない、と

体が必死でサインを送って来てくれていたから、

ああ、もう全てを手放なす時が来たんだな、と。

 

そしてそれは、この地球と連動していることも強く感じた。

火山の噴火は、地球の子宮に燃えるマグマが溜まって噴き出す、

まさに地球もお産しているのだ。

何を生み出すのかと言えば、「新しい世界」を。

 

灼熱の溶岩は全てを飲み込み、一瞬にして死の世界へと変える。

人々が大切にして来た土地や育んで来たもの達も、それらに対する愛着や執着、こだわり、も跡形もなく飲み込んでしまう。

 

そこには悲しみや寂しさや絶望を伴うかもしれない。

けれど、時が経てば、またその死の世界には

新たな草木の芽が吹き出し、イノチが誕生していく。

 

自然は死んでもまた再生する。

わたしたちもどんなに辛いことがあっても、また立ち上がって行く。前よりもさらに強くたくましくなって。

 

 

わたしは新しい自分を生み出すセレモニーとして

8月に手術を受け、たくさんの学びをくれた右の卵巣さんを

愛と感謝とともにヒカリの世界へと送り出しました。

わたしの内側に溜まっていた今までのこだわりと悲しみ、寂しさ、そんな想い達も一緒に卵巣さんに持って行ってもらいました。

 

手術の直前、卵巣さんとのお別れがやっぱり寂しくて、怖くて、

涙が止まらなくなってしまった時に、

 

わたしのお腹の上にたくさんの、本当にたくさんの手の温もりを感じたんだ。

 

子供達の小さな手、わたしを支えてくれている家族の手、わたしに想いを寄せてくれている友達みんなの手。

一人一人の顔が浮かんで来て、本当にお腹がポカポカにあったかくなったんだ。

 

それで、とてつもなく大きな大きな安心感に包まれた。

ああ、大丈夫なんだ。みんなついていてくれてる。

わたしってなんて幸せ者なんだろうって。

 

 

 

無事に手術を終えて、11年ぶりにまったく一人の時間を9日間味わったわたしは、これからどうしたいか、どうやって生きていきたいのか、そんなことを静かにじっくり考えることができた。

 

自分のこれからの人生のヴィジョンがとてもクリアにシンプルになり、いい時間だったなと思う。世のお母さんにも夏休みは必要だね。

 

そして、どんな時も「本音」で生きようと思った。

 

本当の自分の音を奏で、響かせていく。

 

自分のやりたいこと、やりたくないことに正直になる。

ごまかしたり、見ないふりしたり、なんとなく流したりしない。

 

わがままになるってこととは少しニュアンスが違う。

 

 

本当の自分の音を奏でて、心地よく響かせ、波紋を広げて行く。

みんなが自分を大事にすることで、夫婦、家族、周りと人たちを尊重していくことができれば世界とも調和して行く。

そんなイメージ。

 

 

わたしは今、前よりもずっと、さらに自由に、

さらに軽やかにわたしを楽しんでいる。

 

今回の阿蘇行きも、

距離や労力やコストやらを考えたらすごく大変なんだけど、

 

でも自分の直感「本当の自分の音」で感じることを信じて、

行く決断をした。

 

そんなわたしを何も言わず認めてくれた旦那さまに感謝・ありがとう。

 

 

そしたらね、

素晴らしい体験が待っていてくれたよ。

 

全国から集まった170名の方達が手作りの真っ赤な衣装を身にまとい、穏やかな噴煙立ち登る阿蘇山の火口に向かって、凛とした表情で並び、祈り舞う、その姿の美しいこと。

そこに集う一人一人の、ここへ来るまでの色んな想いの込もったそれぞれの物語、

阿蘇山へ奉納する、熊本を応援する、そのひとつの大きな想いに集まった大きな大きなエネルギーは、

目には見えないところ、それぞれの心の中、それぞれのこれからの人生の中、そして世界全体を包み込むエネルギー体にも

素晴らしくポジティブな影響を与えたと言えるでしょう。

 

今はまだ知ることのない大きな変容が起こったと感じています。

 

きっとこれからこの踊りと共に

大地に根付いた自然との暮らしを重ねて行く先で

いつかわかることなのかもしれません。

 

物語はまだまだ繋がって行くのですから。

 

縁の下の力持ちとしてこのプロジェクトを支えて作り上げてくれた、クムむっちゃん、スタッフの皆さん、一緒に踊ってくださった大阪チームの皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

阿蘇の旅の最後に、

タマシイの家族との再会、共に過ごした時間も幸せでした。

子供達のキラキラな笑顔、大自然の中での体験達はタカラモノとなって記憶に刻まれました。本当にありがとう。

 

 

 

阿蘇山火口にて、虹色に輝く溶岩石と出会い、

その石で火起こしのセレモニーをさせてもらいました。

まるで呼んだらすぐ答えてくれたかのように、

一瞬にして火が産まれ、美しいその姿を現してくださいました。

わたし達が祈りを奉納することをお許しくださった

阿蘇の火の神様、ありがとうございました。

またいつか大好きな阿蘇へ帰りたいと思います。

 


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ちょうど一年前から腹部にまあるいしこりがあるのに気がついて

 

秋に病院で検査したら、左の卵巣に液体が溜まって膨らんでいるのがわかった。

 

初めて入ったMRIの結果では良性のもので、多くの女性に見られるよくある卵巣膿腫というものだった。

 

7cm以上の大きさになると手術で取り除くのが一般的な西洋医学の医療措置だそう。

 

「手術で取りましょう」と言われたが、私は断った。

 

私にはこの病気の原因に心当たりがあったから。

 

症状を切って取り除いても、それで終わりではない。

 

根本の原因が解決されていなければまた繰り返す可能性だってある。

 

だから私は、自分で自然療法で手当てをしながら、その原因と向き合って、

 

それでもダメなら手術を受ける、という最終手段にしたかった。

 

 

 

女性はいろんな感情やストレス、体内毒素などを子宮にため込む性質がある。

 

だから私は、卵巣がここまで大きく膨らむほどにどっさり何かを溜め込んでいたということ。

 

「もう限界だよ、今までのやり方、考え方では無理が来てるよ」と

 

卵巣がメッセージを送ってくれているのだ。

 

ここまで限界が来ないと気がつかなかった私。ガーン

 

 

母親になって11年、3人の子供のこと、家事や田畑や仕事など

 

やらなければいけないことに追われて、自分のことは優先順位の最下位。

 

たまに自分の好きな仕事で出かける時が、日常の束縛から離れて、外界と繋がり、

 

人と交流してエネルギー交換を楽しむ、私の気晴らしにもなっていた。

 

だけどそれも、家に帰ると気持ちよく迎えてもらえなくて

 

自分の好きなことをやるってことに罪悪感を募らせていた。

 

旦那と喧嘩になると色々ご指摘を受け、厳しい批判を受けた。

 

悔しいから、今に見てろよ!ってさらに頑張る。甘えれなくなる。頼れなくなる。

 

そして疲れる。一人で抱え込んで、苦しくなる。休みたいのに、やらなければ、と。

 

 

自分を大切にしましょう、自分を愛してあげましょう、ってよく聞くけれど、

 

母親にはそれが結構難しい。 なぜなら自分より優先しなきゃいけないものが沢山あるから。

 

だけど、実はそれもただいい母親になろうとする仮面に苦しめられてるだけなのかも。

 

ダメな母親でもいいのかも。

 

でも出来てないことを批判されるのが悔しいから、

 

私は今までそれができなかった。

 

もちろん完璧にはできてない。掃除は大の苦手だから。

 

だけど、どんなに忙しくても冷凍食品や電子レンジは使わずに手料理を作って来たし、

 

毎日の洗濯は大変だったけど3人とも布おむつで育て上げたし、

 

薬や病院に頼らずに自然療法で手当てしてるし、

 

泥にまみれて田んぼでお米作ってるし、味噌や梅干しだって手作りして来た。

 

そうゆう立派な母親っていう理想を自分で勝手に作って、こだわって、こりゃ大変だ〜ってなるときも多いな、私。ガーン

 

 

 

 

 

 

手術を断ってから、ホメオパシーや薬草温灸、湿布、薬草茶、フラワーレメディなど色々勉強してお手当した。

 

どれもいいものばかりだけれど、やっぱり自然療法は時間がかかる。

 

それも心穏やかに落ち着いて自分と向き合える状態と環境があった上で、

 

じっくりと長い目で取り組んでいくならば、きっと良い効果が現れるだろう。

 

だけど、私は忙しくてなかなか落ち着いた自分の時間は取れないし、

 

旦那との状態が良くないことでのストレスがかなり大きい影響を及ぼしている心の状態で

 

気長に穏やかに取り組むこともできず、

 

お腹はどんどん大きくなってきていた。先の見えない不安もあって限界がきていた。

 

 

でも私は小さい頃から病院や薬のお世話になったことがなかったし、

 

3人の子供も自宅で自然出産したし、自分で薬草や自然療法を勉強して実践していた。

 

もちろん西洋医学は否定していないが、ただ今まで縁がなかった。

 

手術して卵巣を切り取ってしまう対処療法的考え方にも抵抗はあった。

 

だから、すごくすごく悩んだ。 

 

 

 

病気のこと、夫婦のこと、どちらの問題も一人で抱えて苦しくなってた。

 

周りでカジュアルに手術を受けてる人たちの話を聞いて、

 

私の中で手術を受けることにこんなに悩んでいることとのコントラストが際立って感じた。

 

 

できるだけ自然療法で乗り越えたい、そんな自分の中のこだわりが私を苦しめた。

 

 

そんな時、一人の友人が夢に出てきた。

 

目が覚めた時、ハッと何かを受け取って掴んだような気がして飛び起きて、

 

すぐにパソコンを開いて彼女とのやりとりしていたメールを読み返した。

 

数年前に子宮のことで天国へ旅立ってしまった彼女と、

 

亡くなる少し前までやりとりしていた内容には、

 

「西洋医学や抗がん剤なども今の自分の命に必要なものだと思って

 

ありがたく受け入れて光に還元している」というような

 

メッセージが書かれていた。

 

私は当時、死に直面しながらも命の輝きに満ち溢れた彼女をとても美しいと感じていたことも思い出した。

 

ああ、これは今の私に必要なメッセージを

 

彼女が夢に出てきて伝えてくれたんだなぁとわかった。

 

本当に感謝しかない。ありがとうね、天国の美しい友よ。お願い

 

 

私ももしかしてこのまま自分の状態を過信して手術を受けなかったら

 

命に関わるようなことになりかねない。と死についてもリアルに考えていた。

 

この日、私は一つの答えにたどり着いた。

 

「私はまだ、小さな愛しい子供たちを残していけない。」

 

沢山の涙が溢れてきた。

 

それは私の中のこだわりを手放す浄化の涙。 大きな決断の涙だった。

 

そして私は手術を受けることに決めた。

 

 

 

 

今まで自分がこだわってきたもの、大切にしてきたもの、自分の価値観、周りに写っている自分像、

 

そういうものに執着して苦しくなってる自分をひっくり返すことにした。

 

それらを全部手放して、良いも悪いもない世界へ行くことにした。

 

世紀の大転換。全てリセット。新しい私が生まれる!

 

 

 

それはそう、だってこの地球こそが今、新しく生まれ変わろうとしているから!!

 

地球の子宮に溜まりに溜まったマグマが世界各地の火山から溢れ出している。

 

マグマは大地を覆い、美しい景色や、人々の積み上げてきた暮らしや、歴史ある聖地を

 

容赦無く飲み込んでる。そこには苦しみも伴うけれど、執着を手放して、ただ受け入れるしかない世界。

 

飲み込まれた土地はリセットされ、また時が流れれば新しい命が芽吹き、復活していく。

 

 

私たちはこの星と共に生きているから、連動して同じような体験をしているんだ。

 

地球も、私も、お産しようとしている! 新しい自分を生み出そうとしている!!ってことなんだ。

 

 

 

だから生まれる前は産みの苦しみがある。

 

でも、ブワ~っ!!と噴火のように出し切ってしまえば、きっと快感でしかない。

 

私のお産がそうだったように、赤ちゃんが出てきた瞬間は最高のエクスタシー!!

 

私にとって今回の手術は、

 

より自由で、より軽やかな新しい自分を生み出すためのお産であり、

 

私の愛おしい3人の子供を生み出してくれた愛すべき卵巣に別れを告げ

 

お空へ見送るセレモニー。

 

 

 

昨日は子供達と一緒にワンワン泣いた。

 

「今まで頑張って平気なふりしてきたけどね、ママは本当は手術が怖いよ。卵巣さんとお別れするのがさみしいよ。

 

ママの大事な大事なあなたたち3人を産んでくれたこの卵巣さんに、

 

手術の日まで、毎日毎日手を当てて、ありがとうって伝えるよ。」って話したら、

 

子供達も堰を切ったようかのように泣き出した。えーん

 

きっと不安だったんだろうな。心配だったんだろうな。

 

そんな気持ちをぐっとこらえて頑張ってたんだろうな。

 

 

いつもはクールな長女も珍しく泣いて、一生懸命に話してくれた。

 

「病気のことで、ママが一番辛いはずなのに、なんでそんなに明るく振る舞うんだろうって思ってた。

 

私たちには弱いところも見せてもいいのに。頼ってくれていいのに。それが悔しかったよ。」

 

そっか、そうだったんだね。

 

私は子供に心配かけないようにと思って明るく元気なママでいようとしていたけど、

 

ちゃんとわかっていたんだね。

 

「ごめんね。辛い思いを我慢させててごめんね。

 

これからはどんなことでも分かち合うね。ママ、これからもあなたたちと一緒にいられるように

 

元気になるからね。」

 

小さな手が私のお腹をさすってる。

 

みんなで泣けてよかったな。気持ちを出せてよかった。

 

溜め込んだまま、心のしこりに残らなくてよかった。

 

子供達は本当に敏感に、繊細に、感じ取っているんだな。

 

みんなスッキリした笑顔になってた。

 

 

 

友達にこの病気のこと、手術を受ける決断をしたことを話すと

 

みんな「いいと思う。きっと全部いい方向に繋がってくから大丈夫。

 

アチコは今は自分の体を一番大事にしてね。」ってエールを送ってくれる。

 

手術のことで予定が変更になって迷惑をかけてしまってるのに、

 

すごく温かく寄り添ってくれてる。みんなの共感がどれほど心強いか。

 

ありがたいなぁ。涙が出ちゃうよ。みんなありがとうドキドキ

 

 

これは私の生まれ直しの大宣言!

 

すごくプライベートなことだから大きな声で言うことでもないのかもしれないけど、

 

悩んで苦しんだり、卵巣と対話したり、全てを受け入れる覚悟をしたり、色んな自然療法を勉強したり、最新医療の手術を受けたり、

 

ってゆう私の経験たちが、いつか誰かの役にたつ時がくるかもしれない。

 

大きな変化を迎えて戸惑っている人や、何か苦しみを抱えている人たちの

 

気持ちを少しは楽にして、前向きにできるかもしれない。

 

今まで弱みを全然見せれてこなかった私だからこそ、

 

こうしてどんなこともみんなと分かち合っていくことが

 

新しい自分の可能性への希望となっていく気がするんだぁ。

 

 

 

地球でこの体験を選んできたってことだもんね、楽しんでいこうと思うよ。

 

 

長文、読んでくれてありがとう。

 

 


テーマ:

数日前には東京のど真ん中で開かれたパーティーの

センスのいい煌びやかな空間で華やかに踊っていたというのに、

今は岐阜の山奥の里山で、突き抜けたの青空の下、

泥んこになって田んぼのお志事をしている、というわたし。

 

まったく違う世界に、ほんのわずかな時空間のへだたりを飛び越え、同時に存在している。

あまりのギャップなのに、それをいとも自然に波乗りしていることに、ふっと笑ってしまう。

 

これがわたしのリアル・ライフ。

 

 

外の世界で、自分らしさを表現して、沢山の人とつながりエネルギー交換をすることも、

暮らしのなかで、大地にひれ伏し、足元の野花をそっと愛でて、泥にまみれて働くことも、

わたしはどちらも大切にしている。

 

季節を読み、自然の流れにそって、土に触れ、種をまき、わたしと世界はひとつだと体感する。

雨よ降れ、陽よ照らせ、豊かな実りがありますように、イノチを燃やして流す汗から祈りが湧いてくる。

たわわに実った野菜や米を、イノチを「いただきます」と家族で手を合わせ、イノチの巡りに感謝が溢れてくる。

 

神様の前で手を合わせる時だけが祈りではない。

衣装で着飾り踊る時だけが祈りではない。

 

 

感謝と祈りは、暮らしのなかから産まれるもの。

 

そして、そのふたつがつながることこそ、天と地を結び、ただ無として、ひとつのイノチとして祈りとともに在れるということ。

 

わたしにとっての舞いは、それを表現すること。

 

それがあまりにも幸せで、イノチの歓びが溢れてくるんだなぁ。

 

ありがたい、ありがたい。

 


テーマ:

愛しい君に伝えたい

 

もしも君の心に悲しみの雨が降っているのなら

 

君のそばにある樹を見てごらん

 

 

どんなに強い嵐が来ても

 

 

しなやかに体を揺らして倒れないんだ

 

 

まるで踊るように 優雅に そして力強く

 

まるで踊るように 嵐を乗り越えるんだ

 

力を入れて頑なになると 折れてしまうよ

 

だから 受け入れて ゆだねて あるがままに

 

 

 

目には見えない土の中にも

 

深く広く根を張り 大地を抱え

 

手と手を取り合うように絡み合って力を合わせ

 

自分の体を支えてるんだ

 

 

だから まっすぐに青空に向かって伸びていけるんだ

 

認めてもらえなくてもいい 見えないところで踏ん張る君を

 

 

両手を広げて ヒカリを受けて

 

君が君のままで 君らしくいられるんだ

 

 

 

愛しい君に届けよう

 

もしも これから君に辛いことがあった時

 

顔を上げて 太陽と月と話してごらん

 

どんなに分厚くて果てしない雲に覆われていても

 

雲のうえでは いつでも変わらず輝いている

 

 

まるで君のように 光を放つ美しい存在

 

まるで君のように 愛を放つ美しい存在

 

いつでもずっと君のこと 見守ってくれているよ

 

止まない雨はない

 

晴れない雲はない

 

だから泣いてもいい 頼ってもいいんだよ

 

影に沈んだ心はやがて ヒカリを取り戻すだろう

 

痛みを乗り越えた君は 優しさという強さを知る

 

君は君のままで 君らしくていいんだよ

 

 

 

 

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