ある神社に立っていた樹齢1300年ものご神木が、
先日の集中豪雨の際に、根こそぎ倒れたとニュースで見た時、
こんな事が起こるのかと大きな衝撃を受けた。
神社の境内から、道を挟んだ向かいにある集落の民家までまたぐように横たわるその巨木のインパクトな映像は、何かただならぬ出来事が起こってしまったようなザワッとした予感を感じた。
そして、昨日出かけた先がたまたまその集落の近くだったので、あの巨木に会いたい!と思って足を延ばし神社を訪れてみた。
それはそれは、もう、すごい光景だった。
何人がかりで手を繋げば胴回りを囲めるか分からないほど太くて立派な巨木が、
神社の境内の池をまたぎ、倉や石垣を潰して横たわっていた。
道路を遮っていた枝はもう切り落とされていたが、その切り口の年輪は、
私の想像をはるかに越えた壮大な年月の記憶が美しく刻まれていた。
私はあまりにも圧倒されて言葉を失った。
そして、自然と手を合わせて祈っていた。
この土地で代々生きてきた人々の心の寄りどころであっただろう大切なこのご神木、
それを失ったことへの悲しみは如何ほどだろうか。
そっと木肌に触れて、耳を澄ましてみた。
「何か伝えたいことがあれば、
受け取らせてください」
『マワリテメグル、イノチノワ…
トギレルコトナク、イキツヅケヨ…』
閉じた瞳の裏に、∞無限の輪のイメージが浮かんできた。
1300年一巡りしたこの巨木のイノチは、
満ちて、そして朽ちた。
だけど、それはまた新しいイノチへと繋がっていくのだ…永遠に。
「私たちはこれから何をココロの拠りどころとして生きていけばよいのでしょうか」
『ココロノナカニ、オンバシラヲタテヨ」
…心の中に、御柱を立てよ…
大地に根を張り、ブレることなく全てを受け入れまっすぐに伸びて、天へと両手を広げる
、この巨木のように天と地を繋ぐ御柱を、私たちそれぞれの心の中に…
なんだかとても温かくて大きなものを受け取れた気がして、感謝の意を伝え、その場を後にした。
それは、先日96歳でイノチを全うした祖母から受け取った感覚と似ていた。
小さな頃から私が見ていた祖母の姿は、
いつも笑顔で、どんな人も大切にする温かく優しい姿だった。
家に訪ねてくる人には、
ねぎらいと感謝の言葉を添えて
お茶とお菓子をだしてもてなし、
帰りも必ず玄関先まで見送っていた。
いつだか、祖母が話してくれたことがあった。 「人を大事にするんだよ。それは自分の後の人にちゃんと返ってくる。
私が幸せなのは、ご先祖様たちの行いが良かったからなんだ。ありがたいことだよ。」
だから、おばあちゃんは、私たちのために、感謝の気持ちを忘れず、人を大事にして生きてくれてたんだ。
おばあちゃんは、
この数年で何度も危篤状態になりながらも
周りを驚かせる生命力で回復していた。
晩年はとても穏やかな毎日を過ごして、
まるで花が枯れていくように、
イノチを生き切ったような自然な死を迎えることができた。
子供や孫、ひ孫たちに見守られながら、
苦しまず、眠るように、
静かに穏やかに旅立って行った。
イノチがひとつの幕を閉じ、
肉体から抜けていく瞬間はとてつもないエネルギーが私のなかを通過していくのを感じた。しばらく数日間はクラクラしていた。
そばで、その時を看取ることができたのは幸せだった。
看取る、とは、イノチを受け継ぐこと。
おばあちゃんの人生を、想いを、
確かに受け取ることができた。
残された者は、悲しみや寂しさという感情を味わい、その死を惜しむ。
しかし驚くべきは、
おばあちゃんの死と倒れた巨木もまた、
あまりにも見事な最後にただ天晴れ!という感動すら覚える清々しさなのだ。
生き様は、死に様。
どう生きたかが、死に様に現れると聞く。
まさに、その人生を物語るかのような、
イノチあるがままの素晴らしい死を
見せてもらいました。
私のなかに宿った、おばあちゃんと巨木から受け継いだ大切なこと。
これから共に生き、このイノチを思い切り生き切って、
死に様をもって残された者たちに指針となる炎を灯して旅立ちたいと、
静かに、でもとても深くココロに決めた。
さあ、くすぶってる暇はない。
イノチを思い切り謳歌しよう!!
最高に幸せな死を迎えるために!!!
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
私につながる全てに。