4学期制(クォーター制)が増えてきたようですが
留学しやすくして学生を海外に目を向かせるために導入するとの話もあるようですが、個人的には留学しようがしまいが、4学期制は賛成です。本当は、6学期制ぐらいにすればいいとも思っていますけど、まあ、入試等もあるので、最大5学期でしょうか。それでも大反対といわれそうです。
その理由は、例えば現行の通年科目であれセメスター科目であれ、通常は週1コマで4単位ないし2単位となっています。そうなると、学生は、多くの科目をバラバラと履修しているように思われるからです。このように8週で1学期が終わるとなると、当然、1科目が週2コマになりますので、履修する科目数も減り、また、時間割も工夫すれば、密度の濃い勉強が出来ると思われるからです。早稲田大のプレスリリースでも、このように短期間でしっかり学ぶだけでなく、時間をかけてじっくり学んだいいものもあるから、セメスター科目等も残すとしています。
これで6学期になると休みがなくなると、同業、特に教員からは言われそうですが、そこは発想の転換。教員はこのうち4学期だけ出講するというような仕組みに変えればいいわけです。
あとは、事務職員からもお盆休み等がなくなるとも言われそうですね。
教員サイドに話を戻すと、当然その分、研究成果を求めたり、学生に海外に目を向かせるなら、教員の学会報告も海外を主戦場にさせるように、海外出張しやすい環境を作るべきです。自分で自分の首を絞めそうな主張ですけど。
と、何となく思いつきも踏まえて書いていますが、文科省がやたら15回という形式にこだわるよりも、内容をもっと濃いものにする方法を考えた方が建設的だと思いませんか?
消費税増税と学費
消費税ネタを書いたので、調子に乗って似たようなネタを。
学費は元々消費税の課税対象外。でも、一部の大学では学費を値上げをするらしい。まあ、学費は非課税でも大学が購入する様々な物資やサービスには消費税が必要だから、ということなんでしょう。
さて、勤務先は今のところ、学費を値上げすることを表明していないので、さしあたり新年度入学生は既存の学費体系のままということになる。
しかし、研究費で購入できるものもよくよく考えると、減ることになる。科研費も消費税増税分だけ増やしてくれる、なんてことはないだろうな。
増税前の買いだめの効果
スーパーに行くと、洗剤とか、日持ちするものが中心に、増税前に買いだめしておきましょう、とのポップとともに多量に積まれていた。
しかし、3%の増税のために買いだめしてもどれだけの効果があるのだろうか?仮に石けんやシャンプーや洗剤等を年間1万円使うとして(全然わからないので金額は適当です)、支払う消費税が500円から800円に300円増える。
世間ではこれをもって300円節約できます、って言うんだろうな。でも、本当は違うはずだ。と思って、ちょっと計算してみた。
1万円を貯金しておくと、利息が少しは付く。定期預金にしたいけど、徐々に使うので普通預金に預け入れるとする。毎月ほぼ同じように使うとすれば、平均残高が5千円。三菱東京UFJ銀行の金利が0.02%とというとんでもない低金利なので、もらえる利息が1円。
なんだ、やっぱりこんな低金利の時代じゃ、お金に余裕があるならばある程度買いだめするのも節約になるんだな。
そうなると、やっぱり買いだめができない生活必需品である食品に軽減税率か非課税にしてもらいたいとの結論になるようだ。
受験料の割引と受験者数
一時期は、この受験料収入も大事な大学の収入源といわれていたけれども、この割引の流行は、受験料収入総額を増やすことよりも延べでも受験者数を増やすことに重点を移してきたことの表れなんだろうか。その結果、受験者数の増加が偏差値の上昇に結びつくのであれば、大学としてもそれで良し、ということか。
Wikipedia と kotobank
最近、ネットで参照しているのが多いな、と思うのがkotobank。以前はWikipediaが圧倒的だったけど、最近はおされているみたい。別にどちらも推奨してないけどね。
今回の印象は、レポートの課題を理解できてないな、と思うものが1割ほどあった。え、教員の出し方が悪いって?そうかもしれませんが、9割は理解しているけど、どっちを重視して判断すればいいのかな。
読みやすく書く
思わず破り捨てたくなる答案
そこでは、2平方ミリメートルで収まるぐらい小さな文字の答案が読めなくて困ったと書いたが、今回はそれを上まわる小さい文字があった。1-1.5平方ミリメートルサイズだ。もちろん、今回も定規を当てて測った。
こんな小さな字を書く方も書く方だ。各スペースが足りないのならしょうがない。でも、半分以上余ってる。テストで時間がないからなのかもしれないが、もう少し読み手のことを考えて欲しいと思う。
あとは適宜改行して欲しいよ、やはり。その時は一文字下げてね。
今年もやってきた
明日は、リスニングもあります。隣国のように飛行機を止めるということはなく、緊急車両もサイレンを鳴らしていきます。
このリスニングに限らず、試験の実施に際してどこかの大学で、毎年毎年トラブルがあって、それに伴って毎年毎年少しずつ実施方法が変わっていますが、無事に終わることを祈るだけです。
しかし、新テストによって本当にこの業務から我々は解放されるのでしょうか。
結局読んでいないんだよな、きっと
しかし、何度言っても引用文献などの注記が改まらないゼミ生多数。草稿に赤字で修正方法を指示したり、ゼミで、卒論を書く際の参考文献として、論文の書き方の本を指示しているのだが、結局それも読んでいないとしかおもえない。
しかも、学術書や論文をちゃんと読んでいれば、形式の違いはあるので迷ってしまうかもしれないけれど、そこに注記がついているはずなので、それを真似ることだってできるはずだ。となると、学術書・論文も読んでいないから、文献リストにもあがらないし、注にも書かないことになるわけだ。
ネットの資料だけでレポートを書くことを許してしまった自分の責任も大きいのかな?講義で課した論文は、受講生がウン百人もいるので、致し方ないと思いたいが、ゼミで は口酸っぱく言っていたのだけれど。指導力不足と言われればそれまでか。
教員組織も仕組みのひとつ
昨日のエントリーの続き、いや、もっと根が深いものかもしれない。
大学で教育に関する改革と言えば、カリキュラム改正。しかし、これもかなりの制約がある。それが教員組織。
ある教員が担当していた科目を、そうは簡単に、新カリキュラムではいらないから無くす、とは言えない。逆に、教員の定員みたいなものがあるから、新しい科目を導入する際に、専任教員を簡単に補充するわけにはいかない。非常勤講師に担当して貰う方法もあるけれど、そんなこと言ったら非常勤講師ばっかりになっちゃう。
その結果、カリキュラム改正は、結局微調整で終わってしまう。
そりゃあ、学びたいという学生に対してそれなりの科目を用意しておこうという姿勢は間違いでは無いと思う。でも、現状でも選択科目のせいか、一桁のしかも片手でも余る程度の履修者しかない科目を何科目を維持していこうというのはどうかと思う。さらにその中には、非常勤講師にお願いしている科目もあって、年によっては履修者がゼロないし1ということで、閉講に なったりする。だから、それに懲りて次年度は辞退されたこともあって、担当者を探すのも一苦労だったり。
なお、この非常勤講師に依頼した科目を履修者が少ないからといって閉講にしてしまう措置については、いろいろ問題になっている。この点は今回のエントリーでは触れないでおこう。でも、上記主張にも反論や批判があるだろうな、とは思う。
出来ないことを仕組みのせいにしたら何も変わらない
その一方で自助努力で色々出来ることもあります。しかし、それはどこの世界にもいる抵抗勢力がとりわけ多いのがこの業界のような気もします。
会社であれば上司命令で強制できたり、異動によって物事をスムーズに進めることができる体制を構築できそうですが、大学ではそうではありません。
また、これは勤務先だけのことかもしれませんが、教員と事務職員の職務の担当領域が明確なようで明確ではない部分もあり、ちょくちょく対立しています。教員側がこう変えたいといっても、その際、「今の体制では出 来ない」という決め台詞が出てきます。この体制には、人員や(情報)システムなどが含まれます。
もちろん、その変えることの合理性がないといけませんが。でも、組織に戦略が従っていいのでしょうか。非常に疑問です。
なお、大学改革の根底には、先日のエントリーのおもてなしではありませんが、「学生優先」(甘やかす意味の優先ではありません)や社会のニーズに応えるということがあるはずです。ですが、教員がそう思っているニーズは実際と乖離している可能性もあるでしょうね。