大学という斜陽産業 -23ページ目

教員組織も仕組みのひとつ

昨日のエントリーの続き、いや、もっと根が深いものかもしれない。


大学で教育に関する改革と言えば、カリキュラム改正。しかし、これもかなりの制約がある。それが教員組織。

ある教員が担当していた科目を、そうは簡単に、新カリキュラムではいらないから無くす、とは言えない。逆に、教員の定員みたいなものがあるから、新しい科目を導入する際に、専任教員を簡単に補充するわけにはいかない。非常勤講師に担当して貰う方法もあるけれど、そんなこと言ったら非常勤講師ばっかりになっちゃう。


その結果、カリキュラム改正は、結局微調整で終わってしまう。


そりゃあ、学びたいという学生に対してそれなりの科目を用意しておこうという姿勢は間違いでは無いと思う。でも、現状でも選択科目のせいか、一桁のしかも片手でも余る程度の履修者しかない科目を何科目を維持していこうというのはどうかと思う。さらにその中には、非常勤講師にお願いしている科目もあって、年によっては履修者がゼロないし1ということで、閉講になったりする。だから、それに懲りて次年度は辞退されたこともあって、担当者を探すのも一苦労だったり。


なお、この非常勤講師に依頼した科目を履修者が少ないからといって閉講にしてしまう措置については、いろいろ問題になっている。この点は今回のエントリーでは触れないでおこう。でも、上記主張にも反論や批判があるだろうな、とは思う。

出来ないことを仕組みのせいにしたら何も変わらない

大学業界は、ご存じの通り規制産業です。文科省がウンと言わなければ出来ないこともたくさんあります。

その一方で自助努力で色々出来ることもあります。しかし、それはどこの世界にもいる抵抗勢力がとりわけ多いのがこの業界のような気もします。

会社であれば上司命令で強制できたり、異動によって物事をスムーズに進めることができる体制を構築できそうですが、大学ではそうではありません。

また、これは勤務先だけのことかもしれませんが、教員と事務職員の職務の担当領域が明確なようで明確ではない部分もあり、ちょくちょく対立しています。教員側がこう変えたいといっても、その際、「今の体制では出来ない」という決め台詞が出てきます。この体制には、人員や(情報)システムなどが含まれます。

もちろん、その変えることの合理性がないといけませんが。でも、組織に戦略が従っていいのでしょうか。非常に疑問です。


なお、大学改革の根底には、先日のエントリーのおもてなしではありませんが、「学生優先」(甘やかす意味の優先ではありません)や社会のニーズに応えるということがあるはずです。ですが、教員がそう思っているニーズは実際と乖離している可能性もあるでしょうね。

大学のお・も・て・な・し

という発想はないですよね、きっと。

しかし、学生をもてなすといい大学になるのかは疑問。

このブログでは、大学のおもてなしならぬ表無しで、裏話ばかり書きたかったのですが、無理でした。

箱根駅伝の大学にとってのコストとベネフィット

正月三が日の一つの風物詩は、箱根駅伝だろう。


大学スポーツを一つの宣伝手段と考えたとき、この世間の盛り上がりを考えると、非常に宣伝効果があるだろうことを否定する大学関係者はいないと思う。


sphinxの知る限りでは、かつて、山梨学院大学が箱根駅伝効果で知名度が一気に高まったらしい。もちろん、今ではいくつもの大学で普通にいる外国人留学生を最初に起用したのも、山梨学院大学だったと思う。


さて、本題であるが、このように2日間にわたって大学名を連呼して貰う宣伝効果は、金額に換算するといかほどなんだろうか。もちろん、上位に食い込むチームでなければ意味がない。しかし、仮に、監督とコーチの相応の報酬を支払い、部員の授業料をすべてタダにし、寮費もタダにし、・・・とお金をつぎ込だとしても、年間5億円もいらないと思う。


そしてそのチームが活躍すれば、箱根駅伝当日だけではなく、その事前の取材や翌日以降のニュースやワイドショーもある。さらには、箱根駅伝だけではなく、全日本、出雲と三大駅伝と他にもメディアが取り上げてくれる。


その宣伝効果は軽く投資を超えるものになると思うのだが、大げさだろうか。


ご存じの通り、箱根駅伝の出場は関東学連の大学に限られており、sphinxの勤務先は、無関係の地域にある。だから、箱根駅伝で一喜一憂する必要もない。が、このような機会があり、自分が大学経営に関わっていたら、力を入れてみたい領域でもあるのは否定しない。


2014年 あけましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

一昨年からエントリーの更新頻度がわずかになりましたし、ネットにおいてブログの地位の相対的な低下も見られるようですが、ひっそりと続けていく所存です。

今年も「大学という斜陽産業」をよろしくお願いします。

今年が皆さんにとって良い一年になりますように。

2013年の研究関係のまとめ

Naverのまとめじゃないけれど、年末恒例のエントリー。

相変わらず、研究者という割には研究の比重が低いと去年も書いたっけ。まあ、その傾向は変わらずか。ということで、


学会報告はなし。司会は何回か。でも、司会やコメンテーターは業績にはならない。

論文は単著は1。共同研究の成果をまとめて出版した本に共著が1。

著書は分担執筆3。そのうち2つは改訂版。


学内的には役職にも就いちゃって、色々仕事が舞い降りてきたけれど、まあ研究全滅にならなかっただけ良しとしましょう。

来年はというか、今年秋から新たな共同研究に着手したので、来年はそれが実ることを期待して、いや実るよう努力することにします。

それでは皆さん、良いお年をお迎え下さい。


共通シラバス

必修ないしは選択必修の科目を複数の教員で担当する場合、いったいどのような体制で臨むのが良いのだろうか。教員は、きっと各自が自由にできる方を望むと想像する。


学生側は、複数の担当者間で内容等が統一されていることを望むのだろうか、それとも別々で構わないと思っているのだろうか。


もし、受講する講義の選択が学生側に委ねられているのであれば、きっとその内容が統一されていようが異なっていようが関係ないのかもしれない。


しかし、クラス指定になっているような場合は、やはり統一されている方がよいのではないかと想像する。でも統一とは、何だろう。シラバスだけでいいのか。テキスト、テストや成績評価の基準等も同じであるべきなのか。


個人的には、当然各科目には到達目標があるのだから、評価も含めて同じになるべきだと思うのだが、どうも実際は難しいようだ。実際、教え方の違いもあるだろうし。


ちなみに、個人的経験では、非常勤で担当している科目が専任と非常勤でクラス分けのような感じで、複数の担当者で教えている。そのため、シラバスは共通のものを専任の先生が書かれたものを使うことになっている。まだテストまでは共通になっていない。いずれはそうなるのだろうか。


翻って、勤務先の場合、同じように一学年を学籍番号で機械的にクラス分けして実施している科目があるが、こちらの共通シラバス化は、相変わらず拒み続けられている。FD関係の人は、その辺り改めるよう言われているようであるが。


大学教育とはこうあるべき、と思い込んでいる人も多いようだが、時代は変わっているが、そのような意識は共有されていない。まだまだ揉めそうだ。

センター試験の監督業務

また、そろそろこの恒例行事の季節です。

最近はあまりないですが、数年前の実施方法の変更でトラブルに見舞われた際には、散々ニュースで取り上げられましたように、また色々と変更事項があるようですね。

変更事項によって新たなトラブルが生じないことを祈ります。あ、自分も担当なので、ミスしないようにしなければ、と思っております。

四面楚歌

というほど大げさではないが、学内のある案件で板挟み中。

企業だと現場が好むと好まざると変わらなければならないとか、上から変えさせられることがあるのだろうけれど、勤務先は未だ大学ないし学部自治が強い。

はたしてこの学部自治の強さが今後の環境変化にきちんとついていけるのだろうか。

ペリカン M205 DUO シャイニーグリーン

年末の物欲。アベノミクスによって本当に景気がよくなったとしても、この業界の懐が潤うことはないだろう。ただ、就職率等が上がれば大学進学者も増えて、というよい面はあるかもしれない。


それはそれとして、年末の手当も支給間近なので、物欲がもたげてきました。


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万年筆ですが、グリーンの蛍光ペンとして使える代物です。黄色もありますが、それは既に購入済み。この後、ピンクも出るかな?