第6章 エヴェレスト街道トレッキングの旅(6) | 還ってきたバックパッカー

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 本稿は、定年前後の閉塞感にみまわれた著者が、これからの人生を切り開こうと試みた紀行エッセイ集であります。ドイツのロマンティック街道をバイクで、キリマンジャロに登り、インド北方をチョット放浪し、エヴェレストに至る高地の街道をトレッキングしてみました。

いよいよ聖地に近づく

今日も宇宙的に雄大な景色なのはすでに述べましたが、ロブチェ川にそって上流をめざします。左岸をとおるのですが、ゆるやかな斜面の中腹にきざまれた、昨日までとちがって起伏の少ない道です。転石ゴロゴロの河床にそってもう一本の街道が平行して見えており、この道は帰りに利用する予定です。その途中の大きな村、ペリチェが下方に見えています。

この地は、聖霊が住むようなある種のエネルギーに満ち溢れた大地を思わせます。一見荒涼としているようですが、キリマンジャロで見たそれとは異質に感じます。それは同じ高地でも、雪や氷河に覆われた山々、川と水などがこの地に生気をもたらしているのかもしれません。わたしは、恐れおおい神々が住む地方に不思議な感動をおぼえました。 

韓国人ご夫妻がトボトボ歩いているのに追いつきました。指示されているのか、ひとりのポーター・ガイドがかなり前方を見え隠れしながら先導しています。ご婦人は背すじをピンと伸ばし、小さなデイパックを背中に、ほんとにユックリユックリと歩を進めています。その脇にご主人がピッタリと寄り添い介助しています。最初は疲れはてているのかなと思いました。歩き方とその速度、装備、さらに、60才前後と思われるその上品なたたずまいからはトレッキングの熟達者には見えません。なにか理由のある巡礼の旅かもしれませんが、一歩一歩を大切そうに踏みしめている姿からは、風雪を乗り越えてこられたご夫婦の愛情とともに強い何かしらの意志がほとばしり出ているようでした。何となく気になるご夫婦で翌日もすれ違いましたが、あい変らずの雰囲気をかもし出しながら旅を続けておられました。

この区間はそんなに起伏はきつくありませんが、あまりに私がノロいので、5頭のヤクの輸送隊に追い抜かれそうになります。それでも遠くに、先にも見たプモリが見えてきました。その麓にわたしたちのめざすカラ・パタールがあるのです。やがて数軒のロッジがあるドォクラに達して休憩です。テラスで昼食をとりながらノンビリしていますと、アメリカ人グループの一人が腹痛を起こしたとかで、ひとりのポーターとともにヨロヨロと近づいてきます。どうやら置いていかれたようで、それこそ夢遊病者のようにフラフラしています。加納さんが駆けより助けぶねです。わたしは自分の身を守るに精一杯で、とても人の世話まで手が回りません。この御仁はその後回復し、カラパタールをめざして仲間を追って行ったそうです。ヤンキー魂に感心。

ドゥクラを出てロブチェへ向かいますが、間もなくするとエヴェレスト登山に同行して亡くなったシェルパの慰霊の碑であるチョルテンが並んでいる箇所に着きます。その数は50人以上だそうで、わたしも手を合わせました。この区間はほとんど上りで、小さな尾根をなんども横切って4,910mまで300mほど、今朝出てきたディンボチェからは500mほど高度が上がります。午後になったためか風が強まり、おまけに小雪が舞いはじめました。気温は-2℃に下がり、キャメルバッグの吸い口が氷結してうまく水が飲めません。それでも1時半過ぎにロブチェへたどり着きました。この地は5mをこえています。空気は平地の半分ほどしかありません。寒くてやることもないので、ついうたた寝をします。今日の夕食は、韓国製の辛みのきいたインスタントラーメン、それにご飯とふりかけ、すなわちラーメン定食です。ときおりりんごなども出てきます。いずれもわたしたちの旅行社の用意で、ポーター君が運んできてくれました。 

あしたは午前4時に起きて、4時半に出発しなければなりません。ここロブチェを発進基地としてゴラク・シェープに行き、そのすぐ脇のカラ・パタールの丘をめざし、エヴェレストやその周囲の絶景を楽しんだのちふたたび戻ってくる予定です。そうとうにハードな行程になりますが、カラ・パタールの丘からの絶景を眺望するには、風が強くなる前、すなわち午前10時までに登頂しなければなりません。そのため早朝に出発するのです。これまでに疲労が積み重なっており、かつ酸素が薄いことも考慮に入れておかねばなりません。このとき不吉な予感がよぎりましたが、本当にそのとおりになってしまいました。

あろうことかカラ・パタールに立てず(第8日目)

ロブチェからカラ・パタールをアタック

早朝4時でもあり寒くてたまりません。トイレのバケツの水が氷結しています。それにしても毎日熟睡できないのには参ります。ときおりウツラウツラ。寝付いたと思ったらトイレで、眠り直しの繰り返しです。これも高山病症状のひとつなのでしょうか。今日は430分にロブチェを発って、8時前にロッジが数軒の標高5,170mゴラクシェープに着く予定です。ここからすぐ裏の標高5,545mのカラ・パタールをアタックします。10時前に頂上に立ち、風が吹かない内にエヴェレスト絶景を見ることを期待するのです。わたしたちふたりと、ガイド氏にポーター君1名で出発しましたが、日帰りの用具のみ持参です。この用具の中には、緊急時のための酸素ボンベも入っています。約10kgの重さを、ポーター君は軽そうに背負っています。いずれにしても寝袋などの装備は運んでいないため、ゴラク・シェープでは泊まれません。どんなことがあってもここロブチェまで帰ってこなければならないということです。

最初は河原や山腹を歩きますが、転石だらけで歩きにくいルートです。そして小さな尾根をいくつも渡ります。夜に降雪が5cmほどあったみたいですが氷河はありません。この中をヘッドランプをつけて、まるまるに着ぶくれて歩きます。気温はこの日を通じて0℃を上回ることはなく、また-10℃以下で測定が不能な時間帯もありました。この中を、半そでと長そでのインナーシャツ2枚、ネルのシャツ、セーター、ブレーカーみたいなウェア、それにふかふかのダウンジャケット、下は、ももひき、登山ズボン、ジーパンの重ね着、それに手袋、毛糸の帽子をすっぽり被って進みました。

積雪があるため注意深く歩くので疲れますし、疲労がたまっているのを感じます。体が悲鳴を上げはじめました。天気は曇りがちで、じょじょに風が強まります。とともに気温もさがります。低温のためかカメラ、キャメルバッグが不調になりました。が、歩いているときはそんなに寒さは感じません。むしろ暑いぐらいで、ウェアを脱ぐのもしばしばです。川ぞいに歩くのですが、けっこうアップダウンがあるので、ペースを守りユックリユックリ歩きます。しかし疲労のため休憩も多くなってきました。ひざも痛み体力的にきつくなってきました。無理すると危険かもと感じますし、帰りは大丈夫かな、まで心配になりはじめました。脱力感とともに一瞬無意識に陥りそうです。いままでは距離が離れると待っててくれましたが、予定時間に遅れてきたのでガイド氏があせりだします。ここでガイド氏は、元気な若者、加納さんを同行し先行することに決定しました。ゴラク・シェープで先に朝食をとり、カラ・パタールに向かうのです。ということは、わたしはユックリこのまま進軍し、無理をしないでポーター君とともにゴラク・シェープで引き返しなさい、ということです。わたしもこの時点では、無理だなと理解しました。わたしは登山家ではないし、高いところに上ることを目的としていません。むしろ行程の厳しさの中から何かを得たい口です。すなわち巡礼者、修行者の目的であります。したがって当時の行程と私の残存体力から潔くあきらめることができましたが、もう一日行程が取れれば、ゴラク・シェープに泊まって翌日カラ・パタールに登ることができたかも知れません。現地不案内なため、および余裕日の無さが原因でしょうが、行程計画の失敗といえるでしょう。

ゴラク・シェープに近づくにつれプモリが大きくなり、その下の三角錐の形をしたカラ・パタールの丘の全容がみえてきました。ゴラク・シェープの裏庭の築山みたいで、簡単に登れそうな気ががします。ここまでに費やした体力、高山症から難儀するトレッカーが多いようです。またヌプツェの向こう側にエヴェレストの頂部がわずかに見えています。強い風にあおられて、雪煙がチベットのほうにたなびいています。しばしばこの風景は見えますが、写真で見るよりも大自然の審美さを感じます。さて、それでもわたしはゴラク・シェープに何とかたどり着き、朝食を取っている加納さんたちと再会しました。840分にかれらはカラ・パタールの丘へ発っていきました。

ゴラク・シェープから分かれてこのさき数時間のところにエヴェレスト・ベースキャンプがありますが、さぞやエヴェレスト登山隊やトレッカーでにぎわっていることでしょう。わたしとポーター君は、すこし休憩を取ってロブチェへ戻ることにします。とにかく帰りの体力を取っておかねばなりません。1055分ゴラク・シェープを発って、120分にロブチェに帰り着きました。そうとう難航すると覚悟していましたが、ゴラク・シェープで長めの休息をとったせいか、わりと順調に歩けました。またまた残念に思いますが、もう一日あればカラ・パタールに登れたでしょう。少なくとも途中までは。キリマンジャロの例では、朝陽がのぼる絶景を見るために、深夜発のシロウトにはかなりキビシイ行程が組んでありました。わたしのようなシロウトは、体力不足に加え高山では意識朦朧としているため景色どころではありません。景色優先で時間行程を組むのではなく、むしろ十分に睡眠と食事をとり、いつもの時間どおり気温の上がる朝に出発して、時間はかかってもより確実に目的地に達するほうがよいと思いました。

午後3時すぎに、加納さんがガイド氏とともにいかにも疲れた感じで戻ってきました。登頂し、カメラに絶景を収めたのこと、何よりでした。カラ・パタールの丘では高山病症状のためフラフラになったそうです。その夜も、強い紫外線にあてられたためか、すこし頭痛がするといっていました。が、ひと晩寝ると回復してピンピンしていました。

雪あり風ありのキビしい帰路(第9,10日目)

ペリチェまでの快適な行程

 ロブチェを8時すぎに発って帰路につき、しばらくして再びトォグラに到着しました。往きとちがって下り主体ですが、やっぱりキツイものです。これから先はロブチェ川の河床をとおって下流の大きなロッジ村、ペリチェに向かいます。河床ぞいですので、勾配はゆるく比較的楽に歩けます。余裕も出てきますので、前後左右を眺めまわし雄大な大自然を楽しみます。テンボチェのロッジで会った欧米人親子に出合いました。ポーターがキャリアに子供を積んで運んでいます。また例の韓国人ご夫妻とも行き違いました。やはり彼らはユックリユックリ歩いています。どんなに遅くとも、余裕をもって、そして一歩一歩前進することの大切さをあらためて学びました。

風が出てきて気温が下がります。雲も出てきました。やがてペリチェに着きました。ここには救急病院があります。この病院は2008年英国のBBS放送で紹介され、NHKでも放映されましたが、シーズン中は30隊をこえるというエヴェレスト登山隊の後方支援機能をもち、登山シーズンのみ医療スタッフが駐在しています。TVで見覚えのある女性医師らにお会いしました。「今年は昨年にくらべて事故は少ない」といっていました。

パンボチェまでの厳しい行程

昼食をとり、12時ごろペリチェを出ました。しばらくしてロブチェ川をわたりますが、以前の橋は洪水で流されたそうで簡易な仮橋が架けられています。そして山腹を上りますが、ジグザグの急斜面で道幅は50cmもありません。強風の中を、バランスを崩さないように腰を落として一歩一歩と上ります。たいした距離ではなかったのでしょうが、踊場もなく本当に怖い思いをしました。これまでにも危ない箇所は数多くありましたが、ここが一番だったように思います。やっと中腹の広がった箇所に出てひと息つきます。ここで往きにとおったルートに合流し、後は同じルートでルクラまでもどります。カラ・パタールやエヴェレスト・ベースキャンプに行く人のおおくはこちらのルートを通るらしいのですが、トレッカーはあまり見かけません。後で判明したことですが、ルクラ空港が悪天候で3日間閉鎖されたため、トレッカーが来れなかったのが原因のようでした。

このころより足裏に魚の目ができたらしく、痛くてまいりました。疲労にひざ痛も重なって満身創痍です。じょじょに曇り空になり、小雪が舞いはじめます。気温は5℃ほどです。それでも何とか2時半ごろパンボチェに着きました。地図を見ると分かりますが、所要時間はたいしたことありませんが、今日は長い行程で疲れました。ロッジに着いて、ガイド氏からシェルパ式魚の目治療法を教わります。すなわち、お湯に足をつけて新しい靴下に履き替え、これを数日くり返すと治るというものです。1日だけやって面倒なのでやめてしまいました。外を見ますと、雪が本ぶりのようで明日が心配になります。

投宿したロッジの経営者は、15回もエヴェレストに登頂したガイドで、14回登頂のライバルとトップを争っているとのことです。ひとりのオーストラリア人トレッカーが小雪の中をわたしたちのロッジに入ってきました。まったくのひとり旅で、かれがカトマンズでの3日間足止め情報をもたらしてくれたのです。わたしたちは、ルクラで天候不良で留め置かれることは大いに困るので、ガイド氏と相談して行程を1日早めることにしました。すなわち、明日はナムチェ・バザールまで、そして明後日は空港のあるルクラまで長躯歩くことに予定変更しました。

ふたたびナムチェ・バザール 

昨夜もよく眠れませんでした。わりと温かったのですが外は銀世界です。積雪量は少ないようですが、山々は山ろくまで薄化粧してそれはそれは美しいものです。

7時半にパンボチェを出ました。薄い雪が融けた道を行きます。56人の日本人一行とすれ違いましたが、空路が再開したせいかトレッカーが増えてきた感じです。天気は快晴なれど霞がかっています。テンボチェへの上り坂でヤクやゾプキョの一行と出会いましたが、急坂をあえぎあえぎ登っていきます。わたしも黙々とこの苦痛を楽しみましたが、あと何回ぐらい楽しめるかときおり思います。対岸の斜面でヤクが転落したとかで、村人がその始末にあたっています。そして2時間弱で、例のゴンパのあるテンボチェに着きました。

テンボチェでふたたびゴンパや周囲の山々の写真をとり、でかいマニ車を回して帰途の安全と家族の幸せを祈願します。そしてプンキドレンカで昼食休憩です。下り坂の連続といっても、足元は悪くきついものです。疲労は仕方ありませんが、ひざやマメの調子はよくありません。しかし幸いなことに、腰はなんともありません。天気は晴れです、雲が出て霞がうすくかかりはじめました。今日もけっこうトレッカーとすれ違います。元気そうなひと、すでにヨロヨロ歩いているひと、欧米の比較的若いひとも目立ちます。残りも少なくなってきたので、できるだけトレッキングを楽しまなくてはと思います。このころよりわたしは、行きかうトレッカーに「ナマステ(こんにちわ)」という代わりに、「Are you enjoying?」というようになりました。

軽い昼食をとり、昼前にプンキドレンカを出ます。これまでと同様に、街道ぞいのあちこちにエコかごが置いてあります。そういえばトレッキング通路のほとんどにゴミは見あたりませんし、かごの中のゴミもすくないものです。エヴェレスト・ベースキャンプからのエヴェレスト登頂ルートには、多くの登山隊が残したゴミであふれていると聞いたことは前に述べましたが、一般道ではそんなことはないようです。

2時半ごろナムチェ・バザールが見え、そのまま前にも来たこじんまりしたシェルパ文化博物館を見学します。昔のシェルパ族の生活様式を見ることができますし、それが今でも脈々と受け継がれてきていることがわかります。またエヴェレスト登頂者の写真などを見ることができます。3時前より小雪が舞い、だんだんひどくなってきます。朝は晴れ、じょじょに風が出てきて曇りに、やがて雪が舞う、こんな日々が続いています。3時半に、ガイド氏経営のロッジにふたたび戻ってきました。