第5章 インド鉄道の旅(6) | 還ってきたバックパッカー

還ってきたバックパッカー

 本稿は、定年前後の閉塞感にみまわれた著者が、これからの人生を切り開こうと試みた紀行エッセイ集であります。ドイツのロマンティック街道をバイクで、キリマンジャロに登り、インド北方をチョット放浪し、エヴェレストに至る高地の街道をトレッキングしてみました。

コルカタを徘徊する

 国内旅行もそうですが、その街を知るにもっともよい方法は名所旧跡だけでなく官庁街、繁華街、下町、バザール等々をひたすら歩き回ることです。そのためにわたしはジョギングなどして健脚を保ってきました。

 まずモイダン公園脇のチョウロンギ通りを南下します。ここは目抜き通りで州政府庁舎、大企業の入る高層ビル、ブランド店などが散在しますがあまり面白くありません。それにあまり活気も感じません。それで、下を通る地下鉄で北上しようかと思いましたが、土曜日は午後2時まで休憩とかで止まっています。やはりもっとも確実な自分の足で北上することにします。同じ道を戻りネール通りに入って、大きなバスターミナルがあるエスプラネードに達しました。バスがひっきりなしに発着し、人をどっさり積込み、乗降口の手すりからはみ出している人もいます。驚くのはひどいオンボロバスが多いことで、デコボコなのはまだしも木材等で補強したものさえ珍しくありません。しかし喧騒と人々の多さも手伝って、すさまじいエネルギーを感じますし、バスが市民の足として機能していることがうかがい知れます。

 続いて、ダルハウジー広場に向かおうとしますが、道に迷ってしまいました。人々は忙しそうに歩きまわり、車など混雑がはげしく、ぼやぼやしていると車にはねられそうで道を聞ける状況ではありません。それでも何とか辿り着きましたが、コルカタのオフィス街と言われているわりにはあまりパッとしません。やはりわたしは下町やバザールが好きのようです。それで、次にもう少し北上して、ナコーダ・モスクとその周辺のバザールを訪ねることにしました。ところが、人や車、リクシャーなどが徐々に増えて、そのうちにっちもさっちも行かなくなってしまいました。ちょうどお祭りに引っかかったみたいで大渋滞です。交通規制を一切やっていませんし、はては大型車までもが進入してきて状況はさらに悪化します。クラクションや店の音楽、人々の怒鳴り声などが重なり、わたしはほとほと疲れてしまいました。バザールを見て歩く余裕は失せてしまいます。その真ん中にあるナコーダ・モスクはコルカタ一のイスラム寺院ですが、混雑に気おされて外観を見学するに留めたのは残念でした。とにかくどこに行っても人が多く気疲れします。

さすがに歩くのに疲れてきましたので、今度は南北にはしる地下鉄に乗ってカーリー女神寺院に行ってみることにしました。地下鉄の入口はどこでもそうですが、広い歩道の一部に独立して作ってありかなり大きいものです。ただし、メンテナンスが悪いためか新しいわりには古ぼけて見えますし、照明も暗く感じました。しかし、コンコースやプラットホームなどは広くスペースが取ってあり、日本よりもそうとう余裕ある設計とみました。しかしせっかくたどり着いたのに「地下鉄にはトイレがない」といわれたのにはガックリです。また地下鉄に乗るため小銭に両替しようとすると、これも「おつりがないためダメ」と言われてさらにガックリです。電車は荷置棚のない欧米の標準型であり、地下鉄システム全体をみてもデリーのそれとほぼ同様であり、旧宗主国イギリスの影響が大きいようです。

 地下鉄をカリガートで降りると、ヒンドゥー教のカーリー女神を祭ったカーリー女神寺

院はすぐそこです。なおヒンドゥー教は多神教ですが、それも途方もない数の神々で数千をこえると聞いたことがあります。それはともかく、有名なのはビシュヌ神やシバ神、さらにはカーリー女神などでしょう。地下鉄より寺院にいたる路は、さながら不思議な参道ないし門前町の雰囲気が漂ってきます。ところが先ほどのバザールでの疲れか、わたしは脱水症状ぎみになり目がまわってきました。すこし休んでもだめです。ここはヤギの生贄儀式などがある世界的に有名な寺院であり残念でありましたが、投宿しているサダル・ストリートへ撤退することにしました。今日は、雨上がりの蒸し暑さと、今までの旅の疲労と、人いきれと喧騒さに参ってしまいました。ひとり旅のときは、健康管理にとくに注意しなければなりません。近くの食堂でコーラを立てつづけに2本のみ、シャワーというより水をかぶってひと休みすると元気回復です。地図を見ますと、サダル・ストリートのすぐ北側にニューマーケットがあります。さっそく行ってみることにしました。ここは昔は古いバザールだったのかもしれませんが、今ではすっかり地上2階地下1階のショッピング・モールに建て替わっています。なんの変哲もありませんが、地下街の通路はせまいもので、火災が起きないように祈りながら見物しました。

 帰国便は明朝午前2時発ですから時間はまだタップリあります。しかし夜にひとりで出歩くのは心配だし、他にやることもないので早めに空港に行くことにしました。空港で一杯やったり食事をするつもりです。ホテルのチェックアウトですが、チェックインのさいには確か1200ルピーだったと思いますが、いつの間にか250ルピーに上がっています。マネージャーも朝とは交代しているのですが、交渉してもラチがあきません。大した額ではないので適当に引き下がりますが、このようなことはあちこちで経験しました。すなわち、最初は安く言って取り込んでおき、後で高めに請求するです。わたしの勘ぐりかもしれませんが。ホテル前にいたタクシーで空港に向かいます。週末で街なかが混雑していることもあって1時間ほどかかりました。何度もいいますが、道路幅はけっこう広いのですが、人々があっちにもこっちにもどこにでもいます。チャンドラ・ポーズ国際空港のすぐ近くまで市街地が押し寄せています。

人口1300万人(広域的には4500万人だそうです)のコルカタの国際空港としてはターミナルビルは非常に貧弱です。デリー空港もそうでしたが、空港インフラへの投資はまだまだこれからのようです。空港で飲み食いするつもりでしたが、倉庫みたいな食堂しかなくてとても食べる気になりません。バーやアメニティー設備もないため、ただひたすら待つのみです。そのうち外貨交換の窓口が開きました。使い残したインドルピーを換えておかねばなりません。ここではごまかしが多いと聞いていましたので、わたしは一計を案じました。ガラスごしのカウンターにいるふたりの男の係員に向かって、500ルピー札9枚を、声を出しながら「one,two,・・・,nine」と確認してわたしました。するとひとりがお札を数えながら1枚を抜きだし、「これは偽札の可能性があるからコピーしてよいか」と聞きます。むろん「よい」と答えますと、背後のコピー機でもうひとりがコピーします。そして再び最初の係員がお札を数えなおします。とうぜん8枚で1枚たりませんが、「それはコピー機に残っている」というわたしの指摘に、もうひとりがコピーカバーを上げますとなんとそこには何もありません。「さっきのお札はもどした」と言いはります。ふたり組みにチョロまかされたのです。多少やりあいましたが、多勢に無勢、英語力不足で降参です。多少のことは分かりつつだまされてきましたが、このときは悔しい思いをしながらインドを飛び立ちました。


人種・文化・宗教のるつぼ、カトマンズ

 ここでネパールの首都、カトマンズに触れておきましょう。

 まず国家としての政治の中心であり、近代国家の形態をしめす首都機能が集約されています。つい最近までは王政が敷かれていましたので、それに関係する文化遺産もたくさんあります。ダルバール広場にある旧王宮や寺院、古都パタンなどです。ただ最近の政治的不安定な時期があったためか、停電時間が異常に長くなっていました。3年前は夕方6時過ぎから8時過ぎまでの23時間でしたが、今回は16時間になっている始末です。あまりのひどさにインドが電力支援をしているようですが、インフラの崩壊が国家の不安定を招かないように健全な発展を願うばかりです。

それから商業の中心地でもあります。さまざまな生活用品や食料などが、カトマンズを介してインドやパキスタン、また中国チベット自治区との間で交易されています。これは、雑然としたタメル地区やその近くにあるインドラ・チョークなどのバザールに行くとすぐに分かります。小さな商店が軒をつらね、すさまじい量の大衆物品がならんでいます。そこには、いったい何をしているのでしょうか、けっして豊かとはいえない無数の人々が行き交っています。世界一の“バザール密度”といっていいかも知れません。

また宗教の中心地でもあります。ネパールでは最古の仏教寺院、スワヤンブナート寺院の仏塔(ストーパ)に描かれた仏様の目は、慈愛に満ちた視線を人々に注いでいます。あろうことかこの寺院一帯では、野生のサルと野良犬が仲よく共生しています。チベット仏教の巡礼地であるボダナートの寺院には、遠くチベットから来た巡礼者が五体投地でお参りしています。さらにはヒンドゥー教のネパール最大のパシュパティナート寺院では、インドのバラナースィーとは規模が違いますが、ガートや火葬場があります。ここでは奇妙な格好をした行者もいて、写真を撮ろうとすると寄進を求めてきたりします(本物は目立たないところで修行しているようです)。これらが市街地にあります。したがってこの街では宗教的雰囲気が色こく漂っています。

このように多くの宗教が集まり文化も交流しますから、人種のるつぼになるのは当然でしょう。インド系、中東系、チベット系、東南アジア系のさまざまな顔つきをした人々が暮らしています。そして観光の中心でもあります。世界各国から多くの観光客が訪れ、実際市内を歩いていても欧米からの観光客を多く見かけます。

 したがって、ここカトマンズは、あらゆる文明や文化の結節点といっていいのではないでしょうか。カオスの世界です。このようなすさまじいエネルギーをもつ人々や生活環境が、次代の新しい文明や文化を、また新しい価値観や生活様式を創造するのではないかと思うのは期待しすぎでしょうか。ネパールはインドと似たところも多くあるようです。しかしインドがヒンドゥー教の背景というか影響を強く受けて一部硬直化、形骸化しているのに比べ、ネパールのほうが、貧しいのは同じとしても、多様かつ自由な社会構造をもっているような感じがしました。

途方もない国、インドで考えたこと

今回は国際会議と建設現場見学の合間を利用した短かいちょっとした鉄道の旅でしたが、それでも多くのことを見聞きすることができました。ひと言での印象は、インドからネパールにかけてのこの一帯は、途方もない地方であるということです。しかもこれからの人類の精神文明に、どれだけの価値あるものを生み出してくるかわからない力を秘めているということです。かれらは4000年にわたる太古の昔から文明を生み出し育んできました。ヒンドゥー教や仏教をはじめ多様な精神の世界を展開してきています。今では新しい技術文明が導入されて、新たな可能性を含む世界に挑戦して行っているようです。すなわち、より多くの多様性や可能性さらには複雑性を包含した、また古代と現代が混在したカオスの世界から新しい秩序を生み出そうとしているように見えます。ここにエネルギーを吹き込んでいるのは、やはり民衆のパワーでしょう。貧しくても、多民族による巨大な人口がそのパワーを生み出しているのでしょう。言い方を代えますと、存在感のある悠久の文明、生活に根ざしたヒンドゥー教とカースト制度、圧倒的に貧しい多くの人々、人種のるつぼ、多様な食文化、喧騒な街々、核保有国、ITにもとづく急激な産業の発展、などなどがキーワードとして上がってきます。これらがカオス状に混じりあって、新しいかつ独自性の高い多様な哲学、すなわち自然観、社会観、宗教観、人生観、生活観などをもたらしていることを感じさせます。数十年前、あらゆるものに閉塞感を持った世界中の若者がインドを目指した理由が分かるような気がするのです。すなわちこの文明は、近代の欧米文化や日本文化では単純には捉えきれない多次元の軸を持っているようです。わたしたちの尺度で見ようとすると不可解なことだらけですが、悠久の時間と多次元空間、この時空間には何が解として含まれているのでしょうか。

いずれにしましてもインドは、数年後に再び訪れてみたいと思わせる未知の魅力を持っていました。すなわち、わたしみたいな定年前後の人間は、つい何ごとにも限界を自分で定めて悲観的になったり閉塞感におそわれがちです。しかしインドには、短絡的かもしれませんが、別の思考基準や価値の判断基準など、わたしにはない多様な “ものさし”があるとみました。先行きの不透明さがもたらす不安感のなかで、このものさしは、いかに安定して生きるかを考えさせてくれるものなのかもしれません。