第6章 エヴェレスト街道トレッキングの旅(3) | 還ってきたバックパッカー

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 本稿は、定年前後の閉塞感にみまわれた著者が、これからの人生を切り開こうと試みた紀行エッセイ集であります。ドイツのロマンティック街道をバイクで、キリマンジャロに登り、インド北方をチョット放浪し、エヴェレストに至る高地の街道をトレッキングしてみました。

武者ぶるいしながらの出発

 これから今夜の宿泊地パクディンへ向かいます。このルクラからパクディンをとおってナムチェ・バザールに至るみちは、ドォーダコシ(川)の深い峡谷の中腹にきざまれています。そしてエヴェレスト街道中もっとも交通のにぎやかなところです。トレッカー、ポーター、行商人、地元住民などなどがひんぱんに行き交っており、ヒマラヤにきたなぁとあらためて感じ入ります。太っちょの欧米人、どう見ても65歳以下には見えない日本人のお元気な一行、またヨレヨレに疲れて降りてくる人びとも多く見かけます。年間2万人のトレッカーが訪れるそうです。またゾプキョがカウベルを首につけて闊歩していきます。アルプスのカウベルをつけた放牧牛といっしょです。今日はのどかな天候で、暑くなってきたのでセーターを脱ぎました。また標高2,6002,800mの低い箇所を歩くため、木々は多く緑も豊かな風景です。桜、桃もチラホラ、また高山植物でしょうか、小さなリンドウみたいな花も咲いています。

 今日明日は、今回のトレッキングの準備区間といえます。ひざの調子をたしかめながら、また、スティックの使い方をトレーニングするのです。街道は、踏み分け道、石だたみ、じゃり道、石積み階段などで非常に歩きにくいものです。危険でもあり、またキリマンジャロ登山いらい完治していない左ひざの問題もあるので、一歩一歩が歩き方の練習です。体重を左ひざにかけないようバランスをとる練習もします。先は長いし、標高は高くもっともっと険しくなりますので、それも無意識に自然にできるようにならなければなりません。したがってどうしてもピッチが上がらずノロノロ歩行になりますので、重い荷を背負ったポーターやゾプキョにも抜かれてしまいます。ひざの痛みはありませんが、時間とともに疲労がたまっていく感じがしてきます。なんとか最後までもってくれればよいのですが。

前回にも感じましたが、ふかい谷間の中腹を歩きながら、遠くに白雪をいただいた高峰と大自然、点在する民家やロッジ、行きかう人びとや家畜などが一枚の絵に描かれています。ここに天・地・人のすべてが凝縮されています。まさしく絶景の連続で、歩きながらすごい興奮を覚えますし武者ぶるいします。

パクディンまでは下りがおおくて距離もみじかく、いわば予行演習ですが、早くも2時前に到着してしまいました。ロッジのテラスで日向ぼっこを楽しみます。日ざしがあるところでは暖かいのですが、陽が落ちると急激に温度が下がり寒くなります。部屋に入るとさらに寒いので、レンタルした上物のダウンジャケットを着込みます。川べりに降りてヒマラヤの雪解け水にさわりましたが、冷たくてビックリしました。

さっそくですが高山病対策の準備もしなければなりません。主な準備と対策は、水をたくさん飲む、その水に粉末のポカリスウェットを溶かし込む、“食べる酸素”を食べる、深呼吸をする、ゆっくり行動する、高度順応日を設ける、昼寝はしない、アルコールは飲まない、などです。これらに加えて、ポーター君が酸素ボンベを運んでくれています。わたしたちは携帯式の軽量のそれを依頼したつもりでしたが、10kgほどの重量物で、わざわざ運んでもらったのですがけっきょく使うことはありませんでした。

食事の注文は、わたしたちのガイド氏がロッジ備えつけのノートに書き込みます。そしてそこの女将さんが中心となって作ってくれているようで、その家の子供やお手伝いのひとが応援をします。このスタイルは、その後どこのロッジに行っても同様でした。坊さまが泊まっているようで、お経をとなえる声がきこえてきます。また隣室では数人があつまってラジオを聴いたり駄弁ったり、トランプしたりでうるさくて眠れやしません。寝るのは、昼の着たきりスタイルのままライナーに入り、そして2重の寝袋に潜りこんで寝ます。慣れていないので、寝袋におさまるまで時間がかかったりジッパーが食い込んだりで毎晩往生しました。私はトイレが近いので、そのつど寝袋への出入りでつかれます。が、目はバッチリさえて寝つけません。電気は3年前にきたときはソーラー発電だったのですが、いまは小水力発電で供給されていました。しかし発電容量が小さいためかすぐに停電します。ただちにソーラー発電に切り替えているようですが、暗くて頼りにならないので持参のLEDヘッドランプを脇において眠ります。キリマンジャロのときとは違って、今回は新兵器を持参しました。

インフラとトイレ考

 まず人や物資の運搬ですが、地形の険しさから車の類はまったく使えません。したがっておおくをゾプキョやヤクあるいはポーターに頼ることになります。あとは自分の脚のみです。調子に乗ってどんどん奥地まで歩いていくと、帰りも同じ区間を歩かねばなりませんので大変なことになります。あたりまえですが、帰りの体力も必要なのです。途中でタクシーを呼んだり、バスに乗ってトレッキングを中断するわけにはいきません。しかし実際には、たとえば極度の疲労、重傷、重い高山病などで動けなくなるトレッカーも多いようで、救援のサービス体制も年々整備されてきているようです。ヘリコプターをはじめ馬、ヤク、ポーターなどのお世話になることになります。わたしはひざが本調子でなかったので、最悪ヤクかポーターにかつがれることも想定していましたが、とにかくユックリ歩き、ひざに負担をかけないスティックの使い方をマスターして何とか自力で帰り着くことができました。また、後述しますが、最後のカラ・パタール登頂に固執せず、あっさり撤退して体力の温存をはかったことも正しい選択であったかなと思っています。何はともあれわたしはまったくの素人ですから、決して無理をしない方針をとることにしていました。

 電力が急速に普及してきているのにビックリしました。3年前にきた際には、大きな村(町?)ナムチェ・バザールを除いて、途中のチョットした村やロッジではソーラー発電の導入がやっとでした。昼間にそれぞれのロッジが太陽光発電でバッテリーに充電しておき、夜にそのレストランの豆電球を灯すしくみです。その光量は乏しく、点灯時間も短いものでした。ところがパクディンでは、ナムチェ・バザールと同じく、付近の沢水を利用して水力発電をし、ロッジや裕福な家庭に送電していました。まだ発電容量は小さく停電も多いようですが、着実に生活の近代化が進んでいるようです。わたしは、まだ電気もきていないところを旅するのが好きなのですが、現地の人の生活向上も必要なのはいうまでもありません。電力の普及により今後この地方はますます近代化がはかられ、一般の観光客でもどんどん訪れることができるようになるのでしょう。

 電気が通じると、電話やケータイも普及してきます。前回きたときも、道中は無理としてもルクラやナムチェ・バザールでは自由に使えましたし、インターネットも可能でした。わたしはトレッキングなどに文明の利器を持ち込むのは嫌いなこともありますが、この旅でケータイを持ち込もうなんて思いつきもしませんでした。ところが同行の加納さんが衛星電話を持っていくというので驚きましたが、後で分かったことですがかなり田舎の地方でも今ではケータイが使えるようです。わたしたちのガイド氏もときおり使用していました。また、お坊さまとトレッカーしかいないテンボチェでも、ネットカフェがあってビックリした覚えがあります。これではますます聖地ヒマラヤの俗化が進み、現実と離れた世界を求めて来ているわたしからするとすこし残念な気がします。ついでに、キリマンジャロ登山では、ガイドが標高3,700m地点からケータイしているのを見て、何だかがっかりしました。どうやらどこまで行ってもわたしたちは、技術文明の網から逃れることができないようです。

 わたしはお腹は丈夫なほうで、先進国では生水を飲んでも平気です。しかし発展途上国や低開発国ではいくらなんでも控えることにしています。ところがうっかりして、トレッキングを無事におわりカトマンズに着いた夜、久し振りにビールを飲んで打ち上げをしました。そして夜中にのどが渇いて水道の水をがぶ飲みしてしまいました。そのあとひどい目にあったのはご推察のとおりです。いまでは値段はともかく、低開発国でもペットボトルが売られているので安心になりました(全面的信頼は危険という人もいますが)。エヴェレスト街道でもどこでも売っています。奥地に行くほど値段が高くなるのは仕方ありません。ポーターが運んでくるのです。現地の人びとは、付近の沢水や湧水を汲んできて、あるいは細いホースで導水して利用しているようです。生水のまま使うのは洗顔程度でしょうが、煮沸している様子はあちこちで見かけました。なおヒマラヤ奥地を水源とするドォーダコシ(川)の水は、氷河の雪解け水であることから白くにごっており、上水としては使いものにならないようでした。

 エヴェレストはゴミだらけと聞いていました。登山家の野口健氏が清掃運動に取り組んでいるのをTVで見たことがあります。しかしわたしたちが通った街道すじはそんなことはありませんでした。ゴミはめったに落ちていませんでした。エヴェレスト登山隊が利用するエヴェレスト・ベースキャンプやその奥などでは汚れているのでしょうか。道すがら、所どころに大きなゴミ篭(“エコかご”といっているようです)がおいてあります。あまりゴミは入っていませんので、多くはトレッカーが持ち帰っているのかもしれません。わたしたちも、チリのひとつも捨てるようなことはしませんでした。地形は険しく高度も普通ではありませんが、それにしても誰がエコかごを置き、誰が集積しているのでしょうか。あとで、国際機関のサポートを受けながら、サガルマータ大気汚染防止委員会やネパール観光局が主体となって運営していることが判明しました。あまりにも荘厳なそして気高い生活道路、こんなところにゴミを置いてくるなんてとんでもないことだと思います。                       

食いだめ、寝だめ、それにトイレの時間コントロールができないのは、ヒトの進化上の課題でしょう。それはともかく、旅びとにとってトイレは最大の関心事です。いつ襲ってくるかわからない変事に対応しなければなりません。都会ならまだしも、先進国でも地方にいくと、どこにトイレがあるか気がかりになります。まして発展途上国や低開発国になるほど不便になりますので、ある種の度胸や気持ちの柔軟性が必要になります。私は意外と順応しやすいようで、どの国のどこでもそこのやり方をよく観察してすぐに合わせることができます。ところで、エヴェレスト街道ぞいはどうでしょうか。最悪の場合は、いわゆる“きじうち”せざるを得ません。ところが急斜面の中腹を歩くことが多く、足場がわるくて危険です。平地でも、高山のため樹木がなく隠れ場所を探すのにひと苦労です。要するに、環境汚染もありますが意外と適地は少ないので、やはりトイレはあらかじめ済ませておくことです。ロッジや店では、屋外にトイレ小屋を設置している場合があります。これがなんともローカル的で風情があります。板づくりですがすき間だらけです。やはりすき間のおおい床は比較的ひろいのですが、まん中に穴があいているだけです。なんとなく落ち着かないのですが、困ったときにはこれでも嬉しいものです。このトイレの特筆すべき点は浄化方法でしょう。床に細い枯れ木や枯れ葉が積まれています。どうやら、ことが済むと上からパラパラとまいて被せているようです。すなわち、サンドウィッチ状に重なっていきます。これにより有機物の分解が早められるのではと思われますが、最後は肥料として使うとのことでした。まさしく循環型社会の一例です。中には崖からせり出して作られているトイレもあり、柱も細く落下しないかチョット怖い感じがしますが、モノはそのまま落下して沢などに流れ込みます。次に多いのは、便器の色やデザインはまったく異なりますが、インドや日本でも使われている水洗式のトイレでしょう。水洗式といっても、前方に空いている穴へバケツに汲んである水を空き缶で汲んで押し流すものです。その際には決して紙を使ってはいけません。現地の人は左手で処置しますが、わたしみたいな紙を使う民族は脇のゴミ篭に入れることになっています。たぶん排水管は細くて詰まりやすく、紙の処理設備もないことによるのでしょう。今回のトレッキングでは比較的ハイクラスのロッジに泊まりました。おどろいたことに、奥地に行ってもそうでしたが、ほとんどが洋式トイレを装備していました。もちろん便器は座るのみで、紙を使ってはいけないことは同じです。

以上、いくつかのインフラ事情を書いてみました。先進国からのトレッカーを対象とした観光業がますます重みをもってきているのが垣間みえます。ロッジ間の競争、サービスの競争などが、急速にこの地方の生活を変えていっているようです。便利な生活をもたらす文明化は多くのトレッカーを招くことができますが、一方、過度な競争からくる人心の荒廃、さらには貧富の差の拡大を招いている感じがしてなりませんでした。ロッジ経営などで成功している人はよいのですが、途中途中には貧しい家屋や子供たちも多く見かけます。急速な発展は社会にひずみを残すことは、わたしたちは経験ずみです。シッカリとした社会基盤整備など、日本がサポートできることは多いのではないでしょうか。