京都暮らしの日々雑感 -5ページ目

1・17 追悼の日

29回目ということなのだが、

何年を経ても、追悼の気持ちが薄れるわけではない。

 

全国女子駅伝・2024

本日、大会が開催されて、

京都チームは第2位という成績。

よく頑張っていただけたと、感動ものでした。

 

それはそうと、

年末年始にかけて、いろいろな大会が京都市中で挙行されるのだが、

大抵は、

実況中継のためにヘリからの空撮をするためか、

それとも、何か大会運営上の必要があってのことなのか、

前日のリハーサルと当日の実況とで、

ヘリコプターのエンジン音が轟くのが通例であったのだが、

今回はヘリコプターは飛んではいない。

ヘリの使用は止めたということなんだろうか。

当然、止めたことの方が「正解」であって、

マラソンや駅伝で、競技のための空撮の意味はないのである。

「やっと気がついたか?」と言っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松尾剛次著『日蓮 「闘う仏教者」の実像』中公新書

鎌倉新仏教の研究者である松尾先生が著した日蓮についての著作。

日蓮をして語らしめると言うか、

日蓮が何を語ったかを中心、その生涯を追跡した評伝である。

「客観的」とか、「第三者的」と言うか、淡々とした記述を通じて、

かえって日蓮その人の熱情が伝わってくるという記述になっている。

 

法華経というと、

聖徳太子の「法華義疏」が著されているように、

大乗仏教の日本伝来の早期に伝わってきたもので、

最澄にょる平安仏教の確立と同時に、

いわば国教的経典とされていたので、

日蓮仏教というのは、この平安仏教の承継であって、

鎌倉「新」仏教ではないとする見解も強かった。

もっとも、京都では、「天文法華の乱」を取り上げるまでもなく、

文化的伝統にとどまらず、日常の市民生活にまで大きな影響を及ぼしているのは、

神祇信仰を否定しなかった故である。

 

大映で映画化された日蓮映画に

『日蓮と蒙古大襲来』というスペクタクル大作がある。

長谷川一夫さんが日蓮を演じられているのだが、

そのイメージが今なお鮮明である。

 

 

 

 

 

令和6年・NHK・大河ドラマ

1月7日から第1回が始まるのでということで、

主な登場人物による番宣がなされた。

主役が女性であるということで、製作スタッフも女性が多く登用されたというわけで、

『性差』が強く意識された製作ドラマだということが強調される。

こんな姿勢は、従来も散々強調されてきたことであるから、

この今の時代に改めて強調してみせるというのは、

新しいように見せかけて、実は旧態依然ということを告白しているようなものなのである。

 

後宮に出仕した中級貴族出身の女性たちは、

実は、その正しい名前が伝わってはいない。

正式の名前があったのか否かも分からない。

その職責・職能で同定されている存在なのであって、

その中で、トップを務めた「彰子」を、

「あきこ」と読ませているのだが、

わたしらはこれが「しょうし」と読むのが正しいと学んできた。

これを「あきこ」と読んで、「あきことは誰のこと?」という話なのである。

あるいは、この本名で普段呼ばれていたかどうか。

常識的に考えれば、個人名で呼ばれていたはずがないのである。

ここら辺り、現代人にも分かりやすいことを旨とするから、

国文学会での国文の知識を無視することになるから、かえってわかりにくい。

 

つまり、一般視聴者という者に対して、徹底的に媚びようとするから、

時代という者がかえって分からなくなる。

 

藤原氏の摂関政治というものは、

権力闘争として、やりたい放題の露骨な剥き出しの闘争に勝利した権力者が、

他方で、敗者たちからの「怨念」による「祟り」に恐怖して、

その鎮魂と自己正当化を図って、

物語によって自己の体制を荘厳したのが「源氏物語」なのであって、

紫式部は、そんな権力者の需要に応じて、物語を紡いだのであった。

だから、藤原道長が、紫式部に、料紙や何やらを提供してその著作をサポートしたというのも、

当然の配慮であったのである。

 

藤原道長といえば、

安倍清明とセットで語られるわけだから、

安倍清明の大活躍の物語となるのは必定なのである。

これもまた、時代に阿る大河ドラマとなるのだろう。

 

さて、源氏物語というと、

京都市上京区にある「廬山寺」である。

宇治市にある「源氏物語ミュージアム」である。

さらには、滋賀県大津市にある「石山寺」である。

石山寺は、観音霊場として女房たちの信仰を集めてきた歴史がある。

 

源氏物語の現代語訳については、

昔は、谷崎潤一郎と与謝野晶子のものに限られていたのだが、

現在では、瀬戸内寂聴の訳からいろいろと翻訳が試みられているから、

入門はしやすい。

原文に関しては、岩波文庫版が重宝ではある。

「紫式部日記」については、岩波文庫版で読むのだけれども。

 

斎藤英喜著『陰陽師たちの日本史』角川新書

そもそも陰陽道とは、中国思想から発祥したものが日本に伝えられたものという理解があって、

外来の思想であるとされてきていた。

しかしながら、天文学や暦法といった技術的なものは外来のものと学んだだろうが、

その技術を通じて獲得したものは、極めて日本的な思想の土壌において蓄積されたのであった。

従って、陰陽道とは、純然たる日本思想の一分野を形作るものなのである。

・・・とまあ、こういった理解から始まるのである。

 

例えば、日本の神道というのは、国家や共同体の全体的な安寧を祈り、

祓いと浄めといった儀式が伴われる。

仏教では、当初は国家仏教として国家体制を荘厳する役割が期待されたものであって、

個人的な吉凶や死後の息すえとは関わらなかったものであった。

神道や仏教が、まさに個人的な私的な吉凶や禍福に関わりだしたのは、

平安中期以降のこととなるのだが、

それを媒介したのは、密教の伝来とその定着があったのである。

 

従って、日本の宗教史というか信仰史を考える場合、

陰陽道という契機が決定的な位置を占めるのではないか?という問題意識が出てくる。

つまり、国家の儀礼・祭祀として受容された神道や仏教、陰陽道等も、

国家のものから広く大衆個々に関わるものとして転換していった時代というものに、

改めて注目が殻むけられる。

 

こういった問題意識から従前の刊行物を見ると、

スーパースターたる安倍晴明の大活躍を説話集から拾い上げて並べただけとか、

呪い(まじない))めいた怪異な儀式の施業といったものを論じたりと、

そういったものが珍しくもなかった。

あるいは、史料を網羅したガチガチの専門書であって、

門外漢にとっては何が論じられているのかさえ能く把握できないものもあった。

 

本書は、簡便な新書スタイルではあるが、

論点が綺麗に整理されていて、分かりやすい。

もっとも、密教との連関について論じるところは希薄ではある。

 

年末風情

昔は・・・と言うと、本当に年寄りじみてしまうのだが、

12月25日から31日までは、

市内の社寺を拝観する絶好の日々だったのである。

落葉がすっかり落ちて寂寥感が漂い、

他に多くの拝観者がいるわけでも無く、閑散としていて、

独特の佇まいが醸し出されるのである。

しかしながら、いつの頃からか、

この時期にもかえって拝観客が普通時と変わらぬ多くを集め、

むしろ、冬期特別拝観といったイベントも催されて、

更にそこにインバウンド需要が加わって、

すっかりかつての風情が失われてしまった。

それで、私も出かけなくなってしまった。

 

出掛けなくなったのは、病を得てしまったという事情が大きいのだが、

正月というのは何とも味気なくなってしまう時期なのである。

正月料理というのは、基本的には保存食であるから、

糖分が多いから、血糖値が大きく跳ね上がる、

塩分か多いから、血圧が高く跳ね上がる、

カリウムやリンの値も平常値よりも上がってしまう・・・といったように、

正しく「地雷原」なのである。

だから、もう何年も「お節料理」というものとは無縁でいる。

それ以前の、クリスマスケーキなるものとも無縁できたのであるのだが。

 

正しく「自業自得」のもたらせたものではあるのだが。

 

「平面作りの鏡面仕立て」の究極態

「平面作りの鏡面仕立て」というテーマについて、

その「鏡面」の意味といて、

ワーク表面に研磨痕や擦過痕といった加工の痕跡が視認されないこと、

ワーク表面が外からの入射光に対して正しく正反射すること、

が一般には要求されるのだが、

ワーク平面が他に準備された平面と、

リンギングする、という要件を加えることができるかも知れない。

手作業で行える加工法として、まさに「究極の」到達点なのである。

機械ラップの技法では、この到達点に至るのは非常に困難なことだろう。

 

この究極態への到達が、

研磨工具(アルカンサス砥石/瑪瑙板)+研磨砥粒+研磨加工油(植物油)という、

単純極まる道具立てで可能になるわけだから、

誰でも挑戦してみる意義はあるだろう。

特にゲージ宇あの場合、どこでも1個と言わず数個のアルカンサス砥石は持ち合わせているから、

活用しないという手は無い。

 

ところで、ここで一点のみ注意しておかなければならない。

ワークの鏡面仕立てに際して、

加工油と研磨砥粒の混和層をできるだけ薄くしていくことがミソなのだが、

この混和層(=油膜厚み)が薄くなるに従って、

その油膜の粘性が高まり、

かつ、ワーク表面と研磨工具表面との面間距離が小さくなっていって、

相互にリンギング力が作用してくる。

そのため、研磨工具のワーク表面への摺動運動が摩擦抵抗を大きく被ることになる。

そのため、加工油の油膜層がうまく蒸散してくれると、

少なくとも油膜層の粘性に伴う摩擦抵抗は消失するから、

作業は楽になる。

この場合、研磨砥粒の若干は研磨工具表面に残存するから、

なおその研磨能力は完全には失っていないと考えられる。

この段階では、研磨加工は、実は、固定砥粒ラップ/乾式となっていると見なせるのである。

 

私が、ハンドラップ技法についての論稿の中で、

遊離砥粒ラップ/湿式の技法と「固定砥粒ラップ/乾式の技法とは「同値である」と指摘したことが、

ここでも同じく指摘できるのである。

 

・・・ということは、鏡面仕立ての技法には、

私が取り組んだ技法以外にも、

様々な技法が成立し得るということが示唆される。

 

こういう「多様性」が、鏡面仕立ての面白さであり、尽きぬ興味の源泉なのである。

 

定盤磨きの時代

50年もゲージ屋稼業に従事してきて

真剣に定盤作りを手掛けたのは、2回だけである。

初回は、初心者の頃。

先代の指図に従って、自分専用の定盤を作った。

2回目は、ラップ技法(遊離砥粒ラップ/湿式)の技法解析のために、

いろいろな素材で定盤を作り、その特性を理解しようとした。

この点は、何もゲージ屋だからというわけではなくて、

金属加工の世界で何かの仕事に従事しようとすれば、

定盤磨きの技法はできるだけ早く習得しておくべきことなのである。

そこで作った定盤が、自分の職人人生の「生涯の伴侶」になるだろう。

 

ところが、実は、平面作りの鏡面仕立てという課題について言えば、

定盤の平面仕立ての技法も、

ワークの平面仕立ての技法も、

全くの同一のものと見えるから、

わざわざ定盤作りといった迂回路を通らなくても、

いきなり、直接にワークの平面作りに努力した方が、

いっそう合理的で効率的だと考えるらしい。

定盤磨きといった余計な作業は、それが必要になったときに心掛ければ済むと言う。

その結果は、これは自明なことなのだが、平面仕立てという単純に見える作業が、

決してそうではないことが分かってくる。

「失敗することが分かっていて、黙って見ているんか?」

「わざわざ失敗させて、面白いんか?」

「根性が悪い」「これはいじめだ!」と逆恨みをしだすから、

平面作りの平面仕立ての作業の入門者は、個々で挫折する。

こういったパターンは、決して希有な例ではなさそうである。

 

職人技というのが、

技法の体系に即応した同府の体系ででもある。

自分が発揮すべき技能にどのような道具が必要であるのか、

先達の助言を受け、自分でもいろいろと考えて、

遠回りなようでも、その道具作りとその道具の活用とに習熟しないといけない。

そういう世界なのである。

 

鏡面仕立ての意味

ゲージ屋の「夢」というものが、

ブロックゲージ並の平面度と面粗度とを手仕事で実現する、という点にあったのだが、

そのことが簡単に実現できるということなのである。

市販の、アルカンサス砥石と、研磨砥粒、植物油の組み合わせという、

実に単純明快な道具立てで実現されるのである。

 

よく語られていることは、

「平面の鏡面仕立て」という作業は、

誰にでも簡単に取りかかれる作業であるから、

単に磨くという手間を掛けるだけの労務作業と見なせるから、

派遣でもバイトでも、誰でも配置して作業にあたらせれば済むものだから、

わざわざ正社員様が担当するまでもない作業であるという、

そういう見立てが行き渡っているような次第である。

 

誰にでも開かれていて、誰でも実現できる、というのである。

その見立てが正しいというならば、

超精密加工とか何とかの触れ込みで、

学会でも総力を傾注して技術開発に取り組んでいる課題は、

手作業の世界ではとっくに解決されているというのである。

 

鏡面仕立てが「完成」しているかどうかは、

その鏡面が他のワークで仕立てられた鏡面との間で、

リンギングするかどうかで判定される。

リンギングするかどうかという物理現象で判断されるjから、

何か特別な計測装置も要らない。

 

だから、この鏡面仕立ての技法がいっそう一般に普及すれば、

日本のもの作りも更なる一歩を踏み出せる音になる。

 

もっとも、ここから新たな課題も生じてくるのである。

せっかく仕立て上げた鏡面も、ちょと発錆が生じたら、ぶち壊しになるのである。

その鏡面の母胎である母体が応力変形を来せば、

リンギング作用は喪失されるから、

鏡面仕立てをする意義が損なわれる。

鏡面仕立てを、単に美術装飾的な目的で採用するというならばともかく、

リンギング能力を喪失するということは致命的な欠陥となる。

これらの解決というのは著しく困難である。

 

鏡面仕立てに成功したならば、直ちにこんれらの困難さに直面するのである。

 

志村史夫著『古代日本の超技術(新装改訂版)』講談社ブルーバックス

ともすれば、「昔の日本は凄かった!」とか、「凄いぞ!日本!」という、

自画自賛に帰着してしまいそうな話なのだが、

確かに、この現在につながる技術・技能が、

1000年、2000年前に既に確立されていたという事実は、

驚嘆に値するのである。

従って、過去の歴史において「既に見失われ喪失された技術・技能」には、

現在の日本が直面している様々な難題の解決の糸口が、

見出されるであろうと考えることはもっともなことで、

「温故知新」というか、

そういう努力が求められているという話なのである。

 

かつての日本には膨大な職人層が確かにあったわけで、

その彼らが、単に先達たちから継承してきた技術・技能を墨守していただけでなく、

新しい創意工夫をこらして、

その技術・技能を洗練させ、いっそう発展させるべき努力をしてきたわけだから、

当然に、超絶的な高みにまでその技術・技能は到達するわけである。

 

そんな、こんなを考えていくと、技術・技能と国家権力という問題に突き当たる。

権力が、その何かを実現しようと決意したならば、

技能者が足りなければ国内だけでなく海外からも呼び集めろ、

必要な資材はどこからででも調達しろ、

必要な資金は青天井で保障するから、資金のことは心配するな、と、

そういう条件に恵まれて、

「超技術」というものは実現戯れたのであった。

職能者が「食えない」ということであると、技術も技能もへったくれも無いのである。

そのため、工業生産の分野でだけでなく、他の分野においても、

職人層というものは結構大事に扱われてきたという歴史があった。

 

 

半導体分野で、今後の日本経済の帰趨を決する問題として、

大規模な政策投資が企図されている。

海外メーカーの日本への進出を歓迎するとともに、

しかしながら、必要な技能者の育成についてはこれから力を入れるということで、

まさに「泥縄」の醜態を演じているわけである。

日本の半導体事業が駄目になったのは、

アメリカとの外交で「敗北」したためで、まさに政治問題、権力問題であったのである。

権力の側で思い直せばすべては復旧・復活できると考える訳なのだが、

そんな甘い幻想では、うまくいくわけもないのである。

 

技術・技能というものは、

その担い手の存在が問われるものであるから、

いったん喪われると、その復旧・復活にはほとんど絶望的な努力が求められる。

そういった危機意識の高まりの一方で、

日ごと夜ごとに技術・技能が失われていっているのである。