鏡面ラップ加工
一般の人達には馴染みが薄い話になるのだが、
加工技術としての現在水準は、
鏡面加工に向かっている。
鏡面、つまり、鏡のように平滑で正確な平面を作る加工技術である。
手作業では、今まで、不可能とされてきたし、
そこまで要求される需要というものもなかった。
もっとも、できないことを要求しても仕方がないと考えられていたわけなのだろうが、
できるとなれば、
需要は一気にそのレベルに達する。
おかげで、「世間並み」の仕上げ程度だと、それで充分なはずなのだが、
手抜きをしているんじゃないかと疑われる。
そういう局面に到達している。
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もの作りの承継が叫ばれているのだが、
今までの伝承技術を継承するということは大事なことなのだが、
継承者の立場に立てば、
一生懸命学んで引き継げたとしても、その程度のもんだ、と見極められてしまえば、
継承する意味があるのかという疑問に苛まれる。
つまり、納得できるだけの「見返り」「待遇・処遇」「報酬」が保証されるのかというわけだ。
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だから、もの作りの「危機」が叫ばれる。
団塊の世代の定年退職・隠退を先延ばしすることで対処するということがなされているけれども、
これは一時凌ぎの先延ばしにしか過ぎない。
だから、今までの技術・技能を承継する場合には、
その伝承を踏まえての新たな技術・技能の展望とそのガイダンスがなされないと、
若い技能者たちには辛いことになるはずである。
しかしながら、団塊の世代には、
その新しい時代を切り開こうとする技術・技能の展望を持っているだろうか。
私自身は、この「鏡面ラップ技術」というものを提示して、
その意義を実証しようとしている。
もっとも、私には後継者はいないのだが。
来訪者
昨日は、研磨材の卸・小売りをしている大阪の業者さんが来訪してくれた。
説明が必要なのだが、
この業者さんとは当方の先代からのお付き合いで、
専らWA・GCの角砥石の購入やノートン社の砥石をお世話して貰ってきた。
今回の訪問は、その業者さんの息子さんが、当方のHPを閲覧して、関心を持ってくれたからだった。
この息子さんは、だから、その業者さんとは長い付き合いにあることは、ご存じなかったらしい。
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当方では、ゲージの仕上げは鏡面仕上げの段階にあって、
そのため、遊離砥粒ラップという技法でダイヤモンドやcBN砥粒を採用し、あるいは、
固定砥粒ラップという技法でcBN砥石を採用したりしていて、
他メーカーさんのようなWA/GC砥粒での仕上げや、ダイヤモンド・ペーストを採用しての仕上げではない。
つまり、私の行っている方法で必要な研磨材が、
この業者さんが目指す研磨材販売拡張の方向性と一致するものだという判断があったということだ。
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残念なのは、
当方の仕上げ作業は徹頭徹尾手作業であって、
機械化はまったくあり得ない世界であることだ。
昨今の仕上げ工程での超微細加工化・鏡面仕上げ化は当然な動きであって、
この方向性を試行しない限りは、高品質化・高精度化は実現できない。
従って、ダイヤモンド関連・cBN関連の研磨材の消費需要量も拡大の一途を辿ってはいる。
しかしながら、当方での消費量はごく僅かなもので、
業者さんが期待され得るほどの購入量ではない。
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今、思い返せば、
現行の技術を確立するためには、
当方の工程展開に応じて、実にさまざまな粒度の砥粒が必要であるし、
さまざまな物性を持つ砥石も必要なことはすぐに予想できた。
いろいろな業者さんに照会したが、
量的にはとるに足りないものだから、
あるいは面倒臭く思ったのか門前払いをされたり、
あるいは最少購入量に条件を付けられたりと、
研磨資材の調達・購入には非常に難渋させられた。
この点は現在でも変わってはいないだろう。
逆に言えば、今から当方の到達点を追いかけようとする同業者さんがいたとしても、
資材調達の段階で既にネックになって、
なかなか技術・技能の試行に着手もできないということにはなるだろう。
こういう点が既に競争条件の一つになってしまうわけである。
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この業者さんがこのような方向性を辿ろうとしていることを知って、
若い力というのは素晴らしいものだと思った。
併せて、私の試行した技術・技能の方向性は決して間違ったものではなく、
メーカーとして突出したものでもなかったことが確認できた。
残る問題は、
当方で必要になったさまざまな研磨資材を、
この業者さんが快く対応してもらえるか否か、
私の求めるものに対応した資材があり得るのかどうか、購入可能かどうか、
経済的な合理性というものが共有できるかどうかに掛かってくるわけである。
清涼寺
源氏物語というと、清涼寺が欠かせない。
嵯峨野の入り口に位置する名刹なのだが、
光源氏のモデルと見なされている源融(みなもとのとおる)の別荘だったところで、
平安末期には、そこに祀られていた仏像が生国にお帰りになるというので、
それは大変だとばかりに都の住人があまた押しかけたという伝説がある。
日本で初の(だから、世界でもおそらくは最初の)、五臓六腑を詰めた仏像がある。
宝物館には、だから、都の庶民信仰と結びついた謂われのあるものが多い。
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清涼寺は、法然さんの活躍とも無縁ではない。
観光客が切れ目泣く押しかけるようなお寺ではないから、
平日に訪れると、
落ち着いた佇まいに身を置くことができる。
源氏千年
源氏物語にゆかりの地というのは多い。
近くの「廬山寺」(京都市・上京区寺町今出川下る)は、紫式部が執筆したところとされているし、
滋賀県・大津市の「石山寺」は、有名すぎるだろう。
京都府・宇治市には、「源氏物語ミュージアム」があって、
観光客が多く足を伸ばす場となっている。
紫式部さんの生活圏がこういう辺りにあったということなのだが。
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源氏物語が今日に至るも読み継がれてきたということは、
藤原定家さんの力によることが大きい。
こういう公家層が存続し得てきたことで、
日本の古代文化が連綿と時代を超えて今日まで来れたわけだ。
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いろいろな日記文学を読むと、
今日の「ブログ・サイト」も、
実は古典世界を踏んでいることが分かる。
誰かの努力によって、
ブログ・サイトの幾つかは後の世に古典として読み継がれていくことになるのかも知れない。
遺るか、遺せるか。
天文少年
中学・高校と天文部に所属していました。
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中学の頃は、月に1回、京都大学の花山天文台が一般公開してくれていましたから、
そこの望遠鏡でいろいろな星雲なんかを見せてもらって、
胸をときめかせたものでした。
でも、天文台が乗鞍に移転してしまって、そういう機会がなくなってしまいました。
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あの頃というのは、
ソ連のガガーリン少佐が人類初の宇宙飛行を成功させて、
京都府庁を訪問された時は学校を抜け出して見に行きました。
月の裏側の写真が公開されたのも忘れがたい思い出です。
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最近は、さまざまに宇宙に関する本も刊行されていて、
書店で目につく度にいろいろ買って読むのですが、
ビッグ・バン宇宙論なんかは、まるで手品みたいな宇宙の生成史ですから、
本当かいなと思ってしまいます。