斎藤英喜著『陰陽師たちの日本史』角川新書
そもそも陰陽道とは、中国思想から発祥したものが日本に伝えられたものという理解があって、
外来の思想であるとされてきていた。
しかしながら、天文学や暦法といった技術的なものは外来のものと学んだだろうが、
その技術を通じて獲得したものは、極めて日本的な思想の土壌において蓄積されたのであった。
従って、陰陽道とは、純然たる日本思想の一分野を形作るものなのである。
・・・とまあ、こういった理解から始まるのである。
例えば、日本の神道というのは、国家や共同体の全体的な安寧を祈り、
祓いと浄めといった儀式が伴われる。
仏教では、当初は国家仏教として国家体制を荘厳する役割が期待されたものであって、
個人的な吉凶や死後の息すえとは関わらなかったものであった。
神道や仏教が、まさに個人的な私的な吉凶や禍福に関わりだしたのは、
平安中期以降のこととなるのだが、
それを媒介したのは、密教の伝来とその定着があったのである。
従って、日本の宗教史というか信仰史を考える場合、
陰陽道という契機が決定的な位置を占めるのではないか?という問題意識が出てくる。
つまり、国家の儀礼・祭祀として受容された神道や仏教、陰陽道等も、
国家のものから広く大衆個々に関わるものとして転換していった時代というものに、
改めて注目が殻むけられる。
こういった問題意識から従前の刊行物を見ると、
スーパースターたる安倍晴明の大活躍を説話集から拾い上げて並べただけとか、
呪い(まじない))めいた怪異な儀式の施業といったものを論じたりと、
そういったものが珍しくもなかった。
あるいは、史料を網羅したガチガチの専門書であって、
門外漢にとっては何が論じられているのかさえ能く把握できないものもあった。
本書は、簡便な新書スタイルではあるが、
論点が綺麗に整理されていて、分かりやすい。
もっとも、密教との連関について論じるところは希薄ではある。