鏡面仕立ての意味 | 京都暮らしの日々雑感

鏡面仕立ての意味

ゲージ屋の「夢」というものが、

ブロックゲージ並の平面度と面粗度とを手仕事で実現する、という点にあったのだが、

そのことが簡単に実現できるということなのである。

市販の、アルカンサス砥石と、研磨砥粒、植物油の組み合わせという、

実に単純明快な道具立てで実現されるのである。

 

よく語られていることは、

「平面の鏡面仕立て」という作業は、

誰にでも簡単に取りかかれる作業であるから、

単に磨くという手間を掛けるだけの労務作業と見なせるから、

派遣でもバイトでも、誰でも配置して作業にあたらせれば済むものだから、

わざわざ正社員様が担当するまでもない作業であるという、

そういう見立てが行き渡っているような次第である。

 

誰にでも開かれていて、誰でも実現できる、というのである。

その見立てが正しいというならば、

超精密加工とか何とかの触れ込みで、

学会でも総力を傾注して技術開発に取り組んでいる課題は、

手作業の世界ではとっくに解決されているというのである。

 

鏡面仕立てが「完成」しているかどうかは、

その鏡面が他のワークで仕立てられた鏡面との間で、

リンギングするかどうかで判定される。

リンギングするかどうかという物理現象で判断されるjから、

何か特別な計測装置も要らない。

 

だから、この鏡面仕立ての技法がいっそう一般に普及すれば、

日本のもの作りも更なる一歩を踏み出せる音になる。

 

もっとも、ここから新たな課題も生じてくるのである。

せっかく仕立て上げた鏡面も、ちょと発錆が生じたら、ぶち壊しになるのである。

その鏡面の母胎である母体が応力変形を来せば、

リンギング作用は喪失されるから、

鏡面仕立てをする意義が損なわれる。

鏡面仕立てを、単に美術装飾的な目的で採用するというならばともかく、

リンギング能力を喪失するということは致命的な欠陥となる。

これらの解決というのは著しく困難である。

 

鏡面仕立てに成功したならば、直ちにこんれらの困難さに直面するのである。