9月9日は重陽!
2024年の新暦の重陽は…9月9日(月)

2024年の旧暦の9月9日は10月11日(金)です。

また,9月9日は…「菊理姫の日」と言われています。


「菊理姫」

①日本神話では,『古事記』や『日本書紀』正伝には登場せず,「日本書紀』異伝(第十の一書)に一度だけほんの少し出てくるのみです。 
天地が分かれたばかりの頃,天の世界である高天原(たかまのはら)に,次々と神が出現し,最後に現れたのが,伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)でした。
この男女の神には,国土を誕生させる「国生み」と,地上の営みを司る神々を誕生させる「神生み」が命じられました。
伊弉冉尊が火の神「ヒノカグツチノカミ」を出産した時の火傷で,死の国「黄泉の国」へ逝ってしまうと,悲しんだ伊弉諾尊は生き返らせようと「黄泉の国」へ妻を迎えに行きます
ところが,醜く変わった妻の姿を見て,恐ろしくなり,伊弉諾尊は逃げ出してしまい,怒った伊弉冉尊は夫の後を追います。


黄泉の国との境界で対峙する二人の前に突然登場したのが,菊理媛,『菊理媛神亦有事(きくりひめまたもうすことあり)』と記述があり,「何」を言ったのかは不明ですが,光透波(言葉)でやわし,伊弉諾尊・伊弉冉尊二神の仲裁をします。
二人のご縁を取り持ち,伊弉冉尊には,黄泉の国(あの世)を守る女神として担当してもらい,には,地の国(この世)を繁栄させる担当を任せられ,ククリ直したのです。
菊理媛尊の一言で,伊弉諾尊は妻に対する執着を捨てて,その後,地上国造りに本腰を入れ,川でをし,三貴子(天照大御神(あまてらすおおみかみ)・月読尊(つくよみのみこと)・須佐之男尊(すさのおのみこと)が生まれるのです。
⑴なので,白山比咩神社では,菊理媛尊とともに伊弉諾尊・伊弉冉尊も祭神として祀られています。
⑵菊理媛の「くくり」は…「括る」にもつながり,「結ぶ,結う,繋ぐ,まとめる,統合する等」の意味合いを持ち,「縁結びの神」「和合の神」「平和の神」として信仰されています。
□「括る」とは…ひもや縄などを掛けて,バラバラな物を一つにまとめて縛ることで,対立するもの,異質なものをつなぐという意味があり,なるエネルギーを1つに統合することです。
⑶見えない世界とえる世界の役!
『有事(もうすことあり)』「白」という言葉が「イザナミの本音」を表しているのかもしれません。
「白」という言葉は…「白状」「告白」「潔白」など本当の思いを語る時に使います
また,神社であげる祝詞も「畏(かしこ)み 畏(かしこみ)(もう)す」という風に神様に「真っ白な心で申し上げます」と奏上すること等から,「白」「本音」と見立てています。
「本音」とは…「素(す)「純粋」「無」「神聖」の心から出た言葉のことです。
「そのイザナミの素直な「本音」を聞かされたイザナギは,怒りが修まり,自然と自分の誤りを認めることが出来たのかもしれません。
なので,ククリヒメを「白」山姫と呼ぶのかも?

②別名は…菊理姫,菊桐姫キクキリヒメ,菊理媛神,久久理姫命,菊姫,白山比咩,ココリヒメ,ココロヒメ…等,たくさんあります。
菊理媛(の『ククリ』は『物事を括りまとめる』という意味で,これはイザナギとイザナミの仲を取り持ったことからの神名と考えられています。
また菊の花がかつて中国では久々(くく)と呼ばれていたこともあり、『括り』に菊の漢字をあてたとも言われています。
それ以外にも菊理媛の名前には
・『糸を紡ぐ(括る)』ことに関係があるとする説
・『水を潜(くぐ)る』ことの意で水神であるとする説
・『聞き入れる』が転じたものとする説
・『高句麗』が訛った音ということから、外来神とする説
など様々な言い伝えがあります。

白山信仰に基づく別名は…白山権現(はくさんごんげん)
白山比咩神(しらやまひめのかみ)・白山さん・白山大権現(はくさんだいごんげん)・白山妙理権現(はくさんみょうりごんげん)・妙理大菩薩(みょうりだいぼさつ)・白山明神(はくさんみょうじん)などの呼ばれ方をすることもあります。
⑴白山権現は、白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神様のことです。
⑵白山開山の起源は…717(養老元)年,【修験者:泰澄】が加賀国(当時は越前国)白山の主峰,御前峰(ごぜんがみね)に登って瞑想していた時に,緑碧池(翠ヶ池)から【十一面観音の垂迹(化身)である九頭龍王(くずりゅうおう)】が出現して,自らを伊弉冊尊の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って顕現したのが,【白山修験場】開創の由来と伝えられています。
㈠「百(100)」-「一(1)」=「白」なので…「白」は「99」です。
これで【9×1199】九頭龍×十一面観音=白(山信仰)の式が成立します。
それで,×(ことわり)菊理媛(をここに結合させると…九(9)頭龍 × 十一(11)面観音白(99)山信仰菊(99)理媛です。
㊁九頭竜福井県の九頭竜川は,まさに川そのものに名前が付いています。

急流の上,崩れることが多いことから「崩川」から「九頭竜川」へと呼ばれるとも言われています。
九頭竜川の源である白山は信仰の対象となっており,白山権現が村人の前に現れて、その尊像(白山権現の姿をうつした像のこと)を川に浮かべました。
すると、九頭竜が現れて尊像を守りながら川を下って,黒龍大明神のもとにたどり着き,これが九頭竜川の名前の由来と言われています。見方によっては,洪水を鎮める儀式とも受け取れます。

※龍は中国で神話上の生き物であり、戦国時代の書物『管子』には「龍は水から生ず」と記され,と深く関わっています
龍の頭はの形をした博山(はくさん),あるいは,尺水(せきみず)と言い,ここに力の源であるを蓄え,の神様として崇められています。
龍は水を招き寄せ,雨や洪水を呼び込む力があると古くから考えられてきました。

④菊理媛他の神様との関係
⑴イザナギ
イザナミと関係

イザナギとイザナミの仲を取り持ったことで,縁結び・縁切りの神とされるようになった。
イザナギの姉であったとされる説
イザナギとイザナミの娘であったとされる説
イザナミの別名であったとされる説
イザナミの荒御魂(あらみたま:荒々しい)もしくは和御魂(にぎみたま:柔和)であったとされる説
黄泉の国でイザナミに仕える女神であったとされる説
などです。
⑵アマテラスとの関係…生まれたばかりの子の言葉を聞き切った叔母
菊理媛はイザナギとイザナミの子のアマテラスの叔母(イザナギの姉)にあたるという説があります。『ホツマツタエ(秀真伝)』
アマテラスはイザナミの体内に96ヶ月宿ったあと、丸い胞衣(えな:胎児を包む胎盤とか膜)に包まれて生まれました。
アマテラスの胞衣を勺で裂き,産湯に浸ける役割を担ったのが,叔母である菊理媛でした。
その際、アマテラスが「あなうれし」と言葉を発したため、菊理媛がアマテラスに名を尋ねると、アマテラスは「ウヒルキ」と答えました。
そこから、アマテラスの幼名はウヒルキ(大日霊貴)となったのです。
アマテラスが初めて発した言葉を聞き切ったことから、イザナギとイザナミはたいそう喜び、功を讃え『聞く切り姫(キクキリヒメ)』→『ククリヒメ』という名を与えたと言われています。
そしてアマテラスの名がまだ決まる前、機織りの神としての側面も持っている菊理媛が、アマテラスのために衣服を織り献上しました。
※『ホツマツタエ(秀真伝)』という文献の中で菊理媛は…「シラヤマ姫」「ココリ姫」等の神名で登場します。
またアワナギ(クニノトコタチの子孫)の子であり,イザナギ,クラキネと兄弟であるとされています。
ヤソキネ(トヨケ(豊受大神)の子であり,イザナミの兄)と結婚し,クラキネの後を受けて,根の国(現在の北陸地方)を治めました。

⑶シラヤマヒメとの関係…白山信仰に基づく龍神の化身
菊理媛は石川県にある白山比畔神社で祀られている白山比咩神(シラヤマヒメノカミ)と同一神であるという説が広く知られています。
白山は石川県,福井県,岐阜県にまたがる広大な山麓を抱える独立峰です。
さらに手取川,九頭竜川,長良川,そして富山県の庄川の4つの河川の水源となっています。
白山がもたらす自然の恵みの数々は,麓に暮らす人々へ沢山の豊穣をもたらしたことから,白山は『命親神様』とされ、山を御神体とし,農耕の神,の神として崇められてきました。
また古くから山は航海の指標となっていたことから,の神としても崇められていたそうです。
⑷瀬織津姫との関係……人の穢れを川の水で浄める神
瀬織津姫(セオリツヒメ)と同一神ではないかという説があります。
瀬織津姫は水を司る水の神様であり,全ての罪や穢れを洗い流すことができる禊の神様です。
伊勢神宮の別宮には天照大御神の荒御魂として祀られており、禊の儀式で唱える大祓詞(おおはらえのことば)という祝詞に名が残されている祓戸四柱大神(はらいどのよつばしらのおおかみ)のうちの1柱です。
菊理媛がイザナギに「現世に帰ったら,黄泉の国の穢れを祓いなさい」ぎをすすめたというエピソードと,瀬織津姫が浄化の神様であるという点から,同一神であるという可能性が示唆されています。
また、菊理媛と瀬織津姫は共に龍神の化身であるという説もあります。

➄菊理媛ご利益
菊理媛は白山比咩としても知られていることから,山や海を守る神様として崇められていて,ご利益は多岐に渡り,多くの面で人々の生活を支える神様です。
□ご利益良縁成就縁結び・縁切り・生業に関するご利益(五穀豊穣・大漁満足・牛馬安産・生業繁栄)開運招福身体健全・福徳長寿・神人和楽・除災・交通安全・学業成就・入試合格・家庭の幸福を守るご利益(家内安全家運長久・子孫繁栄・夫婦円満・安産・育児・命名)など。


⑥菊理媛に守られている人の特徴
◎人や物事を大きな心で括りまとめる
○社交的で気配りができる。
コミュニティを大切にし,喜んで周りの人をサポートする傾向がある。
・チームワークや共同作業を好み,みんなの笑顔を見ることで,「もっと頑張ろう!」と思える。
○周囲の人同士の関係がこじれた時は,仲介役となることもある。
○秩序やルールを大切にする。
具体的で現実的な思考を好む。
・計画的で責任感も強いため,周りの人から信頼されやすい。
・細部まで気を配りながら,現実的な問題を解決することができる。
・締切を守るのも得意。
○その場のノリや気分に流されず,「自分が正しい」と思う行いができる。

菊理媛が祀られている主な神社
⑴白山比咩(シラヤマヒメ) 神社…石川県白山市(旧石川郡鶴来町)三宮町ニ105-1 ☎076-272-0680

全国約三千余社を数える白山神社の総本宮

日本の三大霊山(三名山)のひとつである霊峰:白山の麓に鎮座し,「和合の神」や「縁結びの神」として多くの人々からの信仰を集めています。
白山信仰は古くから、白山を神体山(しんたいさん)として祀っており、山岳修験や登拝の対象とされてきました。
毎月1日に行われている『おついたちまいり』にはバスツアーが組まれるなど、沢山の人が訪れます。

□ご祭神…白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)=菊理媛尊(くくりひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三柱。


□神紋「三子持亀甲瓜花(みつこもちきっこううりのはな)」…六角の亀甲の形を七五三に配した三つ子持ち,すなわち,三条の構えをめぐらし,その中に瓜の花を描いたものです。
亀甲はおめでたい長寿を表わし,また三つ子持ちは,親から子,子から孫へと,過去から未来へ絶えることのない家運長久を意味しています。

また,瓜は古代においての珍菓であり,それを神に捧げて子孫の繁栄を祈るという神まつりの表現です。
つまり,生命がますます栄えるめでたさを象徴しており,家運長久・子孫繁栄・神人和楽のしるしとして仰がれています。


⑵白山神社(東京都文京区)…ご祭神:菊理媛,イザナギ,イザナミ
毎年6月に開催される「文京あじさいまつり」が有名で,境内に咲き誇る約3000株のあじさいはとても美しく「あじさい神社」とも呼ばれています。
あじさいまつりの期間中の日曜日には『歯ブラシ供養』という変わった行事が行われていて,使い終わった歯ブラシを供養してもらうことで,歯の痛みにご利益があると言われています♪
修験者の1人が荒行を耐え抜き、歯痛止めの業を成し遂げたことから、このような行事が行われるようになったそうです。

⑶白山神社(新潟県新潟市)…新潟総鎮守として新潟県を代表する神社。ご祭神は菊理媛,イザナギ,イザナミ。
縁結びだけでなく、家内安全、商売繁昌、交通安全、厄除、建築、工事安全、海上安全、子宝、安産など様々なご利益があります。
「おはらいといえば、新潟でははくさんさま」と言われるほど県内では厄払いで有名で、毎年多くの参拝客が訪れますが、特に30代の女性に向けた『ひめ神まいり』というお祓いが人気です。
お守りやおみくじの種類も豊富で、自分の欲しいご利益に合ったものを選ぶ事ができます。


❷白山信仰の歴史
⑴古代

㈠石川,福井,岐阜の3県に渡り高くそびえる白山は,古くから日本霊山にも数えられ,古代から崇敬の対象で,霊山信仰の聖地として仰がれてきました。
麓に暮らす人々や遥かに秀麗な山容を望む平野部の人々にとって,白山は聖域であり,生活に不可欠な“命水”を供給してくれる神々の座でした。
㈡BC91(崇神天皇7)年,舟岡山に白山を仰ぎみる遥拝所「まつりのにわ」が創建されたと伝えられています。
祭神は菊理媛尊(白山比咩大神)、伊邪那岐尊(伊弉諾命)、伊邪那美尊(伊弉冉命)の三柱でした。

82(景行天皇12)年,石徹白に白山中居神社が創建されました。
㈣465(雄略天皇9)年,勅使を遣わし,祭祀を執り行いました。

⑵奈良時代

㈠716(元正天皇の霊亀2)年,安久濤の森に遷座して,社殿堂塔が造立されました。

㈡717(養老元)年,【修験者:泰澄】が加賀国(当時は越前国)白山の主峰,御前峰(ごぜんがみね)に登って瞑想していた時に,緑碧池(翠ヶ池)から【十一面観音の垂迹である九頭龍王(くずりゅうおう)】が出現して,自らを伊弉冊尊の化身で【白山明神・妙理大菩薩】と名乗って顕現したのが,【白山修験場】開創の由来と伝えられています。

㈢718(養老2)年に,泰澄は御前峰に社を築き,【白山妙理大権現】を奉祀し,白山信仰の基となりました。

⑶平安時代

加賀・越前・美濃の3国白山信仰の禅定道が設けられ,「三箇馬場(ばんば)は,加賀の馬場(白山比咩神社),越前の馬場(平泉寺白山神社),美濃の馬場(長滝白山神社)也」と呼ばれました。
㈠820(天長9)年,神仏習合により,それぞれの馬場に,白山寺,平泉寺,長瀧寺の神宮寺が建立されました。

㈡853(仁寿3)年10月,白山比咩神(しらやまひめのかみ)は従三位に初叙されました。
以後、一宮制度で加賀国一ノ宮と定められ、白山本宮・加賀一ノ宮の白山比咩神社は、平安時代中期から鎌倉時代を経て、室町時代前期に至るまで,白山山頂の管理や入山料の徴収等の利権で潤い,約500年間栄えました。
■白山修験
白山を御神体とする白山修験は、白山頂上本社,中宮八院(護国寺,昌隆寺,松谷寺,蓮花寺,善興寺,長寛寺,涌泉寺,隆明寺),下山七社(白山寺白山本宮,金剱宮,三宮,岩本宮,中宮,佐羅宮,別宮)で一山組織を成し,「白山衆徒三千を数う」「馬の鼻も向かぬ白山権現」といわれるほど,中世には加賀国を中心に宗教的にも政治的にも隆盛を極めました。
白山修験は熊野修験に次ぐ勢力だったといい,特に南北朝時代に北朝方の高師直が吉野一山を攻めて南朝の敗勢が決定的となった際には,吉野熊野三山間の入峯が途絶したため,白山修験が勢力を伸ばし,日本全国に白山信仰が広まりました
『源平盛衰記』や『平家物語』に記された白山衆徒(僧兵)が,対立した加賀国守を追放した安元事件に代表されるように,加賀国では白山修験は一向宗(加賀一向一揆)と並んで強大な軍事力を有する教団勢力として恐れられました。
白山修験の僧兵は山門(延暦寺)の僧兵と結びつき,特に霊応山平泉寺は最盛期には8千人の僧兵を擁したと伝わっています。
戦国時代には一向宗門徒によって焼き討ちにされて加賀国では教団勢力は衰退しました。

⑷室町時代
㈠1455(康正元)年以降,加賀国に入った本願寺の加賀一向一揆のため,年貢米が得られなくなり,困窮した状況になりました。

㈡1480(文明)年に大火により全焼

㈢1488(長享2)年,三宮の地を本宮鎮座の地と定めました。

㈣1531(享禄4)年,加賀一向一揆の戦乱で,再び社殿を焼失し,白山衆徒は廃絶,社殿は再興できず長く荒廃しました。
㈤1596(文禄5)年,白山本宮の社殿堂塔復興の綸旨を受けた前田利家により復興がなされました。
社名を白山本宮である白山比咩神社,神宮寺の白山寺も復興・併設,江戸時代は加賀藩主が社の経営をみるところとなりました。

⑸江戸時代
江戸時代全期に渡り,白山嶺上の祭祀権(社家権利,札発行,梵字押捺の勧進)と室管理(賽銭収入)を巡って,「白山争議」が何度も起きました。
尾添村と高野山真言宗,牛首村・風嵐村と越前馬場の平泉寺・比叡山天台宗,美濃馬場の越前国大野郡石徹白,それに巻き込まれた白山本地中宮長瀧寺(現 長滝白山神社・長瀧寺)の間で訴訟が起きました。

幕府寺社奉行所の裁決が繰り返され,

1668(寛文8)年,白山麓は江戸幕府の公儀御料となり,霊応山平泉寺が白山頂上本社の祭祀権を獲得しました。
⑹明治時代
神仏習合の山であった白山には多くの仏像が祀られていましたが,

㈠1874(明治7)年の神仏分離令(神仏判然令:1868年発令)で,白山寺は廃され,白山本宮・加賀一ノ宮の「白山比咩神社」と号した。

そして歴史史料が調査され,加賀の白山比咩神社・越前の平泉寺白山神社・美濃の長滝白山神社の3社から「延喜式神名帳」に記載された加賀の白山比咩神社が最も古く,全国の白山神社の総本社とされ,白山天嶺の地は本社境内となり,奥宮が置かれました。
越前・美濃は分霊された白山神社とされました。

越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も,加賀の白山比咩神社の分霊社に由諸を書き換えた,とされます。

そして,多くの仏像が下山を余儀なくされました。
林西寺には、この白山下山仏である【銅造十一面観音立像】など仏像9躯を安置しています。
この像は,奥州の藤原秀衡寄進と伝承されている金銅仏で,木彫が主流となった平安時代にあっては,屈指の大きさをもつ希少な優品です。

第二次世界大戦後,白山比咩神社は白山神社の総本社として神社本庁の別表神社となり,白山頂上の奥宮を中心とする約3000ヘクタールの広大な地域を本社境内として無償譲与を受け,現在に至ります。
平泉寺白山神社・長滝白山神社もそれぞれ「白山神社の総本社」を名乗っています。