アバター観てきました
早めに会社を出れたので、
帰りにミナミのTOHOシネマズへ
前から見たいと思っていた「アバター」
やっと観てきましたよ。
細かい説明も納得。
設定にひきずりこまれます。
詳しくは、語りません。
ただ、ひとことでご案内するなら、
「すごい反米映画です」
こんな映画を作れるのだから、
アメリカって、やっぱりいい国なのかな?
見た目反米でも、それがほんとうの愛国なのかも…。
ネイティブ・アメリカンにやってきたこと…
そして、米軍が沖縄やベトナムでやってきたこと…
少しは反省してる人たちもいるってことなのかな。
ぼくもパンドラで生きたいな。
もうちょっと経って、みんなが観たころに、
あらためて、いろいろ語り合いたい作品です。
画像はもちろん盗撮ではありません。
館内のモニターで放映されていた宣伝用のワンシーンです。
こっそり内緒で……
なぜ、こんな書き方をするかというと、
ちょっとその局に知られたくない内容だから。
その局のある番組の思い出深い主題歌を、
こっそりアップしたのでおとどけしたい。
短いですから、どうか一度お聴きください。
懐かしく思う方もたくさんいると思う。
(万博少年あたりだろうけど…)
こっそりと内緒にしたのは、知的所有権の関係。
それについては、後日改めまして……
ブログネタに挑戦
ブログネタ:白いご飯以外で好きなご飯は?
参加中「サフラン・ライス」
星の王子さま
紙幣といえば、やっぱり印象深いのは、
「星の王子さまの50フラン」ではないだろうか。
このぼっちゃんがなんともかわいい。
でも、このお札はもうとっくに使えなくなった。
ぼくは、フラン札をユーロに換金することのできる
最後の日にパリにいた。
そして、手持ちのフランを、
パリの中央銀行でユーロに換金した。
ずいぶんと列をつくって、待たされた。
そのときはまだユーロのコインはだれも馴れていなかった。
でも、フランを持っていても、明日から換金できなくなるのだ。
たいした額ではなかったが、新しいユーロを手にして、
ひと安心って感じだった。
でも、何枚か、この50フラン札だけは、
手許に残ってもらうことにした。
かわいいぼっちゃん、ずっと地球にいてください。
「ぼくね、日の暮れるころが、だいすきなんだよ」
ぼっちゃん、ぼくも入り日がだいすきです。
なくなっていくもの……それはとてもかなしくて、
なぜか心が強く惹かれる。
王子さまは、何度読んでも、最後はヘビに噛まれて姿を消す。
何度読んでも、心が揺れる。
パリの美しいうす紫の空をながめて、
心をおどらせない人なんているだろうか?
50フラン札の裏面には、「夜間飛行」のまえの、
うす紫の空が描かれている。
この記事を一生懸命考えているうちに、日付が変わってしまった。毎日ブログを書くつもりだったのに……
でも、しょうがない、昨日は仕事が忙しかったのです。
それと、みなさんにも知っておいてほしいことなんですが、
大阪は夕日のきれいな街なんですよ。
西が海で、光がいっぱいの夕方なんです。
東京は朝日はきれいなんでしょうけど、覚えがない。
夕方はスポンと暗くなりますね、大坂とちがって。
やっぱり、大坂はパリに似てますよ。www
デンマークの子供番組より
デンマークの子供番組もよく観ました。
なかでも、好きだったもののひとつに、
「シグアス・ビョーネティマ」(シグアのビヨーンの時間)
というのがあります。
今日は、そのオープニング曲だけをご紹介します。
これは2008年5月、番組の10周年記念ライブからの動画です。
短いですから、お時間があれば、
一度、聴いてみてください。
下に歌詞と、拙訳をのせておきます。
Her er vi igensæt dig ned min ven
for nu' det Sigurds Bjørnetime
Lampen den er tændt
og Bjørn han venter spændt
for nu' det Sigurds Bjørnetime
Rejsegrammofonen venter på jeg trykker start
og rundt på all hylderne er bjørnene parat
ja, alle ting kan ske
prøv nu selv at se
for nu det Sigurds Bjørnetime
またきたよさあこしかけて
シグアのビヨーンのじかんだよ
あかりもついたよ
ビヨーンもたのしみにまってるよ
だってシグアのビヨーンのじかんだもの
レコードプレイヤーもスタートをまってる
たなのまわりのくまちゃんたちもみんな
じゅんびができたよ
そう、いったいなにがおこるかな
まあ、みてごらん
シグアのビヨーンのじかんがはじまるよ
このブログのためにYoutubeにアップしたのはいいんですが、
どうしても、キャプションをつけられませんでした。
う~ん、むずかしい。
大震災から15年……
15年前の今日、朝5:46、
ぼくはいつもどおり出勤しようとネクタイを結んでいるところだった。
遠くの地鳴りを感じた瞬間、「ゆれるぞ」と思った。
「地震や、大きい地震や」と叫んだ。
下の子が赤ちゃんだったので、すぐに行って覆いかぶさるようにしていた。
揺れはしばらく続いた。
幸いに、自宅付近は震度5くらいで、たいしたことはなかった。
東京にいた頃、震度5を2回経験したことがあったので、
「震度5だな」と思っていた。
ご存知のとおり、大阪では大きな地震はめったにない。
「馴れていない大阪の人はきっとあわててるぞ」と、
そのときはまだのんきに思っていた。
テレビをすぐにつけてみたら、宮田アナウンサー(現在神主)が、
速報で地震があったことを伝えていた。
まだ、各地の震度などは不明。
被災者の第一報は、
「あわてて外に出たお年寄りがころんで怪我をしました」
というものだった。
本当にそのときは、その程度だろうと思っていた。
続報が入るたびに、被害の状況が大きくなっていった。
電車は完全にストップしていたので、
出勤するため車で出かけた。
大渋滞にまきこまれ、5キロ進むのに1時間かかった。
遠距離通勤なので、徒歩も自転車もありえない。
ケータイを持っていたが、ずっと不通だった。
自動車無線(ハム)をつけて周囲の情報を聴いていた。
どこも渋滞……。
2時間かかっても10キロも進んでいない状態。
出勤をあきらめ、昼過ぎに帰宅した。
テレビは次々と、信じられない景色を映し出していた。
ずーっとテレビにかじりついていた。
阪神間以外の電車は、翌日復旧していたので、出勤できた。
会社で、「なんとか救援隊を組織して送りましょう」と上司に提案した。
上司は、「余計なことするな」と、信じられないことば。
「なにかできることはないか」とばかり考えていた。
じっとしていられなかった。
友人に声をかけ、軽トラックを借りた。
5万円だけだけど、家計をさいて、
紙おむつ(子供用も大人用も)、粉ミルク、単1電池など、
ラジオで不足していると呼びかけているものを、買って積み込んだ。
震災の4日後、土曜の仕事が終わってから、
別の友人ひとりと一緒に、軽トラで神戸に向かった。
主要道路は、渋滞だと聞いていたので、
なるべく山際の、細い道をえらんで進んだ。
道はところどころ、亀裂があったり、ブロック塀や建物がくずれて、通れなかった。
クネクネと道を探しながら、神戸に着いたのは夜だった。
道は暗くてわからない。
赤十字病院があったので、とりあえず荷物をすべて渡してきた。
NHK神戸局に入って、どの道をたどれば神戸市役所にいけるか尋ねた。
神戸市役所の1・2階は被災者で溢れていた。
ずいぶん上の階だったが、ボランティアの受け入れをする対策本部があった。
軽トラがあることを言うと、
「長田がいちばんひどいようなので、そこに行ってほしい」
と、長田区役所までの道を教えてくれた。
「ところどころ通れないこともあるかも知れないので気をつけて」
とも言われた。
市役所の前では、発電車が何台もならんで、エンジン音をひびかせている。
報道関係の車も、いっぱい。
記者さんたちがその中でロケ弁をつかっていた。
一面の焼け野原の中、軽トラで進む。
ところどころに自警団がバットを持って歩哨に立っている。
長田区役所について、階段をのぼる。
区役所も天井が落ちたり、階段にもひびが入っていたり…。
その中を、若い女性公務員もたくさん、スキーウェアを着て働いていた。
風呂も入らず、ゆっくり眠ることもできず、
4日めなので、相当疲労もたまっていただろう。
そこで、ボランティアの仕事の指示を受ける。
避難所になっている小学校におにぎりを届けたり、
電池を届けたり、
あるいは、病院にカセットコンロを届けたり。
荷物を積んでは届け、また次の指示を待つ。
待っていると、女性市役所員が、「お疲れでしょう」とみかんをくれた。
ボランティアに来て、ものをもらうわけにもいかず、
みかんは辞退した。
徹夜で夜通しはたらいたが、おなかがすいたとも、つらいとも思わなかった。
みんな、もっと大変なのだ。
翌朝、早い時間に、山のほうの病院をさがして、道に迷っていたら、
下から青年が二人、歩いて登ってきた。
「すみません、○○病院は、どこですか?」
差し出した地図をのぞきこんで、すぐに教えてくれた。
二人とも、笑っていた。
こんな震災の中でも、笑顔があるんだ。
人々は助け合い、強く元気に生きているんだ。
それが、印象的だった。
しばらく、仕事が途絶えたので、お昼過ぎにおいとまごいをして、
区役所をあとにした。
もうちょっと、なにかできることはなかっただろうか。
と、今でも思う。
でも、何もしなかったわけではないというのだけが、救いだ。
軽トラを貸してくれた友人は一昨年、心筋梗塞で死んだ。
とってもいいヤツだった。
震災の日の今日、いろんなことを思い出す。
(~ここからは、つけたし~)
避難所にいた人たちの枕元には、
各自2リットルのペットボトルを2本ずつぐらい持っていた。
飲み水は足りていたようだ。
とにかく困るのはトイレで、お風呂もシャワーも完全にぜいたくだ。
区役所の倉庫には、全国各地から届けられた救援物資がいっぱいだったが、
おにぎりは多くて、そんなに日持ちするわけでもなく、余り気味の様子だった。
中には魚も届けられていたようだがナマモノは調理もできず腐るので困っていた。
今日は、文字ばかりで、面白くないですね。ごめんなさい。……合掌。
なつかしの台湾
もう26年前にもなりますか。
台湾では、こんな歌も流行ってました。
(一度、再生してお楽しみ下さい)
もちろん、もんた&ブラザースの「ダンシング・オールナイト」。
Dancing all night. が音訳されてて
Danshi you henai.(タンシーヨウハーナイ)になっています。
意味は、「だけどいったいどうしたらいいの」って感じですか。
一応、歌詞とその訳(拙訳)を載せておきます。
但是又何奈
如果早知你對我不是真意,
我也就不會這樣輕易的愛上你
如果真有情, 為什麼悄然遠離去,
事到如今, 只有自己怪自己
但是又何奈
偏偏我還想念你
但是又何奈 誰叫我喜歡你
但是又何奈 只有把這一份情,
悄悄收拾起, 深深埋在我心底
もしも早くにあなたが本気でないとわかっていたら、
わたしはこんなにたやすくあなたを愛さなかったわ。
本当に情けがあるのなら、なぜひっそりと離れていくの?
こんなふうになってしまった、自分で自分を不思議に思うわ。
でもいったいどうしたらいいの?
どうしてもわたしはまだあなたのことを思ってしまう。
でもいったいどうしたらいいの?
誰がわたしにあなたを好きにさせたの?
でもいったいどうしたらいいっていうの?
この気持ちを、だれにも知られないように整理して、
わたしの心の底に深くきざむだけだわ。
同じ歌詞の繰り返しですので、
覚えれば、カラオケで楽しめますね。
去年11月14日のブログに載せた
丘丘合唱團「就在今夜」と同じ年のヒット曲です。
「但是又何奈」という題名のテレビトーク番組もYouTubeにアップされてます。
空撮アート
グーグルマップで航空写真を眺めてたら、
なんだか別のものに見えてきた。
拡大するとこんな感じ……
新木場には木が少なかったので、大阪南港です。
名古屋は木がいっぱいだったのですが、
解像度が低かったので、いい絵になりませんでした。
グーグルマップの解像度が高いところでないと、
おもしろい絵はさがせません。
で、思いつくまま、ちょっと空から覗いてみました。
これは分かった人もいるでしょう。
でもこの拡大図は……
でも、もともとゴシック庭園が、幾何学的なのは当たり前。
ちょっと、おもしろくないので、趣向を変えます。
でも、これももともとアートを狙ったもの。
いや、ぼくが最初におもしろいと感じたのは、
アートを狙ったわけじゃないのに、何か別のものに見えるような
そんな空撮なのでした。
では、最後にこれはいかがでしょう。
でも、なんとなく不気味な感じ…。
だって、これはお墓だからです。
市設南霊園、通称阿倍野斎場(あべのさいじょう)です。
大阪の古い大きな霊園です。
あの世から地球を見下ろせば、
世の中にはまだまだ面白いものがあるでしょうね。










