
もし子どもの頃に出会っていたら、視点が変わっていたかもしれません。
しかし大人になったこの時期に読んだからこそ、見えてくるものがあると思います。
お金や時間に囚われているとき、心の豊かさや人生に大事なものは何かを考え、現状の生活を再考するきっかけとなりました。
期間がない、暇がないときは、だいたい忙しい状態です。
まるでこころを亡くしている状態のときです。
人間の心のうちの時間、人間の人間らしく生きることを可能にする時間がだんだんと失われてきていることがこの物語の中心テーマなのです。(訳者あとがきより)
「人間というものは、ひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間を持っている。
そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」
あるとき、京都や大阪の神社や寺の庭園などに訪れている時間に、ぼくは、これが生きた時間を過ごしていると感じていました。
折々の情景や風物にまつわる文化や人、歴史などに肌を触れているとき、
古来人がどのように時の流れを感じて、どんなふうに日々を暮らしていたのかは、そこはかとなくぼくの心にじわっと伝わってきました。
例えば仏像などの本物に逢える愉しさ、嬉しさ、懐かしさ。
言葉だけではその意味が正確に伝えられるものではありません。
本物でないとその素晴らしさはなかなか伝わってこないものだから。
日本人として生まれてきてよかったと思えるとき。
日本人の誇りと自信を再確認しながら肌が逆立ちつつ魂が奮い立つとき。
日本人が古来より抱かれている情緒や伝統の大切さに気づくとき。
それらのときを伝える言葉が豊かであればあるほど、時間もまた豊かに深まるものと信じています。
モモのなかに描かれているイラストが秀逸です。
それを見ていると美しい情景がすぐ頭に浮かんできます。
過去、現在、未来。
時間は、貴賤を問わず、人に共通に与えられたものです。
無駄にしたくないと思うのならそうすればいい。
緩急のメリハリをつければよい。
無用の用も心の余裕も必要だ。
他人に強制されて管理されるものではありません。
生きた時間をどのように使うかはそれぞれの個々人に任せてあるべきだと思います。
95P
けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。
211P
「そうじゃないんだよ、モモ。この時計はわたしが趣味であつめただけなのだ。時計というにはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じ取るために心というものがある。そして、もしその心が時間をとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。ちょうど虹の七色が目に見えない人にはないもおなじで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないもおなじようにね。でもかなしいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、なにも感じ取れない心を持った人がいるのだ。」
11章の「わるものが危機の打開に頭をしぼる時……」がとても気に入りました。
この10人にわたる灰色の男たちの幹部会での提案や発言内容については、未来の大人たちに対して、会議とは何なのか、参加して議論することとはどう意味があるのかなどを、わかりやすく教えてくれる教科書的な材料であったと思います。
町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女のモモ。
その町の人たちは、聞く力を持っているモモに話を聞いてもらうと、幸福な気持ちになるのです。そこへ時間どろぼうの灰色の男たちの魔の手が忍び寄ります。
時間とは何か!を問うミヒャエル・エンデの不朽の名作です。
<目次>
第一部 モモとその友達
第二部 灰色の男たち
第三部 時間の花
作者のみじかいあとがき
訳者のあとがき
ミヒャエル・エンデ絵
エンデ,ミヒャエル[Ende,Michael]
1929‐1995。南ドイツのガルミッシュに生まれる。父は、画家のエトガー・エンデ。高等学校で演劇を学んだのち、ミュンヘンの劇場で舞台監督をつとめ、映画評論なども執筆する。1960年に『ジム・ボタンの機関車大旅行』を出版、翌年、ドイツ児童図書賞を受賞。1970年にイタリアへ移住し、『モモ』『はてしない物語』などの作品を発表。1985年にドイツにもどり、1995年8月、シュトゥットガルトの病院で逝去
大島かおり
1931年東京生まれ。翻訳家
【No.934】モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語 ミヒャエル・エンデ 大島かおり訳 岩波書店(1976/09)