「令和」になりました。
実は「平成」生まれの子が「シルクふぁみりぃ」の最初のスタッフです。
当時まだ10代だったのですが、モデルをずっとやってくれているりえちゃんです。
9年前の入社したての彼女の写真です。
やっぱり若かったですね。
彼女はモデル兼カリスマ発送人として、シルクふぁみりぃの重要な役割をずっと果たしてくれています。
顔を合わせると、お互いに冗談ばかり言い合ってますが、本当は心から感謝しているんです
その後、モデル兼カリスマ発送責任者としてメグちゃんも入社!
そして、モデル兼メディア記事責任者・製品発注責任者・撮影と画像加工・来客接待など色々頑張ってくれているいくちゃん。
考えてみれば、会社のためにホームページに顔を出してくれていること。
そして、沢山の重要な仕事をしてくれていること、彼女達のおかげで今の「シルクふぁみりぃ」は続いているのかも知れません。
モデル2人が写った写真です。
彼女達もですが、色々な意見を正直に伝えてくれたり、雑多な仕事を効率よくこなしてくれたり、私以上に「シルクふぁみりぃ」のことを考えて動いてくれているスタッフ達がいます。
私は社長業をしていますが、仕事としては彼女達にはとても及びません。
いつも、本当にありがとうございます。
立ち上げた19年前からずっとリピートしてくださる多くのお客様、ありがとうございます。
全国に、ご親戚や職場のお友達におすすめくださるお客様が、沢山いてくださって今も何とか続いている「シルクふぁみりぃ」です。
令和になって最初に思ったことは「本当に有難いなぁ!!」ってことです。
平成になったときのことも鮮明に覚えています。
30年前なので、私は35歳でした。
ほんの少し前っていう気持ちが強いのですが、年齢を考えたなら若かったって思います。
そして一瞬で過ぎ去った平成です。
(35歳から65歳まで一瞬!?)
当時は、やはり天皇が崩御されたからの年号移行であり、今回のようなお祝いムードは無かったです。
そんなことも考えると、明仁上皇は新しいことを初めて実行されたんだと改めて思います。
明るく、楽しく、準備もしながらお祝いムードの中で年号を移行できること良かったです。
平成元年の35歳の私は、何を思って生きていたのかな?
子供4人に、限られた材料で食事を作って食べさせること。
(朝起きると、お弁当5個分のおかずが頭をぐるぐる回りました)
毎日何度も洗濯機を回して洗濯をすること。
(2.5キロの洗濯機でしたから)
夢の中でも、洗濯物を干していた自分がいました。
毎日が必死だったって感じです。
でも、まだ洗濯機があって、炊飯器があって、スイッチ一つで何でもできました。
そのほんの50年前の主婦は、どうしていたのでしょうね。
洗濯板で洗濯しているおばさん達を小さい頃見てきました。
うちは、早くに炊飯器がありましたが、田舎ではカマドでご飯を炊いていました。
そのおコゲに、お塩をまぶして握ったおむすびは絶品でしたね。
(そう言えば、自宅でも炊飯器の前にガス台に羽釜を置いて炊いてたのも思い出しました)
同じく田舎ではお風呂のお湯は、井戸から汲み上げて運び、薪で沸かしていました。
それは夏休みや冬休みの福井県の山の中での体験ですが……。
(私は下町生まれなので、自宅では銭湯に行っていました)
今の時代は、本当に恵まれています。
かつては若い世代だった私も、そろそろ語り継ぐ世代になりました。
親の介護のとき、ケアマネージャーさんが言っていた言葉を思い出します。
「これからは、否応なく100歳まで生きてしまう世の中になっていくのです」
本当に、そうですね。
となれば私には、まだあと35年が残っているのかも知れません。
35年をどう生きるか?
これからの自分の課題かと思います。
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