前回の続きから。
「さて、続きをはじめようか」
午後になって黒川がやってきた。
それまでに耕介は自分なりにトークを考えていた。
そのプリントされたメモを目ざとく見つけた黒川は、
「さすが! 飲み込みが早いね。トップ営業の資質ありだね」
黒川の口調がさっきよりフレンドリーになっていたのを、もちろん耕介は気づかない。それよりもトップ営業どころか、営業そのものに向いてないと思っていたので、意外だか妙に心にひっかかる言葉だった。
「うん、なかなかいい線いってるね」
と言いながら、赤のボールペンで耕介のメモに修正を入れている。
しばらくして、
「これでもう一度やってみようか」
と赤字で修正の入った耕介のメモをこちらに向けた。
「わかりました」
さっそく取り掛かろうとする耕介を手で制しながら、
「ただし」
といたずらっぽい目を向けて黒川は続ける。
「声を暗くして、ゆっくりと話してみて」
「暗く、ですか?」
営業をやっていて、暗くしろというのは聞いたことがない。本当にそれでいいのかと不信に思いながらも、一応言われたとおりにやってみる。
3件目の電話を終えたころから、その変化に耕介自身も気づき始めた。
冷たく断られなくなったのだ。今までなら、こちらが話している途中でも、
「いま間に合ってます」
などといわゆるガチャ切りされることが多く、その都度気持ちも落ち込んでしまっていた。ところが黒川に言われたとおりに話してみると、即座に切られることがなく、こちらの話を聞いてくれるようになったのだ。
「どう? 相手の反応が明らかに違うでしょ」
「はい。不思議ですね。どちらかというと愛想悪くしゃべっているのに」
「愛想悪く、か。どうしても罪悪感があるようだね」
「暗くしゃべると、お客さまに対して失礼な感じがして、どうも……」
「まあ無理もないか」
黒川はちょっと考えるしぐさをして、すぐに部屋を出て行った。
しばらくすると、若い女性を連れてきた。
「ごめんね、ちょっとだけ協力してもらいたいんだけど」
と困ったような顔をしているその女性に話し出した。
「この紙に書いてあるセリフのままでいいから、アポ取りの電話をして欲しいんだ」
すると彼女は明らかに動揺して、
「そんなの無理です。私は事務のアルバイトで来ているし、営業の電話なんてやったこともないですから」
「もちろんわかっているよ。ずっとやってもらおうと言うんじゃなくて、ちょっとした実験なんだ。ただ電話をしてこれを読み上げるだけでいいんで、やってもらえるかな」
「読み上げるだけでしたら、いいですけど」
「ありがとう、じゃあさっそくだけど、ここに電話してみて」
おそらく学生のアルバイトだろう。社会人経験もなさそうな彼女にいきなり営業の電話をさせるなんて、無謀にもほどがある。耕介には黒川の考えていることがまったくわからなかった。
ダイヤルをプッシュして、呼び出し音が鳴る。見ているこちらにも緊張が伝わってくる。
「はい、○○です」
思っていたより相手が早く出たようで、ビックリしたように彼女が話し始めた。
「あ、あの、○○会社の□□という者ですが、………」
紙に書いてあるセリフを棒読みしている。しかもたどたどしくつっかえながらだ。隣で聞いていても、恥ずかしくなるようなトークだった。これじゃあ実験にもならないだろう。
「わかりました。ありがとうございました」
しばらくして彼女は電話を切った。受話器を置いてフ~ッと息をつく。
「どうだった?」
「はい、いまは社内で調達しているので、とくに必要はないとのことでした」
「そう。ありがとう。ところで、電話の相手は恐かった?」
「いいえ。思っていたよりも恐くありませんでした。むしろ最後のほうはやさしい感じで話していただきました」
「OK。ご苦労さま。実験は大成功だよ。ありがとうね」
と言って黒川は彼女をもとの部署に帰した。
そして耕介のほうを振り返って、「どうだった?」と聞いた。
「やさしいお客さまに当たったみたいですね」
あのシロウト丸出しのトークで、きちんと対応してくれるわけがない。あれはたまたま運が良かっただけだろう。
「普通はそう思うだろうね。でもあれは狙い通りだったんだよ。冷たく断られることもなく、きちんと相手の話も聞けているしね」
黒川は自信ありげに続ける。
「もちろん、女性だから愛想よくしてもらったわけでもない。一番の理由は“営業っぽくなかった”からだよ。もし彼女がベテランの電話オペレーターのように、同じ文章をしゃべったら結果は全く違っていただろう」
「営業っぽくない……」
今日だけでも何度か出てきた言葉を、耕介はあらためて口にしてみた。
「営業なのに、営業っぽくなくしたほうがいいということですか?」
「その通り! と言いたいところだが、正確には違う」
黒川はホワイトボードになにやら書き始めた。
つづく