「もうすぐお昼だけど、一緒にどう?」
商店街に戻ると黒川が声をかけてくれた。考え事をしながら歩いていた耕介は、ハッとしてから黙ってうなずいた。
「うまくて安い定食屋があるんだけど、そこでいいかな?」
「はい」
耕介は、あることを考えていた。黒川の営業スタイルのことだ。どうして売れたのだろうか。正直言って、まだラッキーが3回重なったとしか思えないのだが、もしそこに何らかの売れる理由があったとしたら……? それを知りたいと思った。
それに、今日の黒川の営業は、普段自分がやっていることとは全く違うものだった。おそらく牛島課長や他の営業メンバーたちとも違うだろう。気合と根性で売るのが営業だと教わってきたが、黒川のスタイルは正反対だった。
物静かな口調と態度。強引さなど微塵も感じさせないセリフ。
そしてなにより違うのは、お客さまの対応だった。営業マンに対する嫌悪感とか警戒心をまったく感じさせなかっただけでなく、むしろ黒川に対して親しみすら持っていたかのようだったのだ。
以前、牛島課長と同行したときは、あまりにも強引にねばる課長にお客さまが根負けして買ってくれたときがあった。あれは内心かなり怒っていたようだったなあ。課長は注文が取れて満足気だったけど。
「相手のすきをついて必死にねばればいいんだ。営業は断られてからが勝負だぞ!」
そう教わってきたし、それが営業という仕事なのだと思っていた。
相手がどんなにイヤな顔をしても、どれほど冷たく断ってきても、何も感じないかのようにいつも笑顔で。そう割り切らなければやっていけないものなんだ、営業は。
ただ、耕介の心を奥には、「本当にそうしなければいけないんだろうか?」という小さな違和感があったのも事実である。
営業とお客さまがお互いに笑顔で商談が成立する今日のような光景は、これまで見たこともない異次元のものだった。
「おっ、今日はサバ味噌か」
店の前に出されている日替わりメニューを見ながら、黒川はのれんをくぐった。
純和風の居酒屋で昼はランチを出しているところのようだ。この辺は土地開発で新しいビルが建っているが、この店だけ昭和の雰囲気が残っていた。
耕介は一通り店まわりを観察してから店内に入った。
二人ともサバ味噌定食を注文した。
「ところで、さっき売れたのがラッキーって言ってたけど、本当にそう思う?」
出されたおしぼりで顔を拭いていると、黒川はいきなり聞いてきた。言うタイミングをずっとはかっていたようだった。
「いえ、最初はそう思ったんですけど、あんなに連続で売れるのはラッキーとは言えないような……」
「何か要因があるかもしれないと?」
「はい。歩きながらそれをずっと考えていました」
「いいね~。で、何かわかった?」
「いえ、まったくわかりません」
「まあ、そんなに簡単に答えが出たら苦労しないよね」
そう言って黒川は、冷たいお茶を飲んだ。耕介も一口飲む。
「もちろん、今日3件も注文が取れたのは、ラッキーの要素もあるよ。これをやったから確実に売れたというわけじゃない。でも売れる確率を上げることはできるんだ。それが今日の結果だよ」
「確率、ですか」
「そう、営業って相手がいるわけだから、どんなに自分で頑張ったつもりでも結果が出ないことがあるよね。だって買うかどうかを決めるのはお客さんだから。
営業は、お客さんが買いたいと思ってもらうためにどうするかを考える職業なんだよ。そしてそこにはひとつの法則があるんだ」
「なるほど」
わかったようなわからないような心境だった。納得してはいないが、でもいつも牛島課長が言っているような強引さは感じなかった。
そこに、二人分の定食が来た。しばらく話を中断して、食べるのに専念する。
よく食事中にしゃべりたがる人がいるが、耕介はそれが苦手だった。しゃべっている間は食べられないし、口の中に入れた食べ物を飲み込んでからじゃないとしゃべれない。なんせ口はひとつなのだから。
だったらまず冷めないうちに食事を済ませてしまってから、ゆっくり話をするというのが性に合っていた。その点、黒川も同じだったようで、二人は黙々と箸を口に運ぶ作業に集中した。
「ねえ、佐久間君。たとえばなんだけど」
黒川は食後のお茶を一口すすってから耕介に話しかけた。
「トップ営業なりたいと思わない?」
いきなり何を言い出すんだ、この人は。
「えっ? そりゃあなれるものならなりたいですけどね」
少し笑いながら答えた。黒川が言っていることは、“宝くじに当たったらいいと思わない?”というのと同じように聞こえたからだ。
「そうなれば、牛島課長からも文句は言われなくなるだろうねえ」
「そうですね」
「まわりの営業マンからも一目置かれる存在になるし」
「はあ」
「給料も上がるぞ!」
「……」
この人はいつまで夢を語ろうとしているのだろうか。
「そんなの夢物語だと思ってる?」
「はい……、あ、いえ、そんなことは……」
「ははは、いいんだよ。じゃあ質問を変えて、最初に話していた売れる営業の法則を知りたくない?」
「あ、それは知りたいです」
「OK。教えよう」
「本当ですか! ありがとうございます」
いままで暗闇の中を歩いているようだった営業という仕事に、少しだけ明かりが見えたような気持ちになった。かと言って、自分が売れるようになれるとは、まだ想像できないのだが。
「じゃあ、さっそく明日から始めよう」(この指導が終わったころには、君は売れる営業マンになっているよ!)
こうしてトップ営業マン黒川の営業指導が始まった。
ポイント)売れる営業には法則がある
つづく