「いいか! 注文取れるまで帰って来るんじゃねえぞ!」
「わかりました」
「声が小さい!」
「わかりました~っ!!!」
「ようし、行って来い!」
それを合図に20名の営業マン全員が一斉に動き出す。無言で書類をカバンに詰め込んで、みんな争うように出かけていく。今日もまた地獄の一日が始まろうとしていた。
自分も早く出かけないと、また課長に怒鳴られるぞ。しかし、資料をかき集めながら、こんなときに限って携帯が見当たらない。
「おい、佐久間! いつまでグズグズしてるんだ!」
やばい! 見つかった! どこだ携帯? ああもうどうしよう。机の引き出しのなかを必死に探しているところへ、課長の牛島が真っ赤な形相で近づいてきた。
「お前、今日売れなかったら本当にクビだからな、わかってるのか!」
「わかってます。わかってますけど携帯が見つからなくて……」
「そんなのいいから、さっさと行って来い!」
「はい~~~っ」
ああもう、こんな仕事はイヤだ~!!!
これが佐久間耕介が勤めるストロング広告社のいつもの朝の光景である。
広告代理店というと聞こえはいいが、与えられた仕事はタウン誌の広告をお店に訪問して売ることだった。朝礼でその日の売り上げ目標を全員の前に立って大声で言わされる。売れずに帰れば厳しく責められる。お客さまに喜んでもらうというよりも、上司に怒られないために仕事をしていた。
そのなかで耕介は売れない営業マンだった。もちろん自分なりに頑張っている。決してサボっているわけでもなく、日々言われた業務をきちんとこなしているのだがどうしても結果が出ない。来週こそはなんとか目標を達成したいと思いながら売れない毎日が続いて、入社して3ヶ月が経ってしまった。
最初のうちは新人だからと大目に見てもらっていたが、この時期になるともう一人前の営業マンとして評価される。
同期入社でも明暗がはっきりと分かれて、売れない者は半月もたずに辞めて行った。どうりで新人を大量に採用するわけだ。こうして売れる人間だけ残っていくという会社のしくみに気づいたときは遅かった。
「やっぱり自分は営業に向いてないんだ」
もともと人を押しのけてまで前に出るタイプではなく、どちらかというとおとなしい性格の耕介は、実際に営業をやってみてそれを実感していた。
急いで会社を飛び出したものの、今日も行くあてなどない。電車で隣の駅まで移動して、そこの商店街で飛び込み営業をやるつもりだった。たぶん断られまくるのだろうけど……。
自分がこれだけ頑張っても売れないのなら、売れている人はもっともっと頑張っているんだろうなあ。でもこれ以上どうやれっていうんだろう。
訪問するたびにお客さまから冷たく断られ、それでもねばると怒鳴られて、結局何も売れずに会社に帰ると今度は課長から大目玉を食らう。この状況が一生続くのかと考えただけで、朝から気分が暗くなってしまい、やる気もなくなってくる。
「こんな冴えない顔で営業に行っても、お客さんが会ってくれるわけないよな」
と勝手に自分で言い訳をして、駅前通りの路地を曲がったところにひっそりとある小さな喫茶店のドアを開けた。先週の仕事帰りにのどが渇いたので、ふと立ち寄った店だ。決してサボろうとしているのではない。少しだけ気持ちを落ち着かせたいと思っただけだ。そう仕事のためである。
そう自分に言い聞かせてはいたものの、根が真面目な性格なので、どうしても後ろめたい気持ちがある。あたりを見渡してから急いで店の扉を開けた。
薄暗い店内には静かにクラシック音楽が流れている。全部で30席くらいだろうか。二人用の小さなテーブルがそれぞれ木製の壁で仕切られているので、ひとりでじっくりと時間を使うにはもってこいの場所だった。
店に入って扉を閉めると、カウンターの中にいるマスターがこちらを見て無言で会釈をした。「いらっしゃいませ!」などと明るい声で出迎えて来ないところもいい。
どこか隅の目立たない席はないかと、店の奥へとゆっくりと歩き始めたときに、いきなり自分の名前を呼ばれた。
「佐久間君」
飛び上がるくらいびっくりした。こんなところに知っている人がいるわけがないと思っていたので、油断していた。
つづく。