高関健指揮東京シティフィルハーモニック管弦楽団 第372回定期演奏会 | 上海鑑賞日記(主にクラシック)

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日時:2024年09月06日(金)19:00~

会場:東京オペラシティ コンサートホール

指揮:高関健

演奏:東京シティフィルハーモニック管弦楽団

曲目

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 WAB108 (第1稿・新全集版ホークショー校訂)

 

感想:

 一昨日に続いて、この日もブルックナー目当ての東京シティフィルの演奏会を訪れた。

 シティフィルへの訪れは久しぶりで、会場は東京オペラシティのコンサートホール。

 

 指揮者は高関健さんで、実は半年前にも同じ会場、同じ指揮者、別のオケで8番を聴いたのだが、その時はハース版で演奏されたのに対して、この日は第1稿を元にした版で演奏されるという。

 第1稿は改訂の手が入る前の作曲家自身の最初の着想が詰め込まれたスコアで、現代に多く聴かれるノヴァーク版やハース版とはかなり相違点があるようだ、

 かのマエストロはブルックナーのスコアオタクなのではないかと思うほど、スコアを熱心に研究されているようで、今回も単なる作曲家の生誕200年というだけではなく、このオケの常任指揮者である立場を利用してマエストロがこの版の演奏を試めさせてもらったのかなと察する。

 この辺の詳細は本番前のプレトークで触れられており、スコアの出版にあたって、出版社と作曲家の間に弟子たちが入り込んで、かなり手を加えられたような話だった。

 本来は暗譜して臨みたかったが、他の版との類似も多く間違いがあるといけないのでスコアを置いて指揮すると語っていた。

 プログラムでも、使用される楽器が違うとか、シンバルの回数が違うだのわかりやすい相違点に触れられており、そういった予備知識を少し頭に入れて鑑賞に臨んだ。

 シティフィルは以前から若いメンバー構成でやはり女性が多い。

 

 さて、そういったマエストロの造詣を伺った後に第8番の本番である。

 冒頭の構成は、他の版と変わらないような気もするが、金管のバランスが少し違って聴こえ、これが楽団の個性なのか版の原因なのか分からないところがこちらとしてはもどかしい。

 その後は金管のバランス以外は、概ねいつも通りのブル8が展開するが、徐々に聴き慣れない繰り返しやメロディなどが混ざってくる。

 ただ、やや聴き慣れないだけであって流れに不自然さがある訳ではなく、きちんと調和している。

 そして決定的に違ったのが、フィナーレで他の版では静かに終わるのだが、その後に7番の第1楽章同様に華やかなフィナーレがあり、そこで楽章が閉じられた。

 非常にブルックナーらしさを感じる締め方(当たり前だが)となり、むしろなんでこの部分が削られたのかの方が不思議なくらいだった。

 第2楽章のスケルツォは、メロディ自体は後の版と大きくは変わらないが、楽器構成が少し違うような印象で、こちらの音色の方が素朴で色彩的には豊かだ。

 逆に言うと改訂稿の方が、ブラッシュアップして色彩コントラストを赤黒的にどぎつくしてしまった構成のように映る。

 演出効果で言えば、改訂稿の方がインパクトはありブルックナー独特のあの中毒性も高そうだが、やや鈍臭さの残るこの第1稿も非常に味があり決して悪くはなく、寧ろ好ましい。

 ただ、この曲の人気を高めたのはやはり改訂稿の演奏である印象で、この第1稿のままであったなら今ほどの名声はなかったのかもしれない。

 第3楽章のアダージョは、改訂者も作品の肝となっている価値を感じていたようで、詳細を見れば違いはあるのかもしれないが、前半の流れにはティンパニ加わった以外は改訂稿とそれほど大きな差異は感じられず、聴き慣れたメロディが流れていく。

 それを捌くマエストロも単に版の違う演奏という枠を超えて、心地よい流れを紡ぎ出していく。

 この楽章で大きな差異を見つけられたのはクライマックスへ向かう部分の長さとメロディで、さらにクライマックスで鳴らされるシンバルが、3発が2回入っていたこと。

 これが何故諸改訂稿で1発ずつに削られたのかは不明だが、クライマックスを強調する狙いがあったのだろうか?

 その後のコーダも、モノトーン気味になりがちな改訂稿に比べ、色彩深い響きがこの演奏にはあった気がする。

 

 そして第4楽章だが、冒頭のファンファーレは楽器バランスが改訂稿と違うのではないかと感じられるほどに、聴き慣れたメロディとは少し違って聴こえた。

 前半の流れは改訂稿との大きな差異は少ないように感じたが、フルートなど木管楽器の出し入れが多少加わって、改訂稿などとは少し違う雰囲気を醸し出す。

 中盤以降は細かい点で諸改訂稿と色々な相違点は感じられたが、第1稿も曲としての流れに無理がある訳ではなく、寧ろ第1稿の音楽としての完成度の高さを感じる。

 フィナーレに向かって、楽器が少し多いなという面もあり、それをすっきりさせた諸改訂稿の意図はまあ理解できるし、実際に演奏する側にとっても捌きやすそうなのは分かった。

 そしてコーダは基本的に他の版と同じ流れのはずだが、第1ヴァイオリンの旋律が意図的なのか強調されたように感じ、個人的にはもっと強く出してほしかったなと感じた。

 そのままフィナーレを迎えたが、演奏が止まった途端にフライング気味の拍手がでてしまったのがちょっと残念で、残響が消え入るまで楽しんでほしかったなというのが正直な感想である。

 繰り返しになるが演奏全体は、版の違いを超えた良い印象を感じ、出来ればこの版がもっと頻繁に演奏される機会が増えてもらいたいな、そう感じた演奏会だった。