【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】④大和出雲族の貴公子と中島連の伝説の祖
目次
【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】①日本書紀に封殺された「悪神」の正体!!
【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】②宿敵・タケハヅチの正体と忌部氏の最終兵器
【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】③東国の覇者と常陸王朝の都・大甕の秘密
それは、初代天皇・ニギハヤヒを祖とする氏族であり、出雲族の分家である。
これより一見、ミカボシとは関係のなさそうな話をするが、すべて繋がっていることにやがてあなたは気がつくことだろう。
出雲族と大和出雲族
これまでは、まとめて出雲族と述べてきたが、どうやら「出雲族」と「大和出雲族」に分けて考えたほうが良いことがわかった。
本家・出雲族
120年代、モンゴル系の騎馬民族出身であった始祖・フツが、朝鮮半島を経由して出雲地方に渡来したことによって成立した氏族。
●族長
フツ(110年代 - 140年代)
スサノオ(140年代 - 185年頃)
オオクニヌシ(185年頃 - 215年頃)
タケミナカタ(215年頃 - ?)
分家・大和出雲族
181年頃、父・スサノオに日本統治を託された出雲族のニギハヤヒが、大和国にて初代天皇に即位したことで成立した、出雲族の分家。
●族長
ニギハヤヒ(181年頃 - 220年頃)
イスケヨリ姫(220年頃 - ?)
真の天皇家・大和出雲族
一国の君主でありながら、氏族の族長ではないということは考えられず、また古代の氏族にはかならず族長がいるものである。
ゆえに、出雲族と大和出雲族を同じものにしてしまえば、族長がかぶってしまうので、分けて考えることにしたのだ。
この当時、分家や本家という概念があったかは不明だが、大和出雲族が分家することになった一番の原因は、オオクニヌシの婿入りだろう。
もとよりスサノオは、第五子だが器量のあったニギハヤヒを本家である出雲族の族長にして、大和国に送るつもりだったはずだ。
しかし、末子のスセリ姫と結婚してスサノオの婿養子=相続者となった凡人のオオクニヌシが出雲族の族長を継いでしまった。
なのでスサノオは、ニギハヤヒを出雲族としてではなく、大和出雲族として大和国に送って、天皇に即位させた。
いわば、本家からの「のれん分け」で独立することで、ニギハヤヒは相続権に頼らず、新たな統率権を得たようなものだ。
ある意味、大和出雲族が本流であり、出雲族のほうが支流になったともいえるが、スサノオもそのつもりであっただろう。
別にオオクニヌシは暗愚という程でもないが、スサノオやニギハヤヒのような英雄と比べると小物で、それなのになぜ結婚できたのか。
おそらくだが、もともとオオクニヌシは出雲族専属の医師で、スセリ姫の病を治したところ、好かれてしまった、としか考えられない。
スサノオにとっても恩人なので否定はできず、オオクニヌシが新勢力にならぬように、婿入りという形で結婚を許したのだろう。
初代天皇となったニギハヤヒは、出雲族の未来だけでなく「スメラ=天皇が日本を統治する」という、アマ族の使命すらも託された。
したがって、大和出雲族こそが正統な出雲族の後継氏族であり、真の天皇家(皇室)なのだ。
連合を受け入れる
さて、
だが、イスケヨリ姫は女なので天皇になれず、大和出雲族は静かに停滞期を迎えていた。
しかも当時、
・出雲王朝:出雲族
・九州王朝:日向族・
・第一次 大和連合王朝:大和出雲族
そこで、日向族の相続者であるイワレヒコと、イスケヨリ姫が結婚すれば万事解決なのでは?という連合案が、九州王朝側から示された。
そして、大和出雲族はこれに同意し、めでたくイワレヒコが次代天皇、イスケヨリ姫が皇后となって、日本が統一されたのであった。
年表
180年頃 | オオクニヌシの婿入り オオクニヌシ(20)、スサノオの末子であるスセリ姫に婿入りし、スサノオの婿養子・相続者となる。 |
181年頃 | ニギハヤヒの即位(日本の建国) ニギハヤヒ(30)、初代天皇として即位し、大和国の三輪(現:奈良県桜井市、大神神社)を皇居とする。 (日本の建国、第一次 大和連合王朝の成立) |
185年頃 | スサノオの死去 スサノオ(63)、死去。 オオクニヌシ(25)が盟主を後継。 |
215年頃 | オオクニヌシの死去 オオクニヌシ(55)、死去。 |
盟主後継問題の勃発 幼少だが末子のコトシロヌシ(日向族)か、非末子だが剛毅なタケミナカタ(出雲族)か、 オオクニヌシの死後の出雲・日向の盟主後継問題が勃発。 | |
アマテラスの即位(九州独立・連盟崩壊) アマテラス(62)、幼いコトシロヌシの代行として女王となる。 参謀のタカミムスビ(57)の主導により、日向は九州王朝(邪馬台国)として独立(出雲・日向連盟の崩壊) | |
220年頃 | ニギハヤヒの崩御 ニギハヤヒ(69)、崩御。 |
大橋川の戦い(出雲王朝の滅亡)[国譲り] 九州王朝軍のフツヌシ(25)・タケミカヅチ・アメノコヤネ、出雲国に侵攻。 九州王朝軍、タケミナカタ率いる出雲王朝軍を強襲、出雲国を占領し、出雲王朝を滅ぼす。 | |
230年頃 | 連合への転換 九州王朝、出雲族との対立から連合に方針転換。 |
第二次連合条約の締結 ウマシマジ、九州王朝のタカミムスビ案による第二次連合条約に同意。全面戦争回避という利害が一致。 | |
241年頃 | イワレヒコの即位(第二次連合の成立) イワレヒコ(25)、十種神宝を継承し、次代天皇として即位。皇后はイスケヨリ姫。 (第二次 大和連合王朝の成立) |
王朝
以前までは、大和王朝のことを
「出雲・日向連合王朝」
といっていたが、
これからはわかりやすく、
「大和連合王朝」
とすることにした。
わざわざ「連合」とつけているのは、あくまで出雲族と日向族による連合政権(朝廷)であることを強調するためである。
略称は相変わらず、
・第一次連合:第一次 大和連合王朝
・第二次連合:第二次 大和連合王朝
となる。
大和出雲族・真の後継者
しかし、私はこの「ニギハヤヒが崩御した後、大和出雲族を継いだのはイスケヨリ姫」という説に疑問を持っている。
この大和出雲族の後継談は、あくまで原田氏の考察で導き出された結論にすぎず、確証があるというわけではない。
ここで異論を唱えたい。
それはズバリ、このようなものだ。
「ニギハヤヒの崩御後、大和出雲族の相続者・族長になったのは、ミカボシである!!」
本名・カガセオ
ここで原点に立ち返り、ミカボシの別名である「カガセオ」(香香背男)を分析したい。
記述によっては
・アメノ+カガセオ(天+香香背男)
・ホシノ+カガセオ(星神+香香背男)
という表記もあるが、「
カガの意味
よって、カガセオが本名であり、さらに、
・カガ+セオ(香香+背男)
という構成に分けられる。
「
これはおそらく称賛をあらわす接頭辞であり、美少年の美と同じようなものだ。
ちなみに、「カガ」は蛇の古語でもあり、蛇は古来より永遠の生命、または神の象徴とされ、信仰と畏怖の対象であったことも興味深い。
実名・セオ
となれば、「セオ」(背男)こそ実名、つまり下の名前であり、親しい者や目上の者からは、そう呼ばれていた可能性が高い。
「
しかし、親しい男性という意味での「セ」は、背のほかに「兄」や「夫」とも表記される。
なので、もしかしたら長兄、つまり長男や長子という意味なのかもしれない。
よって、
・カガセオ=輝かしくかぐわしい男
という意味の尊称であることがわかる。
悪神か貴公子か
相当な期待と待望を背負いながら生まれてきたことがわかるし、また美男子であることが想像できるのではなかろうか。
これに「天」がついて、アメノカガセオになることで高貴な出自であるという意味が加わり、光源氏もビックリの貴公子ぶりを発揮する。
これほど美しく品のあるカガセオという名と、〝悪神〟という否定的な烙印、このギャップはどう解釈すれば良いのだろうか。
だが昔は、猛々しく強力であること、あまりに能力が優れて突出しているという畏怖を込めた意味でも「悪」という言葉が使われていた。
荒々しく力強い、しかし麗しい貴公子。
そんな凄まじい個性と存在感を発揮した傑物・ミカボシの実像が、その名だけからでも浮かび上がってくる。
別名・アメノセオ
ハヅチについて調べていた時、アメノハヅチオという彼の別名を見つけて、それを手がかりに調べたことで出自が明らかになった。
なので、カガセオの他にあるミカボシの別名を探って、それをもとに調査を進めれば、きっと新たな発見があるに違いない。
調べるうちに「アメノセオ」(天背男)というミカボシの別名らしきものをみつけた。
おそらくは、アメノ+セオ(天+背男)という構成だと思うが、さてもミカボシの実名であるセオ(背男)とおなじ漢字表記である。
カガが抜けているが、ここまで名前が同じなら同名の別人であったほうが驚く。
先代旧事本紀
アメノセオの名が記されている、最古の史料が『
いわば、古事記や日本書紀とは別バージョンの日本神話ともいうべきで、書かれた年や書いた人物が不明という謎多き書でもある。
しかし先代旧事本紀では、ニギハヤヒについてかなり比重をおいて書かれており、そこが他の神話と大きく異なるところである。
さすがに、ニギハヤヒが初代天皇とは書かれていないが、古事記や日本書紀ではほとんど封殺されているも同然なのに、すごい差である。
このことから、彼の子孫が書いたのではないかという説が昔からある。
さて、アメノセオについての記述があるのは、ニギハヤヒが〝天〟から大和国に降臨した時の神話である。
この時にニギハヤヒは、
彼らは「三十二人の
そこの記述の抜粋が以下である。
(前略)
天背男命 、尾張中嶋海部直 らの祖。
(後略)
(後略)
『先代旧事本紀』(9世紀、巻三 天神本紀)
アメノセオの名の後には、よくわからない漢字たちが並んでいる。
原文
天背男命 尾張中嶋海部直等祖
アメノセオの名が明文化された史料としては、かなり貴重である。
だが、ほかに登場する神々(人物)を見れば、みんな生きた時代がバラバラであり、当然だがまったくの作り話であることがわかる。
これはおそらく、ニギハヤヒが初代天皇に即位するべく、出雲王朝から大和国に東征した時の史実をモデルにした神話なのだろう。
なので、こんなに大人数の時代的にありえない人々を伴ったということについては、さすがに話を盛っていると思われる。
たしかに、史実の観点からしても、あきらかにニギハヤヒとは無関係な人物もいる。
そうなれば、アメノセオ(以下:ミカボシ)とニギハヤヒの関係については考えず、ひとまず先ほどの記述について考えることにしよう。
尾張国の中島郡
さて、先代旧事本紀によれば、ミカボシは
「
の祖らしい。
これはなんのことだろうか。
構成は「
分けると「尾張」と「中嶋」は地名、それから「海部直」は氏族名のようだ。
・尾張=
・中嶋=
・海部直=
つまり「ミカボシは、尾張国中島郡の海部氏の祖である」というのが、この記述の内容だ。
しかし、よく考えるとこの記述は不思議だ。
なにが不思議なのか解説する前に、ここからのキーワードとなる
海部氏
海部直の「
やがて、そういった称号が形骸化してからは、他の氏族が〇〇氏と称されるようになったのと同じく、海部「氏」となったのだろう。
さて、海部氏とは、この界隈ではよく耳にする名前である。
この海部氏とは、
とくに有名なのが『
この系図で気になったところが、海部氏の祖がホアカリ(天火明命)という神だとされていることである。
そう、実はこのホアカリは、まぎれもなくあのニギハヤヒのことなのでである。
それは、彼の諡号を見てもわかる。
つまり、海部氏の祖はニギハヤヒなのだ。
ふたつの海部氏
さぁ、これだけでも、先ほどの先代旧事本紀のミカボシの記述が不思議であるかがわかる。
なぜなら、
●先代旧事本紀
・海部氏は、尾張国中島郡の氏族。
・海部氏の祖は、アメノセオ(ミカボシ)
●海部氏系図
・海部氏は、丹後国の氏族。
・海部氏の祖は、ホアカリ(ニギハヤヒ)
このように、両書の内容がまったく違う。
通説においても、海部氏は丹後国の氏族、祖はホアカリとされている。
これではあたかも、海部氏がふたつあるように思えるし、それならば先代旧事本紀の内容は、まるっきり嘘八百なのだろうか。
先代旧事本紀は偽書ではない
そもそも、先代旧事本紀は偽書なのではないかという説がある。
平安時代の初期あたりに成立したはずなのに、その前の時代の人物である、聖徳太子が作成を命じたと序文に書いてるからだ。
このこともあり、先代旧事本紀は偽書だというイメージが江戸時代ごろから現代までつづき、十分な研究はされてこなかった。
だが、そんなことを言ってしまえば、古事記や日本書紀も史実的には嘘っぱちなので、偽書になってしまうのではないか。
実は近年の研究では、先代旧事本紀は序文以外なら怪しいところは目立たず、むしろ歴史的な価値は高い、という再評価が進んでいるのだ。
それに、序文は後の時代に追加されただけで、本文自体は古代日本史を知るうえでも、かなり重要な文献だという見解が増えてきた。
なので再度、アメノセオ(ミカボシ)の記述を検証してみる価値はある。
もしかすると、先代旧事本紀のいう海部氏と、海部氏系図のいう海部氏は、また別の氏族なのかもしれない。
久多神社
調べてみると、
そこには、「天背男」や「海部直」などというキーワードがあったので気になった。
(前略)
この地は天背男命を祖とする一族が居住したと伝えられる。中島直(本家)、海部直(分家)の尾張族と言われる。
中島直の子孫は久田氏と称し大国霊神社の神官を務めた。
「久多神社の祭神は国府宮々司久田氏野々部氏の祖で、この所に天降して岩室に住し、尾張の国土開発に尽した神である」『稲沢の神社』
(中略)
久多神社は暦応2年後のいつ頃かに廃絶の憂き目を見るに至った。
国府宮の神主職を継いだのは久田氏の同族である野々部氏で、廃絶後、自宅で天背男命を祀っていたという。
(後略)
この地は天背男命を祖とする一族が居住したと伝えられる。中島直(本家)、海部直(分家)の尾張族と言われる。
中島直の子孫は久田氏と称し大国霊神社の神官を務めた。
「久多神社の祭神は国府宮々司久田氏野々部氏の祖で、この所に天降して岩室に住し、尾張の国土開発に尽した神である」『稲沢の神社』
(中略)
久多神社は暦応2年後のいつ頃かに廃絶の憂き目を見るに至った。
国府宮の神主職を継いだのは久田氏の同族である野々部氏で、廃絶後、自宅で天背男命を祀っていたという。
(後略)
久多神社 - 延喜式神社の調査
http://engishiki.org/owari/bun/ow100221-01.html
この文章は、おそらく神社の伝承だと思うが、引用元が記されていないので、信憑性としては微妙なところだ。
しかし、まったくのデタラメを書いているとは思えないので、参考にした。
この久多神社はアメノセオ、つまりミカボシを祀っており、しかも住所は先代旧事本紀のいう海部氏の拠点、尾張国中島郡に相当する。
重要なのは
「
というところである。
これはどういうことだろうか。
中島直や尾張族やら、新たなワードが出てきてなんのこっちゃサッパリなことだろう。
なので、まずそのワードから調べてみた。
尾張大國霊神社
すると、
通称は
ちなみに、場所は先ほどの久多神社から約1kmほど南にあるので、かなり近所である。
この尾張大國霊神社の伝承が、先ほどの新たなワードを解く手がかりになる。
↓後で久多神社の伝承とまとめて要約するので読み流してよし。
国府宮
(前略)
崇敬は又格別であって、古く崇神天皇七年(約1870年前)に神地を定めて封戸を賜り、天背男命(尾張族の祖先)の子孫である中島直(後に久田氏、野々部氏を称して明治維新まで奉仕しました)をして奉仕せしめられたという。
(中略)
神職には古くから尾張族の遠祖、天背男命の子孫が代々奉仕して来ました。
後に久田氏を名乗りましたが、暦応二年(約620年前)に久田弥四郎崇政が夜討ちに遭い、伝来の古記録宝器等皆な散逸したといいます。
その子元政が神主となって世襲しますが、永正年間(約450年前)に久田氏を改めて野々部氏と称し、累代正神主として社家を統率しました。
(後略)
(前略)
崇敬は又格別であって、古く崇神天皇七年(約1870年前)に神地を定めて封戸を賜り、天背男命(尾張族の祖先)の子孫である中島直(後に久田氏、野々部氏を称して明治維新まで奉仕しました)をして奉仕せしめられたという。
(中略)
神職には古くから尾張族の遠祖、天背男命の子孫が代々奉仕して来ました。
後に久田氏を名乗りましたが、暦応二年(約620年前)に久田弥四郎崇政が夜討ちに遭い、伝来の古記録宝器等皆な散逸したといいます。
その子元政が神主となって世襲しますが、永正年間(約450年前)に久田氏を改めて野々部氏と称し、累代正神主として社家を統率しました。
(後略)
尾張大國霊神社 国府宮
(愛知県稲沢市国府宮1丁目1番1号)
要約
●尾張大國霊神社
・尾張大國霊神社は、
・中島直は、アメノセオ(ミカボシ)の子孫。
・アメノセオは、
・中島直は、やがて
●久多神社
・尾張族は、中島直が本家、海部直が分家。
中島連と尾張海部氏
この両神社の伝承をまとめると、以下のような系図ができあがる。
ざっくり言うと、ミカボシの子孫は、
・本家:中島連(中島直、尾張大国魂神社)
・分家:尾張海部氏(海部直)
この二氏族ということだ。
この分家の海部直こそが、先代旧事本紀のいう尾張国中島郡の海部氏のようだ。
つまり、海部氏系図を書いた丹後の海部氏とは別の氏族ということなので、「尾張海部氏」と私は名付けた。
実際、今でも愛知県の中島郡(稲沢市)の近辺には
丹後の海部氏とまた別の氏族なので、わざわざ先代旧事本紀は「尾張中嶋海部」と明記したと考えられる。
もしかしたら、この尾張海部氏と丹後海部氏は親戚かもしれないが、今のところ不明だ。
中島連
また、本家である中島直は、「
もしかすると、古代においてミカボシの子孫がもっとも長きに渡って名乗っていたのが、この中島という名だったのかもしれない。
代々、中島連が神主だった尾張大國霊神社は、尾張国中島郡にある。
つまり、この中島郡こそミカボシの子孫の拠点だったということであり、ミカボシを考察するうえでは、常陸国と同等に重要な場所なのだ。
まとめ
●本家の出雲族より、初代天皇のニギハヤヒが祖となった分家の大和出雲族のほうが、むしろ本流であり、また真の天皇家といえる。
●ニギハヤヒの崩御後、大和出雲族の相続者・族長を継いだのは、原田説のいうように末子のイスケヨリ姫ではなく、実はミカボシである。
●ミカボシの別名である、カガセオこそが本名であり、名前の意味からして将来を待望された貴公子であったことがわかる。
●隠された神話の『先代旧事本紀』、愛知県の尾張大國霊神社や久多神社の伝承には、別名のアメノセオとして、ミカボシの記録が残る。
●ミカボシの子孫は、尾張大國霊神社の神主家である中島連、尾張海部氏という氏族であり、いずれも尾張国の中島郡を拠点とした。
この記事では、大和出雲族のことにつづいて、ミカボシの子孫について語った。
子孫を解き明かしたところで何になるのか?と思うかもしれない。
しかし、子孫やそれについての伝承といった、ミカボシの〝痕跡〟から逆算することで、その出自を明かにすることができるのである。
とりあえず今回は、ミカボシの子孫は尾張連、それだけ覚えていれば良い。
ここまで痕跡が残っているので、もはや今さらミカボシは架空の存在だとは言わせない。
次回は、ミカボシと古代の大豪族・尾張氏との深いつながりについて解き明かす。
つづく。