螢源氏の言霊
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【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】①日本書紀に封殺された「悪神」の正体!!





アマツミカボシ(天津甕星)!!

それは日本神話で唯一の悪神

そして、星の神である!!





とにかく、この神(人物)は謎が多い。


しかし、なぜ日本神話でもメジャーな神として上がってこないかが不思議なほど、その正体は燦然たる輝きを放っている。



星に例えるなら、金星だろうか。





明けの明星、宵の明星という異名があるように夜明け、あるいは日暮れにしか姿を現さないがゆえに、その輝きは強烈な印象を残す。


神としての性質でいえば、西洋のルシファーにとてもよく似ている。





どちらも、神=支配者に反逆したことによって「天」から追放されている、金星や蛇の象徴とされているという共通点がある。


といっても、今回は神話の話はしない。



なぜなら、神話に書かれていることは、すべて史実の出来事を元にしている、という歴史観でないとミカボシの謎を解き明かせないからだ。


そしてなによりも、ミカボシの謎を解き明かすことは、古代日本史、そして日本建国史の謎を解き明かすことと全く同じなのだ





本題を進める前に、私の古代史研究の基本的な態度や史観について述べておこう。



●在野の歴史研究家、故・原田常治はらだつねじ氏の著作、それと同史観の宇宙神霊アーリオーンの啓示を土台としている。

記紀きき神話(古事記・日本書紀)に登場する、人格を有する神はすべて、実在する人物が元になっていると解釈する。

●日本が建国されたのは西暦181年頃であり、2〜3世紀が神話の舞台となっている。

●日本という国は、当初は和合するはずだった日向ひむか(天皇家)と、出雲いずも(スサノオ家)の二部族の対立と連合によって成立した。

●日向族の祭祀を司る忌部いんべ(後の裏天皇)の陰謀によって、出雲王朝は滅ぼされ、出雲族は中央から追放され、迫害を逃れて亡命した。

●記紀神話は、すべて日向族・忌部氏の目線で書かれており、出雲族を誹謗中傷し、日向族を過大評価するという改竄がなされてある。



もはや俗にいう〝トンデモ〟や〝オカルト〟の世界になりそうだが、古代日本史研究の中では最も真に迫ったものであると認識している。


ハッキリ言って、世の研究家のミカボシ考察は的外れな解釈ばかりでガッカリするし、結局、誰も何の謎も解いてはくれなかった。





こうなった以上、ミカボシとは何者で、いつの時代に何をしたのか、その存在が隠されていることにどんな意味があるのか?


また、ミカボシの存在は我々、日本人にとってどのような意味を持つのか?



そんなことを私が究明してみせる他ない。





そもそも今回の記事は、私が去年に書き終えた【日本建国史の大真実】シリーズの続編だ。


私の史観は、用語や概念が独特なので、以下の過去記事を読んでおいたほうが、わかりやすいかもしれない。



【日本建国史の大真実】第1章 〜アマ族の渡来とスサノオのオロチ退治〜

【日本建国史の大真実】第2章 〜スサノオの九州進攻とアマテラスとの和合〜

【日本建国史の大真実】第3章 〜裏天皇・タカミムスビの正体と忌部氏の呪い〜

【日本建国史の大真実】第4章 〜消された初代天皇・ニギハヤヒの日本建国〜

【日本建国史の大真実】第5章 〜オオクニヌシの不断と出雲・日向の暗雲〜

【日本建国史の大真実】第6章 〜継承者・タケミナカタの反骨と国譲りの真相〜

【日本建国史の大真実】第7章 〜次代天皇・イワレヒコの受難と第二次連合の成立〜

【日本建国史の大真実】第8章 〜真の日本人の条件と出雲族の封印解除〜

【日本建国史の大真実】番外編 〜其の壱〜

【日本建国史の大真実】番外編 〜其の弐〜





謎多きミカボシではあるが、上記のシリーズの時代(西暦143年頃〜241年)の前後に歴史の表舞台に登場していることは確かだ。


しかし、具体的にいつの時代かを特定するには至っておらず、せいぜい弥生時代〜古墳時代の間だろうという見通しで終わっていた。



ここ一年、ずっとミカボシに思いを馳せながら研究を続けていたが、謎すぎてなかなか記事にすることもできなかった。


どうしたものかと悩んでいたが、そこで改めてミカボシについて記されている、唯一の史料といっていい『日本書紀』を読んでみた。





世間のミカボシ研究家たちは、意外なほどこの日本書紀の記述を軽視しており、そのせいかはわからないが、妄想に近い考察が多かった。


日本書紀とは、奈良時代に書かれた大和朝廷=藤原不比等ふじわらのふひとによるプロパガンダ歴史書であり、その内容のほとんどが改竄されている。





かくいう私もそのことが頭にあり、日本書紀をスルーしていた。


だが、いくらプロパガンダ歴史書と言えども、まともな史料がそれしか無いとなれば、丁寧に考察してみるに越したことはない。



そこで今一度、日本書紀の記述をひとつひとつ精読してみると、かなり多くの手がかりがあることがわかった。


と言うより、ほぼ答えが書いてあるも同然で、やはり誇張はあるものの、およそ史実に沿って記述されていると思われる。





ミカボシについての記述は、日本書紀に二箇所あるが、逆にいうと二箇所しかないのだ。


今回はそれを読み解いていきながら、徹底的にミカボシを究明してゆきたい。



記述を読みとる前に、記紀神話によく登場する語句の意味を理解しておく必要がある。


予備知識がないまま読めば、ただの漠然とした神話だが、これまでの研究をもとにした解釈を当てはめれば、立派な史実になる。



語句解釈



王朝、王族など、高貴な存在のこと。

高天原たかまのはら
日向王朝→九州王朝の自称。
純粋な日向政権を指すため、出雲・日向連盟、出雲・日向連合王朝は指さない。

葦原中国あしはらのなかつくに
狭義では、出雲王朝の領土こと。
出雲・日向連盟においても出雲王朝領をいう。広義では、日向政権の及ばない地域を指す。

葦原中国平定
日向による出雲の残党狩り。
大橋川の戦いに勝利し、出雲占領(国譲り)を果たした後、亡命した出雲族を掃討した。

天津神あまつかみ
日向族側の有力者。忌部氏も含む。
日向族の相続者(王)を頂点としつつ、黒幕はタカミムスビ、フトダマなどの忌部氏。



王朝名




●日向王朝(高天原)

●出雲王朝(葦原中国)

●出雲・日向連盟

●出雲・日向連合王朝(大和王朝・日本国)

●九州王朝(高天原・邪馬台国)



人物相関図





今回の主要人物


アマツミカボシ

(天津甕星、天香香背男、星神香香背男)



フツヌシ

(経津主神、斎主神、天日鷲命、香取大明神)



タケミカヅチ

(建御雷神、鹿島大明神)




さて、日本書紀の記述を考察にはいろう。

記載順ではなく、時系列順に並べてある。



記述① 〜ミカボシ暗殺計画〜

ある書によれば、天津神(タカミムスビ)はフツヌシとタケミカヅチを派遣し、葦原中国(出雲王朝)を平定させようとした。

その時、二神は

天(王朝)に悪い神がいます。

名をアマツミカボシ、またの名をアメノカガセオといいます。

どうか、まずこの神を誅伐し、その後に降って葦原中国(出雲王朝)を治めさせていただきたい。

と言った。

大和朝廷『日本書紀』(720年、舎人親王編・藤原不比等監修)巻第二 神代下 第九段一書(二)


年代


・出雲日向の盟主後継問題勃発(215年頃)〜大橋川の戦い(220年頃)の直前。

・この記述がまさに、国譲り=大橋川の戦いの直前の話であるため。

・天津神(タカミムスビ)からの指令により、フツヌシとタケミカヅチ率いる九州王朝軍は、出雲王朝に侵攻しようとしていた。


場所


・高天原(九州王朝)


フツヌシとタケミカヅチについて



・まずはミカボシを排除してから、葦原中国を平定すべきと強く主張した。

・ミカボシを排除しておくことで、出雲王朝を侵攻する上でも有利になると考えていた。

・しかし、結果的にミカボシを排除(暗殺?)できなかった、あるいはしなかった。


ミカボシについて



・高貴な人物であり、天=王朝(場所は不明)にいた。

・フツヌシとタケミカヅチとは、同時代の人物であり、また彼らによく認知されていた。

・具体的な罪状はないが、九州王朝(日向)を脅かす〝悪神〟として警戒された。

・星を象徴する存在とされた。

・出雲王朝にとって重要人物であった。


時代背景


【日本建国史の大真実】第6章 〜継承者・タケミナカタの反骨と国譲りの真相〜


●215年頃

オオクニヌシ(55)、日向国の西都原さいとばるで死去。

末子のコトシロヌシ(日向)か、剛毅なタケミナカタ(出雲)か、出雲・日向の盟主後継問題が勃発。

アマテラス(62)、幼いコトシロヌシの代行として日向の女王となる[卑弥呼、女王に]

タカミムスビの策により、日向は九州王朝として独立(出雲・日向連盟の崩壊)。首都は西都原。





考察


名前に「天」とついている以上は、高貴な人物であることは間違いなく、もっといえば王族であった可能性が高い。


ミカボシは、なぜか日向最強の武将たちに命を狙われており、よくも悪くも重要な人物としてマークされていたようである。



そもそも、善悪の概念がとても薄い日本神話において、ここまでハッキリと、そして一方的に悪と断じられているのはミカボシぐらいだ。


荒ぶる神・スサノオでさえ、せいぜい不良神の扱いなのに、ミカボシへのこの扱いはちょっと異常すぎる。



そして、フツヌシとタケミカヅチは、まず先にミカボシを殺してから出雲王朝に侵攻すべきと進言している。


このことから、まずミカボシを殺したほうが、出雲王朝を侵攻する上で有利であり、何らかの切り札になり得たということがわかる。



少なくともミカボシは、出雲王朝側にとっても重要な人物であったことは確かなようだ。


ここでミカボシを暗殺しておくのが、九州王朝(日向)にとって最善だったのにも関わらず、どういう訳かそれは実行されなかった。


なぜ、ミカボシを殺せなかったのか?



記述② 〜ミカボシ討伐作戦〜

一説によれば「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類(出雲族・出雲王朝)を誅伐し、皆すでに平定した(第二次連合を成立させた)。

唯一従わぬ者は、星の神・カガセオ(ミカボシ)のみとなった。


そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。

そして、二神は天(九州王朝・第二次連合)に登っていかれた。


倭文神、これをシトリガミと読む。」

大和朝廷『日本書紀』(720年、舎人親王編・藤原不比等監修)巻第二 神代下 第九段本文


年代


・第二次連合成立(241年)〜アマテラス死去(247年頃)の前後。

・日向がほぼ日本を平定している様子の記述、原田説では、タケミカヅチが九州王朝に帰還したのがアマテラス死去の後のため。

・フツヌシとタケミカヅチの掃討作戦によって出雲王朝を滅した日向は、その軍事力を背景に第二次連合を主導し、日本の覇権を握った。

・しかし、ミカボシだけは第二次連合、つまり日向政権に反逆し、討伐軍と全面戦争に。


場所


・葦原中国(日向政権の及んでいない地域)


討伐軍(第二次連合軍)について



・日向最強のフツヌシ、タケミカヅチに加え、タケハヅチという武将から構成。

・ミカボシを討伐=殺害するつもりだったが、日本書紀には「服従させた」と記されており、最終的には討伐に失敗していたことがわかる。


ミカボシについて



・すでに天=王朝にはおらず、何らかの理由でその他の地方にいた。

・彼を討伐するため、日向の主力が動員されていることから、国と呼べるような規模の勢力の指導者となったことがわかる。

・記紀神話では唯一〝星の神〟と称された人物であることから、星を信仰する勢力から絶大な支持を集めたカリスマであったといえる。

・極めて重大な動機と事情があるため、日本の大半が第二次連合の支配下にあるなか、反逆と抵抗を続けた。


フツヌシとタケミカヅチについて



・タケハヅチが、ミカボシを服従させた(?)後でないと、天=九州王朝に帰還しなかった、あるいはできなかった。

・おそらく、タケハヅチを先鋒に迎えつつも、ミカボシ討伐作戦に加わっており、戦の決着がついたので帰還した、という意味であろう。


タケハヅチについて



・武将である。

・織物の「倭文織しずおり」の生産者でもあり、祭祀や呪術に縁が深く、重要な役割を担っていた。

・あのフツヌシとタケミカヅチがいるなかで、最も大きな手柄(ミカボシを服従させた?)をあげているため、相当の武勇と知略があった。


時代背景


【日本建国史の大真実】第7章 〜次代天皇・イワレヒコの受難と第二次連合の成立〜


●220年頃

九州王朝軍の三武将(タケミカヅチ、フツヌシ、アメノコヤネ)、出雲侵攻を開始。

九州王朝軍、大橋川の戦いで、タケミナカタ率いる出雲王朝軍に勝利(出雲占領・出雲王朝の滅亡)[国譲り]





●230年頃

出雲・日向連合王朝の後見人・ウマシマジ、九州王朝のタカミムスビ案による第二次連合条約に同意。

全面戦争回避という両者の利害が一致。タカヒコネが使者となり、出雲の神宝・布都御魂剣ふつのみたまのつるぎが返還される。


●241年

イワレヒコ(25)、十種神宝とくさのかんだからを継承し、次代天皇スメラミコトとして即位。故・ニギハヤヒの婿養子に。旧暦1月1日。(第二次 出雲・日向連合王朝の成立)





●247年頃

アマテラス(94)、死去。トヨウケ姫(13)が後継。


考察



すでにミカボシは、地方の一大勢力のカリスマ指導者として成長しており、レジスタンス軍を率いて第二次連合(大和王朝)と戦った。


第二次連合軍の武将・フツヌシとタケミカヅチ(厳密には九州王朝の所属らしい)に加えて、タケハヅチという武将も参戦。



最終的にはミカボシを討伐することはできず、ミカボシを「服従させた」とあるが、その後はどうなったのか?


本当に第二次連合に服従したのなら、服従した後のエピソードがあっても良いはずだ。



そもそも、服従させたということはミカボシを捕らえたということだと思うが、なぜその時に殺さなかったのか?


果たして、本当にミカボシを服従させることに成功していたのだろうか?



まとめ

高貴な出自でありながら、謂れもないまま命を狙われ、王朝を去ってからは地方勢力の指導者として君臨し、第二次連合への抵抗を続けた。


そして、活躍したのが西暦200年代。


アマツミカボシとは、そのような人物であったことが、少し気をつけて日本書紀を読むだけで明らかになった。



だが依然として、なぜ、悪神と断罪されて命を狙われたのか?なぜ、星の象徴とされたのか?そもそも出自はどこなのか?


それは、次回以降の記事で明らかになる。



そして次回は、ミカボシと対決したタケハヅチという謎の人物についての話から始めよう。



つづく。



日本書紀 書き下し文


記述①
一書あるしょいわく、天神あまつかみ経津主神ふつぬしのかみ武甕槌神たけみかづちのかみつかわして葦原中国あしはらのなかつくにたいらげ定めせしむ。時に二神ふたはしらのかみ曰く、「天に悪しき神有り。名を天津甕星あまつみかぼしまたの名を天香香背男あめのかがせおと曰う。う、先ずの神を誅し、しかる後に下りて葦原中国をはらわん」。


記述②
あるわく。「二神ふたはしらのかみつい邪神あしきかみ及び草木石くさきのいわの類をつみないて、皆すでおわる。うべなわぬ者は、ただ星神ほしののみ。かれまた倭文神しとりがみ建葉槌命たけはづちのみことつかわせば、すなわうべないぬ。故、二神あまに登る。倭文神、此をと云う。」




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